御誕生寺

毎年この時期は忙しいのですが、その分遠出が出来ず、ストレスをためまくる僕。 そういう時には仕事に眼をつむって、ひたすら遠くに逃避ドライブが発散方法。。ただその分、仕事をためるので後で四苦八苦。。そういう僕を知ってる嫁さんは嫌々ながら助手席にというのがいつものパターン で、二人で久しぶりにやってきたのは越前市。。午後になって出て来たので、訪れたのは一カ所だけ。。もっと早くから来ていればいろいろ回れるんですが、毎度の思い付きでしたので、、、 御誕生寺の猫ハウスの窓辺にいた猫ちゃん   この日は寒いので体調がすぐれなかったり、猫風邪の猫ちゃんはハウスに隔離中。ハウスの猫ちゃんはみんな寝ていたけれど、この子だけは外に行きたくて、窓辺で行きたそうにウズウズ、窓の前を通る人を見つめていました@@眼の鋭さと鼻筋がハッキリしているのはチャトラの特徴 まあ、嫁さんをつきあわせるんですから多少後ろめたい僕は、嫁さんが喜びそうなところにしようというわけで、初訪問の御誕生寺に。。。平成生まれの寺院ながら大きな敷地と本堂を持つ寺院ですが、巷では知る人ぞ知るの猫寺でもあるのです。 嫁さんの近頃の趣味と言えば、スマフォやタブレットで、日がな猫の動画を観ること^^ 一時期のペットのワンちゃん流行から、数年前からはすっかりニャンコに流行は移っていますが、そこは御多分に漏れず我が家の嫁さんと娘も猫にはハマりまくっています。実家の頃は母親が猫好きで、僕も好きな部類。。元々、キティちゃんグッズに嵌る嫁さん。そこへ…

続きを読む

ボルガライス

嫁さんが骨折して約1週間たったころ、利き腕ではなかったとはいえ、ギプスで固めて釣っているために身動きが取れず、家の中でじっとしてることが多かったせいか、TVやゲームするしかなかったために、相当ストレスを溜めていたみたいそんな土曜日にテレビを観ていて、福井県越前市の名物ボルガライスが出ていたそうです 地図に疎い嫁さんは、福井は隣県という感覚しかなく、合併以来、越前市がどこかも分かっていないんですね。越前市ってどこになるのかな。。。なかなか面白そうで美味しそう、近かったら行ってみたいなあ と、僕に聞いてきたわけです。 こういう状態でないと、なかなかこういう話題を自分から言い出さない嫁さんですから、こりゃ相当たまってるなあと。。で、その気の内に娘も誘って出発。目的地の越前市は車の中で教えてやりましたが、聞いてビックラコお父さんの距離感覚と嫁さんの距離感覚は違うのです。それを忘れていた嫁さんが悪いということで。。下道(国道は福井市街で車の渋滞があるので)で2時間ちょいのロングドライブに。。 ちなみに福井県は昔の国名では越前と若狭ですが、そのおかげで越前市以外に、越前町・南越前町もあって、県外人にはややこしい名前。。越前市は平成の大合併に武生市と今立町が合併して誕生したもので、北陸や県外の人たちには武生(たけふ)の名の方が馴染み深く、武生と聞…

続きを読む

吉崎別院

前回、ご御紹介したように、江戸期に入って本願寺の分裂を受けて所有管理問題が起こりますが、延宝5年(1677年)に判決が降り、御山(吉崎山)は東西共有地となりました。御山(みやま)の麓は東西に分かれ、吉崎惣道場(東)と興宗寺系列の山下道場(西)が東西並立の現在の元となる形になりました。 その後、宝暦元年(1751年)に山下道場を直轄にしていた西本願寺が西念寺(現・吉崎寺)として移転させ本堂を創建して「福井西御坊」と改め、東本願寺は翌年、惣道場から改称した願慶寺となった隣に本堂を創建して「吉崎御坊願慶寺」と呼称されます。 明治に入り御坊制度が廃され別院制度になると、西御坊は「吉崎別院」、東御坊は「願慶寺」を分離独立して「吉崎別院」を創設しました。両者で吉崎別院を造ってしまったわけで、これではややこしいので、西別院・東別院と呼び分けているわけです。近年になって吉崎御坊内で一番古い歴史と格式を持つ願慶寺から多くの古文書が発見され、蓮如退去から現在までの不明の歴史が徐々に解明されて来ています。 ちなみに願慶寺から御山に向かう参道は古地図にもあり、吉崎御坊の創建当時からも参道だったようです。狭い道で登り続け、最後は虎口のような曲りから御坊の広場に出られます。 願慶寺には多くの遺物や資料が観られます(拝観・聴講料500円)が、気さくで豊富な知識を持った住職のお話は面白くて解り易く、庶民的なもので笑いが絶えないものです。立ち寄った際には見学がてらは聴講してみてください。500円以上の価値はあると思…

