和倉温泉駅周辺

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和倉温泉駅は名前の通り観光地・和倉温泉の玄関口になります。北にまっすぐ1キロほど進むと七尾西湾になり、左手に石川でも一番元気な温泉地・和倉温泉、右手に行けば能登島大橋を渡って能登島に行けます。駅から東に行くと古くからの漁師町の石崎漁港になります。和倉温泉駅の近辺も町名は同じ石崎(いっさき)町で漁師の町として繁栄してきた町です。

8月の第一土曜日には石崎奉燈祭といって、高さ12~15m、重量2トン、担ぎ手100人に及ぶ大奉燈七基を含む14基が担がれて練り歩く勇壮な夏祭りが行われています。能登のキリコ祭りでも最大規模の一つになります。元々は石崎八幡神社の夏祭りで京都祇園社の流れに沿った山車がメインだったのですが、明治22年(1889年)、度重なる大火の被害を受けて、輪島の古い奉燈を移入して奉燈祭となって数と大きさを増して最大規模の祭りになったものです。見所は直角路での角曲がりと乱舞狂演。。日本最大(体積・重量)の曳山の青柏祭・花火が海面を照らし出す七尾港まつりと並んで七尾三大祭りとされています。
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夏に嫁さんと行った輪島からの帰り道。。輪島の朝市通りをお昼に出て、七尾の山の寺寺院群に向かう途中、さすがにお腹が減って、立ち寄ったのが和倉駅前の喫茶レスト「はいだるい」外観は喫茶店ですが、カレーはもちろん丼物・うどんまで、ついでにコロッケや大きなエビ天までメニューだけ見たら、食堂そのもの。。

ちなみに「はいだるい」は能登の方言で「体がだるい。つまらない。しょうもない。」といった意味。汽車や車で疲れた時や夏場などの外回りでぐったりしたら休んで行けという意味ですかねえ^^;
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嫁さんが頼んだオムライス 理由は定かではないのですが、石川に来てからオムライスに目覚めたようでレストランにオムライスやハントンライスがあるとで十中八九注文しちゃいます。
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僕が注文した はいだるいカレー

もう20年ちょっと経ってしまいましたが、転勤族だった僕は松任市から滋賀守山に4年程いて石川に戻ったんですが、1年半ほどだけ繋ぎで七尾に住みました。
馴染みのない土地に引っ越した時に困るのが、引っ越し当日になります。引っ越したわいいけれど、大概が夕方から夜になってしまいます。七尾で住んだのは郊外の山の中の住宅団地、名前だけがハイカラな青葉台^^;でもブースターが無いとTVも映らない山の中。。
電気などは繋げても、コンロなどは荷物の中。。当然ながら、当日は外食になってしまうのです。何せ土地勘がないので、どこへ行けば良いのか解らずじまい。。

大概はどこかに向かえば何かあるもんなんですが、七尾は夜になると真っ暗、、この時は僕の感は全て大外れ。。道を走るごとに町の明るい所から離れ、お店もなければコンビニも見当たらず。。で、暗くなったところでやっとこ見つけたのが、この店でした。当時はレストランの大看板はなかったような。。たぶん。。店の内装はここだと嫁さんは言ってましたが。。。二人とも店の名を覚えてませんでした(そもそも見ていなかった)。。なにせ、早朝に滋賀を出てロングドライブで荷下ろし、、疲れ果てていましたから、、その後は仕事場とは反対方向で長らく入っていなかったんです。
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で、当時食べたのはシンプルにビーフカレーだったんですが、今回はメニューを観たら眼についたのがこれ。。そのものずばりの名前「はいだるいカレー」。後で聞いたのですが、けっこう県内のカレーファンでは隠れた人気がある名物なんだそうです。辛さも無しから大辛まで4種類。。注文を聞いてから作るので時間が掛かるとなっていましたから、のんびり漫画を読もうとしてたら、ものの10ページも読まないうちに出来上がってきました。
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見た目よりも具沢山、イカ・タコに野菜もたっぷり、ちなみに野菜は一度炒めてあるから、歯応えがあります。病みつきになりそうな味^O^ はいだるいなんてとんでもない言葉とは正反対^^ 和倉で汽車待ちの際にはお試しあれ^^


表は派手派手ですが、なかに入るとレトロモダンな感じ^^
また来たくなるお店の雰囲気と、また食べたくなる癖のあるカレーでした。
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はいだるいの駐車場の奥に大きな鬼瓦のモニュメントがあって、なんだろうと覗いてみたら、湧水を顕彰した祠堂でした。「湧水賛龍
説明書きもあったんですが、墨書で文字が滲んでいて、よく解りませんでした。。
面白い形の龍・牛・鼠の彫像。。そして漁業所縁の浮きガラス、、謂れを知っている人は教えてください^^;
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墨書を転記すると… 湧水賛龍 
悠久の時を静かに刻む■■ 長い日照りにも幾多の■■ 守り支え続けた■■■■ 七尾石崎町の称栄を祈■■ 清水右近ゆかりの地に祀る    萩田■■






推測するに、和倉町や石崎町は小さな岬のような場所で、七尾西湾に囲まれたところです。
基本的に海から近く、地下水も期待しにくい場所です。このため、あっちこっちに溜め池が点在しています。溜め池と言っても湧水よりも雨水を溜めているという溜め池のようです。
このため、純粋な湧水を発見するということは奇瑞ともいえる事だったと思われます。

