満願寺山 九萬坊権現 ~ 富樫大明神

前回の桃雲寺の記事の最後に紹介した九萬坊(くまんぼう)という天狗。金沢にはこの九萬坊を祀っている神社やお寺は幾つかあるんです。
有名所では珠姫の菩提寺・天徳院、寺町にある前田利家の娘・菊姫の菩提寺・西方寺。医王山にある山岳信仰のメッカ医王山寺などが知られています。特に知られているのが金沢東部の窪団地の頂上にある満願寺山にある「九萬坊権現」
本殿とも云える奥の院は満願寺山の更に山向うの三小牛にある黒壁山にあります。こちらにも相当前に一度行っているんですが画像が無いので、春になったら再訪してご紹介するつもりです。

というわけで、今回は窪にある「九萬坊権現」です。
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満願寺山は標高176.6m。金沢の東南部の高尾にあるお椀を伏せたような丸っこい山です。その山裾の斜面にあるのが窪団地という新興団地ですが、急な斜面で勾配のきつい坂道が多いことでも知られています。その頂上部に九萬坊権現はあるのですが、そこまで登るのには車が悲鳴をあげそうな斜面です。冬場の雪がある時期には登れない車があるため、平野の下部に駐車場を借りている住人も多いそうです。
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そのような悪条件の地なのですが、この満願寺山の頂上部には古墳期前期の高地性集落跡、三基の方墳、更に隣の高尾山の高尾城の支城的な砦跡が混在していることが確認されているそうです。ですから、古から知られた場所にはなっていたようです。
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高地性集落は平野部ではなく、生活条件としては悪条件な山頂や斜面に作られた集落です。主に西側に向いた海などを望める地に多いそうです。矢じり(石鏃)などの石製武器が多く発掘されることで知られていますが、その矢じりも狩猟用の小さいものではなく大きいものであり、狼煙台のようなかまど跡があることが特徴です。国内では弥生中期の瀬戸内・大阪湾岸、後期の近畿、古墳前期の石川・富山・新潟(越の国?)に集中しています。
戦闘的な遺跡と共に通常の長期居住の住居跡の発掘も多く、詳しい目的や意味が定かにはなっていません。
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この山の名前の通り、ここには満願寺という寺が存在しました。ブログの貼付地図には満願寺卍と表示がありますが、実際には存在しません。明治以前は存在していましたが、廃仏毀釈で寺は除かれています。神社の形態ですが、拝殿や神殿などは仏閣のようで、神仏混淆の形態で存続しています。
そもそも、天狗を本尊とするのですから神仏習合の典型みたいなものです。
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本尊となる九萬坊権現は前のブログに記述しましたが、元々は現在の金沢城本丸の森に住んで一帯に勢力を持っていたと云われています。加賀に移ってきた前田利家がその九萬坊を追い出して金沢城本丸・天守を築き、満願寺山の更に奥にある奥の院のある黒壁山に封じ込めたそうです。しかし九萬坊の怨念か、天守は落雷で焼失、その後は本丸に天守はもちろん建物が築かれることはなく、殿様御殿や政庁は二の丸に移され、本丸は避けられたように放置された杜と化したままでした。

それ以降は前出の西方寺、天徳院、桃雲寺など前田家所縁の寺院にも祀られるようになっています。その努力のせいか、九萬坊は良神として復活し金沢の市民に親しまれる存在となっています。それでも天狗を本尊とする珍しい神社です。窪団地の高台にあるので入口からの市街の眺望も良い所です。
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山岳信仰を踏襲することから三聖大権現という形で九萬坊の他に八萬坊照若坊という三人の天狗を祀り、それぞれを本地仏として薬師如来・不動明王・十一面観音に擬えています。三聖というのは山王から来た言葉で、スメール山(須弥山)のことを指しています。日光や日吉山王など各地に観られるものです。ただ天狗神を山王として祭るのは繰り返しになりますが珍しいものです。

