織田劔神社 織田家発祥の地

織田劔神社」は越前国二ノ宮にあげられる神社です。別名は織田明神。
ちなみにオダではなくオタと読みます。
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劔神社の創建は社伝によれば、仲哀天皇の第2子の忍熊王が北陸平定の際に、近くの座ヶ岳に祀られていたスサノオの霊力と剣を借りて当地を平定し、その後、スサノオの神霊をこの地に移し神剣を御神体として劔神社を創建されたと云われています。
仲哀・忍熊共に神功皇后により非業の死を遂げていますが、スサノオを主祭神に共に祭神になっています。

この神社が有名なのは織田信長の織田家の発祥の地とされているからです。真実は別にして、劔神社の神官は神社への崇拝を怠らなかった平清盛の嫡男で小松殿と呼ばれた平重盛の孫(資盛の子・親実)が壇ノ浦後に神官家に養子に入ったことに始まっています。、その子孫で神官だった常昌が管領の斯波家の家臣となり、名前も地名から織田常昌と名乗ります。その後、尾張の守護代として派遣され尾張織田家が誕生したというわけです。信長も朝倉氏の一乗谷攻めの後、立ち寄り、自分の氏神であるとして神社の領地保有と保護を認めています。

拝殿の右横には織田神社の社があり信長ファンが拝んで行くそうですが、これは実は織田の庄の産土神なのです。その前にある二つの末社の右側が平重盛と織田信長を祀る「小松建勲神社」なのでそちらを拝んだ方がご利益あると思いますよ。
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劔神社の境内は現在も広く拝殿や本殿の建物もなかなか趣があります。
本殿は柿葺で織田様式と呼ばれ唐・千鳥破風が施されており、築400年と云われています。拝殿も重厚で1847年、伏見宮家の祈願所になった際に建立されたそうです。伏見宮家は現在は皇籍離脱していますが、現天皇家はこの宮家の流れを受けたものです。
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神社は現在も広い敷地と立派な建物を保持していますが、多くは江戸期以降の物です。太閤検地の際に抵抗したため検地奉行により領地の没収と建物を焼かれたためだそうです。その後、江戸期になって福井藩・大野藩の援助によって復興を遂げたものです。
明治期は最初は郷社でしたが、県民の機運による意見書提出が相次ぎ、昭和初期に国幣小社に昇格した過去があります。現在でも福井では敦賀の気比神宮と共に人気を二分する神社です。
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今回は夕方遅くに行ってしまったので、暗い中しかも雨降りの中、参拝してしまいました。
次回は明るい時間帯に行きたいもんです。越前海岸も観たかったなあ^^;
帰りの裏参道の寂しい中で思ってしまいました。
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織田劔神社  http://tsurugi-jinja.jp/

旅行日 2011.10.30

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