尾山神社②神門・狛犬・拝殿・菊桜

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尾山神社と云えば、人気を集めるのは西の表参道石段上にある
尾山神社神門 右:西表面 下:東裏面
明治8年(1875年)11年、長谷川準也(金沢製糸場創業者、第2代金沢市長(M30~金沢区を含むと8代目))・大塚志良(長谷川準也の弟、江沼郡長)兄弟が願主となり、金沢大工・津田吉之助が設計・施工したものです。ちなみに津田吉之助は北陸のダヴィンチと呼ばれた大野弁吉の藩校や家にも通う弟子筋でもありました。石川製糸場の織機も富岡製糸場派遣で学び製作しており、吉之助の子・米次郎と甥・駒次郎は明治33年国内初の動力式絹織機を作製、明治42年に駒次郎が金沢で個人経営の「津田駒次郎工業」を開業、現代の高速自動織機で世界トップシェアの津田駒工業となっています。
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神門中央 透彫り 上:西表面 下:東裏面
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上画像中央門の床面の円盤は、後で紹介しますが神苑の大型灯篭の天板だと云われています。灯篭の崩落で人身死亡事故によって、天板に神罰の意味で人に踏まれる通路に埋め込んだと云われています。家紋の透かし彫りも撮影したんですが画像が消えていました。家紋透彫りに興味のある方はこちらをどうぞ⇒2009.7.29尾山神社
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神門は和漢洋の銅板四柱造三層建物になります。その異様な造りが徐々に人気を集め、金沢のシンボル的存在になっています。高さ18m、避雷針は8メートルになります。

基部にはレンガ積みが施され、全体を木造架橋で支持しています。門となる第一層は神苑の渡月橋をモデルにしたと見られ、戸室石が使用され、木製門扉には加賀梅鉢紋や透かし彫りが施され、2・3層には銅板と白漆喰で固められ高覧を配しています。第三層には四面に5彩の色ガラス板が使用されています。明治には御神灯が灯されて市街地を五色の光で照らし、灯台の役目も果たしていました。
天辺には水煙と対の避雷針は日本最古のものと言われています。金沢大学付属病院の前身の石川県金沢病院開設に招聘されたオランダ医師・ホルトマンのアドバイスによって取り付けられたものです。

津田吉之助の最初の原設計図では上部はストゥーバ風の和漢建物でしたが、時は文明開化で、石川観光の起爆剤として和洋折衷の斬新なデザインに変更され建築完工されていました。 ⇒ 尾山神社神門原図(玉川図書館近世資料館)データベース
完成した神門を見た金沢の住民たちには大不評、「醜悪その物の異形の建築物」などと罵倒されたと伝わっています。しかし、歳月を経るごとに兼六園と共に金沢の顔という存在になって行きました。昭和25年(1950年)国重要文化財に指定されています。
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尾山神社の狛犬は昭和8年(1933年)建立、創建60周年として寄進されたものです。この二対の狛犬の間に立ったら振り向いてみてください。前述の神門が一番綺麗に見える位置になります。
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県内でも一番の迫力で獰猛に見える、胴長スマートでスリムな姿の狛犬です。

先日、10年以上ぶりに白山比咩神社の宝物館で重文の平安末期に藤原秀衡奉納狛犬と鎌倉期奉納の狛犬に再会してきたんですが、久しぶりに見るとこんなにでかかったかな@@とまじまじ見入ってしまいましたが^^;

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現存する木造狛犬としては石川県最古と云われていますが、久しぶり観ると尾山神社の狛犬の姿が目に浮かびました。これまでは特別異種の狛犬だと思っていたんですが、白山比咩神社の狛犬の姿を一番引き継いだ姿かもと思えてきました。 ⇒ 白山比咩神社 神宝狛犬(白山比咩神社HP)

右画像の木は蚊母樹(イスノキ)、別名はヒョンの木。尾山神社の拝殿右翼前に立つ木になります。樹齢は200有余年と云われています。4月頃に赤く小さな花が咲きます。
本来は南方系の樹木で国内では四国・九州に自生する木なんだそうです。アブラムシが作る虫こぶ(ひょんの実)が笛になることから別名があるそうです。非常に硬い木で薩摩の示現流の木刀はこの木から作るそうです。
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尾山神社拝殿と菊桜 菊桜は江戸後期に京都御所から加賀前田家に下賜されたと云われ「御所桜」と呼ばれていました。兼六園には37の橋がありますが、霞ヶ池東岸の中央の千歳橋付近に植えられていました。通常の菊桜の倍の250~400枚の花弁が咲く稀少な桜として、昭和3年(1928年)国天然記念物・兼六園菊桜として指定されていましたが、昭和45年に枯死にしていました。菊桜の枯死がそれまで無料だった兼六園が樹木の保護の名目に有料化(昭和51年)となった契機でした。
兼六園の二代目菊桜は昭和3年に桜の寿命を予言した14代佐野藤右衛門が枝を持ち帰ったものの戦争で育てた桜木が行方不明に、戦後から先代の意志を継いだ15代が昭和34年から接ぎ穂採集、金沢・京都間の運搬に苦労し失敗を繰り返しながら昭和36年の持ち帰った10本の内の一本を3年がかりで成功、京都の桜守として知られる植藤造園・佐野藤右衛門氏から昭和42年に返送されたものです。⇒ 植藤造園HP
尾山神社の菊桜は昭和10年頃に大雪で折れた枝を園丁が接ぎ木を依頼し民間で育てられ平成15年(2003年)に二本が神社に献上されたものです。もう一本は神門を入ってすぐ右手、於松の方のレリーフの近くにあります。八重桜・手毬りの仲間になるため4月末が満開で、咲初めから散るまでに濃いピンクから白へと三色に変化します。
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尾山神社の拝殿は明治6年(1873年)建立。入母屋造・瓦葺の重厚な造りになっています。

内部の部材の多くは金谷御殿の部材の多くを準用しています。一般参拝客は拝殿の上がり框までで、内部にはほとんどないと思います。渡り廊下から内部の画像を一枚載せましたが、せいぜいこの風景しか見られません。式典や祈祷・お祓いでしか拝殿内部に入れません。ですから拝殿内に入ったことのある人は地元民でも少ないと思います。かく言う僕も妹の結婚式だけでしたから、もう30年近く前になってしまいます。
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金谷御殿の意匠が残るものには格天井の一間ずつに施されたうどんげ(優曇華、憂曇華)の花が描かれ、欄間は30㎝近い厚みの板に施された透かし彫りを極彩色で彩られていました。ただ真冬で雪が降って本殿はほとんど見えないし、とにかく寒かったし、外からは見物客に覗かれてるしで、緊張するし、そのくらいしかお覚えていません。機会があったら厄払いでもしてみようかな。。

ちなみに、優曇華の花は仏教の経典では三千年に一度、転輪聖王(転輪王)又は如来が誕生する際に咲く花とされています。空想上の花で珍しく、奇瑞なことの例えとされてきました。後世になって、この名をつけられた花があるそうです。芭蕉花やクサカゲロウの卵を呼ぶのがその例ですが、南アジア原産のフサナリイチジク(優曇華樹)、長崎県佐世保市九十九島の無人島、熊本県山鹿市の国天然記念物・アイラトビカズラが後世になって名付けられた花になるそうです。

次回は尾山神社本殿、金谷神社、東神門に。。

旅行日 2019.11.12

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