尾﨑神社

黒門前緑地と同じ並びの西側にあるのが「尾﨑神社」 塀垣や社殿が朱色に塗られていて、古風で落ち着いた神社が多い金沢の中でも異色な神社です。 寛永20年(1643年)、4代藩主・前田光高によって金沢城北の丸に建てられたものです。元々は金沢城内の北の丸は現在の尾﨑神社の裏面に当たる場所になります。 創建時は「東照三所大権現社・神護寺」と命名されていましたが、明治の神仏分離で現在の「尾﨑神社」となっています。明治8年(1875年)陸軍第七連隊が入場して金沢城が陸軍省用地になると、明治11年に現在地に移設遷座されています。 東照大権現社の名の通り、幕府からの許可を取り徳川家康(東照権現)を祀ったもので、日光東照宮から分霊を受けてを創建したものです。当時の幕府の大工頭・木原木工允を棟梁として呼び、金沢の大工・宮大工が施工。もちろん、金箔・塗装など材料は金沢産が多く使われており、象嵌や金具などの飾り細工は京都・金沢の名人・職人が集められたと云われます。加賀工芸は国内でも特筆されるものですが、この神社建築が始まりと云っても過言ではありません。ちなみに金箔は金沢が昔から突出しており、本場の日光東照宮の金箔は金沢産です。 全国各地に東照宮はありますが、東照宮建築としては本殿と拝殿を分離させるなど最初期のものとされています。また、北の丸の発掘調査から石瓦が発掘され、他に建物があったことが確認されています。 御存じのように、明治14年(1881年)陸軍金沢第七連隊の火の不始末で金沢城は三十間長屋、…

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黒門前緑地

金沢城の北西の出入口となる黒門。江戸期以前は西丁口と呼ばれていました。 金沢城の正門は尾坂口の大手門ですが、金沢御堂時代や佐久間盛政の居城時代はこの西丁口が正門となっていました。加賀藩時代には改修と共に尾坂口に正門が移っています。 この黒門の下通りにあるのが「黒門前緑地」 黒門前緑地は平成7年(1995年)までは、地方検察庁検事正官舎の敷地となっていました。 平成13年に官舎の一部と屋敷を囲んでいた漆喰土塀を保全するために公園化したものです。その際に、高峰譲吉の旧宅の一部を移築しています。 この黒門前緑地には江戸初期には、豪姫の住居があった場所になります。 豪姫は前田利家と芳春院(於松)の間の四女として誕生していますが、幼少期に子のなかった羽柴(豊臣)秀吉・寧々夫妻の養女となっています。秀吉夫妻に溺愛され15歳で宇喜多秀家に嫁ぎ二男二女をもうけています。ちなみに最後の女の子は豪姫が金沢に戻ってから生まれた子で、関ヶ原戦後に逃亡中の秀家と密会した時の子と云われています。 金沢に戻ってからは化粧料として1500石を受けており、前田家内ではそれなりの尊重と敬意を払われていたようです。また、敬虔なキリシタン信徒としても知られており、当然ながら再嫁の話は幾つか出たようですが、すべて拒否したと伝わっています。 キリシタン関係では、加賀藩には高山右近の影響でキリシタン武士が多くいました。これらの武士達からは洗礼名マリアということもあり、シンボル的存在になっていたようです。 宇喜多家…

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満願寺山 九萬坊権現 ~ 富樫大明神

前回の桃雲寺の記事の最後に紹介した九萬坊(くまんぼう)という天狗。金沢にはこの九萬坊を祀っている神社やお寺は幾つかあるんです。 有名所では珠姫の菩提寺・天徳院、寺町にある前田利家の娘・菊姫の菩提寺・西方寺。医王山にある山岳信仰のメッカ医王山寺などが知られています。特に知られているのが金沢東部の窪団地の頂上にある満願寺山にある「九萬坊権現」。 本殿とも云える奥の院は満願寺山の更に山向うの三小牛にある黒壁山にあります。こちらにも相当前に一度行っているんですが画像が無いので、春になったら再訪してご紹介するつもりです。 というわけで、今回は窪にある「九萬坊権現」です。 満願寺山は標高176.6m。金沢の東南部の高尾にあるお椀を伏せたような丸っこい山です。その山裾の斜面にあるのが窪団地という新興団地ですが、急な斜面で勾配のきつい坂道が多いことでも知られています。その頂上部に九萬坊権現はあるのですが、そこまで登るのには車が悲鳴をあげそうな斜面です。冬場の雪がある時期には登れない車があるため、平野の下部に駐車場を借りている住人も多いそうです。 そのような悪条件の地なのですが、この満願寺山の頂上部には古墳期前期の高地性集落跡、三基の方墳、更に隣の高尾山の高尾城の支城的な砦跡が混在していることが確認されているそうです。ですから、古から知られた場所にはなっていたようです。 高地性集落は平野部ではなく、生活条件としては悪条件な山頂や斜面に作られた集落です。主に西側に向いた海などを望める地に多…

