竹松海岸 ハマナス群生地

竹松海岸河口部 右が倉部川、左が屋越川 白山市(旧松任市)の北西端、手取川扇状地を構成する手取川の支流、倉部川と屋越川の河口にあたるのが竹松海岸です。白山市の松任美川線から金沢の専光寺健民海浜公園の中を走るバイパス「しおさい道路」の入り口にあたります。この竹松海岸は河口ということもあって、多くの釣り人が訪れています。 そして、大正・昭和初期には県内随一といわれたハマナスの群生地としても知られていました。 ハマナスと云えば、僕らの年代にはこの歌がすぐに思い浮かんできます。知床=北海道のイメージが強く、北海道の道花にも指定されていますから、ハマナスと云えば北海道。。しかし北海道はもちろん東北の海岸線、日本海側の砂浜や砂丘に昼顔と共に観られる花になります。 石川県内でも、かほく市(旧七塚町・七塚海岸)、内灘町(権現森)がよく知られていて、両市町の市町花に指定されています。他でも白山市(旧美川町・小舞子海岸)、能美市(旧根上町・大浜海岸)が群生地として知られています。僕の子供時代は家から距離はありましたが七塚海岸の白尾に行っていましたが、海と云えば海水浴メインでハマナスや浜昼顔が咲く時期には滅多に行かず、咲いている姿は数えるほどしか観ていませんでした。それでも可憐な花は記憶に残っています。 とはいえ、お肌がデリケートな僕は日焼けが大敵でして、、ウン 誰かそこで鼻で笑ったでしょ 顔は慣れ…

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西保海岸~間垣の里~男女滝

奥能登観光では、のと里山海道から輪島を起点にする人が多くいます。輪島から曽々木海岸を観ながら、珠洲の方に向かうのが一般的な観光コースになっています。輪島から棚田が美しい白米千枚田、御陣乗太鼓の名舟海岸、風光明媚で奇岩の多い曽々木海岸、昔ながらの揚げ浜式製塩の珠洲塩田村の仁江海岸、大谷の鯉のぼり流し、白亜の禄剛埼灯台など見どころ満点の観光コースです。輪島を起点にした方が左手に海岸線が観られ、道の途中に道の駅・ポケットパークも多く休憩や食事処も点在しています。 ところが西に進むとこれといった施設がなく、門前市街に着くまでお食事処もほとんど見当たりません。更に海岸伝いの県道38号に至っては、海岸線を進んで山岳地帯に入ると人家もほとんどなく、交通量も少なくなります。山岳特有の狭く曲がりくねった峠道とはいえ、猿山灯台の手前まで海岸沿いを走れるので、美しい景観が観られますし、何といっても西に海が広がるために、晴れた日に行ければ海に沈む夕陽も観られます。 西保海岸は日本海の強風をまともに受ける為、地形が峻険なものになっています。80mに及ぶ断崖や「ぞうぞう鼻」「夫婦岩」の奇岩が観られます。所々の突端からは天気が良ければ、広がる日本海に七ツ島や舳倉島が遠くに観ることができます。右の画像はちょっと解りにくいですが、UPすると七ツ島と舳倉島が観えます。 能登半島は日本海に突き出た半島の為いろいろな海岸風景が観られます。その中で僕個人の一押しの海岸風景といえば、入江に降りる峠道途中から観る断崖が続く風景と…

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白米千枚田

遅れてしまいましたが、皆様、明けましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたします 昨年は、年末にひいた風邪をこじらせて、完璧な寝正月で年末を含んで約一週間、布団の中で過ごしたのを思い出します。おかげで、20数年ぶりに初詣にも行かずでした。。。更にぶり返しや体調不良で半年近く苦しんで、仕事以外はほとんど大人しくしていました 新年を迎えてみると、嫁さんが参が日は仕事で昼間は不在、娘も自分の趣味でお出掛け、TVの駅伝を観ながらのんびり書類整理や部屋にたまった紙の分類で過ごしていましたが、すっかり出不精で部屋に籠っておりました。けっこういらない書類やパンフレット類が出てきますが、懐かしい物も多くついつい見入ってしまって、遅々として進みませんでした。。 昨年、初詣をしなかったこともあって、今年はなんとなく一人で出かける気にもならず、自堕落に籠った状態で食っちゃ寝の世界に埋没していました まあ、元々が混雑した場所が嫌いで、毎年初詣は4.5日にしていたんですから、たいして例年と変わらない感じなんですがねただ、今年は参が日に土日が絡んで、4日から仕事始め。例年よりお正月気分が薄く感じます。 4日の仕事始めで夕方近くに家に帰って、休日の二人を連れて初詣に行…

