金谷山

ケーキを買って、一路上越市に向かいます。と、いっても前の日記のケーキ屋さんも上越市だったんですけどね。例の市町村合併で大きく地図が変わってしまいました。犀潟・大潟・柿崎も上越市になったんですねえ。
新潟にいた頃の僕の感覚では、柿崎は柏崎と同地区で中越地区のつもりでした。嫁さんはそうじゃないと云いますけど。たまに行くと市町村が変わって、地名表示が変わって混乱しちゃいます。

実家へ行く前に遅いお昼ご飯にラーメンを食べて行くことに
上越出身の嫁さんは石川や滋賀に住んだせいで、薄口出汁が多いのに辟易してたみたいで、濃口の上越が恋しかったみたい。濃口ラーメンが食べた~い

道沿いにあったラーメン店に
            「こだわりのちゃーしゅーめん 昭月」
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嫁さんのご希望とは異なり、濃口ではないあっさり系、僕と娘はムフフ
口当たりも良かったし、麺もコシがあってまずまずのお味でした
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看板にチャーシューが売りだと書いてあったのに、何にも見ていなかった僕は、いつものごとく味噌ラーメン。しっかり見ていた娘はチャーシューメン。
ということで、チャーシューの写真は娘のをパチリ
分厚いチャーシューを満足気に食べる娘を観ながら、自分の注意力不足を嘆く僕
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上越の嫁さんの実家ではたらふく食べて、たらふく寝て、もうすっかりのんびり過ごしました
こんなにのんびりゆったり過ごしたのは久しぶりかも

夜も朝もしっかり食べまして、しばらくしたら久しぶりに義父の墓参りに行こうと思ってたんですが、ついつい早起きし過ぎたせいか運転疲れか、布団の上で本を読んでいたら
ハッと気づくと家には誰もいない 慌ててしたら。。
「お父さん、気持ち良さそうに鼾かいて寝てたから、先にみんなで買い物してるんだ。お寺で待ってるねえ
慌てて行くと、市街も変わっていて、お墓のあるお寺が解らないんだよね。3回も通り過ぎちゃってました。
この時だけ優しい娘が心配して寺の前に居て助かったあ
そういえば、いつも夜とかで明るい時に行った記憶がないんですよね。高田市内はひとつ脇道に入るとがん木のせいで、狭い道が多くて迷っちゃうんだよね。

そんなこんなで、ご無沙汰した墓参りも済ませまして、みんなでお昼ご飯を食べようということで、実家近くのファミリーレストランへ 「くいどころ 里味 飯店」
場所がという地区なんで「はんてん」ではなく「めしてん」です。

ファミリーレストランとはいえ、各室が個室になっていてゆっくり、ゆったりと会話に盛り上がります。
蕎麦とごはんが売りのようで、蕎麦は北海道産の石臼挽き・ご飯は魚沼産こしひかり、さすが地元店舗。

僕・義兄・嫁さんの注文は「天丼そばセット」
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魚好きの義母と娘は「お寿司と蕎麦のセット」(画像なし)
そういえば、この二人は同じ干支の辰年生まれ。性格も好みも似てるかも

里味を出て義母と義兄は家に戻り、娘の要望で近くのブックオフに行きまして、近くを散策に行くことにしました。実家が引っ越して以来、近所を観ていなかったんですよね。それにしても、金谷山がこんなに近いとは思いませんでした。
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1911年1月12日、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人・レルヒ少佐(テオドール・フォン・レルヒ)によって、この地で日本にスキーが伝えられました。その為、この金谷山は「日本スキー発祥の地」とされています。
今年(H23)がちょうど100周年で、高田市内でイヴェントが開かれていたそうです。新潟出身で近くの関根学園に1年間在学した皆川健太郎・上村愛子夫妻や天地人に出ていた加藤清史郎君が花を添えていたそうです。
観たかったなあ

                         金谷山スキー場に建つレルヒ像
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当時、日本は日露戦争で勝利、世界各国から注目を集めた時期で、各国の軍事使節や軍事研究に訪れており、レルヒもその一人でした。
レルヒ少佐は自ら北方軍を希望し第13師団が置かれた高田に赴任しました。国内では八甲田山事件もあり、雪中行軍の難しさに直面していた当時の師団長・長岡外史はレルヒにスキー技術の教示を依頼したそうです。
レルヒ少佐はアルペンスキーの開祖と云われたマティアス・ツダルスキーの高弟で有名な人物だったようです。それを見越してスキーを用意して待った長岡外史も新規に優れた人物だったようです。

レルヒ少佐の「メートゥル・スキー(スキーを履きなさい。)」に始まった14人の将校達へのスキーの教練が高田のスキー隆盛に繋がりました。その後、将校夫人達へ、郵便配達夫・警察官へと広がって行きました。更に裾野は広がり、高田市民にも大きく広がり、レルヒが教示した1か月後には「高田スキー倶楽部」が発足したほどです。
レルヒは1年で旭川に赴任し帰国しましたが、毎年2月12日にその功績をしのんで「レルヒ祭」が行われています。

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日本スキー発祥記念館」の施設ではレルヒの資料・遺品が展示されています。レルヒが描いた水彩画はごつい顔とはちがった優しいタッチが目を惹きます。

スキー場には以前はジャンプ台もありましたが、今はレルヒ像の横に残骸があるのみです。ですが、上越市出身の佐川急便の創業者・佐川清が寄贈したボブスレーコースは健在です。夏場も滑り台替りで歓声が上がっています。
僕の妻も高田市出身で子供の頃、小中学のスキーと云えばこのスキー場で滑ったそうです。そうそう、まっきーさんもここがスキーデビューの地だそうです。余りメジャーではなくスキー場は初中級者向けですが、27度斜面の挑戦コースもあります。

まっきーさんへ ほんとはもっと画像を載せたかったんだけど、デジカメが壊れて画像が取り出せなかったんで、ちょっとになっちゃいました。ごめんなさい

この後、実家でたらふく食べて、石川の我が家に向かいましたこんなにゆっくり過ごした嫁さんの実家は初めてだったかも

2011.06.19

こだわりのちゃーしゅーめん 昭月


くいどころ里味 飯店


金谷山スキー場              


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