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桃雲寺(とううんじ) 前田利家の墓守寺

金沢市の野田山は加賀藩主・前田家墓所を頂点にして、総面積43万㎡以上(東京ドーム敷地面積の10倍以上)・総墳墓数1万~2万と国内でも最大級の墓地となっています。 野田山墓地の始まりは、天正15年(1587年)前田利家の兄・利久を埋葬したのが始まりと云われていますが、やはり前田利家を埋葬したのが始まりと云って良いと思われます。その後、江戸期を通じて家臣団、武家、戦没者、一般民衆と裾野を広げ、現在の一大集合墓地となっています。現在も無縁墓の整理整備、新墓地の整備でさらに巨大化して行っています。 前田利家を始めとする前田家墓所の墓守であり、江戸期を通じて野田山墓地全体のの管理を行っていたのが、この桃雲寺(とううんじ)です。巨大な墓域の為、野田村の住民の多くが墓守となり現在も存在しますが、その一括管理を行ったのが桃雲寺でした。 慶長4年(1599年)3月に前田利家は京都で亡くなっていますが、跡を継いだ利長は金沢の宝円寺(現金沢市宝町)で葬儀を行い菩提寺としています。また利家を野田山の現在地に埋葬しています。 翌年の一周忌に併せて野田山の麓に寺を創建して、利家の墓守としての菩提寺を創建します。それが桃雲寺であり、創建時は「野田宝円寺」と呼ばれていたようです。 後に前田利家の戒名から名をとって「高徳山 桃雲寺」と改めています。その時期は定かではありませんが、三代藩主・利常が就任して、江戸屋敷に居た利家の正室・芳春院(於松)と利常の母・寿福院(千代、千代保)が交代して、芳春院が金沢に戻り野…

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石川県庁展望台

陽が落ちるのがすっかり早くなってきました。 久しぶりにお仕事で県庁に来ましたが、終業時間間際に滑り込みそそくさと用事を終わらせました。 窓から外を見るともう宵闇で暗くなっていました。そういえば、夕方から宵闇にかけて展望台に登ったことがなかったなあ(夜ならあるけど)、、、というわけで、帰りついでに最上階[19階)の展望台に登ってきました。夕方以降の宵闇に登るのは今年初めて^^; 石川県庁の展望台は地上80メートル。1~3月は午後7時までですが、通常は午後8時まで開放されています。 以前は夏季だけ8時まででしたが期間を延長したようです。 東西南北がガラスになっていて四方が眺められますし、周りに高い建築物が少ないので見晴らしも良いですから、隠れた夜景&デートスポットになっています。この日は平日の6時過ぎ喫茶コーナーに4人ほどいたけど、後は誰もおらず一人でゆっくり観られました。 宵闇の方が光が綺麗かもしれないですねえ。。暗闇より光が綺麗かもしれません。 まずは東方。。。。金沢駅・市街方面(PM17:29) 北方面。。。。。。。河北・津幡方面(PM17:30) ちょっとピンぼけになっちゃいました 西方面。。。。。。。金沢港方面(PM17:33) 南方面。。。。。。。金沢南・白山方面(PM17:35) 展望台ロビーは東・北・西には展示スペースになっています。現在は北陸写真展の入選作品展。拓本美術展。新幹線販促展示が行われていました。来週も児童絵…

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無量寺埠頭 護衛艦ちくま

連休で巷はあっちこっちでイベントが開催されていたようです。 ところが、我が家では嫁さんは仕事で不在。。日曜だというのに用事がないという父と娘が、ボケ~~っとTV見ながらお菓子を食べてる世界。。なんともはや。。 てなわけで、二人で暇つぶしのドライブに、そういえば二人でお出掛けは久しぶりだったなあ。。 まずは前日のTVのニュースで知った無量寺埠頭に到着 海上自衛隊の護衛艦「ちくま」の公開展示が昨年に続いて行われていたんですよ。自衛艦を無量寺で見るのは、3年前の多用途支援艦「ひうち」以来ですねえ。。 そこは僕も男の子ついついこういう展示は喜んで見ちゃいますねえ。一緒に来た娘も根は嫌いじゃないんで、ワクワクドキドキ。。(生まれて初めて自衛艦の艦上に立ったんですから) そういえば、金沢駐屯地や小松基地があるんで、航空祭や公開イベントとかで陸上部隊車両や航空機はナデナデしたことのある娘。でも、自衛艦を触るのは初体験。 護衛艦という名前から母艦や補給艦をを護衛するという印象を与えますが、航空母艦・戦艦を持たない海上自衛隊の中では大型水上戦闘艦艇の総称になっています。よく名前を聞くと思いますがイージス艦・ミサイル護衛艦、ヘリ搭載護衛艦もこの仲間です。 自衛隊の護衛艦は大きく分けると甲乙型の2種類あるんですが、前述のイージス艦・ミサイル護衛艦、ヘリ搭載護衛艦は甲型種別で外海・航洋性を持ったもの。 乙型種別は沿岸用護衛艦ともいえる存在です。「ちくま」もこの…

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如来寺② 大姫と光高 石仏群

(画像はH25.12.14のものです。)如来寺は①で書いたように加賀藩4代当主・前田光高の正室・清泰院(大姫・阿智姫)の位牌所であり、前田家に嫁い徳川系女性や将軍の位牌所となっています。当然、寺のあちこちには三つ葉葵の紋が配されています。 清泰院は水戸徳川家初代藩主・德川頼房の四女・阿智姫として生まれています。頼房の三男で水戸藩を継ぎ水戸黄門で有名な徳川光圀とは、腹違いになりますが一歳違いの姉に当たります。 5歳で三代将軍・徳川家光の養女として大姫と名を改め一年間養育され、6歳で前田光高17歳に嫁いでいます。 夫婦仲は良かったようで、光高は生涯側室を置かず(德川正室からの嫡子という考えもあったでしょうが、これは父・利常と母・珠姫の関係に感化さているようです。ちなみに利常が側室を置いたのは珠姫死後10年以上たってからです。) 二人の間には大姫16歳の時に江戸屋敷で長男・綱紀(5代目当主)が誕生しています。綱紀誕生を金沢で聞いた光高は父・利常と祝いの連歌会を開き喜び合っています。当時の家光時代、多くの大名改易が発生していますが、その多くの理由が後継問題でしたから、嫡子誕生は大きな喜びだったはずです。 その喜びが、いかに大きかったかを証明するように、直近の参勤交代では金沢→江戸の通常行程12泊13日間を、7日で歩くという歴代藩主最短記録を樹立しています。金沢・江戸間480キロ、しかも現在とは違いアルプス越えや橋のない急流40以上、また加賀藩の大名行列ですから規模も尋常ではないこ…

