加賀海岸① 加佐の岬

福井県と石川県は日本海に沿った位置にあり、その海岸線は風光明媚なことと、奇岩や急激な岸壁で冬の日本海と共に厳しく峻険なものがあります。その風光明媚さと峻険さが見せる海岸線は越前・加賀海岸国定公園として指定されています。
越前は東尋坊や敦賀海岸が代表するように、峻険な岩や海岸線に迫る急峻な崖が続きますが、加賀海岸は急峻な崖や岩の部分と長い砂浜地帯が交互に織りなすのが特徴です。
ここのところ、加賀に行く頻度が高かったので、久しぶりに加賀の海岸線を訪れて観ました。まずはお久しぶりの加佐の岬に。
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TVのサスペンスドラマのラストシーンで、海岸の断崖がよく使われた時代がありました。
北陸ではゼロの焦点の能登の「痩せの断崖」、福井の「東尋坊」なんかはその代表的な場所です。自殺の名所なんて言われるほど、高く急峻な断崖は訪れて覗くと急峻さに驚かされます。
ところが、いざ撮影すると出演者を大きくアップすると、背景の断崖が高すぎて、ただの広場か遠くの海しか背景にならないわけです。更に観光地なので観光客も多く支障をきたしてきたわけです。そこで、高さはそれ程ではないけれど、背景に打ち寄せる波や岩山が入る海岸が増えました。それが、加賀ではだいぶ前に紹介したICから直接行ける「尼御前岬」や秋冬には観光客が少ない「加佐の岬」が増えていました。
今はお決まりのサスペンスのこういうラストの場所は減りましたが、その分隠れた名所ともいえます。
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日本海側は特に秋冬場は強い海風が吹くために、海岸線には強風と打ち寄せる波で軟らかい土が削られたりして浸食され、変わった岸壁や岩島、風紋が見られます。また、海流に流された土や砂が堆積した砂浜があります。特に石川県は半島のために、浸食も受けますが堰の役目を果たすように砂浜が構成されやすい地。このために岸壁と砂浜が交互に織りなすことになります。
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越前・加賀の境の大聖寺川の河口の塩屋から片野の約5キロの砂浜が続くと、いきなり峻険な岩山と岸壁が橋立漁港まで続くのですが、その中で海に突き出したような突端にあるのが加佐の岬です。橋立自然公園の駐車場から200mほど歩くと加佐の岬になります。遊歩道は原生林の中を歩くのですが、アオダモ・シロダモ・松など多くの種類の木が繁茂しています。海岸に近づくにつれ、強風で曲げられ草木のトンネルのようになっています。
松が多いことから、戦時中には航空燃料として樹液が使われたりしましたが、この辺りの松も使用されていて、その跡が見られたりもします。
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草木のトンネルを抜けると眼の前に白亜の灯台が現れます。 「加佐岬灯台」
加賀海岸は平坦で長い海岸線は目標物が少なく、航行する船舶や漁船には自分の位置が解り難いという地形です。加佐の岬加賀海岸でも日本海に一番突き出した場所で灯台の設置は必須ともいえます。
加佐岬灯台は昭和52年(1977年)建造で高さ14.9m。直方形の塔の上に釣鐘状の灯光部が乗っています。夜間の灯光は13秒に3閃光するそうです。
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加佐岬灯台から崖を降りて行くと加佐の岬が観えてきます。加佐の岬は突端と大小六つの島から構成されています。手前にあるのは植林の松の苗木です。風除けにプラスチックケースで包んでいます。
さすがに日本海に突きだした岬ですから、海風がきついですが左右を観ると遠くまで海岸線が観られます。
崖下には打ち寄せる波や風によって小さな砂浜が構成されたり、洞穴が造られたりしています。崖上の遊歩道に沿って西に行けば崖にうがたれた「お夏のがん洞」、隠れ家的な「黒崎海水浴場」などが観られます。
前述の小さな砂浜は東側にも幾つかあります。次回UPしますんでお楽しみに^^V
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加佐の岬は砂岩質と入り混じった所が多く、波や強風によって軟らかい部分が削られて地肌がむき出しになった所が多くなっています。固い岩盤がむき出しになって、何とも言えない紋様が現れています。右の画像は岩盤の化石かなと思って撮りましたが、不明