社域には地蔵尊や仏像が在ったりで神仏習合の名残がありますが、拝殿内に入るとよく神社の中にある鏡もありますが、天狗の面が飾ってあります。神殿も扁額代わりに赤天狗の面が架けられているのが特徴です。
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社域を拝殿、神殿に沿って登って行くと、500段近くの石段が満願寺山の登山道になります。入口には富樫大明神の石碑があります。富樫大明神は九萬坊と同じと考える人も多いようですが、別だとも考えられています。
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以前はこの急で段数の多い石段の登山道は、近くの錦丘・二水・泉丘などの各高校の運動部のトレーニングの場になっていましたが、現在は一部石段が崩れ、手すりも破損している為に通行止めになっています。本当は行けないんですが自己責任ということで登ってきました。ちなみに窪や高尾は竹林が多く、満願寺山も竹林の山と云えます。
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以前、若かりし頃に登ったことがあったんですが今はさすがに歳ですね、、息を切らしながら登ってきました。
途中の最高点近くの石段からの眺めは更に素晴らしいのですが、、、、
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頂上に着くと周りが竹やぶで何にも見えません。。ちなみに窪や高尾は竹林が多く、満願寺山も竹林の山と云えます。遠目に見ると綺麗な山なんですが、山に入ると背の高い竹林で視界を遮られてしまうんです。
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頂上には祠か物置らしき小屋があるだけ、、小さな広場には三角点と神仏に対する石積があるだけです。
前述した古墳の形跡(頂上部は1号墳の上になります。)や集落跡、更には砦跡も痕跡は一切見られません。好奇心の強い人はここまで登る人がいますが、みんなガッカリして降りてくるようです。登る際はがっかりの覚悟と自己責任を持って登ってください。。
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この頂上部には古くから伝承が残っています。この地の本城とも云える高尾城が一向一揆によって落城した際、城主・富樫政親は高尾城で自刃したとも、南にある倉ケ嶽城に逃れ近くの大池で討ち死にしたとも云われています。
この高尾城落城の際に逃れた武将の一人が、この満願寺山に逃れ頂上に隠れ住んでいたと伝わります。この武将は富樫一族の者と伝わり、その後は出家してこの地で修行をすると共に生涯を過ごし、高徳と神通力を持ったと云われています。地元住民としか交流を持たなかったようですが、この人物の死後、地元住民が富樫大明神として祀ったのが、富樫大明神の始まりとも伝わっています。

また黒壁山から山越えで満願寺山から金沢の平野に九萬坊が現れるということで、同一視する人もいます。

さて、九萬坊の正体に関する個人的考察ですが、金沢城の前身と云えば金沢御堂(尾山御坊)になります。
金沢御堂は佐久間盛政や前田利家によって徹底的に破壊され位置は特定されていません。金沢城本丸・二の丸・兼六園など諸説が多く残されていますが、やはり本丸説が有力なようです。金沢御堂を築いたのは当然ながら一向宗徒になります。
九萬坊もまた本丸に巣食う天狗であり妖怪として扱われていました。前田利家に追われた金沢城関連と云えば、やはり一向一揆関連ではないかと思われます。白山麓の一向宗の抵抗や上杉氏に参戦し魚津城で自刃した12将の半分以上が加賀・越前の一向宗の武将であったことを考えれば、山間に追いやられながらも最後まで抵抗した一向宗が九萬坊だったと思われます。加賀では浄土真宗の信徒が多く愛着を持つ理由はそこにあるのかもしれません。

しかし、前述した前田家の寺院は曹洞宗がほとんどです。また医王山寺のように山岳修行から発生したものもあります。浄土真宗の北陸布教は白山修行者との結びつきは観られますが、これに関しては曹洞宗の方が強いものがあります。修行を重視することでは禅修行を重視する曹洞宗の方が、他力本願の真宗よりも山岳系との結びつきは強いものがあります。そもそも天狗は山岳信仰から派生し、山の民から出現し指すものでもあります。
更に現在の鶴見の曹洞宗の基盤を固めた峨山禅師は、山岳修行者から転向した人物と云われています。
窪を含む富樫地区は、一向一揆に滅ぼされた富樫氏の強力な地盤でもありました。富樫明神が示すように富樫一族の人気も加賀では根強いものがあります。富樫説も捨てがたいものがあります。

どちらが九萬坊の正体かは不明ですが、天狗になぞられ、長く愛着を持って伝えられている九萬坊・くまんぼうさんは、なんとなく惹きつけられるものがあります。

旅行日 2012.04.04




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