下城戸 一乗谷

一乗谷の入り口は京都・近江側の南口にあたる表口が「上城戸」、加賀側の北口にあたる搦め手口が「下城戸」と呼ばれ、この両城戸の内1.7キロ「城戸ノ内」に朝倉館や武家屋敷の本拠が置かれていました。 城戸は一種の城門の役割を担っていましたが、「上城戸」は長さ50m高さ5m・幅13m。現在はただの土手にしか見えませんが、当時は外堀と石垣も設けられていたそうです。 対して「下城戸」は長さ20m高さ5m・幅18m。幅10mの堀もあります。当時は足羽川と外堀は繋がっていたそうです。また桝形虎口になる門は巨石が積み上げられています。現在あるものは埋もれていた石を近年、復元した物ですが、10t以上の石で構成され最大の物は40tを超すそうです。 朝倉氏が本拠を置いた時代、足羽川は三国の湊に繋がるため、下城戸の外隣に港と市場や町家が栄えていたそうです。 当時は、加賀や越前の一向宗徒との確執や戦が多く、上に比べ下の堅固さが特筆されます。防御面を重視していたことが窺われます。 駐車場はありませんが、立ち寄って見る値打ちはある遺構と石組みです。 旅行日 2010.11.7

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一乗谷朝倉氏遺跡資料館

戦国時代、一乗谷を本拠に越前を治めていたのが朝倉氏です。 元々、初代の孝景(敏景)は越前の土豪から始まり、越前の守護にまで登りつめました。下剋上の成り上がり戦国大名の第1号。教科書にも載った分国法(実は家訓)の「朝倉孝景条々(朝倉敏景十七箇条)」でも有名です。初代から5代義景まで一乗谷を本拠に繁栄していました。 織田信長によって滅び、一乗谷も田畑に埋もれていました。 昭和42年から発掘調査が行われ5000以上の遺構、160万点以上の遺物が発掘されています。そのうちの2300点以上が重要文化財指定を受けています。 その遺物を展示公開しているのが、この「一乗谷朝倉氏遺跡資料館」です。一乗谷に入る前にここに立ち寄って、事前の予備知識をつけるとまた違った目で復元町並みや庭園が見られます。 ここでは「復元町並」との共通観覧券を230円で販売していました。 旅行日 2010.11.07

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北潟湖 アイリスブリッジ

石川県から国道305号線で県境を越えると大きな湖が広がります。 湖の名前は「北潟湖」 福井県内で3番目に大きい湖です。 江戸時代までは海水湖でしたが、現在は淡水湖です。越前加賀海岸国定公園の一部になっています。道路沿いからも岸辺の芦の群生と湖面が美しく、ドライブコースには最適です。 花菖蒲園として知られる北潟荘から170メートルの赤い斜張橋「アイリスブリッジ」があります。湖を歩いて渡る橋なんですが、途中橋の上から眺めると湖面に多くの肴が飛び跳ねているのが見られます。 渡った先には広い公園になっていて、サイクリングやボート遊びのできる「北潟湖ハミングロード・湖畔公園」が広がります。花壇も整備されていて、季節の花も美しい、家族の憩いの場になっています。 春夏にはうってつけの場所です。 この時は夕方で辺りも暗くなった感じで橋を渡っただけ>< その後、1.2度遊びに行ったんだけど画像が残ってませんでした。残念。。 北潟湖ハミングロード  http://www.fuku2.co.jp/awara.html 旅行日 2007.5.19

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羽二重餅の古里 マエダセイカ

永平寺から福井北IC方向に向かうと、大野バイパスの交差点にあるのが、この「羽二重餅の古里」 地元のマエダセイカという羽二重餅の会社が作ったお土産施設 中に入ると大きな看板に日本三大銘菓の文字 伊勢の赤福・京都の八ツ橋とこれ そうなの知らなかった。 とにかく、中にはたくさんの羽二重餅が売られています。 試食も自由、観光客の人がたくさんで、わが家族たちも店内を回りながら、一つ一つ試食してました。それだけでお腹がいっぱいになっちゃうんじゃないの 販売所の真ん中には囲炉裏があって、見事な茶釜があり、お茶も自由に飲めます。運転疲れのお父さんはちんまり真ん中でお茶していました。 休憩がてら、お土産を見繕うにはよい場所です。そうそう店舗裏の庭園もなかなかのもんですよ。 羽二重餅の製造工場の見学も出来ます。 マエダセイカ  http://www.maedaseika.co.jp/ マエダセイカといっても「当たり前だのクラッカー」や「ゴジラサブレ」の会社とは別物です。 旅行日 2009.9.21 追記 福井の羽二重餅と云えば「松岡軒」 僕は好きですねえ しばらく食べてないなあ。。 http://www.habutae.com/index.html 老舗のとろける羽二重餅( はぶたえ餅 )40枚入り【松岡軒】【楽ギフ_のし宛書】【マラソン201207_食品】福井食の工房 20枚入り 630円はコチラ★着日指定のお願い。土日祝日にお休みを頂いている為、…

