安産(やすまる)日吉神社

安産日吉神社 白山市平加町鎮座、拝殿は平成12年(2000年)に大改築。参道沿いに狛犬が3対、灯篭が多いなど寄進物が多いのが特徴白山市を構成する平成の合併の際の旧市町村(松任市・鶴来町・美川町・河内村・鳥越村・吉野谷村・尾口村・白峰村)の一角を占める美川町。歴史を振り返ると古代には比楽河(ひらか・ひらかわ、手取川の先名称)の河口に比楽湊と呼ばれた港と駅が置かれたとされています。古代から明治にかけて手取川河口は重要港湾として知られた村でした。室町時代に編された廻船式目に記された十大港湾とされた三津七港の一つ・本吉湊を持つ本吉村となっていました。 三津七湊(さんしんななそう・ななみなと)は室町期に十大港湾都市とされた地を云います。三津は湾の交易都市で、安濃津(あのつ・伊勢、津市)・博多津(筑前、福岡市)・堺津(摂津和泉、堺市)、中国(明)書では坊津(薩摩川辺、南さつま市)が加わります。七湊は河口を港とした港湾都市で、三国湊(越前坂井、九頭竜川河口)・本吉湊(比楽湊)(加賀本吉、手取川河口)・輪島湊(能登鳳至、河原田川河口)・岩瀬湊(越中新川、神通川河口)・今町湊(直江津)(越後頚城、関川河口)・土崎湊(秋田湊)(出羽秋田、雄物川河口)・十三湊(陸奥津軽、岩木川河口) 明治2年(1869年)に石川郡本吉町と手取川対岸の能美郡湊村が合併し美川町となりましたが、わずか2年で分離して美川町と湊村に分かれています。明治5年(1872年)に廃藩置県で金沢藩が消滅し、美川町に県庁が置かれ石川郡の名から石川県とな…

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大日川ダム

大日川ダム周辺略図 道路は略図ではどれも同じ幅ですが、実は起伏はあるは車一台がやっとの道も多くあるのでご注意をダムにある地図看板ですがけっこう古いものです。鳥越高原大日スキー場は平成19年(2007年)に名称変更で鳥越大日スポーツランドになったんですが、平成24年にスキー場が閉鎖・廃業しています。現在は広い駐車場を利用したジムカーナや自動車練習・競技会場、阿手町の催物会場になっています。他はいずれも健在ですが白山スーパー林道は平成27年(2015年)に名称が「白山白川郷ホワイトロード」に変更されています。今年は崩落もあって、岐阜側は無料区間と有料区間の三方岩駐車場まで開通していますが、その先の有料区間および石川側の無料区間は通行止めになっています。来年は開通できるそうです。 赤瀬ダム・赤瀬湖を右に観ながら大杉谷川に沿った道(県道43号)を15~20キロほど進み、牛ヶ首峠(地図では丸山)を左折して大日川に沿って10キロほど進むと大日川ダムになります。野性の証明での車の引き上げシーンは赤瀬ダムと云われていますが、僕には車の走行シーンは大日湖東岸道路、引き上げは日川ダムの西側角地に思えました。大日川ダム湖 東側道路から、この道は車幅が狭いので、映画のように転落注意大日川は総延長34.9キロ、石川・福井の県境付近の大日山(1368m)を源にしています。ちなみに大日山は河南三山(江沼三山、鞍掛山・富士写ヶ岳・大日山)に数えられ修験道のメッカでした。古くから大日如来を祀る山として信奉されてきました。また山稜…

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赤瀬ダム

昭和53年(1978年)公開 野性の証明 監督:佐藤順彌 原作:森村誠一 主演・出演:高倉健・薬師丸ひろ子、中野良子他 音楽:大野雄二主題歌:町田義人「戦士の休息」1970年後半から80年まで、大作を輩出した角川映画の初期に、人間の証明に続く森村誠一原作の第二作として公開された作品になります。 「あらすじ」(Wikより、ねたばれあり)・・・1980年5月のある日、反政府ゲリラの一団がアメリカ大使と家族全員を人質にとって立て籠もり事件を起こした。県警の救出作戦は失敗し、人質の命に危険が迫る中、政府首脳は秘密裏に陸上自衛隊に出動を命じる。味沢岳史一等陸曹(高倉健)を含む突入部隊は犯人たちを全員殺害し、人質を救出した後、素早く現場を立ち去った。 味沢が所属する部隊は、極秘裏に編成された精強の特殊部隊「特殊工作隊」だった。事件後、味沢たちの部隊は訓練の一環として北上山地の原生林の中に一人ずつヘリから下ろされ、目的地まで自力で辿り着くよう命令される。訓練は精神異常をきたす隊員や行方不明者がでるなど過酷を極め、味沢も疲労困憊して登山道に滑落したところを通りかかった女性登山者・越智美佐子(中野良子)に発見される。美佐子は近くの部落(架空・風洞集落)に助けを求めに走ったが、味沢は訓練中民間人との接触を厳禁されていたため、その場を離れた。しかし味沢が向かった先は美佐子が向かった部落だった。部落では、住人の長井孫一(江角英明)が発狂し手斧で次々に村人を殺していた。美佐子も長井に殺されてしまう。長井は最後に自分の娘…