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椿原天満宮(椿原山砦跡)

先日、南米から戻った家ニスタさんのブログを読んでいたら、久しぶりのお城巡りをされていました。 昔の古城巡りですから、薮の中になっていたり、城の敷地や構造を利用して神社やお寺に変わっているものもあり大苦戦したようです。 僕も城跡巡りは嫌いじゃないですから、幾つかまわっているのですが、やはり寺社や薮の中はよくあります。中には古墳を利用して造られた城もあり、古墳調査と保存で城の遺構が解り難いものまであります。 しばらく、お城巡りをしていなかったんですが、一番最近、行ったというか立ち寄ったのが、この椿原山砦跡。 現在は椿原天満宮になっているところです。 前田家の加賀藩時代には、金沢の町と城の鎮護と防衛拠点として、正式な神官だけが常駐している神社が五つ存在しました。金沢城を囲むように存在したこれらの神社は、宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮 それぞれが浅野川や犀川、卯辰山や小立野台地と云った重要拠点に配置されているのですが、地図で見ると五芒星の形に配されているようにも見えます。現在も金沢五社巡りとして、神社愛好家や観光客に人気のコースになっています。 それぞれを簡単に紹介すると、、、、 ★宇多須神社(江戸期は卯辰八幡宮)・・・金沢城から北東の東山茶屋街を入った所にある神社。東に卯辰山、南に浅野川がある要衝です。また、加賀藩の武家屋敷が多く存在した場所です。この神社は金沢城からは鬼門に当たるのですが、幕府に隠れて藩祖・前田利家を神霊として祀っていたことで知…

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本龍寺 銭屋五兵衛の墓所

金沢西警察署を更に西に向かうと、江戸期に北前船の港湾として栄えた宮の越(金石)の町になります。 金石の交差点近くに古びた3階建ての建物がありますが、以前までは「銭五遺品館」として銭屋五兵衛の記念館がありました。現在は大野湊神社の近くの「大野湊緑地公園」内に「銭屋五兵衛記念館」「銭五の館」として移転整備されています。その建物から更に西に100メートルほど進んだ所に長い塀垣の寺院があるのですが、そこに銭屋五兵衛が眠っています。 寺院の名前は「本龍寺」。真宗大谷派(東本願寺)の寺院で、境内には同じ真宗大谷派の妙清寺があり、金石随一の敷地を誇っています。 本龍寺は正式名は「潮聲山 本龍寺」。 以前にUPしましたが、真宗の北陸布教の土台を作り、越中井波に瑞泉寺を開山した綽如の曾孫・蓮欽(瑞泉寺四世)が隠居寺として越中梅原村(現在の南砺市梅原 梅原護摩堂遺跡)に、文明元年(1469年)一宇を建てたのが始まりと云われており、慶長7年(1602年)にこの地に移転してきたそうです。 瑞泉寺の所縁を継承している為、本殿は秀逸な仏教彫刻がそこかしこに施されており、本殿伽藍も金石随一の大きさを誇っています。鐘楼もなかなか見ごたえがあります。通常は非公開ですが、庭園も江戸期を代表する物だそうです。瑞泉寺関連の寺院は真宗の中でも重要施設で、蓮如の遺骨を納めた蓮如塚があることも特徴です。 本龍寺には芭蕉の句碑があります。 小鯛さす 柳すずしや 海士が軒 松尾芭蕉は奥の細道の途上…

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法船寺 義猫塚

法泉寺は長町の武家屋敷とは道路を挟んだ向かい側にある中央通町にある浄土宗の寺院です。 前に書いた板屋神社(板屋兵四郎)の記事で書いた金沢の町の大部分を焼き尽くした「寛永の大火」の火元がこの寺院の門前の町家でした。原因が放火であり、しかも犯人は武家であったということ、原因も町娘への横恋慕。 金沢の町を総なめにした大火には、当時の藩主・前田利常には二重三重のショックでした。 その後、金沢の復旧が急速に行われましたが、現在の金沢の町割りはこの時に確定したものです。 当時、2代将軍・徳川秀忠が病中で急速な町割りと復旧、更に金沢城の補修は幕府からの謀反の嫌疑を受け(寛永の危機)、嫡男・光高共々に江戸に参府して弁明に努め、辛くも嫌疑を晴らしています。 利常にとっては憎んでも余りある放火犯ということ、、、、極刑にしたと思われます。犯人がどう処分されたかは不明。 ただこの場合には、管理・監視義務のある法船寺も大きな責任があったのですが、地所の返上に留まっています。これは当時の住職の母が前田利長の乳母ということが影響しているようです。利常は利長を最大の恩人として尊重した人物ですから。。(妾腹だった利常を、正妻に遠慮したと利家は6歳まで会おうともしませんでした。それを諫言し面会を実現したのが利長でした。更に子供がなかった利長は利常を養子として後継者としたのです。利常にとっては大事な兄であり、義理とはいえ父とも思う人物だったわけです。) 法泉寺は元々、尾張の犬山にあったものですが、前田家の移動…