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小島に海鵜の群れが居ました。岬の先端まで行って撮ろうとしたら、みんな飛び立って行っちゃいました
そういえば、能登の気多大社では年末神事に使う海鵜を捕獲できたそうです。昨年は捕まえられなくて海鵜の占い神事が出来なかったから、よかったよかった
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久しぶりの自然風景で、いつもの小難しい歴史系がなかったと安心してた人、甘~~~いここにも、しっかりと歴史の遺物があるのです
なかなか、人が踏み込まない旧遊歩道があるのですが、草木を掻き分けて行くとあります。 
篠原合戦 戦死者埋葬地」の碑
以前、何度か紹介している源平時代の「篠原合戦」。倶利伽羅合戦で大敗した平家軍は京に向かって撤退しますが、源氏軍はその平家軍を追って追撃戦に移ります。平家軍は「根上の松」で撤退戦を行い敗退。この加賀での最終防衛戦を行ったのが「篠原合戦」でした。歴史が示すように平家軍はここでまたしても大敗。散り散りとなって京に逃げ帰ります。源氏軍は勢いを得て上洛することになります。この時の戦死者が当時は人跡未踏だったこの地に埋葬されているというわけです。
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合戦というものはどうしても戦死者や犠牲者が発生してしまう哀しい面があります。ドラマや映画・小説では華々しい戦いは描かれますが、戦死者の遺体がどう扱われるかまではほとんど描かれたり記述されていません。
通常、勝利軍の武将クラスは遺体を持ち帰るか当地に埋葬しています。敗軍の武将クラスも勝利軍が埋葬することも一部にありました。倶利伽羅峠合戦の平為盛、篠原合戦でも殿(しんがり)を努めた平家軍の斉藤実盛は源氏軍が埋葬あるいは慰霊を地元の寺院に依頼しています。その他の勝敗軍一般兵は野ざらしになるのがほとんどでした。
この遺体を処理していたのは地元の住民になります。ほとんどが装備・武器は剥がして奪い取り裸にしてしまったようです。勝利軍だろうが敗軍だろうが、地元住民にとっては土地を荒らした厄介者で、装備を剥ぎ取るのはその報いと報酬として当たり前というわけですが、遺体をそのままにすると腐乱するし寝覚めが悪いので、遺体をまとめて埋葬するわけです。慰霊塔を建てたり地元僧に依頼して慰霊することも多く見受けられるそうです。
当時、人里離れた橋立のはずれのこの地にも、源平両軍の戦死者の多くが埋葬されているというわけです。
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加佐の岬の駐車場から西に行くとお洒落な建物があります。「カフェランチ加佐ノ岬」「加佐ノ岬倶楽部」です。
30年ほど前に、洋画家の「硲伊之助美術館」として開館したのが始まりです。25年ほど前に嫁さんを連れて美術館に入ったのですが、洋風の古民家の造りに硲伊之助氏の洋画が展示されていて、嫁さん共々気に入った場所でした。
その後、我が家族は滋賀にしばらく引っ越していて同じ白山市に戻ったのですが、なかなかこちらの方に家族で来る機会がなくてご無沙汰していました。その間に、美術館の名はなくなり「加佐ノ岬倶楽部」の名になっていました。正直なくなっちゃったんだと思っていました。
たまたま思い出したように行った加賀市吸坂の「硲伊之助美術館」で、加佐の岬はギャラリー喫茶になってると教えて戴いていました。なんと運営は変わっていなかったんですねえ。。。知らんかった。。
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カフェランチ加佐ノ岬はコテージ風のオープンテラスとインナーテラスのレストランで、中庭も散策できるそうです。肝心のギャラリーカフェは和風古民家づくりにアンティークインテリアが置かれた中に硲伊之助氏の洋画が観られます。珈琲だけで済ましちゃいましたが、嫁さんに報告したらジトーーっと睨まれちゃいました。。暖かくなったら連れて行ってやるつもりです。

旅行日 2015.10.28




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