続きを読む

吉崎御坊跡

義母と義兄が2泊3日の滞在で帰る日、白山ICまで送った後、嫁さんと二人でドライブすることに 二人が行ったのが吉崎御坊跡。 長年、吉崎御坊の前は何度も通っておきながら、今まで一度も御坊跡地に立ったことがなかったんです。 あいにくの雨ふりでしたが、二人でそぞろ歩きをしてきました。 それにしても、我が家の嫁さんは雨女 家族や二人で出かけると必ず雨や雪が降ります。。ところがそこは晴れ男を自認する僕 車で走ってる間は雨雪が降っていますが、降りると雨雪がやむんですよ。うまくできてます。 ところが今回は車を停めても、降りても降りやまず。。 嫁さんが元気だったのか、僕が弱っていたのか。。 吉崎御坊は浄土真宗本願寺派の中興の祖・蓮如上人が北陸布教・教生拡大の拠点として創建したことで知られています。 元来、御坊というのは、坊さん(僧侶)や火葬従事者に対する尊称の意味と寺院に対する尊称もあります。もちろん、吉崎御坊の御坊は後者の意味になります。ただ、御坊制度は江戸期からの物で、その前はどう呼んでいたかははっきりしません。尾山御坊が金沢御堂…

続きを読む

宝慶寺前~稗田越え~稗田の里公園~龍双の滝

11月の9日は我が嫁さんの誕生日でした(恐怖のさそり座の女です。で、プレゼントは今回、マイメロちゃんのぬいぐるみを渡しておきました。けっこう大きくてニコニコになってる嫁さんはすっかりよい歳だけど、こういう無邪気なところは良いなあ ここのところ、キティちゃんが続いたけど、今回は大きいことは良いことだということで、大きさ勝負で上げたけどこれだけ喜ぶとこっちまでうれしくなりますねえ。子供の頃には人形やおもちゃを貰っていた娘は、大概アニメおたくの商品で喜んでますが、母がこういうのを貰って喜んでると、羨ましそうにしています。まあ、今回は選んだのは娘との共同行為でしたから(いつもは僕だけ)。。。 文句は言えないので で、人形の写真を撮って置こうと思ったら、嫁さんがしっかり自分のタンスにしまいこんで隠したから、今回は画像なしで申し訳ありません さて、プレゼントをもらってご機嫌の嫁さんと久しぶりにドライブに。。。

続きを読む

称念寺② 明智光秀伝承

前回紹介した称念寺には、もう一人の武将の伝承が残っています。それが明智光秀夫妻の伝承です。 明智光秀はご存じのように「本能寺の変」で、織田信長を急襲した武将です。その後、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、三日天下と主殺しの汚名を着たまま消えて行った人物です。 新田義貞もそうなのですが、敗軍の将はその後に勝者によって事績や記録が消されてしまうため、生い立ちや変の動機など謎の部分が多く残ってしまいます。しかし、明智光秀の所領だった丹波や大津・坂本はもちろん各地に残る事績・伝承では悪い評判があまりありません。逆に誠実な人柄の表れる物ばかりです。 特に自分の家族、家臣団や家来には細やかな対処を行っており、実際に信長に対する反乱「本能寺の変」においても、家臣団から一人の裏切りを出していないことは特筆されます。  (※明智光秀に関しては多くの説や異論がありますが、ここでは省略します。  ただ、一言いっておくと、個人的には好きな武将の一人ということです(ちなみに信長も好きなんですよね。)。  知れば知るほど、織田信長とは対極をなす人物像が浮かび上がってきます。この二人が結びつくこと自体奇  跡に近いものがあるし、あの信長が正反対の性情の光秀を軍師的存在として身近に置くと云うのも奇跡的でし た。  信長の覇業があれだけ先進できたのは、信長の急進的な発想と光秀の伝統に精通した合理性、臨機応変な  機敏性が合致したと云えます。) この称念寺の伝承は、明智軍記から伝わるものです。明智軍記に関…

