雑話 日本の仏教①

名所・旧跡に触れて歴史を振り返るものを書いていると、頭が痛くなるのが宗教がまとわりついてくることです。けっこう宗教施設と言える神社・仏閣で考察的に歴史を振り返る僕ですが、訳が解らなくなる時はしょっちゅうあります。神道にしても仏教にしても、更に修験道まで加えると浅学な僕でも書き始めれば、誤字脱字、意味や筋を誤ったりしても良ければ、本が何冊も書けるんじゃないかと思いますが・・・これからも、出掛けるたびに寺社仏閣が出るために、まずは簡単?な仏教の流れをば。。。
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大安禅寺(大安寺)大日如来坐像 平安末期作
大安禅寺は万治2年(1658年)創建の越前松平藩(福井藩)歴代藩主の墓所・菩提寺になります。戦災や地震で古い建物類が残っていない福井市内で江戸初期の建築を残す貴重な寺院、臨済宗妙心寺派(2012.09.18撮影)
世界には様々な宗教が存在しますが、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教など数え上げれば切りがないくらい。。誤解されやすいものではインドやネパールのヒンズー教もありますが、日本ではヒンズー教=インドの国教と思われていますが、実はインドには国教というものはありません。ヒンズー教というのは欧米から見た名称で、中国や韓国では印度教とも云うそうですが、南アジア諸国でのイスラム教とそれ以外の宗教とを分けるために出来た造語になります。現在はシヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーを信奉する種々雑多のインドの有神型の民族宗教をまとめて指す言葉になっています。バラモン・ヴェーダの流れを持つものもあり様々な形態があります。仏教とも密接に絡まっていてヴィシュヌ神の10大化身には釈迦・盧舎那仏(大日如来)などが含まれ、化身一つ一つに自我があってヴィシュヌであってヴィシュヌではないなどとややこしい。。
人口比だけなら仏教を凌ぐ世界三位の宗教ですが、世界三大宗教に上げられないのは多種の一地方の多種の民俗宗教と見なす為で、これは欧米や諸外国の偏見と云えますね。僕はヒンズー教を加えて四大宗教だと思っています。
仏教発祥はインドですが、前代からのバラモンやヴェーダと絡まって、発祥から独自の進化を遂げたのがヒンズー教で、中国を経由し日本で独自の進化を遂げた大乗仏教、インドから東南アジアに伝播した上座部仏教とは従兄弟・叔父甥の関係と思えば解り易いかも。。
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大安禅寺 達磨絵
肝心な仏教ですが、開祖釈迦(ゴータマ・シッダールタ)。細かいことを書き出すととんでもないことになるので簡略してしまえば、、苦の輪廻から解脱することを目指すというのが教義人や魚や虫など様々の姿で何度も生死を繰り返す輪廻(六道輪廻とも)という苦行から悟りを得て解放(解脱)されることを目指すというものです。解脱に至る源泉や原因(縁起)というか方法や過程は問わないというものです。
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金沢市金石(かないわ)にある曹洞宗寺院。銭屋五兵衛の家に仕え、三男・要蔵の恋人だった鐵悟道珍尼(てつごどうちんに、俗名・西野テツ)が釈迦堂として建立。若き日の室生犀星が下宿したことでも知られます。(2013.07.15撮影)
ただ、人倫に反することは駄目で、それを規制するのが釈迦の教えという法(ダルマ)、実践者たる僧(菩薩、高僧)が示す三宝(戒定慧)になります。三宝は戒律・禅定(集中心)・智慧(縁起の観察)になります。
仏教ではシッダールタ(釈迦)という人を人類で初めて人間から解脱を遂げた者。つまり、出家から修行僧菩薩(高度な修行僧、解脱寸前)を経て、如来(神仏、解脱者)に達した釈迦如来・仏陀としています。

