小松天満宮 浮島・輪中堤 梯川分水路

前回の葭島神社の最後の方に、奥の細道の芭蕉と喧嘩別れした小松天満宮の能順を書きましたが。。。
実はその文章に天満宮の外観の画像を差し込むつもりでした。ところが文章がまとまらず余計なことを書き過ぎて、久しぶりの文字数オーバー><;
画像 葭島神社から小松天満宮
ちょうどこの辺りが葭島神社側の船着き場かと。。右に見える白い建物は社務所会館(梅林院)ですが、その手前の岸が天満宮の船着き場のあった位置でした。
今は葭島側は河岸の急な土手になっています。小松天満宮は急な河岸壁。どちらも船着き場の面影はないですねえ。おかげで、今は鳥の楽園^^;

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葭島神社河岸から小松天満宮東方
画像をアップしてもらうと解りますが、真ん中の大きな屋根が天満宮の拝幣本殿屋根、やや右に小さな切妻屋根が山門の屋根です。山門の前には明治初期までは約20m程の岸辺に船着き場がありました。右には小松大橋が掛かっており、そこまで河岸壁が続きます。


江戸時代、小松城の一角になる葭島神社(小松稲荷社五穀寺)の北岸小松天満宮の南岸に船着き場が設けられ、藩主や城代は参拝時には、船で梯川を往復していました。明治以降は河岸の改修で船着き場は消滅しています。現在は100m東方の小松大橋から回り込まねばなりません。。
画像 小松城側から小松天満宮西端
左の赤い橋は天神水管橋といって、水道水用の配管橋になります。この橋も以前は天満宮の西端の境内地を通していたのですが、今回の浮島工事で護岸が出来たおかげで、橋台が築けるようになったので、天満宮側を西に移動させて天満宮を外すように移動しています。先の小松大橋も天満宮の直近を東に移動しています。

画像             小松天満宮神殿裏 スダジイの大木
スダジイとしては巨樹の部類ですが、梯川の水位が上がったために左が根上がりして、右(神殿)に傾いていましたが、浮島化で左に土壌処理を施して修正を行っています。


小松天満宮を前に訪れた時は夕方から夜になってしまい、改修された河岸壁の全容が載せられませんでした。ということで、葭島神社で時間を喰って、外観だけになってしまいますが、ご容赦を。。。
      小松天満宮境内 西端
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梯(かけはし)川は古代から小松の扇状地や湖沼・湿地を構成してきた重要な河川です。先進的な新石器・縄文・弥生遺跡、巨大古墳群、加賀国府、加州三か寺や本覚寺などの真宗勢力など戦国中期まで加賀の中心地となった土壌を築いた礎です。
大日山を源にする大杉谷川、同じく大杉谷を源にする西俣川、大倉岳を源とする郷谷川の合流を本流にして、鳥越の火燈(ひともし)山を水源にする滓上(かすかみ)川、辰口丘陵を源にする仏大寺川・鍋谷川・八丁川などを支流として合流しながら、小松天満宮と葭島神社の間を大河として流れ、江戸期までは小松城を巻くように南に市街の中心を通って、木場潟から流れる前川と合流して日本海に流れていました。

小松市街地は、この梯川や前川によって造られた湖沼や湿地帯の上に造成された町になります。
小松市内に来られるとピンとこないと思いますが、小松の玄関口となる小松空港や小松基地は古くは湖でした。周囲が田園や野原に見えますが、人家がないのはその証明ともいえます。同じく、小松駅を中心とする市街地は古代には梯川と前川によって構成された湿原だったわけです。

そういう地形ですから高度は低く、海抜もマイナスから5m以下がほとんどです。
更に梯川の本流は水量の割に川幅が狭く、川幅や流域変更などの改修を施された現代でも、河口から12キロ圏内は市街地よりも高い位置の水嵩の川が流れていることになります。
この川幅の狭さは前述の支流の自然流入に支障を来すので、支流の合流点では雨期や台風で氾濫が頻発するという水害に悩まされていました。

明治には梯川の流れを小松城から北に真っ直ぐになるように変更し、前川との合流点を河口近くにしたり、河岸壁の嵩上げ、川幅を広げたりと、様々な改修を施して来ています。
国や小松市では小松天満宮と葭島神社を繋ぐ東の小松大橋を梯川の基準点として改修工事を進めてきました。今回の小松天満宮周りの水量調整の分水路もその一環と云えます。