続きを読む

白犬父さんの故郷

さて、ここがどこか解りますか?雪があるともっと解り易いんですが 某携帯メーカーのCMで白犬父さんと奥さんが雪の道で女学生とすれ違って、娘の彩を思い起こすシーン それがこの場所です。 ここは福井の一乗谷にある復元町並の一画です。この塀の前で記念撮影するのが観光客の定番になっています ちなみに、ここに白犬父さんの実家がある設定で、若い役者さんと再婚したお母さんは最初はここに住んでいる設定でした ということで、この日は嫁さんと紅葉を観に九頭竜に行こうと思ったんですが、先に歴史好き&ミーハーな僕のご希望で、ここにやって来たんです。 戦国時代、一乗谷を本拠に越前を治めていたのが朝倉氏です。一乗谷は下城戸と上城戸という土塁・石垣と城山を中心にした名前の通り、1.7㎞の谷間のことです。ここに朝倉館や武家屋敷などが作られ繁栄していました。 元々、初代の孝景(敏景)は越前の土豪から始まり、越前の守護にまで登りつめました。下剋上の成り上がり戦国大名の第1号。教科書にも載った分国法(実は家訓)の「朝倉孝景条々(朝倉敏景十…

続きを読む

プラチナルート⑥ 平泉寺白山神社&旧玄成院庭園

7/18 白鳥町で遅めの食事をしまして国道156号から158号に乗り換えます。 158号線は白鳥から福井市を繋ぐ国道です。九頭竜川に沿って走り続けますが、途中に九頭竜湖や九頭竜ダムも見られます。 九頭竜の名は幾つか諸説があるんですが、有力なのは天地創造の四大明神のひとつ「黒龍大明神」から来ていると言われています。 特に白鳥の油坂峠からしばらくすると広がる九頭竜湖の湖畔、九頭竜渓谷の景観は絵に描いたような美しさです。春夏は新緑と湖、秋は燃えるような紅葉が見られます。 戦国時代の雄、朝倉家の終焉の地「大野」で、またまた国道を乗り換えて157号線に。。。 ここから勝山市に向かいます。そろそろ夕方になっていますが、まだ明るいのが救いです 慌てて着いたのが平泉寺(へいせんじ)の第一駐車場 ここではこんなモニュメントがお迎えしてくれます 「チャマゴン」と「チャマリン」です 勝山市には日本一の規模を誇る「福井県立恐竜博物館」があります。石川の白峰からこの勝山は恐竜化石が多く発見されている手取層群が広がっていて、恐竜の森と博物館を展開しています。娘が子供の頃、恐竜が大好きでよく来ていました。森と博物館で1日たっぷり過ごせます。 わざわざこの駐車場にやって来たのはこの為でした。 {%…

続きを読む

越前竹人形の里

永平寺・羽二重餅の古里からご一行様がやってきたのは、丸岡の東にある「越前竹人形の里」 ちなみに建物の前を歩くのが我家族ご一行様 僕を車に置き去りにしてさっさと行っちゃう人たち 越前竹人形は全国的にも有名で、福井を代表する昔からの伝統工芸だと思っている人が多いと思います。 実は、越前竹人形は戦後に始まったものです。元々福井は孟宗竹・真竹の良質なものが多く、古くから竹かごや竹細工は存在していました。 昭和27年頃、師田兄弟により人形細工が始められ、30年代に竹工芸として認められました。 水上勉の小説「越前竹人形」や映画化・ドラマ化によって、全国的に名前が知られるようになりました。その後、師田黎明によって芸術品の地位を高め、会社化されました。意外だと思いますが、福井県が越前竹人形を郷土指定工芸品に認定したのは、平成になってからなんです。 もちろん芸術性は高いんですが、水上作品としての名前が先歩きしたものなんです。この施設には工房と展示場が併設されていますから、見てもらえると解りますが作品の一つ一つは美しいものばかりですし、加工技術もタイヘンなものです。とても50数年の歴史、だとは思えないものです。 「越前竹人形の里」は、山裾の高台にあります。 周りには美しい竹林があり、風景も美しい場所です。 工房への入口も趣があります。 工房の横は物産館になっていて、竹細工はもちろん福井の名産品が売られています…

