キリコ会館

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輪島朝市駐車場の東側の海辺に広がるマリンタウンに昨年(H27.3)にリニューアルオープンしています。
昨年、観たかったんですが、諸事情で見学せずに珠洲の方に行ってしまいました。改めて、今夏に見学することに。嫁さんが朝市通りでキリコの実物を観たこともあって快く同意マリンタウンやキリコ会館の外装も撮ったはずなのに画像が何故か残っていなので、館内のキリコの画像でご勘弁を

元々は、老舗旅館ホテルの高州園から少し東に行った塚田町という所に、輪島塗の最大手老舗の稲忠漆芸堂の工房・販売店と共に運営していたものです。最盛期には相当数のキリコが各地から集められ100基ほどはあったと云われていました。また、ミシュランガイドにも老朽化した建物ながら観光スポットとして二つ星を点けられた隠れた人気スポットでした。 塚田町のは以前にも簡単に紹介しているのでこちらをどうぞ → 旅行日 平成19年8月

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ところが、バブル崩壊・能登沖地震の風評被害などで輪島塗販売の不振に陥り、平成22年に稲忠漆芸堂が破産による会社更生法申請、同24年に同法取消で稲忠は隠れた人気スポットのキリコ会館イナチュウ美術館や輪島でも数少なかった団体客用レストラン・花車などを手放したり閉鎖に追い込まれてしまいました。これらの施設は輪島観光の大きな一翼を担っていたためダメージが大きく、県や市を挙げて存続を検討されましたがキリコ会館のみの存続になってしまいました。、
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稲忠漆芸堂は独自の企業努力と、伝統工芸存続が重視され援助などを受けて、輪島塗の製作・修理・販売に特化して存続、復活を目指しています。元々、伝統工芸としての技術力は高い会社ですから、製作・販売に特化できれば、まだまだ復活の眼は大きいと思います。
奥に展示されている大キリコの6基は手前の5基が江戸・明治期の物になりますが、一番奥の能登國は稲忠漆芸堂の全盛期に作製したもので高さ15メートルを超すものです。アテ材に漆塗りの高価なもので、稲忠の盛時を窺わせる逸品です。(明治期の大キリコはもう一基あって現在修復中です)

キリコ会館は会社更生法申請で、各所有者に返還・撤退などで数を減らし約30基ほどになりましたが、輪島市商工会に移管されていました。輪島市では昨年、朝市駐車場の近くのマリンタウンに近代的な建物を新築して、3月にオープンさせていました。
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塚田町時代は建物施設の老朽化もあって、照明を消した状態に灯りを入れたキリコが並べられただけでしたが新会館では往時のキリコの数ではとおく及びませんが、新設の白壁と相まって、照明の明暗を利用しキリコの幻想的な美しさを演出しています。キリコは昼間・暗闇・炎に照らされた時では和紙の効果で、違った色に見える効果も演出されています。また、多くが各町会の現役ですから、7~9月にかけて祭りにもここから出て行っています。嫁さんが観た前回ブログのキリコも、ここに展示されていたものです。一台分のスペースが開いていました。

江戸期製作の大キリコ キリコ会館最古のキリコ
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昨年の松浪城の記事の序文で書いていますが、金沢や河北郡などの加賀のキリコと言えば盆に墓にさげる行燈替わりになりますが、能登キリコは神輿の先導ながらその大きさと華麗さは対照的です。ただ、先祖の霊に対する迎え火・送り火の要素には変わりがないようです。
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                明治期の大キリコ裏面 大キリコは15メートルほどの高さを誇ります
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キリコの原点の有力な説の一つに笹キリコというのがあります。笹キリコは笹竹の先にぶら下げる箱ボンボリのようなものですが、輪島では輪島大祭の際には子供たちがこの笹キリコを4.5mの笹竹の先に提げて先導しています。また、能登と加賀を繋ぐ河北郡には祭りや盆の時に玄関先に大提灯や箱ボンボリが提げられ先祖の霊や客人を迎えています。加賀ではさらに小型化して称名の書かれた小型のキリコを墓にさげる風習になっており、対照的な大型化と小型化になって行ったようです。
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能登キリコの発祥ははっきりしませんが(江戸初期から文献に散見されているそうですが。)、北前船の最盛期(1800年前後)に一気に巨大化・装飾化したと云われています。10メートルを超える高さと装飾が施されたのもこの頃だと云われています。輪島を含め内浦・石崎・富来その他。。キリコ祭りが伝統的盛大に行われている地のほとんどが北前船の主要寄港地になっています。またどちらが先かは解りませんが、奉燈を華麗にした祭り、青森のねぶた・秋田の竿灯・伏木の曳山もまた北前船の主要寄港地という共通点があります。七尾の青柏祭の日本最大の山車、新潟・仙台の七夕飾りにもこの北前船の影響があると云われています。
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江戸期後半から明治初期にかけて、他と競い合うように能登キリコの高層・巨大化と装飾はピークを迎えていましたが、電気の発達で市内の電線化が進むと、祭りの巡行には支障を来すようになり、キリコは高さが4.5メートルと小さくなって標準化して行きます。キリコ会館内に並ぶキリコ群はほとんどが各町会の現役ですが、規模や高さは同じような大きさになっています。中央の渡り廊下の奥に江戸期・明治期・特別制作の6基がありますが、その大きさの違いが一目で解るようになっています。
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展示されているキリコには、朝ドラ「まれ」に使用されたキリコもありますが、ほとんどが輪島地区の伝統的な現役キリコが並んでいます。輪島のキリコの特徴は、一部竹材もありますが多くは能登アテ(あすなろの亜種)が使われています。江戸期には白木が多かったようですが、江戸後期からは漆塗り(輪島塗)が主流で現在に続いています。和紙が張られたキリコ本体は表面に目出度い文字や漁業関連の字、龍虎や四神名などが祝い文字で書かれています。裏面には町会名と家紋が一般的ですが、武者絵・竜神画・中国画が施されたものもあります。会館の順路通りに進むと裏面が見えないので、裏側にも興味を持って廻ってみて下さい。更に上部には屋根があり、大型の物にはその下に榊・人形が置かれています。
基本的にキリコは神輿のように担ぎ手の人力で移動します。その重量や規模によって担ぎ棒の大きさも変わってきます。
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ちなみに、今回は輪島のキリコ会館を紹介するために「キリコ(切籠)」と統一していますが、能登各地に行くと場所によって呼び名が「切子灯籠(きりことうろう)」、「灯籠」「奉燈(ほうとう)」、「お明かし」他といった具合に変わります。地域によってはキリコというと怒られますからご注意を。。
また前述したように、能登の地域によってはその形態も大きく変わってきます。富来のようにシンプルに表文字のみの物もあれば、奥能登に行くと短冊や秋田の竿灯のような提灯飾りを施したもの、台床を大きくして人形飾りを施したり、お囃子が複数乗ったりします。また凝りに凝って重量が有る物では担ぎでなく車になるものもあります。
また長方形の奉燈部がねぶたのように絵柄の変形になる袖キリコと呼ばれるものもあります。7~9月にかけて能登の各地で行われる祭りは一つ一つ大きな違いと特徴があります。ちなみに昨年(H27)4月、「灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~として、能登に点在する29祭事を文化財として日本遺産に認定されています。





