雑記 神通川の舟橋
天正13年(1585年)8月、豊臣秀吉の破却命令で富山城は廃城となっていました。文禄4年(1595年)前田利長が新川郡を領有して越中一国が加賀藩領となると、防衛の重視地区は越後国境に移り、その役割はますます希薄となっていました。慶長10年(1605年)前田利長は家督を養子としていた弟・利常に譲ると、新川郡22万石を隠居領としています。これにより、隠居城として富山城を再築城することになります。当初は利常が若いということもあり、即日移動可能な金沢城鶴丸御殿を拠点に高岡を新拠点にしようとした形跡がありますが、やはり防衛拠点として越後・飛騨を扼する富山が重視されたようです。富山城移住ははっきりしませんが、富山城・城下町整備途上時には移住していたようです。正保年間(1645~1648年)富山城図 寛文7年(1667年)成立江戸期富山藩初期の富山城図になります。 北国街道 越中・飛騨街道前田利長の整備の富山城詳細は不明ですが、利長時代に海岸線を通っていた北国街道を富山城を経由するように変更しています。神通川の舟橋も利長時代に整備されたものです。神通川の巨大さが解ると思います。川幅は300~400mあったそうです。利長の舟橋は当初は神通川といたち川の合流点でしたが、富山藩成立時に地図上に移り、承応3年(1654年)の洪水で富山城の北岸壁が崩れて川幅が広がったために、100m程西に舟橋を移動して、城西側の街道は真っすぐに南北に延びるように変更されています。急流のために弓型になった舟橋は往時の最長時で…
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