大野湊神社

今年(H24)の初詣は久しぶりにこの神社にやってきました。 「大野湊神社」は、名前の通り湊町の大野・金石の守護神社として崇敬された神社です。現在も航行安全や金石町の総神社として存在しています。 また表参道の入口鳥居が金沢西警察署の横にあるので、交通安全のご利益があるとして人気があります。 創建は神亀4年(727年)と云われていて、創建当時は金石港の宮腰の佐良嶽に鎮座していたと云われています。平家物語にも地名が載っていますが、源義経が東北への逃避行の際、安宅の関からここまで来て一泊したという伝承があります。義経はここから鶴来の金剣宮に詣で鶴来街道から倶利伽羅越えで向かったとも、宮腰から出帆し能登で嵐に遭ったとも言われています。 その後、佐良嶽の地は度重なる嵐と浸食で神社ごと海中に没したと云われていますが、再建後の鎌倉時代中期・建長4年(1252年)に社殿が燃え、現在地に遷座したそうです。南北朝・戦国期は戦乱で荒廃しましたが、天正11年(1583年)前田利家が任国・金沢入城の際に宮腰の湊から入り大野湊神社で兵を整えたことから崇敬を受け、社殿再興や寄進を受けて復興、その後北前船による金石の隆盛で発展した神社です。 大野湊神社には大小の祭礼がありますが、人気のある祭礼が二つあります。 一つが毎年5/15に境内にある能舞台で行われる「寺中の神事能」。前田利家が寄進して本殿が復興後、元々舞楽が行われていたものが神事能として再興されたのが始まりですが、慶長9年(1604年)に前田利長…

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弁慶謝罪の地 堂林寺跡

安宅の関に行ったので、せっかくなので「勧進帳」の完結の地にも立ち寄りました。 根上町と美川町の境には昔、道林寺という寺院がありました。 根上町の体育館の脇道を入り、公民館の前広場に記念碑があります。 ちなみに根上町はスポーツ教育が盛んな土地柄で、格技館や町営グラウンドも充実しています。今年アスレチックスに移籍した松井秀喜の生家も近く。こんな土地柄もメジャーリーガーが生まれたのかもしれません。 計略の為とはいえ、主人の義経を杖でぶん殴った弁慶が涙にくれて、謝罪をしたのが堂林寺と云われています。 ここで休息を取っている義経一行に、後を追って来た富樫が酒樽を振る舞い酒宴を催しています。しかし、疑った弁慶が舞を舞う間に義経一行を先行させ、自分一人が残って富樫に礼を申し上げて立ち去ったそうです。 この行為に激怒するかと思いきや、富樫はこの主人思いの弁慶を優しく見送ったそうです。その後、義経主従は東の鶴来の金剣宮に、北の大野湊神社に向かったという2説があります。 ちなみに富樫は、名前は「富樫左衛門泰家」。安宅の関守となっていますが、この時は加賀の守護に任じられていました。 この安宅の一件によるためか、義経逃亡後解任されて出家しています。 更に後日談があって、彼はその後、一族で奥州平泉に行き、義経との再会を果たして加賀に帰国。現在の金沢の隣町の野々市に本拠を構え、長寿を全うしたそうです。野々市に本拠を構えた富樫氏は、建武の新政時に加賀守護に復帰しました。その後、一向一揆との確執…