続きを読む

羽二重餅の古里

永平寺から大野バイパスに戻ると、バイパス沿いに「羽二重餅の古里」があって寄り道しました。 実を言うと、ここの存在は知りませんでした。 「羽二重」は女の人はご存知だと思いますが、「光絹」とも呼ばれている主に和服の裏地として使われている高級生地です。「絹のよさは羽二重に始まり羽二重に終わる」と言われるほどの絹織物の代表的なものです。福井は絹織物の産地でもあるんです。 福井で最初の羽二重を製造販売したのが「絹重」 ただ10年ほどで店を畳んだのですが、2代目が転業して「松岡軒」として、羽二重をイメージした「羽二重餅」を考案して販売して、県内に広まりました。また他の業者にも伝わり県内県外に広まりました。餅粉と水飴を混ぜた餅菓子で福井を代表する和菓子です。 ということもあって、僕の記憶は福井駅から西に行ったところにある「松岡軒」の印象が強いんですよ。 羽二重餅の古里 ここは、マエダセイカという羽二重餅の業者が運営しているものです。 内に入ると大きな看板に日本三大銘菓の文字 伊勢の赤福・京都の八ツ橋とこれ そうなの知らなかった とにかく、中にはたくさんの羽二重餅が売られています。 試食も自由、観光客の人がたくさんで、わが家族たちも店内を回りながら、一つ一つ試食してました。それだけでお腹がいっぱいになっちゃうんじゃないの 販売所の真ん中には囲炉裏が…

続きを読む

永平寺

前日に嫁さんの実家の上越から義母と義兄が遊びに来てくれました。当日仕事で出かけられなかったので、家で運転疲れを癒してもらって、、、 お相手は娘がしておいてくれたのでチト安心。義母・義兄ともに娘を猫っかわいがりしていますからね 嫁さんも二人が持ってきてくれたお土産に感謝感激     「当分、これで食いつなげる」オイオイ 翌日の朝からドライブに出かけることに、みんなの意見の一致を見まして、久しぶりに永平寺まで行くことにしました。一泊二日の予定を2泊三日に変更させたので、ちょっと遠出することに 僕の車で、もちろん運転手は僕です。二人も僕の運転は解っているので、乗ったと同時にシートベルトばっちし、「安全運転でね」4人が4人同じお言葉 国道157号線から山越えで勝山を越えて永平寺に向かいます。永平寺に近づくとさすがはシルバーウィーク。町営の第3駐車場の辺りから渋滞です。     {%車(セダン)docomo%…

続きを読む

足羽山 足羽神社 ~ 継体天皇像

前週、越前海岸、つまり福井まで行っていたんですが、この日も福井にお出かけでした。アニメ・漫画おたくの娘がイベントに行くというので、運転手になったんですよ 娘をイベント会場に送って、嫁さんと二人で福井市内を散策&ドライブすることにしましたよ 昔勤めていた会社の本社が福井市内だったので、案外に福井の土地勘はあるんですよ。それに20年以上前になるけど、1.2年ほど住んだこともあるんでね まず向かったのは、足羽山(あすはやま)です。 足羽山は福井市内のど真ん中、市街地に囲まれた山のことです。頂上に登ると四方を福井市内が一望することが出来ます。山全体が遺跡や公園になっていて、桜の時には桜のトンネルができ、6月には愛宕坂に紫陽花の道ができます。山を通る道もドライブコースになっているので、家族連れやカップルのデートコースにもなっています。 まずは腹ごしらえをしようということで入ったのが、足羽神社の横にある「中村屋」 このお店はレトロな造りで、中に入ると田舎風の造りで古い家具や民芸具で店内を飾っています。 注文したのは「餅入り十割蕎麦」結構腰があって腹持ちもいいですよもう少し量があるといいんだけどなぁ 越前蕎麦は前回も紹介しましたが、皿に入っているのが特徴です。 元々はおろしそ…

