味知郷神社

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久しぶりに町の神社です。白山市の福留地区の鎮守社で味知郷(みちごう)神社。   味知郷神社南脇参道・社標

石川県神社庁案内

味知郷神社(みちごうじんじゃ)
御祭神 経津主(ふつぬし)神・天児屋根(あめのこやね)命・比咩(ひめ、比売)大神・白山比咩(はくさんひめ)神・天照(あまてらす)皇大神・武甕槌(たけみかづち)神
鎮座地 白山市福留町1 氏子区域 白山市福新町・福留町・福留南

由緒 創立の年代不詳 初め福留白山神社と号したが明治40年神明社、春日社、白山社を合祀し味知郷神社と改める。境内地は843坪周囲小高く中央が低く稀なる地形をなしている。
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       上:表参道 右表参道 鳥居扁額
歴史や由緒を細々と書く石川県の神社庁ですが、いたって簡略な案内文です。
味知郷神社の氏子区域となる福新町・福留町・福留町は旧松任市の南の国道8号線沿い、平野部のど真ん中になります。神社の西にある南北の道は松任宿から水島の手取川の渡し場に向かう北国街道になります。往時は田園と平坦な交通路になっていました。
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北土塁上の旧神明社跡碑
創基は不明ながら江戸期以前から存在したようで、江戸期には手取川北岸の平野部の味知郷・山島組42村の総鎮守だったと地元には伝わっています。明治以降は福留地区の産土神として福留白山神社(白山比咩神)。明治40年(1907年)に近在の春日社(経津主神・天児屋根命・比咩(比売)大神・武甕槌神)、北土塁上の神明社(天照皇大神)を合祀して味知郷神社と改めています。
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上:北脇参道 神橋 左右に土塁が見られます。脇参道を造成の際に切り拓いたようです。
北国街道が示すように交通路となっていたようで、古くからこの一帯は未知(みち、道?)と呼ばれた記載があり、時代の経過で郷村の構成と共に味知郷(みちごう)となったと思われます。
DSC_5635.JPG右:手水舎 奥に見えるのは南側土塁
延喜5年(927年)に纏められた延喜式神名帳の元となった国内神名帳。国司がまとめ神祇官に提出したものですが、加賀国(石川郡のみ残存)の石川郡には、十七座の神社があったとされています。正一位・白山比咩明神(白山比咩神社)、正三位上・笠間明神(笠間神社)を筆頭に17座の式内社が存在しました。
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拝殿前 狛犬 三十七八年戦役凱旋記念銘 三十七八年戦役は日露戦争の別称になります。明治38年(1905年)。
明治40年に神社の合祀・名称変更が行われていますから、前身の福留白山神社時代の物になります。
その中に最下位ながら従六位下・未知明神(未知神社)がありました。式内社地は行方不明で、石川神社庁では安江住吉神社(現金沢市北安江)を未知明神の神鏡があるとして論社に比定しています。味知郷神社も前述の位置的には第一の論社候補ですが、無印になっています。
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ところが石川県史の元ともいえる加能郷土辞嚢では、未知郷は白山麓・上吉野近辺として味知郷を否定、神社庁の安江住吉神社も論外と切り捨てています。ということで未知明神との関係性は不明です。ちなみに、安江住吉神社は金沢では人形供養の焚き上げで知られる神社です。 ⇒ 安江住吉神社のFB
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拝殿石垣・石段脇 狛犬 前が平成9年(1997年)奉納 後が昭和54年(1979年)奉納 画像の関係で明治の狛犬も昭和・平成と同じくらいの大きさです。
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福留の地(未知・味知)は低地の平野部で中世期には4度の洪水にも見舞われたと伝わっており、交通路として田園地として開けていても、居住地としては開けておらず、江戸期の集落は比楽島・福留東部に限られていたようです。街道沿いには荷馬車や台車の車輪を伝える家もありますが、現在のような住宅・商業地が開けたのは手取川の改修が成された明治以降・昭和戦後になります。

福留の地名は後年のもので、江戸期以前の中世には福富と呼ばれ境内地は「福富の森」と呼ばれていたと伝わります。また森の境内地は真言宗の親王寺があったと云われています。名前から天皇の御子関係の寺院とも推測できますが、加賀に関係する親王関係は、平安末期の北陸宮が加賀に滞在したという話はありますが伝承地は聞かないし、あくまで北陸宮は以仁王の子で親王ではありません(庶子とも見られます)、ただ源義仲が北陸宮を擁立した際に親王として扱っていますが、後白河法皇は拒否しています。ついでにいえば以仁王は挙兵の際に親王を自称していますが、正式な親王宣下は受けていません。南北朝では衰退を続ける南朝で放浪を続けた宗良親王が一時期越中で勢力を広げ加賀にも影響を及ぼしたと云われますが、越中滞在は短期で加賀に来るほどの余裕はなかったように見られます。これまた不明事項で一度調べてみたいと思います。
加能郷土辞嚢より  親王寺(しんのうじ)・・・石川郡福富にあった真言寺院で、今神社のある地がその址であるという。又坊の館という所があって、親王寺の塔司であったと伝える。
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南西部 表参道の土塁
由緒に関しては、様々に想定できる神社ですが、なかなか確証にはならないのが辛い所です。
しかし、この神社の見どころは境内を囲む土塁のような周囲の高まりと年樹を感じさせる欅の大木群一本の松になります。

