太田の大栃 国内最大のトチノキ

前回に続いて七尾の寺院を書こうとしたのですが、どうも文章がまとまらず途中書きになったまま、、しばらく頭を柔らかくしてまとまってから書こうと思います。。

久しぶりに一里野に仕事で行ったのですが、予定よりも2週遅れたので、今年はイルミも観れずに終わってしまいました。蕎麦畑も終了した後。。。せっかく白山麓の奥まで来たんですから、ついでに白峰に寄り道してきました。白峰には何度も訪れていながら、白峰でも10数年から20数年ぶりの場所ばかりを再訪してきました。

白峰と勝山の県境は豪雪地帯で、今年の冬も国道沿いでも2メートル以上積もっていたそうです。そんな豪雪地帯の山間地には大木が点在しています。その中には樹種では国内最大の巨樹も存在します。「太田の大栃」。

ご近所ブロ友のgoさんがお気に入りの高山植物園の入り口を200m程、福井方向の谷峠に向かうと、堂埜森神社の社があります。この社が大栃へむかう山道への目印になります。
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この堂埜森神社は神社庁HPによれば、古来ここに堂があって守をなしていたところから堂ノ森と称したという。明治に神社明細帳に登載されなかったが、昭和23年に宗教法人になった白峰村内の八坂神社が管理者になっているようです。神社としては新しい部類ですが、古くから祠堂が置かれていたようです。主祭神は素戔嗚(すさのお)ですが、前述の様に、この先には勝山に抜ける最大の難所・谷峠があることから、旅人の安全を見守る手向(たむけ)神の祠堂だったと思われます。

社殿前には文学碑があります。
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北国白山 堂ノ杜  判官義経 雪ごもりの地  新平家物語 吉川英治  勧書

日頃、歴史好きを広言しておきながら、恥ずかしい話ですが、吉川英治作品はそこそこ読んでいるんですが、代表作とも云える新平家物語は2.3巻で中断したまま全巻は読んでいないんです。この堂ノ森に関しては正直知らなかった、、改めて読んでみないと解らないというのが正直なところ、、平家物語・源平盛衰記・義経記にはこの堂ノ森のことは載っていなかったと思います。とにかくまたの機会に。。
ちょっと気になるのは、最後の勧書? 謹書・謹写ならよく見かけます。謹書は字のごとく謹んで書かせて頂く、謹写は同じく謹んで経文を写経させて頂くという意味。。吉川英治の字とは思いますが、、勧書というのは見たことなし、勧告書ならあるけど、ご存知の方は教えてください^^;

新平家物語は7年がかりの長編連載小説で完成は昭和32年(1957年)、吉川英治氏は昭和37年に亡くなっています。大ヒットした仲代達也主演の大河ドラマ「新平家物語」は昭和47年。たまにCSで再放送されていますが、キャストの豪華さ・外部のロケは厳島神社の奉納シーンだけのオールスタジオ撮影という凝った作りは、大河でも5本の指に入る作品だと僕は思います。
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また横道に逸れちゃいました。その前を入って山路に向かいます。太田の大栃への道は、神社の向かいのこの看板が目印。。

まずは、岡上の講道場前まで急勾配を駆け上がる。。ここまでが舗装路
ちなみに、この講道場の名前は「和敬講中(わけいこうじゅう)道場」。建物前には和敬の碑と興如上人御手植杉の碑。。御手植えの杉は石化していますから相当古いことを示します。
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和敬は心を穏やかにして慎み、相手を思い敬うこと。茶道の心構えの四規「和敬清寂(わけいせいじゃく)」から、引用されていると思われます。「和」はお互いに胸襟を開き仲睦まじくすること。「敬」は尊敬の敬で、お互いを敬うこと。「清」は清らかさ、見た目だけでなく心も清らかであれということ。「寂」はいかなる時も動じない心を指します。
講は宗教的な集まりや結社を指しますが、主には神仏に集団で詣でたり、祭事を行ったりすることを指します。道場はその集まりの信仰・修行や会議場所を指します。興如上人の事蹟を前に置きますから、浄土真宗の講道場になります。太田村落の集会所兼公民館といったところ。
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山道・砂利道の入り口付近にある石仏の祠 途中途中には薪を積んだ置き場? 中間あたりに出作り小屋もあるそうです。道を見れば大型車や車高の低い車の人には不向きな道。。
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3.4キロなら車でなら近くと思うでしょうが、この間の標高差300m、大半が未舗装の細い砂利道の勾配路で凸凹だらけ、、
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前に来た時のキャパちゃんと違い、車底の低い愛車・フィット君には辛い道で車底や前面を打ちながら進むことになりました。車底やバンパーの低い車の人は、車での登攀は車に傷をつける覚悟が必要です。神社横の駐車場から登山が妥当かも^^;覚悟を決めて深い溝を避けながら進みましたが、それでも前回も停めた200メートル手前の小滝に車を停めて、残りは歩いて登ってきました。

険しい山道を登った先に「太田の大栃」は待ってくれています。苦労して登って来た甲斐がありますよ^^
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国指定天然記念物 太田の大トチノキ 平成5年(1993年)4月6日指定 