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加賀海岸③ 橋立港 恵比寿神社

大聖寺川の河口の塩屋浜から橋立港にかけての塩屋町・瀬越町・橋立町は、かつては浜方(はまかた)と呼ばれ、北前船の船主を輩出したことで知られています。最盛期には48名の北前船主がこの地区に存在したそうです。特に橋立には30名の北前船主が居を構えたと云われています。 大聖寺藩は以前に紹介していますが、中期以降は莫大な慢性赤字を抱えて苦しんでいましたが、幕末まで存続できたのは北前船主の隆盛が寄与したと云われています。また、明治にも北前船の隆盛は続き、橋立には赤瓦の屋根や石畳・石垣の豪壮な船主たちの屋敷が立ち並び「日本一の富豪の村」と呼ばれていました。 加賀で有名な北前船の基地となった大野湊や宮腰湊は、金沢という大消費地を抱え荷の揚げ降ろしが行われるために港が整備されていましたが、橋立湊は寄港地であり宿営地のため岩場海岸のまま天然の良港として機能していました。 北前船の衰退と共に天然の湊では、遠洋航海の寄港地や沖合漁業基地としての転用が遅れ、昭和期には大きく衰退して忘れられた地になってきました。また、単調な海岸線における漁港の整備は厳しい物があったと云われています。 ところが、この浜方の沖合には蟹はもちろんですが、多種類の魚介類の好漁場があるために漁業地として注目を集めます。藩政期には北前船が注目され、漁業には注目されていなかったのですが、この好漁場を抱える浜方地区は天の恵みに恵まれていたといえます。 前述のとおり、藩政期から明治にかけては北前船の停泊地でしたが、明治から大正にかけて、県や…

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加賀海岸② 泉浜

橋立には大聖寺藩を支え、明治の初期まで海運を担った北前船の船主や水主達の住まいがあり、現在も見事な館が観られます。また、橋立港は蟹の水揚げ地として県内でも特別視されています。橋立港の近辺には蟹が食べられる、食堂や旅館が立ち並んでいます。 橋立港の少し西方にジゲ浜と呼ばれる地があります。橋立の北前船はジゲ浜の沖合に船を停泊させて、荷の揚げ降ろしを行ったり、自宅で過ごしたそうです。 現在のジゲ浜は浸食によって崩落が発生して立入禁止になっていますが、禁止ロープの場所からでも海が見渡せます。 ジゲ浜には西出朝風(にしでちょうふう)の歌碑が建てられています。あまり聞かない名前だと思いますが、口語文の自由詩運動の先駆者の一人です。現代の解りやすい用語や五七調からはみ出した和歌・短歌・俳句・自由詩の先駆者と云えます。 廣重の 藍よりすこし 濃い色の 故郷の海に 逢うたけれども     西出朝風  昭和6年 春 横の銘碑 ・・・ 西出朝風(一八八五~一九四三) 当地、北前船の大船主家系に生まれた。 文学を志して東京へ出たのち、現代語による短歌を提唱し、口語短歌雑誌、歌集を発行するなど世のそしりにも屈することなく口語短歌の復及に努めた。また、新聞に口語歌壇を設け、多くの門人を育てた。その先見の明と勇気は北前船魂に通ずるものであり、北前船の社会的貢献と共に長くたたえたい。                              平成十八年十一月   橋立町民と有志がこれを建てた …