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海月寺

江戸期、金沢の金石は宮腰(みやのこし)と呼ばれ北前船の母港として栄えました。 そんな金石の東方の一画に海月寺という小さな寺院があります。ここに銭屋五兵衛の三男・要蔵の墓があります。 以前、海の豪商と呼ばれた銭屋五兵衛を紹介しました→銭屋五兵衛記念館  銭五の館 海の豪商と云われた銭屋五兵衛ですが、その最期は悲惨なものでした。 銭屋五兵衛は晩年は家督を長男・喜太郎に譲っていましたが、喜太郎は生来病弱で性格も温厚なことから、銭屋の実権や方針は引き続き五兵衛が握っていました。そして、その意向を実践していたのは三男・要蔵と手代・弥吉が両翼となっていました。銭屋の没落の要因となった河北潟干拓事業も総責任者は要蔵が受け持っていました。 銭屋が加賀藩から責任追及されたのは、河北潟での魚の大量死、それを食べた漁民の死が銭屋の干拓事業の際の石灰と共に毒を投入したと疑われたことです。(数年後、河北潟の赤潮による毒素化と学者に証明されています。) 加賀藩の苛斂誅求な処置は情け容赦のないものでした。銭屋一族・使用人のことごとくが捕えられ入牢と共に厳しい拷問や追及に処されます。 千賀女などの奔走に同情した真龍院の助言などにより、長男・喜太郎が釈放(ただし加賀所払い)されましたが、時すでに五兵衛は牢死。しかし加賀藩の処分は厳しく銭屋は家名断絶・財産没収(家名に関しては後年、許可が下ります。)更に主犯格とされた要蔵と弥吉は磔刑。さらに一族・使用人など51人が斬死・さらし首となってしまいました。 …

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医王ダム

石川県の特に加賀地区は白山山系や医王山系といった山岳地から日本海や河北潟・木場潟といった湖沼に流れ込む河川の高低差が大きく、昔から暴れ川などと呼ばれる河川が多いのが特徴です。また、山岳が終わるとすぐに住宅地になるという特徴もあります。更にそれを過ぎると農地の扇状地という具合です。 そのため、昔から洪水対策となる治水ダムが多く存在するのですが、住宅のために堤防改修が高額になるため、上流で調整しようとする補助治水ダムというのも存在します。 今回ご紹介する「医王ダム」もそのひとつです。 このダムが医王山から流れる森下川(もりもとがわ)の上流にあります。森下川は医王山から北金沢を流れ、河北潟に注いでいます。 ダムのある二俣・荒山は山深くにあり、またダムも県道から脇に入った位置にあるので、県民も名前くらいで訪れたことのある人は意外に少ないかもしれません。 上流の治水ダムは山深い位置にあるので馴染みが浅いし、一歩間違うと生態系破壊にも繋がるので、建設には反対運動が多いのですが、訪れてみると自然の中にマッチしているものが意外に多いのです。 補助治水ダムは名前の通り、国補助が入っているのですが、基本的に県営のため地元の景観保存には力が入るのでしょうか。 医王ダムは北陸に多いロックフィル型のダム。 ロックフィルの良い所はむき出しのコンクリートが少ないこと。やはり山間でのコンクリートは違和感が多いですからね。治水調整の人工池もなかなかの景観です。 訪れ…

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板屋神社(板屋兵四郎)

金沢と云えば武家屋敷や老舗など加賀百万石の伝統と街並みを残している街。金沢城や多くの寺社が伝統文化を伝えています。特に観光客や市民が多く訪れる兼六園は水と緑が織りなす庭園が人気になります。 兼六園と云えば、霞ヶ池や瓢池(ひさごいけ)や噴水など多くの水で観光客を和ませています。ところがこの泉水の水がどこから来ているか知っている人は意外に少ないはずです。 加賀百万石文化が花開こうとしていた矢先の寛永8年(1631年)、長町武家屋敷の南西、法船寺門前の民家(現在の中央通町11)から出火、原因は武士による放火、俗にいう「寛永の大火」 江戸期を通じて金沢は大火に何度も襲われていますが、その最初の大火がこの「寛永の大火」。 この大火は南西からの強風に乗って、金沢の町を総なめにして、金沢城にも火が掛かり全焼、焼失家屋1万戸以上の大火となりました。金沢市の地図が大幅に変わり、現在の町割りになったのはこれ以降です。 もちろん強風による被害も大きかったのですが、消火の水がないことも大きな被害に拍車を掛けました。 特に金沢城中には井戸しかなく、堀はあっても空堀で水はなし。燃えるに任せた状態でした。過去にも落雷などで何度も金沢城は火災に遭っていました。その度に建物は燃えるに任せた状態で、金沢城に天守がないのも慶長7年(1602年)の落雷によるもので、それ以降幕府との関係上造れず、歴代藩主にとっては屈辱の一つでした。 そんな時に起こった寛永の大火は、金沢における弱点をさらけ出したものでした。 あ…

