朝倉義景墓所

戦国期、越前を治めていたのが朝倉氏。
朝倉氏の本拠は大野から西方の一乗谷で、5代約100年間勢威を誇っていました。5代当主・朝倉義景は織田信長に敦賀の刀根坂の合戦(斉藤龍興が戦死、美濃斉藤家の実質滅亡)に敗れ、一乗谷を放棄して大野に撤退して勝山・平泉寺に味方要請しましたが拒否され、宿所の六方賢松寺を寝返った朝倉景鏡に囲まれ自刃しました。ここで朝倉氏の越前支配は幕を閉じています。余談ですが、朝倉景鏡は姓を土橋と改め信長から本領安堵を受けましたが1年後、越前一向一揆により亡くなっています。このため信長が再侵攻するまで越前は一向宗のものとなりました。

江戸時代になって朝倉氏の旧臣・松田氏の子孫により五輪塔がつくられ曹源寺に置かれていましたが、20年後に100メートル程離れた現在地に移されたそうです。
画像

朝倉義景の墓を中心に、信長により処刑された愛王丸(義景の子)・小少将(義景の側室・愛王丸の母)・光徳院(義景の母)の3人連名の墓。朝倉義景に殉死した高橋景倍・鳥居景近の墓が配されています。
大野における朝倉氏の人気は高く、この墓所の近在には義景保育園・義景集会所など義景の名を冠したものが多く存在します。
画像
画像
この墓所は閑静な住宅街の一角にあるのですが、一帯は「義景公園」として綺麗に整備されています。「義景庵」、湧水の「義景清水」とにかく義景だらけです^^;非業の死を遂げた義景もニンマリしているかも^^
義景庵の前には「水琴窟」が作られていて、耳を澄ますと甲高い澄んだ音色が聞こえます。立ち寄った際には耳を澄まして聞いてみて下さい。
「水琴窟」は地中に甕を埋め、水が滴る音を反響させるものです。
画像
画像
朝倉義景の墓所は以前紹介した一乗谷にもあります。農民が旧主の菩提の為に朝倉屋敷の側に小さな祠を作ったのが始まりで、福井藩主などが整備建立したものです。

一乗谷  http://72469241.at.webry.info/201209/article_35.html

旅行日 2011.9.25

"朝倉義景墓所" へのコメントを書く

お名前:
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント:

最近のコメント

「延喜式神名帳」- by つとつと (05/28)

「延喜式神名帳」- by 藍上雄 (05/28)

「延喜式神名帳」- by つとつと (05/27)

「延喜式神名帳」- by ミクミティ (05/26)

「延喜式神名帳」- by つとつと (05/26)