釈迦入滅後(死後)に弟子たちによって、釈迦の教えや法・修行が伝え広められていったのですが、一世紀を経た頃には疑問を呈する者が現れます。当然ながら釈迦の修業行動は解脱を成し遂げたんだからお手本ではあるが、修行をする者だけが救状されるというのはおかしいのではないか、苦しむ者を救ったり導くのも大事な縁起であり、それも修行ではないかというものです。お釈迦さまも法や戒には例外があると云っているじゃないか。
こう主張したのが大衆部(大乗)で中央アジア・中国・朝鮮を経て日本にと伝わるものになります。釈迦の法や戒めを遵守するというのが上座部(小乗)として東南アジアに伝わって行きます。また言葉としない奥義として密教としてネパール・チベットを経由して中国に流布されていきます。
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福井県坂井市丸岡町長崎にある時宗寺院 徳川吉宗が公認した新田義貞の墓所があることで知られています。また今年の大河の主人公・明智光秀が放浪時代、朝倉家仕官前に門前に住んで寺子屋をしていたと云われ、妻・煕子の黒髪伝説の舞台(2013.3.31撮影)
日本への仏教伝来(公伝)は、宣化天皇3年(538年)と欽明天皇13年(552年)の二説がありますが、百済の聖王から朝廷に贈られたのが始まりと云われています。これはあくまで国家間の伝来で、百済聖王が天皇に中国から伝来の仏像や経典が揃えられて伝えられ、国家として正式に仏教の存在を認識させた初めと云えます。
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金沢市車町にある日蓮宗寺院。加賀藩初期、茶釜・梵鐘作りで名人と呼ばれた寒雉彦九郎(かんち、宮崎義一)全盛期の梵鐘があります。宮崎家は茶釜作りの家として15代、金沢茶道の一翼を担っています。(2013.05.08撮影)
余談になりますが、中華が周辺諸国を自分の領土や主従関係に置く際に用いた伝統的な方策には二種類ありました。武力の討伐と柵封関係を築くというニ策でした。討伐はもちろん武力によって分捕ることですが、柵封というのは朝貢や階級による主従関係を指します。後者は中華の思想・文化を同化させ政治や文化までを衛星国家とするものです。中華思想や文化を浸透させるには漢字という自国語を浸透させるのが一番です。そして自国の宗教に染めることです。その点、仏教の経典は漢文で書かれ、文化や思想にまで網羅した最高の教科書でもあったのです。

聖王がそこまでの考えを持っていたのかは不明ですが、当時、百済は新羅・高句麗の圧迫を受けており、多くの人材や文物を贈って日本の援助を取り込もうとしていましたから、伝播・贈り物双方の思いがあったかもしれません。実際、日本ではこの仏教伝来から一気に文字が普及していきます。
そして日本の恐ろしい所は、中華の思惑とは違って、新規のものを自分に使い勝手よく便利に自分用に変えてしまう所にあります。漢字は4世紀には導入されていたと思いますが、大和言葉に漢字を適当に当て字する漢文もどきだけでなく、後には仮名やカタカナを生み出し、漢字も徐々に形態を勝手に変えて和文を生み出していきます。そして仏教そのものも自国の中で在来の自然崇拝・神道・修験道と同化させ、国民性に合わせた宗教と変化させ、仏教発祥のインド人・伝承した中国人・朝鮮人、原型に近い上座部の東南アジア諸国から見てもビックリなほど、独特の変化をさせているのです。
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本泉寺は金沢市二俣にある浄土真宗寺院。本願寺5代・綽如が北陸の足掛かりとなる瑞泉寺を創建する間に庵を置いた場所で真宗本願寺の北陸起点の寺院になります。一向一揆時代には若松に進出、加州三箇寺として一向宗を主導した寺院です。(2013.5.8撮影)
この公伝以前に、渡来人(帰化人)によってすでに仏教が持ち込まれ、それなりに知られていたようです。扶桑略記に継体天皇16年(522年)に来日した司馬達等(鞍作止利(くらつくりのとり、飛鳥大仏・法隆寺三尊像の作者)の祖父)が大和高市(たけち)の地で本尊を安置し、大唐の神(扶桑略記は平安期の文献でこういう表現、ここでは中華の神)を礼拝していたと書かれているそうです。
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一向宗支配の時代、本泉寺はこの地に移転して加賀を主導しました。本願寺内乱(大小一揆)で敗亡。(2013.6.18撮影)
仏教伝来初期は、異国からの新しい神と認識されたようで、蛮神・今来の神などと、古来からの八百万の神に加わるような認識だったようです。仏教導入を推進した蘇我氏、聖徳太子、聖武・桓武天皇の時代にしても、ある面では鎮魂・怨霊鎮護や厄災祓への新技術という一面が強かったようです。それは現代にまで連綿とした負の浄化装置として仏教を扱ってきたことがベースになっています。