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犀川・犀川神社

金沢の城下町を形作っているのが、犀川と浅野川になります。この二つの河川に囲まれたのが金沢の城下町になります。対照的な流れとして優美な流れの浅野川は女川(雌川)。雄々しい流れの犀川は男川(雄川)、雅名・菊水川と呼ばれて、金沢の様々な景観や産業、生活に根付いています。水源の両白山地からの雪解け水、いつ開けるか解らない梅雨、「弁当忘れても、傘忘れるな」という言葉があるほど、県庁所在地では高知と全国一位を争うほどの降水量、雨の多い金沢という土地柄から、何時も水量豊かな川と用水路の流れをもたらしてくれています。水不足を知らない土地柄として恵まれています。犀川 犀川緑地から上流方向ところが、今年は暖冬で上流部も雪なし状態で雪解け水が少なく、春は例年の1/3と云われるほど雨が少なかったこともあって、極端に川の水量が少なく、少し寂しいものがありました。ちょうど、今の時期には犀川では鮎が産卵のために溯上を始めているのですが、あまりに川水が少なく川底が浅くなったために上流に遡上できないという異常事態で、ついに水量調整で上流貯水を増やし放流が計画されています。というわけで、普段なら水量豊かな川が流れているのですが、水の少ない画像で申し訳ありません。 北陸特有の高所から低地に流れる短い河川から過去には何度も水害をもたらしてきました。有名なものでは大正11年(1922年)大雨で浅野川・犀川が氾濫、両川の橋が天神橋を除き全て流出、犀川大橋は流木などで危険性を増し、繁華街も浸水し、…

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七ヶ用水大水門

前回の加賀一の宮駅舎から、金名鉄道線路だった真新しいサイクリングロードを二人で歩いて、古宮公園の方に以前は、大回りしないと古宮公園の奥に行けなかったんですが、整備されたおかげで目的地には一直線。。 ちょうど曲がろうとしたところで、嫁さんが@@「ねえねえ、あのガラスのピラミッドみたいのは、な~~に?」「えっ、あ~前に来た時、教えてあげたじゃん・・」「覚えてない。。わたし見てくる~~」嫁さんが見に行ったのはこれです。古宮公園 瓦笥発見保存地 2017.04.14撮影白山本宮(白山比咩神社)が、この地にあった時代の1700に及ぶ大量の瓦笥(かわらけ、土師皿)が発掘されたもので、そのほとんどが神事に使用されたもの。まあ、白山本宮のゴミ捨て場。 白山本宮がこの安久濤(あくど)の森に文明12年(1480年)まで、長い期間あった伝承が証明されたものです。白山本宮はこの年に火災で焼失、白山三の宮(現在地)に仮遷座していましたが、世紀を跨いだ前田利家の修復で現在地に固定されました。おかげで本来の三の宮が消失、白山比咩神社の町名・三宮町としてだけが残っています。後で思い出しましたが、昨昨年、家族で来た時に何があるとは教えたけど、あっちウロウロこっちウロウロで佇むお父さんを無視して二人はそそくさと先を歩いていて、その時は見なかったようです。 曲がった先にある建物は「手取川七ヶ用水土地改良区白山管理セン…