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加賀海岸① 加佐の岬

福井県と石川県は日本海に沿った位置にあり、その海岸線は風光明媚なことと、奇岩や急激な岸壁で冬の日本海と共に厳しく峻険なものがあります。その風光明媚さと峻険さが見せる海岸線は越前・加賀海岸国定公園として指定されています。 越前は東尋坊や敦賀海岸が代表するように、峻険な岩や海岸線に迫る急峻な崖が続きますが、加賀海岸は急峻な崖や岩の部分と長い砂浜地帯が交互に織りなすのが特徴です。 ここのところ、加賀に行く頻度が高かったので、久しぶりに加賀の海岸線を訪れて観ました。まずはお久しぶりの加佐の岬に。 TVのサスペンスドラマのラストシーンで、海岸の断崖がよく使われた時代がありました。 北陸ではゼロの焦点の能登の「痩せの断崖」、福井の「東尋坊」なんかはその代表的な場所です。自殺の名所なんて言われるほど、高く急峻な断崖は訪れて覗くと急峻さに驚かされます。 ところが、いざ撮影すると出演者を大きくアップすると、背景の断崖が高すぎて、ただの広場か遠くの海しか背景にならないわけです。更に観光地なので観光客も多く支障をきたしてきたわけです。そこで、高さはそれ程ではないけれど、背景に打ち寄せる波や岩山が入る海岸が増えました。それが、加賀ではだいぶ前に紹介したICから直接行ける「尼御前岬」や秋冬には観光客が少ない「加佐の岬」が増えていました。 今はお決まりのサスペンスのこういうラストの場所は減りましたが、その分隠れた名所ともいえます。 日本海側は特に秋冬場は強い海風が吹くために、海岸線には強風と打ち寄せる波…

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弁天島(弁天岩)

能生でのんびりと観光してたんですが、、、、 考えてみれば、石川・上越間を何度も往復してる割には、じっくりと観て回ったことがなかったんです。 今回が初めての能生での名所巡りだったかもしれません。 能生町のシンボル的存在は今回の弁天岩だと思いますね。 先にも書いたように、8号線を何度も通っている割には、ここに立ち寄ったことがなかったんです。 石川から車で走ると、能生町の住宅街を抜けて、勾配のカーブを解放感と共にアクセルを踏み込んでいる場所なんですね。天候の良し悪しに関係なく、ゴツゴツした岩山のような島に赤い欄干の橋を横目できれいだなあと思いつつ通り過ぎてましたから。上越出身の嫁さんはあの島なら見たことがあるということで、寄ろうとは言わないですから。。帰り道は大概、夜で急ぐから闇夜を通り過ぎるだけですからねえ。。 と、いうわけで、初めてこの島に渡ってみたわけです。それとこの弁天岩は石川県とは浅からぬ縁もありますからね。 能生海岸はゴツゴツした岩が沿岸沿いに観られるのですが、この岩場は安山岩・凝灰岩など火山性鉱物や砂泥岩で形成されています。これらのほとんどが100~300万年程前の海底火山の爆発による噴出物や海底隆起でできた物と云われています。 先の記事で紹介した「マリンドリーム」の辺りは広大な空き地に観えますが、筒石駅でも書きましたが12キロに及ぶ頸城トンネルの工事の際の掘削土砂の利用が問題になり、海岸を埋め立てたものです。もったいないと思う人も多いと思いますが、能生・谷…

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親不知 如砥如矢

昨年(H24)、このサイトで人気のあるgoさんのブログに、「一枚の写真~ウォルター・ウェストン像 」という記事がUPされていました。 goさんの思い出の一枚の写真から人物像が書かれており、信州への思い入れが感じられて拝読しました。 ウォルター・ウェストンは登山が好きな人には「日本アルプスの父」として一般常識となるほどの有名な人物なんですが、、、、 山のことになると、ど素人の僕は、、、詳しい経歴を知らず、「日本アルプスの父」「親不知が日本アルプスの起点(北端)と提唱した人」「英国人の宣教師・登山家」 といった具合に箇条書き程度の認識しかありませんでした。このブログのおかげで、人となりを詳しく知ることができました 僕がウォルター・ウェストンを僅かながらに頭の片隅に残していたのは、いつものような書物やドキュメンタリー映像ではなく、やはり記念像でした。なかなか面白いポーズをとった像ということで印象に残っていたんです。 そのブロンズ像があるのが親不知。 親不知は以前の日記にも書きましたが、親不知駅がある歌地区から青海川までが子不知。そして歌地区から市振の境川までが親不知になります。その親不知の最大の難所に当たる「天険(天下の険)」にある親不知観光ホテルの横を登ったコミュニティロードの展望台の横にウォルター・ウェストンのブロンズ像があります。 この像は明治27年(1894年)にウォルター・ウェストンが親不知を訪れ…

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H23 Uターンの初詣

今年(H23)は久しぶりに元日に初詣と思い「安宅住吉神社」まで、雪が舞う中を嫁さんと二人で行ったんですが 海辺の駐車場に車を停めて本殿まで登ってみると 狭い境内には人・人・人 こんなに寒いのに 本殿までの人の列を観た二人思わずUターンしてしまいました どうしても列に並ぶという行為ができない夫婦 弁慶さんに睨まれても帰ることに、4日にもう一度初詣はやり直そうということに 帰り道、長靴に穴が開いたと騒ぐ嫁さんの為に、小松のアル・プラザに寄って行くことに。。。結局、今年最初の買い物は嫁さんの長靴(ゴム長とも云う)という色気の無い物に成ってしまいました ちなみに、嫁さんは僕と出かける時、天気の悪い時は長靴か登山靴みたいな編上げブーツ、晴れてもスニーカー{%メイドに…