東大寺の大仏開眼、鑑真の戒律・戒壇(小乗戒)の導入などで宗教としての公式な成立が図られ、南都六衆(三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗)南都六か寺(元興寺・大安寺・ 興福寺・薬師寺・東大寺・唐招提寺)が誕生します。創立時の六宗や南都寺院は、発展途上だったこともあり、祈りの場だけではなく仏教各宗の経典・論書の研究施設的な要素が強く相互の学び舎的なものでした。ちなみに六衆と書いてしまいましたが、大仏開眼時まではが一般的で三輪衆・法相衆などと呼んでいました。その後も中世まで併用されることが多く宗教・宗派としてのと、個人や団体を指すで中世以降は使い分けたような感じ。。衆生(しゅうじょう)から来ているようで、本来は生きとし生きるもの全て、広義では仏・神も含めるところからのようです。
ちなみに現在では、後に成立した真言律宗の西大寺を加えて南都七大寺としています。また、唐招提寺↔法隆寺、西大寺↔川原寺という説もあります。
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金沢市中央通町にある浄土宗寺院。開基は尾張国犬山。前田利家・利長親子の移動と共に転々と移転し、加賀藩成立で当地に定着。近くに長町の武家屋敷群を抱えるために、古くからの武家の墓地群があります。金沢伝承童話の義猫塚が知られています。
門前が金沢三大大火の寛永の大火の火元としても知られています。(2013.06.27撮影)
平安初期、遣唐使として最新仏教を仕入れて帰国した最澄・空海
平安遷都には力をつけすぎた南都仏教勢力からの離別の意味あいもあったのです。しかし無視するほどの力も代替も持たぬ桓武天皇は、南都に対抗するために、最新仏教の導入として遣唐使を派遣、唐の新しい仏教習得に学僧を赴かせていました。その俊才代表と期待されたのが最澄でした。大同元年(806年)天台教学を習得した最澄が帰国、天台宗・天台法華宗国教として認められます。

帰国を勝手に早め、僅かに遅れて帰国した空海真言密教を持ち帰り、弘仁7年(816年)高野山に道場(金剛峯寺)を創建して同じく国教として認められます。南都六宗に対する呼び名として平安二宗とも呼ばれる起因です。両者の学究はは対照的なモノになりますが、諡号にその業績が表されています。最澄は新仏教を伝え広めた功績から伝教大師空海は密教という釈迦の法を世に示した功績から弘法大師
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善行寺 大本堂
善光寺の運営は天台宗と浄土宗が協議運営していますが、宗派成立前からの本尊を保持し古寺として、全宗派の尊宗を受ける別格の寺院です。
また旧仏教の中では本来女人禁制が多い中で、古くから女性救済の寺院でもありました。
西国三十三所巡りを始めとする霊場巡りの総仕上げとして善光寺に報告すれば成就するとされていて「一生に一度は善光寺参り」の由縁になっています。(2013.7.5撮影)
しかし、仏教が国教という権威を得たものの、そのために朝廷に依存することになります。つまり皇族・貴族階級などに依存する上流階級の宗教となってしまいます。戒律の重視・仏教の研究・学問への専心はともかく、戒律(僧侶は金品を受けてはならない(小乗戒))に反する寄進が重視され過ぎてしまいました。