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二俣本泉寺

本泉寺は戦国期において、加賀一向宗の加州三ヶ寺として波佐谷松岡寺(小松市)・山田光教寺(加賀市)と共に中心的な存在でした。ただ真宗独立王国・百姓の持ちたる国と云われた時期は二俣から若松(現在の金沢市若松町)に移っていました。 二俣(金沢市)は山深い場所ですが、加賀から越中・砺波に抜ける最短コースにあります。江戸期には参勤交代もこのコースを通っていました。 浄土真宗は当時幾つかの派閥に分かれていましたが、戦国期初期においては主流は他派閥が大きく、現在隆盛を誇る本願寺派(東・西本願寺)が教勢を大きく伸ばしたのは、8代教主・蓮如になってからです。そして蓮如が最初に教勢を伸ばした地が北陸という地でした。 現在、宗教界で大きな勢力の浄土真宗・日蓮宗・曹洞宗の開祖死後の隆盛は北陸から派勢しているのが共通で興味深いものがあります。当時、仏教の本場は京都・奈良で、国教扱いだった高野山・比叡山でしたが、前述の三宗派それから時宗・臨済宗・浄土宗などの開祖も両山で勉強・修行した人達です。 この開祖たちに共通するのは宗教は特別な人間の物なのか、民衆には無用な物なのかという疑問から始めていることです。もちろん教義に関して修行や善行の必要性に対する疑問もですが。 当時の宗教は民衆の物ではなく、貴族階級の物でしたし、京都・奈良近隣では両山の影響力が強すぎて、独自の宗派や教えを延ばすのは排他的で難しかったというのが実情でした。その点から関西圏から近く、文化吸収には柔軟な北陸の地に避難・進捗は当然の流れだ…

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金沢南総合運動公園・バラ園 ~ 御仏供杉(おぼけすぎ)

今年(H23)は花が遅れてくれたおかげで、観る機会が多くて喜んでいます。 菖蒲はちょっと見れなそうですけど桜や藤は見れましたから、それとなんと薔薇も観ることができました。 今回(6/4)は金沢市にある「金沢南総合運動公園」のバラ園に行ってきました。 金沢南総合運動公園は第2回の国民体育大会(国体)に使用された陸上競技場・球技場・総合プールを中心にした運動施設公園です。 その他に芝生広場・ゲートボール場もあり、金沢市民の憩いの場になっています。金沢の居住・住宅地の中心にありますが、全くそれを感じさせない静けさもあり、散策にも持って来いの雰囲気があります。 この運動公園の一角に目的のバラ園があります。 石川県内でも人気スポットの一つになっていて120種・約1800本のバラが美しい花を見せてくれています。 見頃は5月下旬から6月上旬ですが、秋の9月下旬から10月上旬も見頃です。それ以外の夏場にも幾つか咲いています。 " /> バラにもいろいろな種類や色があるんですねえ。。写真にはないですがブルーに挑戦中の水色の薔薇もありました。それと各国のプリンセスの名を冠したものも多く見かけました。花の名前に疎い僕としては花の側に名前の立札があるのはとっても嬉しい。                           プリンセス・ミチコ 白山麓のミントレイノのバラ園も見ようと行ったんですが、こちらは山間にあるため、全くと言うほど咲いていませんでした。2週間後…

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ケーキです

H23.5 用事があって京都まで半日で往復の強行軍を敢行したんですが、福井・滋賀の雨は尋常じゃなかったです。前は見づらいし、車は水で滑るしで、あ~怖かったあ~疲れた 相変わらず高速嫌いで湖西経由で行ったんですが、湖西道路が無料になったんですね。京都に行くときは次回も利用しようっと 記事を全然UPしてなかったら、携帯やカメラに画像が溜まっています。 哀しいかな。。。記憶が。。。名前が出て来ない物があります。 そんな中から気に入ったものを、商品名はすっかり忘れたので店別に。。や、やばい店名も出て来なかったりして まずは野々市の「トゥール・モンド・chouchou(シュシュ)」 時期は未詳(不明ともいう)で、石川県では珍しいお洒落な外観のお店。外から見ると何のお店って感じで、初めて見たときは美容室だと思っちゃった。中に入ると、そのものずばりのケーキショップ 石川県産の材料にこだわっていて、五郎島スイーツポテト、バームクーヘン「金沢匠味」が主力です。新作を次々に出して、旧作がすぐ消えちゃうのが良いのか悪いのか、 数年前に「苺のロールケーキ」がヒットして名前が知られるようになっています。で、この時はこ…

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移動販売車 BOB HOUSE

3/6 仕事の合間に金沢大桑の本屋に立ち寄った際、店舗の前に停まっている移動販売車(ケータリングカー)が目に入りました OH!!久しぶりに出会ったなあこの車 こういった移動販売車、当たり前の風景になってきましたが、石川県内にはこの移動販売の車は30数種類が存在するそうです。この数は全国でもトップクラスなんだそうです。今はこの移動販売車を製造・改造する会社が各地に広まってきましたが、数年前までゼックという野々市の会社1軒がトップシェアを誇っていたそうです。それで地元に多いみたい。 そんな移動販売車の中でも人気のあるものがあるんですが、この日出会った「BOB HOUSE」はトップクラスの人気を誇っています。販売してるのはホットドッグ。これがなかなか美味しんだなあ。 日頃は小松や加賀の方に出没していることが多いので、なかなか食べられないんですよ。ほんとラッキーだったかも 今回はオーソドックスな「ボブドッグ」をば、からしタップリ、ソーセージもブッ太いし、むふっ そうそう、ここの名物は「スペシャル・ボブドッグ」といって、長さ35cmの巨大ホットドッグ。機会があったら是非どうぞ。 4/3 久しぶりの完全休養日、たっぷり寝ダメさせていただきました。 同じく休日で、昼まで寝ていた嫁さん。もそもそ…