ただこの湧水の謂れがよく解らないので、前述の様にもしご存知の方が居たら教えてください。大きな鬼瓦や祠堂の全体も撮ったはずなんですが残っていなくて申し訳ありません。
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はいだるいから500m程北上して右折すると能登香島中学校。H24(2012年)石崎町の香島中学と能登島の能登島中学が学校統合で名称が変わりました。
相撲が盛んな石川県ですが、その中でも相撲王国と呼ばれているのが七尾になります。そしてこの香島中学からは過去に幕内関取が三人輩出されています。輪島・舛田山・栃乃洋

ちなみに現役の輝(かがやき)輪島の遠縁で校区が同じ石崎小学校ですが、中学は金沢の西南部中学なります。まあ、輝も入れればこの狭い地区から4人も輩出していることになります。ついでに輝は穴水の少年相撲教室出身で、穴水出身の遠藤と同門になります。

能登出身というより石川県出身の横綱は、江戸期の文政・天保年間(1822~1835年活動)に活躍した6代横綱・阿武松緑之助(おうのまつみどりのすけ)54代・輪島大士 (ひろし、博)のみになります。阿武松は江戸期には人気力士で死後にも東京・金沢寺町・七尾小丸山に分骨されて大きな墓石があります。又生まれ故郷・鳳至郡七海村(現・能登町七見)に鵜川港の海中から引き揚げた4.5mの自然石、基部を入れると5mを超す昭和11年建立の顕彰碑があります。力士の石碑としては日本一の大きさと云われています。
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阿武松以来の横綱になったのが54代横綱・輪島大士。輪島の顕彰碑があるのが能登香島中学の東側道路脇になります。

輪島は高校(金沢高)時代から知られた存在で、学生時代(日大)に2年連続学生横綱・14のタイトルを取って、昭和45年(1970年)鳴り物入りで角界に幕下付出で入っています。その後3年半(21場所)で横綱昇進を果たしています。左を取った時の強さが光り「黄金の左」との異名を持って幕内優勝14回。初土俵からの横綱昇進記録の他にも大卒・本名での初の横綱という記録が残されています。他にも休場で休みが付きながら優勝という珍記録も持っています。(休場で優勝は千代富士もありましたが不戦敗のみ)

相撲はスマートで正攻法であまり変化がなく、左からの投げ技が多く、けれんみのない相撲でした。、高見山のような巨漢には敗戦も多かったのですが、それ以外にはとにかく強かった。。。
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石川県内では相撲取りになった輪島の人気は非常に高いものがありました。僕が初めて実物の輪島を観たのは、十両か入幕した頃ですから角界入りの年か翌年か記憶は定かではありませんが、津幡町で行われた相撲興行で、出世が早すぎてまだ総髪姿だった頃、小学生だった眼からも、相撲に観られるあんこ型ではない引き締まった身体は輝いて颯爽と見えたものです。今でも石川の人気を担った一翼とも云える人物でした。

相撲での活躍とは別に心や精神は子供のまま大きくなったような人で、私生活は豪放磊落。そのために金があれば使う。この為、金銭問題に巻き込まれて年寄株を借金のかたにするなどで親方を廃業しています。その後、全日本プロレスに転向するなど、タレントやアメフト監督などいろいろな顔を見せていました。それでも、石川での人気はけっこう高いものがありました。晩年は咽頭がんの切除で声を失い、その後の再発、闘病生活もあって姿を観られませんでしたが。。まさか、この顕彰碑を観た2か月後に訃報を聴くとは思いませんでした。享年70歳、黄金の左・蔵前の星と絶賛された横綱・輪島関のご冥福をお祈りします。
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少し離れた角地にあるのは栃乃洋の顕彰碑。

栃乃洋泰一(とちのなだたいいち)は子供時代から活躍、金沢出身で大関まで進んだ出島とは子供時代からライバルと云われていた力士で、高校も地元の七尾商業。拓殖大学3年で学生横綱になって、平成8年(1996年)幕下付出しで初土俵。8場所で新入幕。その後4場所で小結と駆け上がっています。しかし大関候補と云われながら、怪我により低迷しながらも上位をキープしていました。最高位は東関脇。しかし平成17年の大怪我から公傷の幕尻付出しで二場所連続負け越し、十両落ちからは一場所で復帰して幕内を4年維持したものの、平成24年引退しています。現在は親方・忠縄として春日野部屋付。
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性格は角界一の物静かで温厚と云われた性格で、能登人特有の性格。。但し、怒らせたら怖いのも能登人の特性。。趣味も読書と本人が言うくらい静かな力士。
加賀の方では、金沢出身で大関に昇進した出島の影響もあって、石川出身力士とは知らなかった人も多いくらい。地味ながら左下手投げは天下一品で、金星12個は歴代2位、不戦勝も10回で歴代2位、不戦勝の中には2日連続という珍記録もあります。これは地味ながら長く幕内(在位81場所)を続けた証明と言えます。
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顕彰碑の大きさ、碑文などを観れば一目瞭然ですが、地元の人気を集め、熱烈な後援会の会員も多かったようで、輪島を凌ぐ立派な顕彰碑になっています。

そうそう、たまたま昔に放送されたトリビアの泉を観ていたら、相撲アナウンサー泣かせの名前としてランキングされていました。栃乃洋(とちのなだ)と呼び捨てにするときはそうでもないんですが、栃乃洋関(とちのなだぜき)とすると、文字にすると簡単そうなのに、非常に読み辛くなるんだそうです。。声を出して読んでみると確かに^^;

県内では現在の高校相撲の有力校は金沢に移っていますが、輪島や栃乃洋の顕彰碑を観ると、能登からの巻き返しも大いにあると思わされました。。

旅行日 2018.08.18






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