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千里浜海岸

先日、大阪のakoさんが能登や金沢に来られていました。 んで、千里浜海岸の綺麗な写真が載せられておりました。 千里浜海岸は乗用車でも砂浜を走れる世界でも数少ない海岸線です                           内灘海岸もそうなんですが、石川県の砂浜の砂はきめが細かく成分が固いので車で海辺まで入れる所が多いんです。こういう砂浜になれている石川県人。他県に行ったときに、いつもの調子で砂浜に入って行って出られないなんて、情けないことをする経験者が多くいます 7月中旬から8月にかけては観光客や海水浴客が多いし、なんと砂浜に制限速度の標識やポールが立つので、ちと走りにくい 春秋に行くと車も人もいないので、素晴らしいスピードで走れるのでお勧めです 同じくコメントを頂いたmeiさんに「砂祭り」もあるんだよとお返事を書いたら、「どんなの?」と返されたので、古い写真ですがご紹介します。 千里浜で毎年6月か8月に開催される砂の彫像を作る「千里浜砂祭り」               「能登青年の家(国立…

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内灘海岸 ~ ヴィテン金沢

この日、ひさしぶりに内灘に仕事があって、海風の吹く町に居りました。 内灘での仕事も早めに終わりまして、休憩がてら内灘海岸によって行くことにしました。 内灘町は、砂丘の上にある町です。 この内灘砂丘は、鳥取砂丘についで全国2位の規模の砂丘帯です。 ですから、土地もみ〜んな砂地です。 内灘の粟崎園地に車を停めて、のんびりと遊歩道を歩いて海岸に向かいます。 内灘には、昔、大正末から昭和の戦前まで、「粟崎遊園」というのがありました。当時の浅野川電鉄の創始者が、第二の宝塚を目指して作ったものです遊園地・動物園・野球場・劇場そして歌劇学校と宝塚そのものでした。 しかし、戦争で閉園。戦後は米軍の射撃場にされ、五木寛之の「内灘夫人」で有名な内灘闘争の舞台にもなった場所です。そうそう、今月(H21.3)発売の内田康夫の浅見シリーズ「砂冥宮」の舞台も此処ですねぇ。 しかし、今ではそんな跡は一切なく、住宅と防砂林代わりの林があるだけです。そんな遊歩道の回りも冬枯れで寂しい雰囲気です。歩いている間、誰とも出会いませんでした。駐車場には、結構車があったんですけどね。 春夏には、緑の濃い緑地なんですけどね。 遊歩道を抜けると目の前に海が開けます。防波堤の道路のところに結構人がいます。 よくみると、営業マン風の人が多いんですよ。みんな、ぼーっと海の波や海岸で遊んでいる家族連れなんかを眺めています。僕もそうなんですが、営業マンは人と接するのが仕事なんですが、その分精神的…

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越前海岸 水仙の里

国道305号線を走りまして、、、、 そうそう、305号線は加賀市から海岸線を走る道路です。 いろんな顔をした海岸線が見られる道路で,僕のお気に入りの道路の一つです。浄土真宗の蓮如の里「吉崎御坊」、菖蒲園のある「北潟湖」、お馴染み三国の名所「東尋坊」「芝政ワールド」なんてのも、この道沿いです。いろんな名所のある道路です さて、そんな道を天気も良く、気持ちよく走って行きますと、越前町に入りましたよ。ここも海岸にはいろんな奇岩が織り成す風景が見られます。 ほんとは車を停めて、写真などとしゃれ込みたいんですが、なにせ早くつきたい。それに一緒に乗っている二人がまったくもう色気も面白味もないもんだ 二人が眠っている時は、知らぬが仏ということで素晴しい速度になる僕 あっという間に、第一目的地に到着です。越前町のすいせんミュージアムの駐車場 越前町は水仙の里で有名なんですよ。日本の三大産地の一つに数えられています。ちなみに福井の県花も水仙です。 真冬の風の中に咲く可憐な花は人気が高いですね。このミュージアムでは一年中水仙の開花が見られます。しかしドームや温室の中で咲く花よりも、外気の中、急峻な崖と強い海風の中に咲く水仙の方が良いですねぇ{%顔文字ハートhd…

