日御子(ひのみこ)神社

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北陸鉄道石川線の現在の終点・鶴来駅の一つ手前に日御子(ひのみこ)駅があります。鶴来駅との中間に鶴来高校があるので通学、ガステーブルの点火装置では全国シェアの7割を誇り、現在では浴室テレビ・浴室照明を製造するRBC鶴来工場、陶器のニッコー鶴来工場などがあり貴重な地域の足場になっています。
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駅名の日御子は、西に少し行ったところにある日御子神社に由来する村名からになります。元は火御子社と呼ばれ、古代には太陽信仰も行われたと伝わりますが、詳しくは解らなかったのでいつもの加能郷土辞彙から抜粋すると・・・
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日ノ御子・・・石川郡林郷に属する部落。邑名は白山の御子神なる火ノ御子神が鎮座するから起ったのである。大永神書に日御子宮とあるから、火御子を日御子と書いたことも古いことであらう。郷村名義抄に、日御子村の宮神体日天子の由と書いたのは誤である。加越能当跡緒に、『日御子領の内、六郎畠と申所有。林六郎館跡之内。塚も有。』と記する。
補足:石川郡林郷は江戸期以降の呼称でお隣の旧松任市の林中地区を指しますが、ここでは後文にある、この一帯を領した林氏の領地を指しています。鎌倉中期以前の林郷を指し、野々市南部(現在の上林・中林・下林など)を中心に旧松任市・旧鶴来町・能美市・金沢港・金沢西南部と広範囲に及ぶと云われています。

六郎畠は現在の六郎塚のことになります。林六郎の正名は林氏全盛時の林六郎光明を指しています。この林氏は能美・石川郡の名家として通っていて富樫氏とは同族になり鎌倉期に没落しています。家系を辿ると富樫氏の本家的存在と見られています。六郎塚の詳細は次回にでも書くつもりでいます。
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日御子神社標柱 大正5年(1916年)村社から郷社に昇格した際に建立されたもの
神社名は日御子社の記述が古文に見られるものの、神社名の火御子社が近世まで長く使用されており、正式に火御子社から日御子神社へと変わったのは明治13年(1880年)になります。この辺りが加能郷土辞彙の記述を丸呑みできない所。。
日御子神社 表参道
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日ノ御子社・・・石川郡日ノ御子にある。白山記に白山宮の末社を載せた中に『火御子、宝殿拝殿』とあるのは是であらう。大永神書に白山下七社の第七に火御子があり、又『日御子宮、手力雄命、今火御子村之社是也。』とあるも同じい。式内等当社記には、『火御子神社、林郷火御子鎮座。白山摂社也。』と記す。今日御子神社がある。
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手水舎
補足:大永神書(室町期(1521~1528年)は見たことがないのですが、当時、日御子火御子と呼ばれていたそうです。白山下七社については白山乃記とは別物で不明ですが、下白山と呼ばれた白山比咩神社の摂社・末社で白山神第七位までに準えていたようです。もしそうなら、あと二社が必要なんですが、どれがそれに相当するかが不明です。候補は幾つかあるんですが。。

当時の主祭神は手力男(タヂカラオ)。北陸では立山の主祭神として知られています。タヂカラオは天岩戸伝説でアマテラスが篭る岩穴の扉岩をこじ開けて引きずり出した剛力無双の神で、天孫降臨では三種の神器と共に、ニニギに付けられた三随神(タヂカラオ・オモイカネ・イワトワケ)の一神になります。
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日御子神社拝殿 左右の灯籠は高さ3m超で一般神社の奉納灯籠としては巨大
左が平成6年(1994年)に右に合わせて再建されたもので、右はたしかに古そうですが奉納年不明
日ノ御子峰・・・白山記に、太男知の麓なる磐石の上に泉水あることを述べた次に、『其東有₂一山₁。其色極赤。全不レ似₂余山₁。是号₂火御子峰₁。上道人進レ扇、云₂扇御峰₁。』とあるが、火御子峰といふ名は今絶えて居る。今川以昌の白山遊記に、御手水鉢の東に鳥レ不止峰あることを挙げ、横山政和の和歌の端書に、『鳥とらまずといふ峰は、大汝嶽の御手水鉢といへる嶽石の東にあり。焼山にて赤く禿げたり。』とあるを引けるものは、即ち古への火御子峰である。

