徳丸白山神社(とくまるしらやまじんじゃ)

冬場になると寒いのが一番でついつい引き籠りになってしまい、自堕落な生活を送ってしまいます。仕事も日暮れが早くて目的地に行って真っ直ぐ帰ってくるだけになってしまい、なかなか寄り道もしていないので記事のネタもないので、ついつい古くなっちゃいます。替わりに画像整理で掘り起こしています。
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久しぶりにご近所シリーズです。。。。我が家から2番目に近い神社が「徳丸白山神社」です。
田圃のマン真ん中にある神社ですが、けっこう古い歴史を持っているようで、境内の広場も広く、毎年左義長が行われています。ただ残念なことにまだ一度もこの神社の左義長を観たことないんですけどね。。
名前が示すように、旧松任市の徳丸地区の氏神様です。徳丸町は結構広い地区で、思ったよりも広域に渡っていています。

徳丸白山神社由来碑

主祭神 菊理比咩命(きくりひめのみこと)
祭 神 豊受比咩命(とようけひめのみこと) 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)
      菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

宮  司 柏木 信勝

伝説によれば大宝二年(西暦七百二年)文武天皇の頃 白き霊鳥が船岡山(元白山比咩神社鎮座の地)より飛びきたりて留まること三日ばかり ついに飛び去る様もなく依って村人たち神霊なりとして白山比咩神社に願うて御分霊を豊受し霊鳥の留まるところに鎮斎せり これ当社の起源なりとある
その頃この地に眼病が流行し 宮守の者夢に観音よりその薬法を授けられその薬にて眼病も平癒し 近郷十余カ村こぞって氏神とたたえ尊宗したともある
境内に白鳥社 菅原社ありしを明治四十一年に 徳丸新田(新徳丸区)にありし菅原社を昭和二十三年に合祀した
当社は白山神社を称していたが明治八年一月に徳丸白山神社と改称された
ここに当社の由来を記して永く子孫に伝えるものです

参考文献 石川県神社誌 中奥村誌など

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宮司の柏木信勝氏は近くにある松任では一番大きな神社・若宮神社の宮司さんです。近在の白山神社を兼務されているようです。通常は無人の神社です。
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由来の白鳥伝説ですが、三重県津市にも白山比咩神社が幾つかあるのですが、これは天文22年(1553年)白山の白山比咩神を勧請したものですが、これを伝え持ち帰った八幡宮の鎮徳商人が河畔で休憩(瀬戸ヶ淵)をとった際に、白鳥(白鷺)が七羽飛び立ち、舞い降りた地に祠を置いたのが始まりとされています。その七社に関しては僕個人はまだ二社しか見ていないんですが、倭、川口、八対野、山田野、家城、竹原、飯福田になるそうです。この七社に関しては、こちらの白山七社(白山本宮、金剣宮、三宮、岩本宮、中宮、佐羅宮 、別宮)を準えたのだろうと云われています、白山神には名前の通り、白鳥・白鹿・白蛇といった化身が伝承されています。この白山徳丸神社もこれと同じ伝承だと思われます。

白山比咩神社は本宮を何度か場所を移しています。これについては以前に舟岡山城でご紹介していますが、その最初の発祥地は舟岡山城の二の丸に当たる場所だと云われています。
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この伝承もあって。主祭神は白山比咩神(菊理媛神(くくり、きくり))になります。ちなみにククリ姫は日本神話では黄泉平坂の一場面に登場するくらいしかないのですが、イザナギ・イザナミが口汚く罵り合うことを仲介したとして、すべてを纏める神様として縁結びにご利益があると云われています。また、江戸時代の学者・本居宣長はアマテラスの養育係だったとしています。白山比咩神に仲をとってもらったイザナギ・イザナミも祭神になっています。


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松任の地は加賀において前田利長が最初に与えられた領地ということもあって、前田家が祖先とした菅原道真を祀った神社が多くあります。この神社もその一つです。江戸期には本殿とは別に白山比咩神の化身・白鳥社と菅原社が拙者としてあったそうですが、現在は合祀して一つの神殿に祀られています。

先に書いたように左義長の他には、こども神輿など、東明小学校の近くの神社として子供たちを見守る神社になっています。

白山神社の総鎮守となる白山比咩神社本宮には兵庫・西宮の方から白山麓の一里野に転職のために移ってきた知人を案内するために久しぶりに訪れました。彼は元々が西宮の神主さんの家の出身らしく、神社にはお母さん共々興味津々。。9月の集中豪雨の時と引っ越しの11月に訪れています。

28/9/8撮影 
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奥宮遥拝所
三個の岩はそれぞれが白山三山(大汝峰、御前峰、別山)を現していて、白山奥の宮に向かっていて、ここで拝むと白山山頂の奥の宮に参拝したと同じご利益があると云われています。





神馬舎
神門の脇にありますが、白山比咩神がこの神社から白山山頂に登坂する際に乗る神馬を模しています。画像は正面しかありませんが、横から見ると雷鳥を描いた鞍など豪華さが目を引きます。
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神門(内側)
表参道の正門になります。表参道は本駐車場からの方が本殿に近く、長い登り坂の為に歩く人が少ないんですが、一・二・三の鳥居、琵琶滝、大樹の中を歩けるのでお勧めの道です。
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外拝殿
白山比咩神社の顔ともいえる建物です。元々は大正9年(1920年)に建てられて拝殿として使用されていました。昭和57年(1982年)に増改築によって外拝殿となっています。上部の大屋根は幣拝殿(幣殿と拝殿が一体化しています。)になり、その後方に垣塀に囲まれた敷地に本殿が石造りの祭壇の上に建てられています。本殿は明和7年(1720年)建造。更に外拝殿と幣拝殿の間にある直会殿(なおらいでん)がありまして、この四つの建物が直線で並ぶように建てられています。つまり、外拝殿で参拝するときはマン真ん中で立ってお願いするのが正解かも。。(ちなみに直会殿は元々は幣殿として拝殿と共に大正9年に建てられて使用されていました。昭和57年の増改築までは幣殿・拝殿は別々に区分けされていました)

28/11/10撮影
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神門外の大ケヤキ
樹齢1000年以上と云われています。胸周5m、樹高25m。毎年緑の葉をつけますが、木の半分以上が石化しています。



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荒御前(あらみさき)神社
表参道を登ってくると、神門を通り越した突き当りにある神社。白山比咩神社では一応摂社としていますが、ちょっと謎の多い神社です。神社の説明では神功皇后の三韓征伐の際に、皇后を守護した荒御前大神と日吉大神、高日大神、五味島大神の四柱を祀っているそうです。ところが毎年4月15日に神職が詣で、巫女が舞を舞う常例祭が行われているのですが、その際には荒御前大神と称されたヤマトタケルの神意を慰めるためとしています。ちなみにヤマトタケル所縁の草薙剣をご神体とする熱田神宮の最深部に一之御前(いちのみさき)神社というのがありますが、そちらは草薙剣の荒魂(熱田大神・天照の荒魂)を祀っているそうです。荒魂は御魂の対比になる姿で荒ぶる神を現します。一種の怨霊信仰になるのでしょうか。。

神門(表側)
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外拝殿の大注連縄は長さ6メートル、最大径75㎝、重量300キロあるのですが、毎年末に氏子青年会によって20人がかりで持ち上げて交替されています。

旅行日 2016.09.05





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