昭和43年(1968年)の大出水の後、46年に一級河川指定を受けると、国・県・市による大規模な改修計画と改修工事が施されました。
当初の計画では洪水を安全に流すために、当時の川幅80mから120mに広げる計画がなされていました。この為、前回の葭島神社側を20m川幅を広げて、下泥・上泥町の一斉退去が行われたのです。ところが問題となったのが岸辺にある小松天満宮の存在と移転問題でした。
画像 小松天満宮 輪中堤 西端

小松天満宮小松城の鬼門の守護神社として造立され、小松城天守台・金沢城天守・卯辰山・越中守山城を繋ぐ鬼門の線上の位置にあり、加賀藩の歴史的意義を伝える重要神社です。また建物群も国重要文化財指定を受けています。小松城が天守台のみとなっている現在、小松市にとってはこの場所にあってこそ歴史的にも文化的にもシンボル的存在になります。

このために河川の改修工事としては異例の分水路方式が策定されて、平成11年(1999年)石川県知事決定がなされていました。その後、簡易的な分水路が造られていましたが、肝心の小松天満宮の浮島化計画は、前段階の周辺工事と小松大橋や天神水管橋の移設工事、用水路としての文田川の新設工事と大規模な改修、景観維持との狭間で、遅々として進まず、いつ終わることやらという感じでした。さすがに国重文の神社に手を加えるのは慎重・躊躇されていたと思われます。
画像 管理橋から 輪中堤東側 分水路

ところが、平成25年に1万人規模の避難指示・勧告の水害が発生。この水害の原因は集中豪雨とか大型台風の通過というものではなく、梅雨の水量増加が原因でした。平成29年にも1万人規模の非難指示・勧告が発生。。29年の避難勧告は僕も遭遇していて、営業の約束でお昼にお客さんの所に伺ったら[今避難指示が出たんだって、と云うことでまた今度^^/~ ]
帰りに小雨になった梯川の河岸道路を通ってみれば後2.3mまで迫る水嵩@@ 自動車学校の斜め向かいの工場跡地は内水(河岸土手の浸みだし)で水溜りが、、夕方、家に帰ってTVニュースを見ていたら小松自動車学校のコースは坂道発進の山の頂を残して水の中@@;
画像 分水路外側 防河岸道路から輪中堤中間方向
赤い橋が弁天橋


この避難勧告の事態は、前年の白江大橋付近の河岸の嵩上げで5mの上積みと、前述の簡易分水路による本流と分田川への配水で最小限の被害で済んで、大きな被害はなしというラッキーが重なったのですが、この事態で小松天満宮の分水路最終整備と浮島化が急がれ、一気に進んだという経緯があります。そして完成したのが平成29年9月30日。

ここまでの概要や浮島の上空写真も載るパンフレットが見やすい資料となっています。 
   ⇒ 金沢河川国道事務所・小松出張所(国土交通省・北陸地方整備局)のパンフ
これを観ながら、画像を見てもらうと、イメージしやすいと思います。

この工事によって梯川の平均水位は約10㎝ほど下がったそうですが、まだまだ不十分で更に上流部や合流部の護岸工事や川底・川幅の工事が行われています。ただ、古代どころか石器時代から近世まで続いた加賀の中心地。土地協議はもちろん、掘るたびに何か出る土地柄で、小松天満宮の工事が20年以上掛かったように長期計画になっています。
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画像 文田川(旧西川排水路)
左が能美・美川方向から右は市街からの用水路。
西川排水路は手取川水系の美川を流れる川ですが、この川を利用した美川から能美・北小松の農地を潤す西川用水や雨水の増量排水の排出路でした。この排水路を付け替えて延長したのが文田川になります。
右画像の左河岸に見えるのは天神水管橋の天満宮側の着地橋脚です。元は小松天満宮の境内地を通ったものを移動しています。現在はそこから管理橋まで分田川に沿って水管が埋設されています。


梯川は国産種の魚やメダカが生息する豊かな川です。分水路も川底にブロック、岸壁にも平場や穴など、魚の生息しやすいように工夫されています。
晴れた日に歩くと行く筋にも分かれた川筋と輪中堤、そして平地を遠くまで観ながら散策できる景観が醸し出されています。のんびり歩くと飽きないかも^^

旅行日 2018.03.08
※注 一応地図はアップしましたが、まだ浮島・輪中堤などは更新されていないようです。当然、分水路や文田川もないように見えることはあしからず。。

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