宮島神社 岩抱きのけやき

画像宮島峡の一の滝から少し下流に向かって公民館の手前を右折すると宮島神社があります。
宮島神社子撫川(こなでがわ)を中心に山間に点在する宮島二十五村の惣社とされています。総社と惣社は現在は同義語扱いで、よくゴッチャになってしまいますが、基本的には前者は主に奈良時代以降の国府の側に建てられ、国司が祭祀を行うために国内の神を合祀した国社ともいえます。惣社は近在の地方・村・部落・集落の点在する神様を合祀したり、代表として奏者としての役割を果たした神社になります。

宮島神社が惣社のどれに当てはまるかは別にして、大岩に巻きつくように立つケヤキが注目の社です。
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小矢部市指定天然記念物 岩抱きのけやき

この神社は、宮島郷宮島谷二十五ヶ村の惣社と伝えられている。神社の社殿に向かって右手の巨岩は、周囲一七メートル高さ三メートルを測り、その上に幹まわり三・六メートル樹高三五メートルの大木が太い根で岩を抱きかかえるようにして生えている。「岩抱きのけやき」と呼ばれ、小矢部市指定天然記念物に指定されている。
境内には、自然石の露頭が多くあり、かつては神霊を招き祭祀を行った聖地で古代、神社が発生する以前の磐境(神霊祭祀の霊域)と考えられている。後に社殿がつくられるようになり、この磐境をそのままにして、後方に拝殿を建て、その奥に本殿を築いた。このように古い時代の磐境のすがたを今に残している埜は、県内でも数少ない。(昭和六十年九月には由緒を伝える石碑が建立されている。)

平成十年七月十五日 小矢部市教育委員会

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宮島郷には式内社として小矢部比賣神社がありました。越中国司だった大伴家持の時代に斎木貞信を従六位に叙して比賣神社および長岡神社の神官に任じ、宮島郷四十八ヶ村氏神惣社としていたと伝わっています。この四十八ヶ村という数字は、宮島と福岡郷を合わせた数だと思われます。
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長岡神社は同じ小矢部の福岡地区の最南地と言える場所で砺波市との境界近くになります。つまり小矢部川の対岸地区の氏神になると思われます。
比賣神社は、その後、小矢部川と雄神川(庄川)の氾濫で流されています。流されたご神体が藤に絡まって留まった地点が、子撫川が小矢部川に合流する手前、大きく蛇行する地域・宮中にあります。本来の位置は川の流れから考えても北西が考えられ、宮島神社を本宮と推す声もあり論社扱として留まっています。ですが個人的には、宮中が比賣神社式内社と思っていますが、宮島神社はその形態から奥宮・奥の院といった発祥地的存在だったと思われます。
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なぜ、奥宮だと思うかと言えば、その形態と場所にあります。
以前ご紹介しましたが、子撫川の下流域、国道8号のバイパス工事で発見され、前述の宮中比賣神社の対岸から出土したのが桜町遺跡でした。この桜町遺跡は縄文草創期から晩年までの長きに渡って続いた縄文遺跡で、チカマツ遺跡と同型のウッドサークルを始め、弥生期以降と言われた高床式建物が発掘されて、歴史を覆した遺跡です。

古代神道成立以前、巨大なモノや異形の自然石磐座(いわくら)として礼拝の対象にしていたことが知られています。そこから、幾つかの変形や変化を重ねて神社へと進化して行ったと言われます。その縄文時代が最初期と思われる磐座からの進化が解り易く観られるのが宮島神社になります。世界遺産になった沖ノ島にはその形跡が見られると云いますが原則入島禁止、古代から続く大型神社や富士山・大仙・白山のような山岳信仰にも、この形跡がありますが、形状が大きすぎたり、範囲が広すぎたりで逆に解りづらいのですが、宮島神社は一目で理解できる解り易さ、、、神社が好きな人にはぜひ見ておいて欲しい神社です。