補足:白山記(白山乃記、白山縁起)は平安末期から鎌倉期に纏められた記述書。太男知(おおなんじ)は大汝峰に納められた本地仏及び明神名で大汝峰自体を言います。現在の御手水鉢は大汝峰の北西に約1キロ、火御子峰は大汝峰の北東の地獄谷の東稜線にある、白山登山でも脆い岩盤層で最難関と云われる山になります。加賀禅定道から近い存在です。古白山火山の中心地となる火御子峰を神として、東の火の神・太陽神として祀ったのが日御子神社の創始になるようです。
日御子神社社殿 右から拝殿・幣拝殿・本殿 幣殿が長いのが特徴的
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御子神社(ひのみこじんじゃ) 神社庁HP より
御祭神:彦穂穂出見命 鎮座地:白山市日御子町ホ98 氏子区域:白山市日御子町
由緒:創建は仁明天皇嘉祥元年と伝えられ、旧国弊中社白山比咩神社下七社の一にしてその境外末社である。(白山記、大永神書)もと火御子社と称し、明治5年11月2日村社に列し、同13年9月13日、日御子神社と改称、大正5年9月16日神饌幣帛料供進神社に指定され、同12年6月23日郷社に昇格。

補足:現在の主祭神・彦穂穂出見(ひこほほでみ)命は日本書記での名で、一般には別名・山幸彦の名で知られています。母は鹿葦津姫(かしつひめ)で別名・木花開耶姫(このはなさくやひめ)。父は天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)で一般には天孫降臨の主人公のニニギで知られています。ニニギは白山本宮と並ぶ鶴来の守護神とされる金剣宮の主祭神。山幸彦は母親の火中出産で生まれたとされており、父親の金剣宮を意識して日御子神社の主祭神にダヂカラオから変更されたと思われます。
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蔵山村役場跡碑
近代になって日御子町は昭和29年(1954年)までは蔵山村と呼ばれていました。明治22年(1889年)に近在の森島村・明島村・日御子村・小柳村・月橋村が合併して蔵山村となっており、村役場は日御子神社の門前に置かれていました。昭和29年の再合併で鶴来町となっています。
蔵山村では唯一といえる山村の月橋村にあった御蔵山(槻橋(つきはし)城跡)が村名の由来となっていました。ちなみに槻橋氏は富樫氏の家臣団で長享の乱で高尾城で富樫政親と共に討死して滅亡しています。槻橋城には富樫家の貯蔵蔵が置かれていたと云われ御蔵山と呼ばれていました。

地図を広げて貰えば一目ですが、蔵山の地は手取川扇状地の最初の広がりに当たり、用水の便の良さと広い平地になり、江戸期には硝石が小柳・日御子村に運び込まれ、金沢小立野の土清水塩硝蔵と並ぶ小柳製薬所という火薬製造所が造られていました。

日ノ御子の森・・・石川郡日御子なる日御子社の前通りにつづく松林を、日御子の森とも日御子の林ともいうた。往古は神人の邸地であったといふ。元治元年春ここに硝石の製造所が起って、多くの建築物が建てられた。

