末次城址 (奥能登の城②)

画像
画像
画像
松波城の支城となるのが末次城です。別名は地名から行延城とも呼ばれています。
築城年代は未詳ですが南北朝になるのではないかと云われています。
位置的には松波城から旧街道と云える国道249号線を4キロ程西に位置します。街道を見下ろす位置にあり出城の役目を十分に果たす存在です。また街道は末次城を巻くように続いており、街道と山城の間には木郎川と大杉谷川があり、天然の外堀になっていました。
画像
画像
画像
典型的な山城の形態ですが標高50mと高さはありませんが、山肌を削って攻城兵の登りをきつくしています。東口の竪堀は特に急角度となっており、山頂までの登りのきつさを感じさせます。
画像
画像
画像
本丸や六つの曲輪の一つ一つは大きくなく砦の規模のようですが、城域は大きく取っており標高30~50mの丘陵の三つの尾根を利用しており、その広さは東西360m・南北400mと広範囲に渡ります。尾根と云っても頂上部は高低差20メートルほどで尾根上の移動はけっこう楽にできています。搦め手道は尾根を迂回するように東口・狼煙台・曲輪を迂回するように山並の尾根を利用して各曲輪を結んでおり、南に出られるようにしています。
山頂は守備兵の俊敏な移動を重視し、山肌を堅固にして攻城兵を各個撃破することを狙ったようです。
画像
画像
画像
上杉軍侵攻の際には松浪畠山家の配下武将・末次甚右衛門が主将となり、地元土豪を集めて抵抗していますが、松波城に先立って落城しています。ちなみに末次城の登山口にある家が末次家で、山頂にあった天神社を家の側において守り伝えているそうです。
画像
画像
画像
落城後は廃城となって長く放置されていましたが、山頂付近は地元の墓地になっていることもあり、近年地元有志によって整備が進められて、登城の起伏は激しい道のりですが、切岸や曲輪・犬走りなどが復元され町指定文化財になるまでになっています。歩いてみると山城としての形態がそこかしこに残り、山城ファンには十分堪能できる山城機能が確認できると思います。個人的にですが、松浪城よりもこちらの方が山城の雰囲気を満喫できると思います。

画像
画像画像
帰り道に穴水町の中居ポケットパークにあるボラ待ち櫓を観ました。以前は、七尾寄りの根木地区しか観てなかったので、この中居地区のも観られてやっと両方見たことになれます。
櫓の上に人形が乗っていますが、日がな櫓の上に居て、お魚さんが櫓の下に来たら網を引き揚げて捕まえるという、至ってのんびりした原始漁法です。日本最古の漁法とも云われていますが、古くは何基もあったそうですが、10数年前を最後に伝統漁法は絶えています。
そうそう、この中居の地は以前にUPした釣鐘や茶釜作りの名人・宮崎彦九郎家(寒雉彦九郎)の生まれ故郷になります。ポケットパークの近くに「能登中居鋳物館」があります。

時間はちょうど5時、ついでにお腹が減った夫婦は遅いお昼兼夕飯を。。鹿島町のアルプラザ前の駐車場にある「吉兵衛
いろんな定食がある中で僕の選んだのは、カツ丼+越前そば分厚いカツに薄味仕立ての懐かしい味でした。。ボリュームありました 越前そばとの組み合わせならソースかつ丼が本筋なんでしょうが、ここは石川県、かつ丼と云えば玉子かつ丼が当たり前になります。
画像
画像


旅行日 2015.08.22

末次城


                              中居ポケットパーク


                                                              吉兵衛

"末次城址 (奥能登の城②)" へのコメントを書く

お名前:
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント:

最近のコメント

「延喜式神名帳」- by つとつと (06/02)

「延喜式神名帳」- by y&m (06/01)

「延喜式神名帳」- by つとつと (05/28)

「延喜式神名帳」- by 藍上雄 (05/28)

「延喜式神名帳」- by つとつと (05/27)