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らーめん げたや

前回の日記のつづきです 砺波からの帰り道、すっかりあたりも暗くなっちゃいまして、途中で晩ごはんにしようということになりまして 嫁さんご希望の「餃子の王将」はあっさり却下 だって、家を通り越して行かなきゃ行けないんだもん と、いうことで入ったお店は「らーめん げたや」 金沢からだと我が家にいちばん近いお店 実をいうと、5年ほど前に出来たこのお店に最初に入ったのは今年に入ってから、存在はなんとなく知っていたんですが、近すぎて通り過ぎてたんです。 まあ、入り口が暗くて入りづらかったなんて言い訳を少し。 初めて入ったとき、一番ここを気に入ったのが娘 アツアツだけど、甘みがあって食べやすい いつも食べるのが遅すぎて、ラーメンなどは麺が水分吸って伸びることもしばしば ところがここのは思ったより伸びなくて、何よりいつもより早く食べられるんですよ 元々販売職出身で食べるのが異様に早い両親、二人が食べ終わってのんびりしてる中、一人寂しく食べてる娘にとっては嬉しい食べ物{%顔文字ファイトh…

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フュージョン21 (21世紀美術館内)

たまにお客さんと喫茶店やレストランで、商談や待ち合わせをするんですが、今回は美術館などと言う高尚な場所 といっても、美術館の中の喫茶店なんですけどね。 近頃は美術館内の喫茶店もお洒落なものになってきましたね。よい歳のおじさんには敷居の高いものに感じられるようになってきました。 金沢市内の美術館でも、県立美術館のパティシエの辻口氏の店がはいっています。洋菓子の店ですが和を基調にした落ち着いたモノトーンの世界です。 今日の21世紀美術館にもお店が入っています。こちらはそれとは正反対の白を基調にした店内です。美術館の造りが総ガラス張りなので、外の光が入るので昼間はとても明るい雰囲気です。 21世紀美術館は現代美術をメインにしていますから、館内外にも展示があって楽しめます。総ガラス張りの円形の建物なのでぐるっと一周するのもよいかも、芝生と緑に囲まれたゆとりのある雰囲気ですし、知事公舎の緑も雰囲気があります。 展示品も写真OKのものが多く有りますから、写メを向けている人も多いですよ。 21世紀美術館の喫茶レストは、金沢のケーキ洋菓子店のメープルハウスが運営するブライダルレスト・フュージョン21 東京の方には錦糸町駅のシュークリーム・ショップといえば解るかも 金沢ではケーキなどのスィーツショップとしての名が売れています。 で、今回注文したのが「ミルフィーユ」と「珈琲」 ミルフィーユ -…

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おにぎりのドライブスルー(おにぎりキッチン)

月末、月頭は仕事が毎回混むのですが、3日に嫁さんと娘を上越に連れて行く(6日には迎えに行くんです。)約束になっていたので、必死に開けるのに仕事を済ませていたのです。相変わらずの行き当たりばったりの仕事ぶりですよ あ~あ 3日間、家族無しの我家だったんですが、仕事が混んだせいか、羽を伸ばすこともなく無事に過ぎてしまいました ごはんも外食できず、結局は家でラーメン啜っておりました。侘しい 今日、迎えに行きます。なんて優しい僕 時間があったらどこか遊びに行きたいなぁ というわけで、12/3~6の日記です。 12/3 というわけで、無事?上越に出発することになりました 出発の日だというのに、3人しっかり寝坊してしまって出発も予定より2時間遅れ、道路も混んでいます。 いつもなら、車の中で食べるものを用意して行くんですが、何にもないので時間をずらしついでに、食料の調達に寄り道をしました。 んで、寄ったところは此処ですよ。    「おにぎりドライブスルー…

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もろみ蔵 大野

久しぶりに家族3人全員が休みとなりました。 前々からどこかに行こうと話していたのですが、間の悪いことに娘が熱を出しまして部屋の中でひっくり返っておりました。さて、そうなると手持ち無沙汰な父と母 どこか遠乗りしたかったけど、それも問題だし。でも、家の中でちんまりしてるのも嫌だったので、近くに2人で行こうということに、娘は布団の中でですから、そろっとでかけることに スキンヘッド仙台さんが作ったドリンクJAPANに投稿していたで見た人もいると思いますが、地元の醤油屋さんの運営するファーストフード店で買った醤油バニラシェイク。。 これを食べたとき(飲んだ?) 正直、醤油の味が強すぎると思ったんですよね。 もっとこれより美味しいものを知っている。僕と娘が嫁さんに話していたのです。それを覚えていた嫁さん。 「名前は知っているけど、まだ食べたことないなぁ。。。」 「ほんとに美味しいなら、そこに連れて行ってよ」 「あいよ。おまかせあれ」 で、到着したのは金沢の西端、金石の大野湊、大野は金沢の水揚げ漁港でもありますが、醤油製造でも有名な場所です。 県内の人には、お馴染みの醤油屋さん「直源醤油」…