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宮島神社は中央に拝殿への石段が造られていますがこれは近年になって加工敷設されたようです。、元は石段部がどうなっていたかは定かではありませんが大きな自然石が左右に観られます。見た目には大岩の集合体だったことが想像されます。特に右の石は1個の大岩で、文中のように露頂部分で周囲17m・高さ3mにもなりますし、左は幾つかの露頂部に分かれますが、地盤部も岩石帯になっており、土泥部を除けばやはり単独もしくは2・3の大岩の集合体と思われます。
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縄文時代は桜町遺跡から北の山間に入った程ない位置にあることからも、縄文人にはこの岩は認識されていたと思われます。つまり縄文・弥生期には大岩は露出していたと思われ、磐座信仰がいつから始まったか不明ですが、礼拝対象としての磐座として岩丘があったと考えられます。

磐座の前面に現れたのが、案内文の磐境(いわさか、磐堺)になります。沖ノ島で発見されているのが代表例で磐座の前や岩陰などに小規模な石囲いの区画が確認されているそうですが、一種の祭壇と言えますが磐座を拝んだり、祭祀を行う祭主や巫女の席とも考えられます。宮島神社では石段前もしくは石段、登った場所のいずれかになると思われます。
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次に登場するのが、神籬(かむろぎ、神奈備)としての大木になります。神社では御神木ですね。神棚では榊に当たります。

磐座のみの時代は岩そのものが御神体として考えられていたようですが、磐境の時代には岩は神界(神界あるいは幽界、あの世)人間界(現世)境界線と考えられていきました。この為、祭祀で呼ばれた神様は、岩の向こう側に現れることになります。
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この為に磐境にいる祭主の巫女や祭祀者に憑依あるいは通訳・伝言してもらうことになります。これでは、一般人が単独で個人的なお願いをすることが出来なくなります。岩の前後に立つ御神木は神様が降り立つ依代(よりしろ、憑代)として立てられたものになります。

宮島神社のケヤキは、劣悪な岩盤帯にあるため樹齢は不明ですが、樹勢に強さがあり、右の最大のケヤキは幹囲3.6メートル、樹高約10メートル。少なくとも300~500年前の中世に植えられたのではないかと思われます。大岩を抱き込むような姿は圧巻です。
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拝殿左のケヤキは対称的に直立型ですが、前に掲載した画像のように岩盤上に根を縦横に張っています。中央に大きなコブがありますが見上げれば、緑の枝ぶりも豊かで拝殿の屋根を覆っています。
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磐座・磐境・神籬の三点セットが、神社や神棚の原点になっていると云われています。磐座本殿(神殿)磐境幣拝殿神籬拝殿といった具合です。大きな見方をすれば富士山や白山のように山全体をご神体(神奈備(かむなび))として離れた場所に鎮守社や遥拝所を置く形態もこれに準じるとも考えられます。宮島神社では小振りながら古代に観られた形態がそのまま残っている貴重な存在になるんです。中央の建物や石段を除いて見てもらえると、神社の原点がよく解ります。
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ついでながら、神社における鳥居ははっきりした由来や事由は不明ですが、先の拝殿などと同じ頃に出現したと云われています。大きくは二つの意味合いが論じられていますが、一つは文字のまま鳥(鶏)の止まり木、アマテラスの岩戸隠れの際に、岩戸前に止まり木に鶏を置いて鳴かせたという故事によるもの。もう一つは神社の入り口に通路の両脇に平行に植林した木に綱や縄を張って、神域への境界線の目印や玄関門にしたというもの。
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宮島神社も近代に入ってから、拝殿・本殿が岩の向こう側に建てられており、当然と云っては何ですが、鳥居もあれば、立派過ぎる参道もあります。

了輪地区の産土神・氏神として崇敬されており、近代の神社に対する信仰心が示す境内の鳥居や参道も注目に値します。立派な注連縄が下がる鳥居から参道に入ると広い境内地の真ん中に参道が神社に向かって伸びています。この参道には苔が敷き詰められていてフカフカ状態。本来参道は神様の通る道で端っこを参拝者は歩くものとされていますが、あまりに苔が立派過ぎて、踏むことが躊躇われ、参道の木や石を避けながら歩いてしまいました^^;まあ、礼儀にはかなってるんでしょうが、これだけ見事な苔の参道は久しぶりに観ました。。

旅行日 2018.08.12






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