おぶせミュージアム(中島千波館) ~ 善光寺

高井鴻山記念館を出て小布施堂の庭を観たり、街並みを観ながら、三館目のおぶせミュージアム(中島千波館)に向かいました。そうそう、小布施の店舗や旧家には、庭を公開している所が幾つかあります。こういうのは石川ではイベントの時や期間限定の時くらいしか、なかなかないので良いですねえ。 おぶせミュージアムは、小布施出身の日本画家・中島千波(なかじまちなみ)の寄贈作品を中心に展示されています。 また、江戸期から明治の祭り屋台も別建物で展示されています。 中島千波は日本画家で桜や菖蒲や鳥を描いた花鳥図が多いのですが、西洋画の技術も取り入れていて、特にリトグラフの桜の細かさは必見です。以前まで東京芸大の客員教授でTVにも出ていましたが、僕がちらっと観るときは大概は山を歩き回って木がどうこう言ってる時ばかりで、てっきり植物学者か環境の研究者と思ってました。僕がこの人の名前と顔と作品が一致したのは近年です 小布施が出身地だったんですねえ おぶせミュージアムの敷地には四季折々の花や植物がみられるように庭園と散策路が配置されています。 小布施ではこのミュージアムを別名「花咲くぶらり美術館」と命名しているそうです。 確かに、散策路を観て歩くだけでも飽きないかも^^ 美術館を観て、屋台を観に行こうとしたら、後ろから待ちくたびれた嫁さんと娘に声を掛けられました 「お父さん、探し回っちゃっ…

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北斎館から鴻山亭

岩松院から小布施市街の北斎館に向かいました。 うまい具合に駐車場も見つけて歩いていくと、北斎館の廻りはお土産屋さんやレスト喫茶が多く集まっています。 そんなお店を観てランランと輝く眼が光る女性陣 北斎館の前に3館(北斎館・高井鴻山記念館・おぶせミュージアム)共通券売り場があったんですが、僕だけ買って北斎館に。二人は北斎館だけ見て、ウィンドウショッピング&お買い物に というわけで、北斎館は三人でしたが。。。何せこういう所に来ると、じっくりゆっくり観る僕と眼につく物しか見ない女性陣。。。まあ、北斎館からは別行動になっちゃいました。 葛飾北斎はあまりに有名なので説明の必要はないと思います。 長寿であったこともあるし、奇人変人扱いされますが生活のすべてが絵画に繋がっており、浮世絵はもちろん肉筆画・挿絵など作品は多岐にわたり生涯作品が3万点を超すと云われています。 奇人と云われる代表例は改号と引っ越し、改号30回、引っ越しは何と93回 引っ越しに関しては、僕も人に自慢できるくらいやりましたが、とてもとても北斎の2割くらい(独身・結婚後含め21回)で敵いません 僕の場合は転勤でしたが、北斎の場合も理由がはっきりしています。 …

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梅洞山 岩松院

小布施町の東部にある岩松院は曹洞宗の寺院です。 文明4年(1472年)に苅田城主・荻野常倫によって創建されたと云われています。 苅田城は岩松院の脇を登った所に小城・大城と呼ばれる2つの城に連郭式の石垣を用いた堀切など堅固な造りの城だそうです。今回は家族連れで雨でぬかるんでいたので、城は断念しましたがこの辺りでは珍しい造りだそうです。この地は川中島4郡の一つに当たり激戦地の一つで、苅田氏の後も高梨・武田・上杉・森(織田家)と領主が変わっており、現在の城址はだれが改修したかははっきりしないそうです。 岩松院にも似た石垣が多く使われており、領主の館跡、苅田城の詰所跡と説があり、それを利用して寺院を整備したようです。岩松院を整備したのは戦国武将・福島正則で、福島正則の菩提寺となっています。 本来の福島家の菩提寺は京都の妙心寺塔頭海福院ですが、この当時の大名は自分の領地に菩提寺を置くのが慣例になっているためのようです。 福島正則は豊臣家において加藤清正と並んで豪将として有名です。 賤ヶ岳の戦いでは七本槍の中でも武功一番として七人の中で最高の5000石を恩賞として受けています。 福島正則は豊臣秀吉の母方の縁者に当たるようで、豊臣家では一門衆の扱いを受けていたようです。 その他多くの戦いに活躍して尾張清洲24万石の大名に抜擢されています。これは豊臣方における東海方面の抑えの役目でしたが、関が原では東軍の先鋒となり、岐阜城奪取・関が原先陣と活躍しています。その戦功により安芸広島49万石…

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長野に行く① 黒岩山から飯山の眺望

今回、上越の嫁さんの実家に行くことになったんですが、 1日目は観光しようと云うことで嫁さんと意見が一致 で、近くの長野に行こうということに、実は前回も帰りに寄って行くつもりだったんですが、体調不良の母娘の拒否権であっさり断念。帰り道の僕の不機嫌な顔と態度に、相当後ろめたかったみたい それで地図を何気に観ていたら長野市の側に小布施を発見 ネットで観ると北斎で賑わっている。。それに福島正則の廟所もあると云うじゃないですか。 よし、ここに決定 それに、小布施は懐かしい地名なんですよ 僕の中学時代には今みたいにメールもないし、ここで書いてるようなブログなどもなかったんですが、手紙を交換する文通というのがありました クラスの何人かはそんなことをしていたようです。なかには海外の人と英文で文通している人もいました。ただ、なかなか続かなくて1回で終わりとか半年・一年くらいでやめてしまうことが多いみたいですが。 僕もそんな文通をしていた一人でした。身近の友達には内緒でしたけど。相手の子は長野の女の子で小布施に住んでいた子でした。 今もそうなんですが、筆不精でなかなか返…

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