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猿丸神社

営業で外回りをしていると、いろんな所でお客さんと会うんですよ。 普通は自宅とか会社が多いんですが、たまに面白い所?や何とも言えない所で待ち合わせたりします。 と云う事で、先週・先々週の待ち合わせ場所。。。を撮った所だけの紹介ですが、ほんの一部だけど。。。お客さんの前でははちょっと難しいのでネ。 まずは、金沢の片町スクランブル交差点、夜は賑やかですよ。 此処で待ち合わせ。。。車を近くの駐車場に停めて。。。しかし水曜なので店舗はみんな定休日 寂しく交差点の端っこで待ちましたがな 結局、写真の右の方にある(写真に入ってない)ミスドで。。。。 同じ日なんですが、以前upした尾山神社 その山門の左の脇に小さな路地がありまして、昔なつかしな感じの飲み屋横丁になってます。夜はちょっとした飲み屋横丁ですが、昼間に行くと何とも言えない寂しい雰囲気です。 飲み屋街で営業だから、相手は飲み屋さんと思うなかれ、目的地は看板のない美容院決して綺麗でお洒落な店…

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尾山神社

この日、仕事の説明会とセミナーがあって、1日金沢市内でした。 つまらない説明会とお勉強で、眠い目を擦りつつ頑張りましたよ お昼時間は各人自由と云う事で、久しぶりのお店まで行く事に。。。      てくてくと歩いていくことに 久しぶりに歩いてみると      金沢の中心街を通るR157の1つ西裏の道を歩くと、鞍月用水路沿いに静かな佇まいが続きます。      近くには武家屋敷もあります。 ノンビリ歩いて着いたのがここです。 「グリル くらつき」 前々からよく行ってたんですが、なかなかお昼時にいけなくてご無沙汰でした 此処のご主人は、お休みの時は獅子吼でハングライダーで飛んでます。         体は小さくて口数は少ないけど面白い人ですよ。                 まぁ、いつも厨房にこもっているけど。。         と、いうわけで、チャキチャキの奥さんが店を切り盛りしてます いつもの日替わりランチをば注文 今日は「豚のしょうが焼きとポテトコロッケ」¥800       しょうが焼きも大判2枚で今日は当たりかな 11:30に入店したので、店は空いていたので奥さんととりとめのない話をしながら完食{%顔文字ファ…

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喫茶 展望

本日は、お仕事は1件だけ     午前中は見積り作りで終わらせて、         午後から営業で石川県庁に      県庁の建物は今流行の真ん中が吹き抜けになっていますが、    これって夏は暑いんですよね。             ついでに冬はさむ~い。        無駄な建物と思っちゃうのは、僕だけですかねぇ    で、官公庁お得意のクールビズとかで、ノータイだけど、女の子はそれなりに格好いいけど    男の職員のダサさは何とかなりませんかねぇ。    相変わらず、ファッション性のないスタイル。。    シャツネクタイ、スーツスタイルの外来者とダサカジュアルの担当が    テーブルで話してる姿なんて最悪ですよ    外来の人間があの格好をしてたら、モロに胡散臭い目で見るんだからね    何とかして欲しいもんですよ。まったく さて無事終わって、後はトラブルがないことを願っ…

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珈琲 未完成

日記日 2007.06.16 昨日も昨昨日も暑かったけど、今日もアチ−イです。 雨が降らないのですよ。こちらでは、、、、ス、水分が。。。 朝、TELしてきたお客さんと金沢の電車野町駅前の喫茶店で待ち合わせてまして、店名「未完成」です。 ここの店はもう30年以上も前から、女手1つで営業してらっしゃいます。女マスターさんも70代でお婆ちゃんですけどね。来店客も近所のじい様、ばあ様が多いです。コーヒーの味もイマイチなんですが、お婆ちゃんの話が面白くて意外に外回りの営業さん(ベテランばっかり)も午前中に来ています。 この日は土曜という事もあってお客さんは僕一人だけ、待合せの相手も1時間遅れると連絡してきたし、結局おばあちゃんとノンビリ茶飲み話に徹しておりました。 話はあっち飛びこっち飛びして、あっという間に1時間半。。。;遅刻してきたお客さんを入れて更に30分。なんと2時間も飽きずに話してましたね。。。 たまにはこういうのもいいですね。。 さて、それから吉野谷のお客さんの所へ行きまして、お仕事終了{%上昇…

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一気に満開@@

先々週末(4/6.7)は4月だというのに雪が降りまして、「お~~さぶい!!」どこも桜は蕾は膨らんでいたのに咲いた所はなし>< こりゃ、当分駄目だなと思っていたんですよね。。 ところが翌日から一気に気温が上がっちゃいまして、8日には金沢の標準木も開花宣言^^ さらに暖かい日が続いて、金沢地区の平野部は満開になっています。兼六園の辺りでは花見客がぞろぞろ。。 獅子吼など平野から見える小高い山には雪がかぶっているけど、もうすっかり満開状態^^V 例年より一気に咲いてしまったせいか、赤みには欠けるけど桜の花を見ると、やっぱり春なんだなあと感じる今日この頃。。 仕事が混んでしまって、まだお花見ドライブには行っていないけど、道路を走っていると満開の花が観られます。 ちょっとの合間に撮った桜の風景です。写真だけでもご披露を^^V 神田交通公園 金沢合同庁舎・西神田庁舎のお隣にある公園です。奥まった場所なので意外な穴場。完全に満開状態でした。4/13 黒門緑地の桜 豪姫の屋敷跡の桜です。ここには高峰譲吉の旧屋敷が移築されていて、ここの桜はワシントンのポトマック河畔の桜を移植したものです。4/13 兼六園下から金沢城の桜4/13 金沢城大手掘通の桜4/13 国道157号線 鶴来町の国道並木 まだここは五分咲きです^^;4/14 UP日 2012.4.17

