木谷公園 木谷藤右衛門本宅跡

以前紹介した銭屋五兵衛の記事で「加賀の豪商を一人挙げろと云えば、10人中9人以上が銭屋五兵衛と答える」と書きましたが、それじゃ残りの一人以下が答えるのが今回の「木谷藤右衛門」です。

銭屋五兵衛 http://72469241.at.webry.info/201210/article_39.html

銭五と同時期に北前船の海商で活躍しました。あまり資料文書などが残っていないため、意外に県内でも知らない人が多いのが影響しているようです。知っているのは一部の関係者や歴史好きな人くらい。。しかし、最盛時の規模は銭屋どころではない規模でした。若き日の銭屋五兵衛は木谷家の木屋に修行奉公をしていたそうです。実は木谷藤右衛門が加賀最大の豪商というのが本当と云われています。

代々の当主は「藤右衛門」を名乗っており、初代は江戸期初頭から名前が見られます。木谷家が大きく隆盛したのは大野川の改修がなされてからと言われているので、元禄から正徳にかけて(1700年前後)の3代目からと言われています。大野川は河北潟から外海に流れる唯一の河川で、金沢から潟に流れる浅野川の2河川は加賀藩の重要海運経路になっていました。木屋は河北潟の手前の大野川沿い中継点に位置し海川の運送を一手に担っていました。
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当時はこの辺りは粟ヶ崎村と呼ばれていましたが、現在の金沢市粟崎町の木谷公園が木屋の本宅があった場所だそうです。今は松林と散策路のみですが公園敷地は広く往時の規模がしのばれます。
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木屋としての木谷藤右衛門は加賀藩の御用商人として藩財政に貢献するだけでなく、他藩の調達商人として大きく係っておりその数は解るだけで10藩以上、不明文書も多くその数は相当数に上ると云われています。
木谷藤右衛門の資産の物凄さは天保元年(1830年)の全国長者番付では西の横綱になっています。ちなみに東の横綱は三井八郎衛門(三井財閥の創始者)。有名な大阪の天王寺屋は東の大関、鴻池は東の関脇。
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幕末には銭屋と同じく政争に巻き込まれ、取り潰しの危機もありましたが明治期にもその名を遺しています。銭屋は悪徳商人として地元民からも見捨てられてしまいましたが、木屋は取り潰し危機の際には地元住民の嘆願が引きも切らず、謹慎没収後に藩から罰を撤回され財産返還・家名存続を許された経緯があり庶民には人気が高かったようです。この辺りは銭屋とは好対照です。

明治に入り海運から金融業に変わり銀行創設に係り頭取として本格的にかかわりました。本拠地も粟崎から金沢市街の武蔵が辻の近く彦三(ひこそ)に移りましたが、デフレにより銀行が破綻、財産も破産となり歴史の陰に消えたそうです。その後、詳しくは知りませんが本家は復活を果たし現在も家名は続いているそうですが表舞台には出てきていません。

木谷家の名残は金沢を中心に石川県内の各地に残っています。
特筆すべきは。。金沢の一番の観光地として有名な「兼六園」ですが、兼六園の顔ともいえる「徽軫灯籠(ことじどうろう)」と反りのある石橋「虹橋」は木谷藤右衛門が献上したものです。ただし今の灯籠は2代目で、献上された物ではありません。献上された初代は兼六園施設内で大事に保管されているそうです。

本宅に使用されていた建物も各地に点在しています。僕が観たことあるものは。。

金沢市本多町の中村記念美術館の耕雲庵・・http://www.kanazawa-museum.jp/nakamura/index.html

深谷温泉の元湯石屋・・http://www.motoyu-ishiya.jp/index.html

津幡町の大正楼・・http://www.taishourou.jp/room/index.html

旅行日 2012.02.25

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