小舞子海岸

以前に歴史の道百選で批判的な記事を書いてしまいましたが、国内には多くの百選が存在しています。国・県・協議会・業界団体・選定委員会・組合・個人様々な百選が存在していて、有名・無名を含めて100や200では効かないかもしれません。とはいえ、この百選は各地から選定されていて、観光はもちろん僕のようなスポットマニアには目安の一つになっています。ただその後の開発や荒廃で首を傾げるものも出てきてしまいますが。。

今回、ご紹介するのは「日本の渚百選」。海の日(7月第三月曜)の祭日制定を記念して選定されたもので、平成8年(1996年)に農林省・自治体関連の選定委員会の選定したものです。日本は島国のおかげで多くの海岸線や渚が存在します。また狭い国土に水を生成する山々を抱え河川や湖も多く存在し、滋賀県や長野県からも選定されています。
百選には地元以外には知られていないものも多くあり、再発見・評価には寄与しています。 ⇒ 日本の渚百選(日本の森・滝・渚全国協議会HP)

石川県は西側に長い海岸線と、日本海に突き出した能登半島、富山湾の西側を構成するように海に囲まれた県になります。おかげで越前海岸から続く奇岩や断崖と合間の砂浜が点在すると長い松林と砂浜の加賀海岸、きめの細かい砂浜、リアス式海岸の能登の海岸、七尾湾のような静かな海辺、富山湾の西海辺と様々な海岸線があります。海岸線の特徴的な種類の多さは国内でも突出すると思います。ところが昭和・平成初期の観光誘致の下手な石川県はあまり海岸線を発信していないせいか、お隣り福井県の東尋坊を含む奇岩・断崖絶壁の越前海岸、富山の万葉にも歌われ海岸から北アルプスの白い山並みの見える雨晴海岸、蜃気楼・海中林の魚津海岸など、海岸の知名度はやられっぱなし。。全国的に知名度のある海岸が無かったというのが正直なところ。。
県内の渚海岸は海水浴場になっているものが多くあります。一体幾つあるんだろうと思いますが景観重視の個人的な僕の趣味では、見附島の見える鵜飼海岸(珠洲市)・小石浜の柴垣海岸(羽咋市)・隠れ家的な山岸壁に囲まれた海水浴場・黒崎海岸(加賀市)が僕の好みですかね。機会があったら立ち寄ってみてください。
DSC_5782.JPG
日本の渚百選 小舞子海岸 揮毫は故・衆院議員・奥田敬和
そんな石川県から平成8年(1996年)三海岸の渚がこの日本の渚百選に選定されています。
石川県の選定の海岸は・・・
千里浜渚ドライブウェイ(宝達志水町~羽咋市千里浜) 全国でも珍しい渚を普通車で走れるきめ細かい砂を持つ9キロの海岸線、他にも内灘海岸のような乗入れ可能な海岸があり、これに慣れている石川県人は他県に行って海岸の砂浜に入ってスタックする人が多いそうです。 ⇒ 千里浜なぎさドライブウェイ(羽咋郡市HP)
鉢が崎海岸(珠洲市蛸島(たこじま)) 能登半島の東端の外海と内海の境界線の海岸で、海の透明度は県内屈指の海水浴場 ⇒ 鉢が崎海水浴場(石川県HP)
小舞子海岸(白山市美川湊町) 手取川河口近くの南岸側の海岸線で、夕陽の眺望には定評があります。

この選定によって、千里浜海岸は一気に全国区になりました。全盛期に比べれば砂浜の幅は半減していますが、人気は相変わらず高いものがあります。ただ夏は観光客が多く交通制限もあるんでノロノロ運転。。僕は人や車の居ない早春や晩秋を狙って走りますけどね。。
残りの二海岸はまだまだ全国的には無名の存在です。鉢が崎海岸は海の美しさは抜群なんですが、なにせ奥能登はやはり遠いのと、我が家ではバス旅行で行った娘が、海辺の船に乗って船酔いのトラウマ以来、鉢が崎と聞くとそればかり言って拒否権を発動。。随分ご無沙汰してるなあ。。

先日、毎年恒例の県内各市町がCM作製で競う「第18回HABふるさとcm大賞」が開催されていましたが、今年の大賞白山市。個人的には珠洲市・小松市の作品が好きでしたが。。。白山市は4年ぶりの大賞\(^o^)/ 昨年の大賞は毎年下位だった伏兵・野々市市、毎年上位に来るのが羽咋市・津幡町・金沢市、でも金沢市は毎年2.3位で対象から外れ続けています。今年は好作品で惜しかった。。30秒CMで19各市町が大賞・入賞・順位を競うものですが、なにせ入賞賞品は翌年のCM放送回数(大賞年間100本、入賞20~50本、参加賞10本)がかかっていることもあって、個性的で各町の代表的な観光地や行事が散りばめられたり、意欲的なチャレンジ作品も多くて毎年期待してみています。ちなみに同じCM大賞を山形県も行っているそうで、こちらでも流されますが、なかなか良い作品揃いですよ^^ 他の作品や過去作品も観たい方はこちらを ⇒ HABふるさとcm大賞