加能郷土辞彙の著す元治の前の文久年間(1861~1864年)にはすでに製造されていた他の記録記述があるともいわれますがあるともいわれますがまだ未見。土清水・小柳の火薬製造量の記録はありませんが、元治元年(1864年)の金沢への硝石納入量や保有量から両所で合わせて火薬110tが年間製造されたと推測され、当時2位の薩摩藩の倍以上の量と、全国一と云われた五箇山の煙硝による質で他藩を圧倒する実力を誇っていたことが窺われます。地名の火御子日御子に変えたのは火気を嫌う火薬製造を開始した頃だと推定されます。
DSC_6238.JPG日御子神社狛犬 昭和48年(1973年)奉納
平成の狛犬に近い新しいタイプ 右の阿形は宝玉替わりの加賀手毬を守り、左の吽形は子獅子を守っています。子獅子を足の下にするのは他県で観ますが、石川では思ったより珍しい@@
日御子神社は名を見るだけでは太陽信仰の流れとだれもが思う名の神社ですが、、歴史を紐解くと火山への恐れと白山への信奉が根強くあることが解ります。火御子峰火山の神と東から登り西に沈む太陽の神を祀った神社ということです。両白山地を囲む加賀・越前・越中・美濃・飛騨といった周辺国の中では白山三山(御前峰・大汝峰・剣が峰)更に別山・三ノ峰を足した白山五山を祀る神社が多い中で、白山内の別峰の火山の神そのものを祀る珍しい神社になるわけです。
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神社の創建は嘉祥年間(848~851年)と云われますが、どうもこの時期に大きな噴火があったと云われており、仁寿3年(853年)に白山本宮の白山比咩神に初叙任として朝廷から神階従三位(永治元年(1141年)正一位)が贈られています。
白山の噴火は歴史書に記されているものでは長久3年(1042年)の水蒸気爆発で翠ヶ池・千蛇ヶ池の火口池が構成されています。平安末期、鎌倉初期にも噴火が確認されており、噴火頻発の最盛期は室町戦国期(天文16年(1457年)~天正7年(1579年)に周辺地域に何度も被害をもたらしています。その後も100年から150年周期で小規模噴火や火山性地震を起こしています。平安期以降、天皇は一代一度として官幣の奉仕が白山神に贈るのが慣例化されていました。
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日御子の森と旧街道 
左が日御子駅に向かう道、当時は鳥居を潜る表参道が街道になっていたとも窺われます。
DSC_6244.JPG日御子神社表参道 
道標、歌碑?かすかに白山の文字が解る以外摩耗で読めず。。
日御子の森は、白山詣双六の名所に数えられていますが、そのためか境内地の表参道や街道沿いの松の並木を指すように窺われますが、元々、大木が少ない平野部で、社豪を構成する大木が境内地に多く、特に欅が目立ちます。6月過ぎに訪れると緑に覆われ境内地が鬱蒼とした森になります。
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藪椿や椿の樹も多く2.3月に訪れると綺麗な花が見られます。幣拝殿横の背の高い椿の樹と横の藪椿の繁茂は必見です。
欅の大木には蔦が絡まる姿などなかなかの雰囲気のある社豪です。
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以前のブログ・善性寺の項で、白山詣双六をご紹介しましたが、金沢・東山から鶴来の白山本宮までの経路が描かれていました。
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白山詣双六は金沢の中心街を抜けて犀川大橋を渡り、六斗の広見から鶴来街道をなぞって進んでいます。鶴来の入口となる四十万(しじま)の善性寺からは、鶴来街道を曽谷・坂尻と進んで鶴来市街の入口まで進んでいます。そのまま真っすぐ進めば市街地を経由して金剣宮・白山本宮まですぐなんですが、坂尻を抜けた小柳茶屋からいきなり反対方向の西に数キロ進み、しばらく行って川を渡ってUターンしています。

Uターンした街道がこの日御子神社の社豪(日御子の森)を右に観ながら進む通りになるわけです。当時は表参道がそのまま街道になっていたとも思われます。白山詣双六でも名所に挙げられていますが、わざわざ遠回りしているのは日御子駅から鶴来方向に進んだ所にある祠堂の為なんですが、次回ご紹介しますね。
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石川県内も桜満開だった先週、今週明けには氷雨と強い風で多くの樹が散ってきていました。
今春は結局、桜並木や桜の名所の下に立つことが出来ませんでした。桜の下に立てたのは結局、この日の日御子神社脇だけということになってしまいました。神社の桜は二本のソメイヨシノですが、なかなか大振りで美しかったです^^V
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旅行日 2020.04.06

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