最澄延暦寺は法華経を最上としながらも、開祖自らも他の経典・論書の研究や教義も深く研究、密教も取り入れ後進の育成が成されて行きました。朝廷の勅許を受けて大乗戒の戒壇を自前で設け、学僧と伽藍を増やした仏教総合大学ともいえる環境を造り上げました。そんな中から、仏教・延暦寺自体を疑問視し独自の思想を造り上げ、民衆に信仰を開くという仏教変革となった阿弥陀信仰鎌倉新仏教開祖たちが生まれ巣立って行ったのです。最澄の最大の功績延暦寺という仏教の総合的な教育施設を作りあげ、後進が民衆にまで仏教を布教し裾野を開く先鞭となったことにあります。

とはいえ、法華経を至上とするということは「人(草木も)は誰でも道を誤らねば、悟りを得られる。」という本覚思想が根底にあることになり、裏返すと修行をしなくても悟りを得られるとして、信心や座禅・生活規律が悟りの為に必要(根本)だとする新仏教の開祖を生み出しながら、排斥を行う存在にもなってしまい、宗派の対立を煽る元凶にもなっていました。最澄と法相宗・徳一(悟りの為には修行が必要)との生涯に渡る不毛(悪口の言い合い)な論争、後代の新仏教への排斥は好例と言えます。
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岩松院は長野の小布施にある曹洞宗寺院。臨済宗・曹洞宗後に伝来した黄壁宗などの禅宗は武士層に結びついて行きました。最初は浄土教の念仏寺から始まり、後に背後の雁田(かりた)城主によって曹洞宗として開基されています。
岩松院には戦国武将・福島正則の霊廟があります。本堂の葛飾北斎作「八方睨み鳳凰図」は圧巻。また本堂裏庭には小林一茶「やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり」ゆかりの池があります。(2013.07.05撮影)
平安末期から鎌倉時代は仏教界に革命が起こった時代でもありました。前述の阿弥陀信仰、鎌倉新仏教の台頭、栄西・道元が中国から導入した禅宗など後述する現代の日本仏教の宗派の草創期だったともいえます。仏教が平安期に国教としての地位を得たのち、新仏教や禅宗が武士社会や民衆に拡大する過程で、それまで信仰された神道つまり八百万の神たちとの融合が図られました。それが神仏習合・神仏垂迹論というわけです。現代でも一つの同じ家の中で神棚・御札と仏壇が存在する端緒がこの時代に誕生し、在来の神と異国伝来の仏を融合させたわけです。
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如来寺は金沢市小立野にある浄土宗寺院。加賀4代藩主・前田光高の正室・大姫の菩提寺になり、以降徳川家から嫁いだ夫人の菩提寺となっていました。(2013.12.14撮影)
現在は偽書とされている最澄著「末法燈明記」によって永承7年(1052年)より混沌・暗黒の末法時代に突入したという末法思想の流行も見逃せません。藤原純友・平将門の乱がおこり前年には前九年の役が発生するなど、世上の混乱と相まって、末法思想によって新仏教、特に信者を救うという阿弥陀思想(浄土教)が流行したと云われます。鎌倉幕府に陳情した日蓮の行状もこの末法思想に起因していると思われます。