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安宅の関址

安宅住吉神社の敷地には「安宅の関址」があります。 能・文楽の「安宅」・歌舞伎の「勧進帳」で有名です。奥羽逃避行中の義経・弁慶一行12名と関守・富樫との問答など人気技芸です。その舞台がここになります。弁慶たちの難関突破にちなみ、安宅住吉神社は学業やスポーツなど受験生・選手などに人気があります。 弁慶の智勇・富樫の情・義経の忍として昔より人気があり、義経記などの読み物・能・文楽・歌舞伎と共に多くの俳人や作家の題材に成っています。 特に歌舞伎は200年以上の歴史の「お旅まつり」の曳山子供歌舞伎・全国子供歌舞伎・秋の中学生勧進帳など小松は歌舞伎の町に成っています。平成16年には本格的な歌舞伎舞台を持つ「芸術劇場うらら」も開館しています。こけら落としには市川団十郎が弁慶、坂東三津五郎が富樫、中村芝雀が義経を演じ、安宅の関公園の入り口にある「勧進帳ものがたり館」に3人が演じた際の衣装が展示されています。 安宅の関の入り口は神社を廻り込んだ海辺にあり大きな門が目印ですが、この門を潜るとすぐ左手に歌舞伎「勧進帳」の像があります。 この像は昭和41年に造られた物ですが、当初は弁慶と富樫の2体でした。平成7年に作者の都賀田勇馬氏の息子によって義経像が作られました。 弁慶と富樫にはモデルがいて、弁慶は七代目松本幸四郎(現市川団十郎・松本幸四郎の祖父、海老蔵・染五郎の曽祖父)富樫は二代目市川左団次です。 像の前を登ると義経と富樫を祀った「関ノ宮」ちなみに右が義経で左が富樫です。ここをさらに登…

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安宅住吉神社

今年(H23)の初詣は「安宅住吉神社」に行ってきました。 「安宅住吉神社」は創建872年の古い社です。 安宅は北陸道の港町として古くから栄えた場所です。戦国期の戦艦にあたる「安宅船」の名の元となったという説もあります。神社も海沿いにあり、海の守り神として昔から尊宗されてきました。 この神社は県内の受験生には、金沢の「金沢神社」と人気を二分しています。「金沢神社」は加賀前田家の祖先「菅原道真」を祀ったものですが、こちらは難関突破として人気があります。 その元になったのが、能の「安宅」、歌舞伎の「勧進帳」で有名な「安宅の関」が敷地内にあるためです。お馴染み、義経・弁慶一行が奥羽逃避の途中、安宅関越えの知略と関守・富樫の情を伝えたものです。難関を見事通った弁慶の像も境内の稲荷堂の前にあります。また、表参道の途中には、関通過の際、弁慶が植えた「逆植えの松」があります。 神社とは関係ありませんが、「君が代」の「さざれ石の巌となりて」の「さざれ石の巌」をご存知でしょう。岐阜の揖斐川・春日の「さざれ石公園」にあるのが元なんですが、岐阜から寄贈された「さざれ石」がこの神社の表参道の駐車場にあります。表参道の駐車場は車を停める人が少ないのですが、立ち寄ってみる価値はありますよ。 旅行日 2011.1.4

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尼御前岬

ここは北陸自動車道の加賀ICと片山津ICの間にある尼御前SAの横にあります。そして、橋立港への入口にも当たります。橋立港で水揚げされる加能蟹(ずわいがに)が最上級と言われています。石川で蟹を食べるなら、ここが一番のお奨めです 尼御前岬の云われは、奥羽に逃避行中の義経主従が安宅関を前にして、主従の中にいた尼御前という尼さんが「安宅関の厳しさや旅には女は足手まとい」と言って、岬から身を投げた場所と言われています 石川県内には、こういった義経一行の伝承地が数多くあります。                まずは、駐車場に車を停めると、松林と芝生が出迎えてくれます。そして、遊歩道をテクテク 切り立った断崖と風光明媚な海岸線があって、結構人気スポットなんですよ。SAからも歩いて入れます。 但し、崖や遊歩道が一部崩れたりしているので、立入り禁止や回り道が一部あります。でも、結構人が入ってるんだけど。。。。すみません、僕も入っちゃいました。。。。 入っちゃうと足元に断崖が、落ちたら一巻の終わりです。なんせ下は、まったいらな石場と海があるのです。良い子は入っちゃ駄目ですよ 侵食された海岸線が、美しい風景画を思わせる景色です 海岸に突き出した地点…

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