敷地面積は町や村中の神社としては広いものがあります。特徴的なのは四周を小高い土塁に囲まれていることにあります。由緒書では特異な地形としていますが、観た感じでは人為的な土塁に思われます。前述のように親王寺時代に四度の氾濫に見舞われていることから、社地を守る防洪水壁として造られたと思われます。土塁上の木々が巨樹となっているのが多く見られること、前出の旧神明社跡も土塁上で相当古くに造成されたと予想されます。現在の拝殿・幣殿も東側土塁上に建てられています。神殿には高い石垣組が施され土塁の高さにあわされています。
DSC_5657.JPG南西側土塁
現在のように手取川がダム調整で水量が調節され河岸堤が整備される以前は、一旦氾濫すると加賀平野・扇状地は遮るものがなく川の海と化していました。地名にもそれが窺われていて、神社から北国街道を南に手取川に向かうと地名に源兵島・水島・田子島など〇〇島といったものが多く点在しますが、手取川の氾濫時に島のようになるちょっとした高台につけられた地名です。この島に住宅地や集落が構成されています。昭和初期まで平野地は肥沃な田園地帯ですが、水との戦いもあった平野地です。味知郷神社の地形も洪水の防水壁の役目を施していたのだと思われます。
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味知郷神社の大ケヤキ
土塁上には幹周3mを超えるケヤキや杉の巨樹が多く、特に表参道・西口にあるケヤキ根上りの巨樹で樹高24m、目通幹周5.8m。土塁に覆い被さるような根上りはなかなかの威容を示しています。土塁上の木の大きさを見れば、土塁が数百年単位の昔の造成時期だと推測されます。

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巨樹といえば、味知郷神社には太さはそれ程でもないのですが異常に高い松の木があります。
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歴史と文化の町(六)「目標の松の木 由来」 
加賀国石川郡味知郷山島組四十二村の総社、味知郷神社が鎮座する味知森は、旧親王寺の時代といわれる場が三方に残され小高く、中央低く盆状をなし近隣稀なる地形である。目廻り二米を越える大欅が八本、松の大木三本が大きな森を形成していた。
日本海に漁する沿岸の鹿島・蓮池・石立・松本の漁師達はこの遠景の福留の森の中でも際立つ常緑の松の木を唯一の目印として、漁場の位置や帰路を急いだと言われる。
最後に残る貴重な一本である。
寄贈 浅野 義幸

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味知郷山島組四十二ヶ村と一口でいいますが、前述のように平野の中に集落が島名が示すように、飛び地のように構成されていて、その範囲は非常に広く、味知郷神社周囲を北西端として西は手取川橋までの北国街道、東は川北大橋の山側バイパス周辺、北は現在の松任イオンから県立大学の辺りと、郷村の区域としては加賀国屈指の広さ(約10X6キロ)で手取川北岸の扇状平野地の大半を占めています。地元ではその総鎮守と主張しているわけです。先述した未知神社の式内社・論社候補になりうる元になってます。

往古には三本の松が灯台代わりになっていたようですが、今は一本だけが残っています。真っ直ぐに天に向かって立つ姿。時々海辺の断崖などで一本松の姿を見ますが、海風でよく変形しています。これほど真っ直ぐに直立する姿は少ないですねえ。
文中の鹿島・蓮池・石立・松本は、現在の加賀海岸の漁村で美川ICの北の浜辺に点在しています。現在も近海漁業の漁師家があり、集落を構成しています。これらの漁村と福留にはほとんど高度差が無く、現代のような建物がない時代には遠くからこの高い松は良い目印になったと思われます。

松の木の看板の寄贈者・浅野義幸氏は石川県でも最古と云われる老舗・浅野太鼓の現在の第17代当主です。浅野太鼓本社・演奏スタジオは神社と道路を挟んだ斜め南隣、神社の表参道沿いに展示館・研究所・製作工場があり、先代・浅野義雄氏がこの地に来て以来、氏子として神社を信奉しています。当初は街道の小さな集落の産土神だった味知郷神社の社地や立派な社殿が維持されているのは、浅野太鼓の存在が大きいと云えます。
味知郷神社 拝殿・幣殿舞部
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浅野太鼓の発祥は慶長14年(1609年)ですから創業410年を誇ることになります。
元々、播磨国飾東郡高木村(現・兵庫県姫路市)の名人と唄われた皮革師で、播磨屋左衛門五郎・次郎が加賀藩に招聘され、浅野村(浅野中島?、現・金沢市橋場町近辺)で皮革業を開始したとされています。文政5年(1822年)能登・加賀皮革師の支配の定書を浅野家が受けています。