CMの最後の場所が夕陽の小舞子海岸、我が家から車で30分ほどで、身近過ぎて逆にあまり訪れていませんでした。CMは白山頂上から小舞子海岸まで撮影移動に10時間掛ったそうですが、とにかく広い白山市ですが、白山麓奥から海辺まで普通なら片道2時間ほどで行ける好ロケーションが良すぎるところ。。先日仕事の帰り道に久しぶりによってきました。まさかその後、この海岸の映像が大賞になるとはビックリ@@

小舞子創設者松韻亭主人碑より~~
明治三十年(一八九七)美川町中町で旅館兼料理業を営んでいた餅田半次郎は、風光明媚なこの地を好み、「松韻亭(しょういんてい)」と名付けた風流な小亭を造り、海水浴場を開いたことから、小舞子海岸が一気に脚光を浴びることとなった。
ここの景勝は、播州(兵庫県)舞子の浜を彷彿させるものがあるとして、「小舞子(こまいこ)」と命名したのである。
翌三十一年には金沢の小説家の徳田秋声らの一行が松韻亭に来て、浜料理で酒を酌み交わし、半次郎や粟田長次郎らと詩作や清談に時を過ごした。
その後、海水浴場としての隆盛は年々増し、浜茶屋、料亭、休憩所が相次いで開業することとなった。
毎年の浜開きには、寄合い相撲、芸者の手踊り、餅まき、水泳大会、謡や俳句の会、舟遊び及び観月会等が催され大いに賑わった。
小舞子は今でも、景観の素晴らしさに変わりはなく、平成八年(一九九六)には日本の渚百選に認定されたのである。
平成十四年十月 美川町教育委員会

小松から根上町、美川町にかけての加賀海岸には波も穏やかで白砂の続く浜辺が続いています。そして防風林・防砂林として松が植えられています。浜辺と松並木の取り合わせは江戸時代や明治には人気スポットの代表と云えました。
jpegOutput.jpg

広重画 大日本六十余州名勝図会 
播磨 舞子の浜(国立国会図書館デジタルコレクションより)
小舞子の名の元となった播州の舞子の浜(現・兵庫県神戸市垂水区、舞子公園)ですが、、源氏物語で光源氏の大きな展開点になる須磨の浜と並び称される白砂青松の浜。舞子の地名も風によって斜めに靡いたような磯馴松の千姿万態の姿が、舞子(舞妓)の姿に似ていると名付けられたと云われています。
柏山から望む白砂青松の老松明石海峡越の先の淡路島行き交う帆船の眺望が古くから詩歌や景勝記といった作品に取り上げられている地です。江戸・明治期には国内でも屈指の景勝地とされていました。

明治天皇が気に入って7度も行幸したのを始め、多くの有名人が別荘を建築しており明治27年(1894年)有栖川宮が柏山に舞子別邸を造り、兄弟の終の静養先にしています。明治33年には県立公園「舞子公園」、昭和9年には史跡名勝記念物(現在の国名勝)にされていました。

舞子の浜は国内屈指の景勝地として憧れをもってみられ、その名にあやかって同じく白砂青松の地に舞子の名を冠したのが小舞子海岸の由来になります。また、日本の白砂青松百選に選ばれている新舞子(福島県いわき市)も舞子の浜に由来しています。震災で被害を受けグロ松並木も復興中ですが、美しい景色が戻るのが期待されます。
ちなみにまた百選と云われそうですが、日本の松の緑を守る会選定の白砂青松百選ですが、石川県は四件(加賀・安宅・増穂浦・千里浜安部屋海)が選定されていますが、そのうちの加賀海岸・安宅海岸とは根上の松のある根上海岸を挟んで小舞子海岸と海岸線に続く美しく長い松林になります。

しかし肝心の舞子の浜は幕末の舞子砲台の設置に始まり、昭和戦後の都市開発による護岸工事により砂浜が消え、工業・生活排水による水質低下、更に国道2号線の拡幅などで狭められた上に排気ガスにより老齢化の松が弱体化、とどめを刺すような松くい虫による枯れ死が発生。それまで無数とまで言われた松も2000本を割り込み荒れ果てた状態になっていました。

舞子復活を目指して海洋の水質改善、松林の植林・保管作業が施される中、マリンピア神戸の開業に続く明石海峡大橋の架橋によって周辺整備に伴い舞子海岸整備が行われ、約800mに渡る人工砂浜のアジュール舞子(舞子海水浴場)に松林を植林して景観を復活しています。
課題は急速な水質改善で関西屈指の海水浴場になったものの、綺麗になりすぎて海洋生物が激減、近海業の打撃という課題が浮き出しているそうです。急速過ぎる改善も環境変化をもたらしてしまうものなんですね。。
DSC_5774.JPG
小舞子児童公園 前田斉泰公腰掛石碑 13代藩主・前田斉泰が海岸視察の際に休息をとった地と云われています。残念ながら腰かけた石は残っていません。
手取川の河口は古代からの湊として知られていた存在で、鎌倉期の廻船式目に三津七湊、国内十大港湾の一つ・本吉湊として記載されていました。江戸・明治初期には北前船の主要地にもなっていました。手取川河口南岸旧湊村の海岸小舞子海岸になります。
湊村の海岸が史上に記されたのは、、江戸末期には外国船の出没によって、本吉湊を重視した加賀藩にとっては重要監視地点になると見られていました。安政5年(1858年)、加賀藩13代藩主・前田斉泰は参勤交代の帰路にこの海岸に立ち寄り、海防状況を視察しています。斉泰はその後、本吉湊の産土神・藤家神社、浄願寺(現・美川南町)に参拝して松任を経由して金沢に戻っています。