平安期は以前にも何度も書いていますが、地方では治安組織は無いに等しいもので、自分の土地は自分で守るか、他人に守ってもらうという世界でした。そんな中から武士団が誕生し、ついには天下を掌握・席巻する存在になって行ったのです。宗教勢力も自前の兵力や武器をもって、寄進の他に寺社の荘園や門前町のの開催権、油などの販売権を独占したの総元、関所(通行料収監所)などの利潤を獲て一大勢力となり、地域を領土化、政争・戦争にも積極的に介入することになります。
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長谷山観音院
金沢の東山茶屋街の最奥の山上にある高野山真言宗寺院。芋堀藤五郎夫妻の伝承と本尊・十一面観音が祀られる寺院。前田利家の再興、加賀藩三代藩主・前田利常の珠姫の寄進により整備され、以来、加賀前田家の産土神とされ、安産祈願所となっていました。多くの句碑や文久年間の駅名(津幡駅)入りの寄進灯籠があります。(2014.03.14撮影)
宗教が政治に介入すれば碌な事にならないというのは世界を見回せば世界の常識・非常識なことです。権力者と寺社勢力の協力・相克は数々上げられますが、戦国後期に至って仏教界の政治・武力介入を徹底的に廃しようとした一人が、天下布武を目指した織田信長です。楽市楽座、関所の撤廃の諸政策は、荘園を維持していた寺社勢力の既得権益を奪うことでした。また比叡山延暦寺焼打ち、伊勢長島・近江・越前・加賀の一向一揆との10年に及ぶ合戦は、仏教界の敵対行為・武力介入を許さない断固とした戦いでした。実際、焼き討ち後の恭順した延暦寺再興の許可、講和後の真宗布教は限定的ながら許可しています。坊主は世俗に染まらず経を詠み、儀式に徹しろというわけです。
信長の後を受けた豊臣秀吉刀狩りは農民だけではなく寺社の武装解除を目的としていました。また肥大化しすぎた本願寺集団を東西に分裂させたのは秀吉の功績の一つといえます。
仕上げは徳川家康寺社法度触れ頭・檀家制度の導入で、寺院の収入保障と統制を確保し地域監視を強め、担当寺院は冠婚葬祭に専念させ、政治介入を許さない体制をとっています。ちなみに江戸幕府が排斥した宗派はキリスト教以外では、幕府体制を受け入れない日蓮宗不受不布施派のみでした。宗祖を対馬流罪、宗派を非合法組織とし弾圧しました。

何はともあれ、信長・秀吉・家康の仏教勢力の政治経済からの排斥・武装解除・宗教専念という一連の政策で、曲りなりに世界でも珍しい政教分離を果たしたのです。明治の神仏分離令で現在の形態、僧侶の妻帯許可という他国の仏教国が驚倒する世襲体制が構築され現在の状態になっています。仏教の到来から1500年近く、世界標準の仏教とは懸け離れた日本仏教が出来上がってしまったのです。
色々な感想や意見があるとは思いますが、江戸期以降に国内での宗教戦争が見られない稀有な国になったわけです。
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明達寺 臘扇堂(ろうせんどう)
明達寺は白山市北安田町にある浄土真宗寺院。真宗大谷派の宗務総長・宗教家・作家・俳人として知られる暁烏敏(あけがらすはや)の生誕寺になります。臘扇堂は師・清沢満之(きよざわまんし、夏目漱石「こころ」の主人公のモデル)の木造を納めるために夢殿を模して昭和29年(1954年)に建立したもの。(2014.3.14撮影)
現在、日本の仏教は一般的には13宗56派、75000寺院、30万体以上の仏像があると云われています。
13宗派は・・・華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗
13宗派から56派の流派や組織が枝分かれしていると云われています。
仏教の中には新興宗教と呼ばれるものも多く存在しますが、ざっくりいえば、ウチは独自宗派だと主張するものもありますが、それも含めてほとんどがこの13宗から派生したものや教義をなぞったものになります。13宗派に絞られる過程で消滅したものもありますが、頭に入れておけば、ある程度日本の仏教史が理解できるかも。。できます。
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明達寺 暁烏敏歌碑
十億の人に 十億の母あらむも    わが母にまさる 母ありなむや
前述したように、その成立内訳は・・・
南都六宗⇒華厳宗・法相宗・律宗 平安二宗⇒真言宗・天台宗 阿弥陀・浄土思想⇒融通念仏宗 鎌倉新仏教⇒日蓮宗・浄土宗・浄土真宗・時宗・曹洞宗・臨済宗 江戸初期⇒黄檗宗 となります。鎌倉新仏教に入れた浄土宗・浄土真宗・時宗は流れ的には平安期からの阿弥陀・浄土思想と重なります。やはり成立は阿弥陀・浄土思想とした方がよかったかもしれません。

各宗派の内容を書き出すと、とんでもないことになるし、頭が痛くなるので次の機会に。。。いつになるやら。。。

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