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恋路海岸

見附島を離れて5キロほど南下すると「恋路海岸」に着きます。前の日記にも書きましたが、ここから見附島の横顔が見られます 海岸からすぐ近くに弁天島と鳥居が見えますが、干潮時には浜辺から島に渡れる道が現れます。それと、毎年7/27には「恋路の火祭り」が開催されています。キリコと花火が勇壮で美しい火の祭りです。 恋路海岸はその名前と縁結びとして多くのカップルが訪れています 3年前までJR能登線の「恋路駅」があったんですが、今は廃線となってしまいましたが駅舎とホームは残されています。当時、松波駅で購入できた「恋路」の切符は人気を集めていました。チョット残念ですねぇ。 恋路海岸の名前はある悲恋伝承から付いたものです。海岸のモニュメントの側に建つ説明板に書かれています。 約700年の昔、助三郎と鍋乃は、人目を忍んでこの浜で逢瀬を重ねていた。暗い夜、鍋乃のともす灯は助三郎の唯一の目標であり、愛する二人を結ぶ希望の灯でもあった。 鍋乃に想いを寄せるもう1人の男・源次は二人の仲をねたみ、灯を崖のはずれに移してだまし、助三郎は深い海から帰らぬ人となり、鍋乃も源次の求愛を退け、海に身を投げ、助三郎のあとを追った。 この悲しい恋の物語を秘めた浜は、いつの頃からか「恋路」と呼ばれるようになったと伝えている。(説明板から)   助三郎は狼煙の漁師、鍋乃は地元恋路の女だったそうです。つまり、助三郎は真夜中の海を禄剛…

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狼煙・禄剛崎灯台 ~ 見附島(軍艦島)

珠洲の塩田からさらに東に向かいまして、大谷川を越えて三叉路を左折します。 そうそう、大谷川では5月3~5日に300匹以上の鯉流しの「鯉のぼりフェスティバル」を開催しているそうです。一度見たいと思ってるんですけどね。未だ果たせずにいます。 ここからはのどかな田舎道になります。田畑や網小屋などなど 大谷から15キロ程ったら、狼煙の町に到着です。 レストハウス横の駐車場に車を停めて、正面の人家の横から登り口に 先を歩いていくのは、我家の二人 この登り坂が結構きついのですよ。標高50m位しかないんだけど、結構急な坂道なんですよ日頃、運動不足の3人にはキツイのナンの道の途中には8月頭なのに、木陰には紫陽花・日向にはコスモスが咲いてます。それだけがハヒハヒ云ってる3人には慰めでしたねぇ 坂道を登りきると緑の広場が待っています。この広場が結構広いんですが、途中に幾つかモニュメントが作られています…

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仁江海岸 珠洲製塩

曽々木海岸から更に東に進んでいくと珠洲市に入ります。 暫く海を眺めながらと平坦な道に、そして海岸の岩もなくなり、のどかな海岸線になります。 昔、この国道249号線は塩の道、塩街道と呼ばれていました。それは、ここ珠洲で作られる塩を運ぶための道だったんです。 珠洲では揚浜式製塩が受け継がれています。 道の駅「すず塩田村」で、資料や映像が見られます。施設も綺麗だけど施設が整いすぎて、観光され過ぎかも。おかげで、観光客はみんな寄って行きますね。僕たちが通ったときもいっぱいでしたねぇ でも、もっと東に行くと何軒か、製塩を営んでいる会社の建物があるんで、そちらの方が本格的なものが見られます ということで、ここによって行きました。「珠洲製塩」 ここのほうが、お客さんも少ないし、本格的な製塩も見られます それに店頭販売の塩もスーパーや通販より安いのですよ ここでは、「揚浜式製塩」と「流下式製塩」の2種類見られます。 「揚浜式」は、砂を敷き詰め、海水をかけて、その砂を集めた砂桶で海水を濾過するものです。全国的にも珠洲でしか見られなくなりました。 行った時、ちょうど砂を集めている時でした。真昼の日差しの中での作業はたいへんそう{%晴れwe…