ちなみに藤家神社の坂道を降りた斜め向かいに石川ルーツ交流館があります。交流館の敷地は金沢県が廃止となり石川県となった際に県庁がおかれた地になります。明治5年(1872年)金沢県が廃止された際に前田家は東京へと去っています。まさか14年後に自身が去った後に出来た石川県庁の地を踏んでいたとは思わなかったでしょうね。
DSC_5776.JPG
小舞子児童公園 芭蕉句碑 濡れて行くや人もおかしき雨の萩
なぜここに芭蕉の句碑があるのかは不明です。奥の細道の経路では小舞子は通っていないはずなんですが。。芭蕉は金沢から松任を通り、芭蕉の渡し(現・手取川橋)で手取川を渡り、粟生を経由して夕方に小松・近江屋に入っています。翌朝には出立するつもりでしたが地元の歌人たちに引き留められ三日逗留しています。ちなみに芭蕉は小松から山中温泉に行き曾良と別れていますが、その後小松に引き返しています。この小松への目的については以前、小松の葭島神社で書いています。長い文ですが、最後の方を見てください。 ⇒ 2019.03.08 葭島(よしじま)神社

芭蕉は先の小松泊まり二日目、観生の亭(小松市の来生寺の北隣、梯大橋袂)の歌会で詠んだのがこの句でした。梯(かけはし)大橋の袂には同じ句碑があります。ちなみに僕が知るこの句の碑はもう一つ。芥川龍之介の「開化の良人」という作品の中で、本多子爵の友人・三浦と妻・勝美の出会いの場になったこの句碑がある萩寺(江東区亀戸・龍眼寺)。なかなか、幻想的な作品でした。
DSC_5787.JPG
DSC_5788.JPG
小舞子海岸 ボート小屋
明治半ば、交易船の大型化が増えると水深の浅い本吉湊は衰退していきます。近くの美川港や湊村の海岸辺では小型船での近海漁業が行われるのどかな漁村となって行きました。そして美しい松林と海辺が残されたわけです。
DSC_5777.JPG

小舞子児童公園 
小舞子創設者松韻亭主人碑
明治30年(1890年)美川中町の旅館業・餅田半次郎は風光明媚な湊村の松林の地に、瀟洒な丸太組みの松韻亭を建て、浜料理や酒を振舞ったのが始まりとされます。松韻亭には餅田半次郎は舞子の浜に似た長大な砂浜と松林の眺望が播州舞子の浜を彷彿とさせるいうことから、小舞子と名付けたそうです。松韻亭には徳田秋声、細野燕台などが訪れたと云われます。
DSC_5779.JPG
同年には小舞子海岸として海水浴場を開設します。近くに海水浴場が無かったこともあり活況を呈し、明治36年に北陸本線に小舞子駅の前身の国鉄夏季停車場が開設され、国鉄から一番近い海水浴場として賑わっていました。

松林は長く維持されていましたが、老齢化と松喰い虫の被害で衰退しかかったことはありますが、高速道路に隔てられるものの保護と植林によって現在も維持されています。
DSC_5785.JPG
DSC_5784.JPG
小舞子海岸 波打ち際
特徴的なのが砂浜で、手取川河口から排出される砂によって構成されたと思われますが、砂の豊富さは印象的で海辺に立つとどこまでも続くように見える砂の海岸線が見られます。千里浜海岸は海流の関係と手取川の土砂の排出量の減少で砂浜が減少していますが、小舞子海岸は以前と変わらぬ姿で健在です。
DSC_5783.JPG
加賀海浜自転車道(県道・金沢小松自転車道線)DSC_5786.JPG
健民海浜公園(金沢市専光寺町)から安宅海浜公園までの25.5キロの自転車専用道路です。羽咋巌門・能登海浜・小松加賀・加賀海岸の自転車道と接続していて全長約120キロの自転車ロードです。河口などの接続で一部共用道路がありますが、ひたすら海岸線が見られる直線道路です。加賀海浜は11末~4月初は風波で冬季通行止なので注意要
松任の北陸自動車道・徳光SAから直接降りれらる徳光海岸の開設で海水浴客が分散したものの、それでも松林の存在感が強く、人気の高い海水浴場です。
DSC_5780.JPG
旅行日 2019.12.01




"小舞子海岸" へのコメントを書く

お名前:
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント:

最近のコメント