河田山古墳群

前回紹介した和田山城址のある和田山・末寺山古墳群には約40基以上の古墳が確認されているのですが、近くの秋常山寺井山を合わせれば約60基程。造成や掘削を考慮すれば、100~200基以上が存在したとされています。
これに匹敵する県内の古墳群が「河田山古墳群」です。この古墳群は昭和61年(1986年)に発見されたもの。それまでにもいくつかの古墳が確認されていたのですが、国府台・上八里町の工業団地・住宅団地の造成時に多数の古墳群が確認されました。その数63基。県内の古墳群として確認されたものとしては最多数を誇ります。
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河田山は元々、六つの尾根からなる丘陵地帯でした。そこに古墳期前期から後期にかけての63の古墳が所狭しとあったそうです。形状も前期の前方後方墳から後期の円墳までがあり、前回紹介した和田山・末寺山古墳群と時代を共にするものですが、方墳などから発生時期はこちらの方が早い時期からになるようです。
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金沢方向から産業道路で国府台を左折したところですが、閑静な工場地帯と住宅団地になるのですが、発掘調査後に開発修正で9基を保存して、残りすべてが掘削・開発され、工場や住宅地の下です。

残念な話ですが、発見時に詳細な発掘調査が行われ、古墳期後期の切石積の石室が発見された12.33号墳が移設されており、12号墳は屋外に復元展示、33号墳は資料館内に移設展示されています。切り石積みの石室は全国的にも珍しく、貴重な発見ということもあったようです。
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この方墳は7世紀中頃のもので、切り石は凝灰岩を使用したもので、横穴式の石室です。石室内も切り石を積み上げて2室の造りになっています。
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資料館や古墳公園は丘陵地の一番南東の端っこになります。なお、移設された12号墳の隣にある小山には同じく切り石積み石室を持つ前方後方墳の9号墳と方墳の1号墳が発見時と同じ場所に現状保存されています。
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ちなみにこの1号墳の斜面からは奈良時代の火葬墓が2基発見されています。遺骨を納めた須恵器の甕は資料館に展示されていますが、この二つが石川県で一番古い骨壺ということになります。見学の際には館内の暗い端っこにありますがお忘れなく。。
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他にも出土品や古墳の推移や構成が解り易く解説されており、歴史初心者にとっても古墳のつくりなどが解り易く解説されています。歴史好事家には物足りないかもしれませんが、展示物はなかなかの物があります。

元々、河田山の丘陵は新生代に形成された溶岩台地でした。以前に紹介した「和気の岩」と同じように海岸側だったと思われ、狩猟や漁獲を中心とした旧石器時代には多くの旧石器人がここに集まっていたようです。
そのことを示すように旧石器時代の石器が発掘されており、しかも当時中心だった瀬戸内の様式と東北の様式が混在することが確認されており、文明文化の端境地・交流地に当たっていたと思われます。
その後、手取川や梯川によって堆積してできた平野が加賀平野であり、徐々に平地に居住地が移って行ったと思われます。小松市街や金沢市街が加賀の中心になったのは近世に入ってからで、旧石器から縄文期にはこの辺りが中心地だったと思われます。

河田山丘陵は能美小松特有の平野内の丘陵地のため、見晴らしの良い場所です。
この河田山の古墳公園も四方を遠目に見られる絶好のビュースポットになります。南には県内の初心登山家に屈指の人気の鞍掛山や、百名山の著者として有名な深田久弥が初めて登山し、故郷の大事な山と云っていた富士写ヶ岳。東には同じく故郷の山と呼んだ白山や獅子吼の峰。
天気の良い日に訪れると本当に景色の良い場所です。写真は携帯画像なんでイマイチで申し訳ない。

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                      南 鞍掛山・富士写ヶ岳方向
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                      南東 白山方向
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                      東 獅子吼方向
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旅行日 2014.04.03

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