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白米千枚田~曽々木海岸

朝市通りから駐車場に戻ってきまして、     「さて、何処行こうかな。。。」 全然予定を立ててなかったんですよ、なんという無計画     「猿山岬と禄剛崎、どっちが良い?」 返事のない二人を無視して、独り決め     「よし、禄剛崎に行こう...10年ぶりだなぁ」 ちなみに猿山岬は輪島から西、禄剛崎は東、能登半島の鼻っ面になります。 地図感のない二人には、地名は解れど、位置感覚は無し。 行き先は勝手に僕が決めちゃうのです 輪島市街から国道249号線を東へ15キロ程って小休憩 天気が良くて暑かったんで、毎回の事ながらまたしてもこれです ちと,欲しかったばかりに頭を舐めちゃいました。少し形が悪いんですが ここは「千枚田ポケットパーク」展望台から千枚田を一望できるんですが、あまりの暑さにレストハウスに飛び込んじゃいました まぁ、花より団子、千枚田よりソフトクリーム{%顔文字ファイトhdec…

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朝市通り 市姫社

毎年8月に輪島のお客さんの所に行くことになっています。今年(H18)も行かねば 毎年、能登地区のお客さんを調整していたのですが、今年(H18)は上手く調整できなくて一軒だけの訪問になってしまいました。ならばという事で、ついでに能登に観光しようとなりまして、嫁さんと娘も乗せて お客さんの家は輪島の朝市通にあるので午前中は車が入れないので、毎年午後から伺っていたのですが、今回は10時に約束にしてLet’t GOです。ノンビリ寄り道もしたかったんで、8時前には家を出ましたよ 娘が寝坊しちゃったんで、朝飯抜き、、、だけど 早く行くなら、能登海浜道路なんですが、のんびり・いろんなスポットを見るなら国道249号がお奨めです。約50分後、今浜から千里浜なぎさドライブウェイに寄り道です。以前にも紹介しましたが、約8キロのなぎさの砂浜を普通車で走れます。 ところが夏場は海に遊びに来ている人が多いので、渚に標識が建てられています。 やっぱり、春先とか秋のほうがでかっ飛ばせますねぇ。夏はゆっくりしか走れません。 琴が浜から道路は海岸線を走ります。奇岩や赤い岩、風光明媚な海岸線です。此処はもう旧の門前町、輪島になりますねぇ。道の駅「赤神」で、ジュースタイム 土曜日と…

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気多大社 正覚院

妙成寺から帰途に着く事にしましたが、羽咋にはもうひとつ大きな神社があります。気多大社(けたたいしゃ)がそれです。能登一宮に指定されています。 加賀一宮は以前紹介した白山比咩神社です。 ここも歴史は古い社です。祭神は大国主命です。古代からあったのは確かで、近くの海中や海岸から、大規模な遺跡(寺家遺跡)が発見されています。それも縄文前期からのもので、奥能登の真脇遺跡と合わせて、能登は古代には先進地だったみたいですね。 気多大社は、縁結びをメインにしています。初詣には若いカップルが多いんですよ 大社側でも、ここに力点を置いて、宣伝に余念がありません。 大社内のあちこちに、縁結びの関係のものがあります。 写真のは、この通路に絵馬を掛けて、カップルで通ると幸せになると唄っていますムード 大社の奥の院から先は、「入らずの森」と呼ばれる原生林の森です。 此処の神社とは今まで相性が悪くて、来るといつも大荒れの天気だったんですが、今日は始めて晴れたんじゃないかなぁ ただね、現在(H20)ここは、神社庁や文科省と訴訟の真っ最中で、神社が誰のモノなのか民衆のモノだということは忘れて欲しくないですね。平成22年に最高裁で神社側が勝訴して、神社庁から独立して単立神社になっています。 ついでに気多大社の隣にある正覚院にも寄って見ましたよ。 ほんとは、駐…

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ヤセの断崖

門前から、また海岸線を走って富来へ 富来町(とぎまち)は、今は市町村合併で志賀町(しかまち)となりました。 風光明媚な海岸が有名です。巌門(がんもん)・関野鼻(せきのはな)・福浦港・増穂浦海岸などがお奨めです。地震で海岸の一部の岩が崩れたりしていますが、景色は相変わらず最高です まずは関野鼻に、ここには松本清張の「ゼロの焦点」で有名な「ヤセの断崖」があります。別名「痩せの断崖」崖の上に立つと身がすくんで痩せるぐらい怖いという意味らしいです。高さは55メートル、断崖の端っこでは手摺りもないので 映画やドラマでは女優さんが端っこに立って、崖を背にして演技をしていますが、現場に立つとゾワッとします。正直凄いと思います。 能登沖地震でこの痩せの断崖の先が一部崩落しましたが、それでもやっぱり迫力あります。 ちなみにここは北陸でも東尋坊・巌門と並ぶ○○の名所。ほんとは載せづらい写真も撮っちゃったけど(看板)やめときます 行った時、自分で観てね。がたくさんありまする。 近くには、義経の舟隠しや機織り岩など海の景勝地満載です 今回は時間がなくてよれませんでした。。。 続いて「増穂浦海岸」、この海岸には貝殻…