主幹 目通り幹囲 13m 直径 4m 樹高 25m 推定樹齢 1300年
主幹基部に東西3m・南北2.5mの空洞があり 

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幹周り 13m超は、トチノキとしては日本最大の大きさを誇ります。その姿は林道から見ても威圧感を感じます。
到着した時には先着に二人おられたんですが、二人が帰られて、その後1時間ほどいたんですが誰も来ず、ゆっくり鑑賞できました。まあ、行きも帰りも道の途中では車も人にも出会わなかったんですが、、、、
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白峰の名物に栃餅(とちもち)があります。他県にも栃餅の名物の土地がありますが、共通するのは山岳地帯で稲作に不向きな土地柄ということ。もち米や米に混ぜてかさ増しをしたというのが栃餅になります。
栃の実は栄養価も高く、古くから主食・保存食としても、栗・ドングリと共に多く採集されていました。北陸の縄文遺跡からも多く出ており、古くから食用にされて、主食の一角をなしていたのが窺われます。ただ、アクが強いのでアク抜きの手間がかかるのが難点でもあるんですが、そのかわりにアク抜きを施すと澱粉を簡易に摂取でき、保存にも適しているために、特に山間部では貴重な食料になっていました。
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白峰や白山麓地区は、冬の間は本宅で過ごし、春から秋にかけて山間に入って、出作り小屋で生活しながら山間を切り開いて耕作に従事していました。それは昭和30年代まで盛んに続けられていました。耕作地はその都度移動していたのですが、耕作地を切り開く際に行われていたのが焼き畑でした。白峰では焼き畑を行う際には樹木や灌木を切り開き、野を焼いて開墾します。切り開いた畑地は3~5年程、輪作に使用され、土壌の回復と樹木が再生するために10~25年程放置されて出作り先は移動するのですが、最大の欠点は年数を要する大木が残らないことになります。
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この太田谷地区の大道谷も例外ではなく、周辺は出作りの耕作地になっていました。そんな中で、樹齢1000年以上の巨樹が残るということは、貴重な食用のトチノキの群生地ということもあります。その貴重な栃の実をもたらすトチノキのシンボル的存在として崇められ、保存されて来たのだと思われます。
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太田の大栃は1300年という長い期間をこの地に過ごして来ていました。
ところが、地元のみに信奉され静かに佇む存在も、天然物指定を受けて、全国的に知られ見物客が増えてしまいました。また、以前までは空洞部に入ることも当たり前に行われていました。このために、根が傷み、周辺地盤が直接踏み固められ、悪影響を与えてしまいました。。
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元々、主幹の内部には人が20人も入れるような空洞が出来るような老樹に樹勢に急速な衰えが観られていました。平成15年(2003年)、木道の遊歩道を設置し、枯枝の除去、腐朽部処理、排水工事、施肥など、幅広く大々的な樹木治療が行われました。

このため、内部空洞は外側の穴しか見られなくなってしまいましたが、下から見上げると枝分かれした5本の幹から伸びる枝には多くの葉が茂るように樹勢が復活してきています。
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この大栃から100m強登った先には小栃木があります。別名は「太田の小栃」。今回も観に行こうとしたのですが、地面がぬかるみ雑草と灌木に阻まれてしまいました。以前観たのですが、その時の画像は行方不明。。今回は仕事ついでということもあって、スニーカーに履き替えてはいましたが、草木を掻き分けて進むような服装ではなかったので断念しました。天然物指定は受けていませんが樹高19m・目通り幹囲8.2mと全国クラスの巨樹です。機会があればまた紹介しますね。。 一応、林道の樹幹からチラリと見えるんですが、画像を見ても解らないでしょうね。。望遠があればなあと後悔しきり

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ここからは、雑学の部類になります。。栃木県の人が読むと気を悪くしそうなので、先にお詫びしておきます。悪気は一切ありませんので、悪しからず。。。

今回ご紹介したトチノキを名に冠するのが栃木県。古くは毛野、下毛野、下野国と呼ばれ、足利・日光・奥日光・那須高原・鬼怒川など日本を代表する歴史と自然を持つ観光県の一つです。
栃ノ木を冠するように、幼木の5枚葉の栃の葉、マロニエ(西洋トチノキ)など、県木として、イベントや交通機関なども大々的に打ち出しています。トチノキ=栃木県の印象が強く受けます。当然、栃木はトチノキから由来していると思ってる人がほとんどです。
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ところが、栃木の木と言えば、歴史的には檜(ひのき)の方が知られています。種類は少し違いますが、かく言う石川県の県木「能登アテ(档、ヒバ)」のルーツの一候補に那須の地が挙げられているほどです。ところが県名にもなり、国内に広く分布するトチノキの巨樹・名木は肝心な栃木県内では聞かないんです。

この栃木の名前の由来ですが別説があります。実はこちらが有力なんですが。、、
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栃木県の県庁所在地は宇都宮市ですが、明治の廃藩置県、その後の再編で宇都宮県と栃木県となり、明治6年(1873年)両県が合併、県庁は栃木県側の栃木市に置かれました。中途で一部地区が群馬県に編入されましたが、明治17年に県名はそのままに宇都宮に県庁が移され現在に至っています。つまり、栃木県の名前は栃木市(町)に由来するというわけです。

その栃木市の中心部に「栃木のお伊勢様」と呼ばれる神明宮があります。応永10年(1403年)栃木城内に創建され天正17年(1589年)に現在地に栃木の総鎮守とされた歴史を持つ神社です。
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その神明宮の本殿の屋根上の千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)。鰹木は本殿屋根の上部の丸太のような部材を云います。千木は屋根の両端に2本の垂木を交差させた飾部材のことです。

神明宮ではこの千木と鰹木を併せて千木としており、その数は10本。十(とお)千木(ちぎ)十千木(とちぎ)として町名にしたというものです。これにもう一捻りして、「」の旧字「」・・・千木に十を掛けると万の木というわけです。

栃木県では県名の由来は統一していないようですが、これが真相のようです。あくまで余談でした。

次回も白峰地区の栃ノ木を紹介しますねえ^^/~

旅行日 2018.10.13

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