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合体

前の記事の「消防学校」の帰り道。 http://72469241.at.webry.info/201210/article_3.html こんな物を観てしまいました@@ 2台の同じ車を合体させたモニュメント。実は廃車買取・中古車部品販売の会社の入口に高々と立っています。横に会社の看板があったんだけど、こっちが目立ってて思わず見入っちゃいました。 さすが、車関係は凄い@@ 廃車かあ。僕の車も限界に近づいてるし、考えないとなあ^^; 旅行日 2011.8.17

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松根城址

加賀と越中の国境を繋ぐ街道は、倶利伽羅山の側を通る北国街道が表街道でした。それに対する裏街道が小原越道と云われる道です。 現在の金沢・森本駅付近から砺波に繋がる国道359号線と福光に繋がる304号線に沿い途中、両国道の中間点を抜ける感じの道です。同じ山越えでも倶利伽羅越えに比べて遠回りでしたが、起伏が楽だったこともあり、江戸期以前は物資の往還は小原越道が主になっていました。 松根城は小原越道を取り込むように、国境となる砺波丘陵に沿って作られた重要拠点でした。 文献としては源平盛衰記に源義仲が陣をここに置いたというのが最初です。その後、南北朝では南朝方の桃井直常軍が陣を置いたという記録があります。戦国期には一向宗の持ち城となっていましたが、戦国末期には佐々成政の持ち城となって加賀に対する前線基地になっていました。 その後、豊臣秀吉の佐々征伐の際、前田利家の重臣・村井長頼によって近くの朝日山城と共に攻略を受けた際に、佐々方の放棄により落城。その後は一国一城令により廃城になるまで村井長頼の持ち城なっていました。 現在の城遺構は佐々時代に作定されたものですが、虎口の二重隠しや枡形、竪堀や土塁を多用して三つに郭を連郭式にしたものです。城跡は綺麗に整備されていて自然公園として整備されており、城内の道も木チップを使っているので歩きやすくなっています。 連郭の一番高所となる松根山頂(標高304メートル)にある本丸からは能登・加賀・越中方向が開けて観えます。眺望も良く特に加賀方向は天気が…

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松風閣庭園

金沢城と兼六園の間を通るお堀通りを南下して広坂の交差点から先は「本多通り」と呼ばれています。左右に広がる本多町・下本多町・出羽町があり、21世紀美術館・県立美術館・歌劇座・北陸放送・社教センターなど金沢の文教地区になっています。この3町は名前が示す通り、加賀藩の一番家老・本多家の所領・屋敷地があった場所です。本多家は所領5万石、本多政重の最盛期には7万石で下手な大名より大きな石高を誇っていました。 加賀・本多家の創業者は「本多政重」。戦国末期の武将で波乱万丈の過去を持っています。父親は徳川家康の軍師・謀将と呼ばれた本多正信でその次男です。もちろん、最初は父と共に徳川家に仕えていたのですが、徳川秀忠の乳母・大姥局の息子・岡部荘八を惨殺して出奔し、大谷吉継・宇喜多秀家・福島正則・前田利長・上杉景勝と主に徳川の敵対勢力に仕えています。関が原では西軍の宇喜多軍の右翼として戦っていますし、上杉家では直江兼続の婿養子として親子関係になっています。 加賀藩に移っても上杉・直江家とは親交が続いており、加賀前田家に復帰後、本多家の家臣の半数以上は両家の出身者が占めています。 その本多家の中屋敷側にあったのが「松風閣庭園」です。 この辺りは本多の森と呼ばれるように原生林もある緑に恵まれた場所ですが、元々あった池を中心に2200平方メートルの規模の回遊式庭園です。国の有形記念物にも指定されています。 池の名前は霞が池、その中に蓬莱島、といったように兼六園に似た形式名称です。5代藩主・前田綱紀が創始した…

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鈴木大拙館

昨年(H23)10月に開館した「鈴木大拙館」に行ってきました。 鈴木大拙は宗教の研究家として海外にも広く知られた人物です。 特に「禅の研究」「禅に生きる」はベストセラーとなり、海外にZENが普及したのはこの人物の功績とされています。 鈴木大拙はこの記念館の近くの本多町内で生まれています。本名は貞太郎。記念館前の住宅路を進むと生家跡があります。 金沢四校(現・金沢大学)に入学しましたが困窮のため中途退学しています。しかしこの間に同窓生で後の有名な哲学者・西田幾多郎、国文学者・藤岡作太郎と出会っています。この三人は県内でも有名偉人で「加賀の三太郎」と呼ばれる存在ですが、後年も仲が良く終生の友となっています。藤岡氏は41歳と若く亡くなっていますが、西田幾多郎とは晩年は同じ鎌倉に居宅を構え、親交は西田の死まで続いています。 西田幾多郎については以前記事に書いていますが、京都の「哲学の道」は幾多郎が哲学を思索しながら散歩した道のことです。興味のある人はこちらをどうぞ 西田幾多郎記念哲学館  http://72469241.at.webry.info/201209/article_7.html 大拙の名前は東大再入学後(21歳)、臨済宗・鎌倉円覚寺に師事して受けたものですが、臨済宗以外の真宗の大谷大学の教授職や神智学徒にもなっているなど宗教宗派にこだわらず研究家と普及化に勤めています。 ちなみに円覚寺では、終生の伴侶となるベアトリス・レインと出会っています。ただし二人の結婚…

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