太鼓陣太鼓とも云われるように軍事に使用され、武家文化の金沢に浸透するのは必然ともいえました。古くから金沢を中心にした加賀では子供が生まれると男なら小太鼓、女なら小太鼓もしくは小鼓を飾って祝う風習がありました。太鼓の音が邪気を払い、太鼓のように丸々福々と健やかに育つように願う物とされていました。僕が生まれた時にも小太鼓を買ってくれたそうで、妹弟にも使用されて小学校の頃まで家に転がっていたのを覚えています。文化面を重視した加賀藩では能楽・雅楽・神事・仏事・祭礼用の和楽器の多用もあり、生活・文化・祭礼で風習として根付き大きな需要があり、江戸から明治・昭和初期には浅野村地区を中心に10軒の製造業者が存在したと云われています。
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拝殿前の神馬像 寄進者は浅野太鼓16代・浅野義雄、浅野行雄 昭和54年寄進
原型師・米治一 米治一は明治29年高岡生(1896-1985)、大正10年東京美術学校彫刻科卒、高村光雲師事、26歳で地元で製作活動、3年後には当時の摂政宮(後の昭和天皇)に作品「菅公」を買い上げられています。彫刻と共に銅像や銅器の原型師として多くの作品を残しています。高岡駅前「大伴家持と乙女像」、高岡古城公園「前田利長騎馬像」、高峰公園(高峰譲吉生家)「高峰譲吉像」他多くの銅像作品が高岡市内にあり、彫像・銅器作品など1000点以上が残ると云われています。代表作には「皇居二重橋橋桁の龍唐草及照明台」「皇居新宮殿屋上瑞鳥」の原型作製があります。ちなみにこの神馬像は高岡銅器展示館で販売されています。さて幾ら¥でしょう?当ててみてください。大きさは8尺 ⇒ 神馬像

戦後になると、神社などの統合など様々な制限が加えられ、洋風化により太鼓の需要が減少し、石川県では太鼓製造を浅野太鼓一軒に統合し伝統工芸として受け継がせました。
浅野太鼓が大太鼓(口径五尺以上)を手掛けるようになったのは、この変革の最中の昭和35年(1960年)頃だと云われています。大太鼓製作には広い敷地と原材料の木材搬入に適した地が必要となります。昭和37年に先代・浅野義雄氏が現在地に新店舗を開いています。北国街道を2,3キロ南下すると、江戸期から続く木呂場(ころば、木材の水運集積場)があることが大きかったようです。昭和45年には現在の浅野太鼓楽器店の社号で会社化。現在は材料から仕上げまでの一貫生産で、大太鼓(口径3尺以上)は全国シェアのほとんどを占め、太鼓製作のトップメーカーとなっています。太鼓研究にも余念がなく海外を含めた太鼓の展示館は必見です。 ⇒ 2011.05.07浅野太鼓楽器店 資料館・新響館
2017.08.11 炎太鼓 みつうち 白山開山1300年祭
炎太鼓は昭和61年(1986年)結成の女性和太鼓ユニット、たまたま初お披露目を目の当たりにしたので、僕も長く気になる存在です。当初は色物的な眼で見られがちでしたが、技術向上と共に海外公演も多数こなして、和太鼓ブームの火付け役になっています。初期メンバーの地下朱美さんは現在も和太鼓奏者・教師として活動しています。
浅野義幸氏はたしか75歳。和太鼓の製作はもちろん、炎太鼓を始めとする太鼓奏者やグループの創設、太鼓の振興に尽力して浅野太鼓の地位を確定した人ですが、経営や製作は徐々に後進に譲っているなどと言ってますが、まだまだ元気はつらつ。。63団体1000人を超す石川県太鼓連盟の代表理事、いしかわこども園の理事長など活躍しています。たまにこども園でお会いしますが、柔和で笑顔の絶えない人ですが、僕が頭が上がらない一人^^; ⇒ 浅野太鼓HP
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味知郷神社拝殿
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上:味知郷神社 拝殿扁額 文字が掠れて読めませんが「山島社?」にも見えます。江戸期の山島組を伝える物でしょうか。。
中・右:味知郷神社 幣殿・神殿 千木は内削ぎ・鰹木は六本、社殿は神明流造ということは神明社を意識しているようです。
屋根瓦は能美小松の影響か、茶色瓦を使用しています。拝殿軒や向背は簡素ですが、全体の建物は大型の部類になります。
昭和期から福留地区は北国街道に沿って店舗や住宅が建つようになり、人口・戸数の増加と共に、国道8号線沿いに様々な工場・倉庫が建てられて発展して、この神社も信奉と維持整備が施されてきました。

旅行日 2019.11.08








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