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総持寺祖院

さて、輪島の朝市通りを後にして、帰りの道へと車(RV)車(RV)ダッシュ(走り出すさま) でも、タダ帰るのはつまらないので、門前や富来によって行こうと思いました。 朝市通りを抜けたところにある「いろは橋」から 輪島に来た道も門前は通ったんだけど、ちょっと遠回りして光浦から西保海岸経由で戻ることにしました。 西保海岸は海側に切り立った崖や奇岩のある海岸で隠れたビュースポットです。それと家を囲む間垣が有名です。 ちょっと写りが悪いけど海岸線に白っぽく見えるのが道路です。切り立った崖がわかるでしょう。 結構遠回りして、地震の被害がひどかった門前町に、やっぱり青シートが所々に目に付きました 本町内に入ると、潰れかけた家も何軒か。屋根工事も間に合わなくて、シートが掛かった家もまだまだあります。 そして門前町役場(門前は輪島市と合併したので輪島市門前支所)に車を停めて、総持寺祖院に足足 総持寺の創建は1322年(後醍醐天皇の時代)です。以降、明治後期まで曹洞宗の大本山として存在しました。明治38年に大火で消失、横浜の鶴見が丘に本山を移しました。以降は、曹洞宗の起源地として祖院と呼ばれています。。(福井の永平寺は道元が開いた大本山で、曹洞宗では鶴見と2本山制をとっています)。 総持寺の参道入り口ですが地震で崩れて、ブルーシートが掛かっています。 入り口にある「芳春…

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増穂が浦海岸 世界一長いベンチ

能登金剛の景勝地、巌門と痩せの断崖のある関野鼻の間に弓形のように広がる砂浜が「増穂が浦海岸」です。古くは渤海の使節船が寄港する港も近くの福浦と共にここにありました。 能登屈指の美しい砂浜と黒松林が約4キロ続く美しい海岸で「日本の水浴場55選・88選」にも選ばれて、人気の海水浴場にもなっています。 また「サンセット ヒル イン 増穂」と呼ばれるほどの夕陽の名所でもあります。 冬には強い風に打ち上げられる桜貝・忘れ貝などがある事でも有名です。その種類は600以上と云われています。鎌倉の由比ヶ浜・和歌山の和歌の浦と並んで「日本小貝三名所」とも云われています。冬に来ると子供連れの家族が貝拾いをしている微笑ましい姿がよく観られます。また明治以降、三十六歌仙貝として宮中に献上されているそうです。 この海岸を見渡せる遊歩道の上に延々と続く木のベンチがあります。その長さ460.9メートル。着座数1346人という記録を持っています。これは世界記録なんだそうです。ということで「世界一長いベンチ」の名称で、端に立っても反対の端っこが見えないほどの長さです。このベンチはどこに座っても広い砂浜と海、夕陽が眺められるものです。考えた人は素晴らしい^^V このベンチに座っていると、広い砂浜海岸とその向こうの海、振り返ると遊歩道に沿った松林、時間がゆったり流れるように感じられます。訪れた際にはぜひ座って観て下さい。もち寝そべってもOKです。 遊歩道の中途に観音像と歌碑があります。 若い方は知らないか…

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赤神海岸

能登路を車で行く時は大きく分けると4種類ほどの経路があります。 有料道路の能登海浜自動車道・金沢からのアクセスが便利で内灘・白尾ICから乗ると幾つかの料金所を経由して、穴水まで直接行けます。更に能登空港手前の交差点で輪島と珠洲方面に一般道で分かれます。再来年(H25)4月に無料化が決定して急ぐ人には最適道路になります。 富山方向からは氷見から国道160号線で富山湾を沿うように走る道。天気が良いと富山湾の向こうに立山連峰が見える道。湾なので海も静かな時が多く国道のほとんどが海を観られる道路です。七尾から国道249号にアクセスして奥能登に向かう道です。 白山・金沢から国道8号線から159号で能登方向に向かい高松を過ぎた免田で右折するコース。右手に山が多く単調な道ですが、バイパスとして整備されていて走りやすい道路です。一般道で七尾市街に向かう最短ルートです。 もう一本が、同じく免田で直進する249号線。この国道249号線は能登半島を一周するように進む国道です。途中「猫の目」で七尾に向かうルートもありますが、ひたすらまっすぐ走ると海岸線を沿うように富来・門前を経由して輪島に向かうルートです。今回はこのルートをご紹介します。 能登半島の特に西側の海岸線は風光明媚ですが、数キロ走るとまるで違った海岸が出現します。車で走行できる千里浜、巌門・関野鼻のような断崖絶壁が続く能登金剛や西浦海岸、歩くと音のする泣き砂の琴が浜、いろいろな海岸風景がこの国道沿いや周辺にあります。 そんな中で僕が…