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小松天満宮 浮島・輪中堤 梯川分水路

前回の葭島神社の最後の方に、奥の細道の芭蕉と喧嘩別れした小松天満宮の能順を書きましたが。。。 実はその文章に天満宮の外観の画像を差し込むつもりでした。ところが文章がまとまらず余計なことを書き過ぎて、久しぶりの文字数オーバー><;  葭島神社から小松天満宮 ちょうどこの辺りが葭島神社側の船着き場かと。。右に見える白い建物は社務所会館(梅林院)ですが、その手前の岸が天満宮の船着き場のあった位置でした。 今は葭島側は河岸の急な土手になっています。小松天満宮は急な河岸壁。どちらも船着き場の面影はないですねえ。おかげで、今は鳥の楽園^^; 葭島神社河岸から小松天満宮東方 画像をアップしてもらうと解りますが、真ん中の大きな屋根が天満宮の拝幣本殿屋根、やや右に小さな切妻屋根が山門の屋根です。山門の前には明治初期までは約20m程の岸辺に船着き場がありました。右には小松大橋が掛かっており、そこまで河岸壁が続きます。 江戸時代、小松城の一角になる葭島神社(小松稲荷社五穀寺)の北岸と小松天満宮の南岸に船着き場が設けられ、藩主や城代は参拝時には、船で梯川を往復していました。明治以降は河岸の改修で船着き場は消滅しています。現在は100m東方の小松大橋から回り込まねばなりません。。  小松城側から小松天満宮西端 左の赤い橋は天神水管橋といって、水道水用の配管橋になります。この橋も以前は天満宮の西端の境内地を通していたのですが、今回の浮島工事で護岸が出来たおかげで、橋台が築けるようになったので、天満宮…

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宮島峡 川と滝そしてビーナスたち

河合谷の木窪大滝から林道を抜けると、すぐに富山県に入れます。分かれ道を北に行けば、五位ダム経由で宝達山の西麓になりますし、西に向かえば子撫川(こなでがわ)ダムを経由して子撫川に沿って小矢部の町に出られます。子撫川ダムから下流は浸食された川底や川崖で大小の滝が多く観られる宮島峡として景勝地になっています。途中の二の滝付近に宮島温泉郷もあります。 富山県では里山の景勝地を独自に選定して「県定公園」として指定しています。現在は17公園が指定されています。この宮島峡も「稲葉山宮島峡県定公園」として、小矢部市からは倶利伽羅県定公園と共に選定されています。ちなみに稲葉山は子撫川の東方にある丘陵の主峰で、稲葉山丘陵(稲葉山牧野)には小矢部牛の牧場がひろがり、小矢部市街を一望できる景観と動物と触れ合る施設が山頂にある家族連れには打ってつけの行楽地になっています。 宮島峡には子撫川が織りなす流れと大小の滝が見所なのですが、世界のヴィーナス像が12体が要所に配されています。もちろんブロンズのレプリカやコピーですが。。大滝から林道で行くと、途中の久利須野外緑地広場に3体・林道の丘上に2体あるのですが、今回はパス。。前述の林道の三叉路に立つのが永遠の像と呼ばれるミロのヴィーナス。 ミロのヴィーナスは御存じのようにルーブル美術館所蔵の彫像ですが、林の中のブロンズの姿もなかなかですねえ^^10年前にお逢いした時はそうでもなかったのですが、長年の風雪で緑青が目立っていますが、逆になまめかしさを感じます。 …

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寺津用水

寺津用水 永安寺第一駐車場 金沢は犀川・浅野川の二つの河川に囲まれた街になります。。この河川の水源を利用して網の目のように用水路が市街に張り巡らされています。その数は55用水と云われています。歴史を紐解けば、金沢の町は用水路の開削と共に新しい町が出来て来たと云えます。これらの用水路は道路沿いに流れが多く観られます。 長町の武家屋敷通りや片町・香林坊の裏道のせせらぎ通りに観られるように、道に沿うように用水路が流れ、生活用水・灌漑用水・防火用水はもちろん、各家や屋敷に曲水として取り入れて庭園の池水にしたり、加賀友禅を始めとした工芸品の貴重な源泉にもなっていたわけです。また、雪国の悩みの種である除雪の捨て場としても利用されていました。江戸時代から明治にかけて金沢の町は用水路が張り巡らされ、水と共に生きる町だったわけです。 ところが文明開化の波が押し寄せた明治以降、農地改革や電気事業の進歩で用水事業はますます必要性を増したのですが、自動車や電車の発達には水路は非常に邪魔な存在とされてしまいました。更に戦災や大災害がなかったために区画をいじるわけにはいかず、水路分を道路にするということしかできなかったのです。 このために暗渠といって、水路に蓋をしたり、上部を塞いだり潰して、道路として拡張する必要に迫られてしまいました。 寺津用水遊歩道 更に中心街となる金沢城のお堀。元々、用水路からの水を取り込んだ堀で、金沢城の城郭は囲まれた城でした。更に外側には石川門下の4車線道…

