前田利秀の墓所

前田利秀は父親の後を受け、小矢部の基礎を築き、北条攻めでは前田軍の主力として上野・松井田城攻め、武蔵・八王子城攻めに活躍しました。
しかし、文禄2年(1593年)朝鮮出兵で滞在中の肥前・名護屋城で発病帰国しましたが、その年に治療中の京都で弱冠26歳でなくなっています。
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墓所は父母の菩提寺・永傳寺から愛宕神社を間に置いた本行寺の高台の墓所に眠っています。本行寺の境内から階段を登って行けますが、愛宕神社の拝殿前の鳥居横からも行けます。こちらの方が楽に進める道です。

利秀の墓所は石垣造りでなかなか堅固な造りです。小矢部・石動の市街を見下ろせる位置にあり、眺望のよい場所です。
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菩提寺の本行寺には利秀19歳画像が寺宝として残っています。大阪の画家が描いたと云われています。本行寺は元々は能登の七尾にありましたが、父親の前田秀継の本拠(津幡・木舟)が移動するごとに本行寺も一緒に移動して来た寺です。前田家にはこういう伝統があるようで、前田利家の宝円寺に通じるものがあるようです。利秀も本行寺を石動に再建して厚く帰依したようです。
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前田家での故人の評価は高かったようで、後世において250回忌の法要が行われているのは、開祖・前田利家、3代藩主・利常、父の秀継・利秀の4人だということからも窺えます。

小矢部・石動では前田利秀が城主として入城した際の獅子舞や感謝祭が今も受け継がれています。

旅行日 2011.11.26

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