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曹洞宗大本山 永平寺

永平寺は曹洞宗のお寺で、神奈川の鶴見の総持寺と並ぶ大本山になっています。ちなみに大本山が2つなのは、道元が他の仏教からの迫害を避けて宇治の聖興寺から移って開山したのがこの永平寺。一時期衰退した永平寺を立て直したのが5代義雲。 それと第四世の蛍山禅師が禅宗として確立して能登門前に総持寺を創立しました。そして明治の大火で総持寺が焼失したのを機会に総持寺は現在の鶴見に移りました。 曹洞宗はこの2派によって現在も成り立っているそうです。管長も2派が交互に2年ずつ交代で務めています。 曹洞宗の寺院では法堂等に釈迦如来の脇持として、右に開祖・道元、左に太祖・蛍山が描かれています。 ちなみに永平寺は開祖の道元から5代目義演までを承陽殿に安置しているそうです。また200人以上の修行僧が日々修行に励んでいます。 福井・越前の山深い中に吉祥山の斜面に七堂伽藍を含む70余の建物がが存在し、樹齢700年以上の老杉や周りの豊かな木々と合いまった美しい姿は心に染み入ります。四季折々での景色も味わいがあります。 70余の各建物は全て屋根付きの廊下で繋がっています。山中にありますし、ここは北陸でも豪雪地帯これがないとタイヘンです。山裾だから昇り降りもたいへん とっても広いので、見て回るだけでも一苦労。でも、美しい建物と自然がマッチして、特に法堂からの眺めは最高です。他にも美しい四天王像や灯篭。見ていると一日あっても足りません 法堂や承陽殿など華やかなものもありますが、修行僧が人生の中で、入山と下山…

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継体天皇像

福井駅前市街からフェニックス通りを南に少し行ったところに、「足羽山」があります。 この「足羽山」には、ミニ動物園や緑地公園など、遊歩道や道路も整備されているので、家族連れが多く訪れています。また、市街地のど真ん中にあるので、夜景も美しくデートスポットにもなります^^ 元々、足羽山は古墳が点在している山ですが、中世から開発や改良で大きく手が入ってしまっているところは少し残念でもあります。 足羽山の一番高い小山の上にこの像があります。この小山も古墳なんです。この天辺にあるのが、「継体天皇の石像」です。 継体天皇は天皇になる前の豪族時代、この山から大規模な工事を行ったという伝承があります。この足羽山からは笏谷石という石が獲れるのですが、工事などにこの石を使用したということで、地元の石工が像を作製建立したそうです。なかなかユニークな顔をした石造で大きさにも驚きますよ。 継体天皇は第26代の天皇です。第25代の武烈天皇が強圧政治の末に跡継ぎなしで亡くなってしまい、応神天皇の五世の孫の子の継体が跡を継ぎました。また、跡を継いだのに大和に20年間入れなかったとも伝えられています。 先の天皇家との血筋やこの事実から王朝交代説が流れており、現在の天皇家は継体から始まったという説もあります。これまた歴史のミステリーですね。 ちなみにこの像のある辺りは、豊臣秀吉が柴田勝家の北の庄城攻めの際に、秀吉が本陣を置いた場所でもあります。 この像の隣に建つ「福井市自然史博物館」の屋上に登ると四方…

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越前海岸 水仙の里

福井県の越前町は急峻な崖と日本海に挟まれた海岸伝いの町です。 海岸伝いということで漁港がある町で、越前蟹や豊富な魚介類の水揚げのある町です。 急峻な岩崖と日本海の荒波と風によって、風光明媚な海岸が続きます。 敦賀・河野海岸道路から続く国道305号線は、福井市の東尋坊や松島などまで奇岩やいろんな顔の海を見られる海岸線を走ることが出来る道です。天気の良い日に走ると気持ちのよい道ですよ。 さて、冬場の越前蟹も有名ですが、越前町のもう一つの名産が「水仙」です。日本三大水仙の生産地になっています。1月末から2月上旬が最盛期となっています。急峻な崖伝いに咲く水仙の花の群生は壮観なものがあります。水仙の花は福井の県花にも指定されています。 すいせんミュージアムもあるので1年中水仙の花は観られますが、やはり崖の上の水仙畑を見るのが一番ですね。ミュージアムの前が観光用に整備されていますが、お奨めはその脇から山に入っていった先にある水仙畑です。地元の農家の方が丹精込めて育てている水仙は引き込まれる美しさです。 美しい姿が観たかったら、寒いのと強風を覚悟して、1月の末がお奨めです。例年2月上中旬には水仙祭りも行われていますが、その前がお奨めですね。 旅行日 2009.2.8

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柴田神社

福井駅前から5.6分歩くと「北の庄通り」という商店街があります。 繊維の町、福井を代表するファッション街です。けっこう個性的な店が多いんで見て歩くだけでも面白い通りです。その通りを歩いていくと途中に商店の間に鳥居があります。 それが「柴田神社」です。この地が戦国時代に織田信長の武将の鬼柴田で有名な「柴田勝家」の居城の「北の庄城」の本丸があったとされる場所です。柴田勝家は羽柴秀吉により滅びましたが、その終焉の地がここだとされています。江戸時代までは小さな祠がたっていましたが、明治になって旧藩主・松平春嶽によって柴田神社が作られました。 福井市は戦災や震災で、町自体が大きく変わってしまったため、北の庄や福井城の全貌がまだまだ未解明です。現在も発掘調査が進められています。この神社のそばにも発掘の現場や資料館がありますから、覗いてみるのもいいものですよ。 柴田勝家の奥さんは、有名な「お市の方」です。彼女も勝家と共になくなりました。お市の方の連れ子の三姉妹を祀る「三姉妹神社」も同じ境内に立てられています。三姉妹は茶々・お初・お江ですが、太閤秀吉の側室「淀君」京極高次の室「初・常高院」徳川2代将軍秀忠の室「お江の方」といえば有名な方々ですね。戦国時代に翻弄された女性達です。 福井駅前の繁華街の中に、狭間のようにぽっかりとある静かな空間のような場所です。 旅行日 2008.2.15

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