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旧大聖寺川河畔 

相変わらずといっては何ですが、2月末から4月にかけては仕事の一番忙しい時で、一番の掻きいれ時、更には歳とともに処理能力のうちの肝心なスピードと耐久力を失って来て、なかなか仕事を消費できず。自分で繁忙期間を延ばしてしまい、ブログの休止期間が毎年長引いてきています。しかし、この期間がないと僕の収入が大激減。一家も路頭に迷っちゃうんで頑張らないといけない時期なんですよ。。 ブログをサボってしまい、皆さんの所にも行けずじまい 大変申し訳なく思っております。どうか、お見捨てなく。。 (4月初頭に書いていたんでその続きです。その後、バタバタしてもう5月になって今更桜かと云われそうですが。。。) 今年は桜の開花が遅れると云われ、遅い花見を内心期待してたんですが、気温の上昇と共に早い時期に一気に開花。ところが満開時になった途端に雪まじりの豪雨と風で、花が散ってしまい期間的には短いものになってしまいました。 近年は開花時期が早くて、営業で車を走らせながら横目で桜並木を観るだけで、桜の下を歩くというのがなかなか出来ていませんでした。たまの休日も部屋に籠って資料や見積・請求書などの書類製作に忙殺され。。。そもそも、嫁さんと娘は年々ひどくなる花粉症で外へ行くのを嫌がり、閉め切った家に篭りっきり。。 おかげで、ここ何年かは桜の花見どころか桜の下を歩くということもなかったような。。 ところが、この日(4/9)、午前中にお客さんが来るというので、嫁さんと娘は前日から大慌て。。長く閉め切った家は籠った空気…

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七ヶ用水取入口

鶴来町の古宮公園の横に、手取川からの取り水口があります。 道路から、覗くと激しい水流が見られます。観てるだけで涼しくなれますよ。 七ヶ用水というのは、富樫用水、郷用水、中村用水、山島用水、大慶寺用水、中島用水、新砂川用水の7用水をいいます。金沢の辰巳用水と並んで、白山市から金沢を含む扇状地を潤す重要な用水になっています。 ちなみに、古宮公園には用水の創始者・枝権兵衛の憲章碑があります。 古宮公園は、元々は白山比咩神社の本宮があった場所です。 現在の白山比咩神社とはまるっきり違う場所なんですよ。別名、安久濤ヶ淵(あくどがふち)といいます。加賀一宮駅の隣になります。 旅行日 2008.6.6 現在、北陸鉄道は鶴来駅までになって、加賀一の宮駅は廃止になりました。変わった建物は健在ですが特徴的な駅名の看板は取り外されています。好きな駅だったんですけどねえ><

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最初のUP 日本最大級の石ころ

以前まで「ぐるなび」でumotustというネームでトラベル記事と食日記を書いていたけど、終了してしまったのでこちらで再開しようと思いまして、今日から書き始めです。よろしくお願いします。 更新やアップは遅かったり、滞ったりしますが、笑って許してください。 当分はトラベルやスポット紹介にしようかなと思っています。 第一回目はやはり自分が住む場所で代表するものをと考えましたが ちなみに僕の住むのは石川県。毎回、能登ならばホテル・旅館アワードで一位の和倉温泉の加賀屋・輪島の朝市、加賀百万石の城下町・金沢や兼六園、白山神社の総鎮守で日本三名山の白山、日本最古の温泉旅館「法師」がある粟津温泉や山中・山代・片山津を抱える加賀温泉郷、名産でも九谷焼・輪島塗・金箔などの工芸品。 とにかく個別の観光地や工芸・伝統など個別の名前は全国的に知られています。 ところが肝心の石川県という名称は全国的にはマイナーな存在です。中には地図でも解らないという人の多いこと                           ということで、石川という名前をPRかたがた、石川の名前の由来地からスタートさせて頂きます 白山を源流に加賀平野を扇状地にして日本海に流れる「手取川」。3000メートル近くの山地から急峻な日本有数の高低差から流れるため、「石も転がる急流の川」ということで、別名が「石川」。つまり、この手取川の別名から採られたのが県名の由…

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