東町城(神岡城) 高原郷土館
高原郷土館入口 日当たりが良いせいか、城周りの紅葉は高木は散っていましたが外堀はきれいな紅葉でした。永禄7年(1564年)武田軍の支配下に置かれた江馬氏では、降伏した江馬輝盛は当主・時盛に替わって、越中松倉城攻めや高原郷の支城整備に東奔西走しています。北信・飛騨を任された山県昌景に防御能力の弱い江馬氏館を放棄させられ、越中・高山方向からの敵に対応するために将来の統治の本拠となる東町城の築城を命ぜられています。上宝道を見下ろすようにある東町城は小高い北面と西面を断崖とした要地になります。東町城址 外堀の紅葉天正13年(1585年)飛騨を攻略した金森長近によって、小山田小十郎なる人物が城代として入って高原郷を統治したと伝わります。元和元年(1615年)一国一城令により廃城破却されています。長らく農地として荒廃していましたが遺構の空堀・石垣・曲輪跡が地表に見られたと云われますが、昭和33年(1958年)も史跡指定を受けていましたが、昭和45年(1970年)に三井金属鉱業が神岡鉱山100周年として公園化して、模擬天守・模擬城門塀を建てています。高原郷土館(城が丘公園)は東町城址の敷地上に、二の丸に鉱山資料館・旧松葉家住宅(民俗資料館)、本丸最奥の石垣基壇上に神岡城模擬天守を建てて構成されています。整備事業を受けたものの遺構は以前のまま、空堀や石垣などは以前のまま残されていたそうです。上:東町城址 外堀東側中:右:外堀西側 外堀は土橋の両側と城寄りの土壁に20~30mほどまで石垣が施され、奥に見える住宅地の…
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