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輪島大祭の2日目・重蔵(じゅうぞう)神社の祭礼に使用される高さ16メートルの大松明があります。実際には2本使用される大松明は祭礼のクライマックスにマリンタウン(河井浜)で使用され、キリコを担いだ若衆がこの大松明を廻るように疾走し、最後に火がかけられた上に引き倒されます。燃え盛る中に若衆が駆け込み、最上部につけられた御幣3枚を奪い合う姿は漁師町の豪壮・勇壮さを見せつけられます。
大木の真直ぐ天に支柱(御柱)の頂上には「くじきり縄」とよばれる縄の傘が作られ、先に御幣をつけた竹竿が三本取り付けられています。この形は御柱重蔵男神、傘が能登沖の舳倉島(へぐらじま)女神の子宮、縄が二神の御子神のへその緒を表しているとされています。元々、重蔵神社舳倉島に向かう船の待ち時間に参拝するために奥津比咩(田心津姫命)を祀ったとも云われていますが、いつしか別の男神(重蔵神)となった謂れがあるようです。重蔵という名も読みを変えれば「へくら」とも読めますね。
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キリコ会館の大松明の説明板・・・この大松明(おおたいまつ)は、毎年夏の輪島大祭で燃やされる、松明神事の御柱です。高さはおよそ16mあり、輪島で作りだされた杉です。
輪島大祭は、海士町の奥津比咩神社、河井町の重蔵神社、鳳至町の住吉神社、輪島崎町の輪島前神社で、4日連続にそれぞれ大祭が行われます。
祭りの夜、各町のキリコが一年のけがれを乗せて神社に集合し、参拝の後、神輿を先導して浜に出て松明の炎で祓い清めます。重蔵神社では河井浜に宮の下松明と川尻松明が立てられます。
展示の御柱はその川尻松明ですが、柱の頂上部に傘と縄と竹が見られます。これは、松明の明かりを目指して海を渡って来られた舳倉(へぐら)の女神様が、重蔵の神との間に新しい神を産むときに、苦事もなく安産を祈るいわれを示しています。
傘は女神様の子宮、縄は通常とは逆方向になう神事「九字切り縄ない」によって作られ、御子神様の「へその緒」をなぞらえています。
また三本の竹には御幣がつけられ、若衆が祭りの夜、燃え上がって倒れる松明から奪い取れば、一年の福が来ます。
翌朝、キリコには、お仮屋で新しく生まれた御子神様の御霊(みたま)が乗せられ、各町内に戻って繁栄と安心をもたらしてくれます。
大松明は、そんな壮麗さを秘め、わたしたちを元気づけてくれます。


舳倉島は渡り鳥の宝庫として知られているんですが、能登の人には神の島になります。輪島の重蔵神社・奥津比咩神社は舳倉島所縁の神社ですし、御陣乗太鼓で有名な名舟町の奥津比咩神社は舳倉島の摂社とされていますし、海に立つ鳥居は舳倉島に向かっての遥拝所になります。二日に渡り、キリコの海上渡御・御陣乗太鼓の奉納が行われる名舟大祭も舳倉島の本社に奉る行事のようです。
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キリコ会館を後にした二人は、輪島港を巡って西回りで家路につくことに。。久しぶりに大沢の間垣や西保海岸を観られました。僕の好きな海岸地帯の一つです。

旅行日 2016.08.20



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