永光寺 ②

曹洞宗の太祖・瑩山禅師が能登で初めての禅道場として創建した「洞谷山 永光寺(とうこくさん ようこうじ)」
創建はちょうど鎌倉末期の時代でしたが、南北両朝からの帰依を受けて創建時から10年で五院二十数坊と大きな規模を誇っていました。

画像
画像
画像


後醍醐天皇から鎌倉末期の約四年間に渡って瑩山に下された「十種の勅問」に奉答したことから、天皇から「日本曹洞賜紫出世之道場」の綸旨と勅額を受けています。ちょっと解り難いかもしれませんが、要は天皇直筆の紫袈裟の許可状と寺院の扁額を受けたということです。紫袈裟は僧侶の最高位を表し、瑩山にこれを与えて、それ程になれる曹洞宗の寺院なんだよ。本山なんだよと天皇自らが認めたということになるんです。(ところが、瑩山が總持寺・永光寺どちらで受けたのか、更には總持寺・永光寺ともに兵火や大火がありどちらにも残っておらず、永光寺に答弁書の下書が残されていますが、不明状態で曹洞宗内でも真偽自体が議論されています)

北朝からは光厳天皇の勅願で、足利尊氏・直義兄弟の連名で三重の利生塔が建てられていました。現在は焼失してありませんが塔の礎石跡が残っており、中に納められていた青水晶の舎利器が寺宝として残されています。

画像
画像
画像


瑩山は元亨元年(1321年)に門前(現在の輪島市門前)の(真言宗?の)諸岳寺を住持から譲り受けて本山の總持寺を開山したのですが、3年間で總持寺の寺制を整えると弟子の峨山韶碩(がざんじょうせき)に貫主を譲り、永光寺に住職として戻っています。
永光寺の伽藍はこの前年に完成したといわれています。この伽藍配置は永光寺様式として伝わっています。
しかし翌年の正中2年(1325年)に入寂しています。
その後は4人の弟子による輪番制住職となりましたが、峨山が永光寺住職と總持寺貫主を兼ねた際には毎日永光寺と総持寺を往復したと云われています。その往還した道を峨山道として現在にも伝わっています。

画像
画像


先に書いたように、永光寺はその後も總持寺と共に能登曹洞宗の重要地でしたが、応仁の乱で兵火に遭い衰弱しますが、後土御門天皇の勅願で再興され守護の畠山氏の保護で再建を果たしました。
ところが1570年代に入ると上杉謙信の侵攻で能登畠山家が滅亡。上杉方についた温井・遊佐氏と織田軍の抗争が激化します。ついに天正7年(1579年)、上杉軍の放った兵火により一番上部にある伝燈院を除いて、伽藍や僧坊が全焼してしまいました。

現在の伽藍は天正10年(1582年)の前田利家の再建からは、同じく再建された總持寺の末寺となっています。建物伽藍も寛永以降の再建ですが、先に書いた永光寺様式という曹洞宗の伽藍構成の典型をたもっています。ちなみに永光寺様式というのは、山門と正面の法堂を結ぶ軸線上の右側に庫裡、書院、方丈、浴室、といった僧坊生活のスペース。左側に僧堂、東司、鐘楼などの修行・奉仕の場がそれぞれ配置され、全体を回廊で結んだ配置が特長です。平成に入って10年間を掛けた大修理によって伽藍は美しい姿になっています。
画像


法堂内の拝観は、山門から右手にある庫裏にある受付で拝観料を払えば見学できます。
曹洞宗特有の豪華な祭壇。本尊の釈迦如来・脇仏は共に鎌倉後期・南北朝時代の物と言われますが、今も黄金の輝きを放っています。更に開山の瑩山禅師以来の法灯も受け継がれています。
幕末及び明治に活躍し禅・書・武道の大家と知られる山岡鉄舟の襖書「清風明月 柳緑華紅」も見所です。
フラッシュやライトは使っていないので暗いですが。。。。露出を極力開いて明るくしましたが、仏像の眼が光って。。カメラ技術の欠如です。
画像
画像
画像

画像
画像
画像

最後の場所に来て気が付きました。この永光寺は北陸観音霊場(北陸三十三ヶ所霊場)の二十二番札所になります。本尊は聖観世音菩薩。

拝観後は書院でお茶と茶菓子の御接待も戴きました。暑い日でしたが、書院は涼しく美味しかった~~
画像
画像


また各建物をつなぐ回廊も雰囲気があります。特に法堂左横から伝燈院・五老峯に登る階段回廊は、格子窓からの陽光によって幽玄な雰囲気が醸し出されています。外からの陽光によって歩くごとに廻りの色や雰囲気が変わって見えます。ここは必見です。
回廊の最後に鐘が釣るしてあるのですが、この先を訪れる際には鐘を一打するのが慣わしになっています。この鐘の音を聞いて禅師様が伝燈院まで馳せ参じてくれるのだそうです。
画像
画像
画像


永光寺では応仁の乱で焼失後、再建(1468年以降)されたものです。その後、上杉軍の兵火からは唯一免れた建物が「伝燈院」。ここには曹洞宗を伝える五人の祖師と脇侍として瑩山門下四哲の坐像と位牌が祭られています。祀り堂と相の間と礼堂が三連結した変わった開山堂です。
更にこの上方にある五老峯の拝殿に当たる存在です。
ここはちょうど法堂の真裏頂上に当たり、法堂の瓦が眼の前に迫り、永光寺の姿を見下ろすことができます。
画像
画像
画像

画像
画像


今回は時間がなく見られなかったのですが、座禅修行の場「僧堂」には、日本最古の僧形の文殊菩薩像があるそうです。

次回は五老峯と峨山道の入り口です。

旅行日 2013.08.01





"永光寺 ②" へのコメントを書く

お名前:
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント:

最近のコメント

「延喜式神名帳」- by つとつと (06/02)

「延喜式神名帳」- by y&m (06/01)

「延喜式神名帳」- by つとつと (05/28)

「延喜式神名帳」- by 藍上雄 (05/28)

「延喜式神名帳」- by つとつと (05/27)