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内灘海岸 着弾地観測棟遺跡

内灘砂丘は鳥取砂丘に次ぐ距離・面積を誇る砂丘地帯です。 そんな砂丘地の町(当時は内灘村)で起こった「内灘闘争」をご存知でしょうか? 昭和25年に起こった朝鮮戦争により参戦した米軍は軍需物資・砲弾の補充に迫られ、日本国内で製造した特需砲弾使用の実験試射場が必要になり、当時の吉田内閣に対して日米安保条約を盾に演習場の接収を要求しました。候補は静岡の御前崎・石川の内灘でした。 昭和27年9月、政府は内灘に決定発表しました。地元村民が猛反発で県庁に押し掛ける騒動となりました。 12月に政府は4か月の期間限定を条件に接収を開始、28年3月に試射が開始されました。ところが例のバカヤロウ解散後、県選挙では反対派が勝利しましたが、政府は漁業補償を条件に永久使用を閣議決定・使用強行を発表しました。 これを機に反対住民が試射場での座込み・学生デモ・北鉄労組の軍需物資輸送拒否ストと反対運動は過激化しました。全国からも応援が駆け付けたそうです。 しかし地元利益を主張する条件闘争の支持グループも多く出て、闘争は住民を2分した形になって複雑化していきました。 当時は朝鮮特需の成長期で、政府の説得(試射場が景気を支えている。)や条件闘争派(愛村同志会)の地元利益優先活動により、最終的には内灘村は3年間の使用認可で妥結し反対闘争は終結しました。 ちなみに条件となった町村事業の保証金・見舞金総額は22億4千万円。当時の内灘村の予算が2千万円ですからその代償は大きい物でした。 この数字をどう見るかは見解が分か…

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曽々木海岸 窓岩

千枚田からさらに東に行くと、草木がある海岸線が突然、岩だらけのしかもゴツゴツした不自然な奇岩の海岸が見られます。「曽々木海岸」 ソソギはアイヌ語で「長く剥げ崩れている」という意味です。 中でも名舟海岸近くの、窓岩は名前のごとく岩の真ん中が空洞なんです。 ちと、ピンボケ写真ですが。。。。 旅行日 2008.8.9

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尼御前岬

ここは北陸自動車道の加賀ICと片山津ICの間にある尼御前SAの横にあります。そして、橋立港への入口にも当たります。橋立港で水揚げされる加能蟹(ずわいがに)が最上級と言われています。石川で蟹を食べるなら、ここが一番のお奨めです 尼御前岬の云われは、奥羽に逃避行中の義経主従が安宅関を前にして、主従の中にいた尼御前という尼さんが「安宅関の厳しさや旅には女は足手まとい」と言って、岬から身を投げた場所と言われています 石川県内には、こういった義経一行の伝承地が数多くあります。                まずは、駐車場に車を停めると、松林と芝生が出迎えてくれます。そして、遊歩道をテクテク 切り立った断崖と風光明媚な海岸線があって、結構人気スポットなんですよ。SAからも歩いて入れます。 但し、崖や遊歩道が一部崩れたりしているので、立入り禁止や回り道が一部あります。でも、結構人が入ってるんだけど。。。。すみません、僕も入っちゃいました。。。。 入っちゃうと足元に断崖が、落ちたら一巻の終わりです。なんせ下は、まったいらな石場と海があるのです。良い子は入っちゃ駄目ですよ 侵食された海岸線が、美しい風景画を思わせる景色です 海岸に突き出した地点…

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「金谷出丸 南面」- by つとつと (12/08)

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「金谷出丸 南面」- by 藍上雄 (12/08)

「金谷出丸 南面」- by tor (12/08)