続きを読む

玉川観音 ~ レスト有情のトイレ

水仙畑を満喫しまして、またまた国道305号線を南に行きます。まだまだ風光明媚な海岸線は続きます。呼鳥門を抜けたところに玉川観音があるんですが、ここからは今までの荒い岩の岸壁から、静かな漁港の雰囲気が続きます。この辺りからが、越前蟹の漁船がいる場所です。残念ながら、先日崩落事故で道路が通行止めで越前蟹ミュージアムへは福井側からはいけませんでした。 という事で、玉川観音によって行くことにしました。 玉川観音は別名「平成の洞窟観音」と呼ばれています。この観音様は海上安全と商売繁盛の観音様として、地元では大切にされてきたものです。毎年7月17.18日には観音大祭が催されています。 20年ほど前ですが、玉川トンネルができる以前は、トンネルの外側を廻るように断崖を通る洞門があったのですが、大規模な崖の崩落事故がありました。 TVのニュースで記憶にある方もいると思いますが、観光バスが巻き込まれ15名の犠牲が出た事故で、たまたま後続の乗用車が一部始終を撮影していたため全国に映像が何度も流された事件です。 当時、この観音堂も崖上に自然の洞窟にあったのですが、崩落と共に流されました。平成7年にこの場所にトンネルを建設してその奥に本尊を安置しました。 大きな駐車場の奥にある鳥居を潜って行くと、洞窟前に社務所みたいな?お土産屋さんのような?建物で拝観料兼線香代150円だったか払って蝋燭と線香を貰って、いざ洞窟へ 洞窟といっても、コンクリート造りなんですけどね{%…

続きを読む

越前海岸 水仙の里

国道305号線を走りまして、、、、 そうそう、305号線は加賀市から海岸線を走る道路です。 いろんな顔をした海岸線が見られる道路で,僕のお気に入りの道路の一つです。浄土真宗の蓮如の里「吉崎御坊」、菖蒲園のある「北潟湖」、お馴染み三国の名所「東尋坊」「芝政ワールド」なんてのも、この道沿いです。いろんな名所のある道路です さて、そんな道を天気も良く、気持ちよく走って行きますと、越前町に入りましたよ。ここも海岸にはいろんな奇岩が織り成す風景が見られます。 ほんとは車を停めて、写真などとしゃれ込みたいんですが、なにせ早くつきたい。それに一緒に乗っている二人がまったくもう色気も面白味もないもんだ 二人が眠っている時は、知らぬが仏ということで素晴しい速度になる僕 あっという間に、第一目的地に到着です。越前町のすいせんミュージアムの駐車場 越前町は水仙の里で有名なんですよ。日本の三大産地の一つに数えられています。ちなみに福井の県花も水仙です。 真冬の風の中に咲く可憐な花は人気が高いですね。このミュージアムでは一年中水仙の開花が見られます。しかしドームや温室の中で咲く花よりも、外気の中、急峻な崖と強い海風の中に咲く水仙の方が良いですねぇ{%顔文字ハートhd…

続きを読む

ソースかつ丼 ヨーロッパ軒総本店

この日、ファミマでこんなものを見つけました 福井名産「ソースかつ丼」です。福井県で「かつ丼」と頼めばこれが出てきます。福井以外の人が想像する「かつ丼」は「玉子かつ丼」と言わねばなりません。 しかしご飯はまあまあだし、味も不味くはないんだけど、とんかつが薄いこれじゃハムかつ丼だよ 本物はもっと凄くて、美味しいのだ 以前の日記のかつ丼も凄いけど、その時に食べ損ねた「ヨーロッパ軒総本店」をご紹介します。その後何回か行っていたんですが、一番近日だったのは。。。。。そうこの日でしたね 「ヨーロッパ軒」の創業は大正2年東京の早稲田の鶴巻町だそうです。 関東大震災で福井県に疎開移転して、現在の本店の場所に開業したそうです。その後、創業者は味付けや作り方を独占せず、暖簾分けしたり、まねする食堂も増え福井ではすっかり定着してしまったそうです。 建物も古いまま、中に入っても普通の食堂に見えますが、、、、、レンガ色の建物が特徴です。そして、福井市の繁華街?片町通りにあります。 この日は、用事があって嫁さんと福井まで行った時に寄りました 嫁さんは、本店に入ったのは初めてで、あまりに普通の食堂風景に{%顔文字?h…

続きを読む

十阡萬

北潟湖から福井市内に向かいまして、、、 久しぶりに三国(みくに)の芦原(あわら)街道から福井市内に入ったのですが、道も町並みも大きく変わっておりまして、ちょっと迷いながら目的地のお店に到着。。。2人がショッピングしてる間、車の中でノンビリ睡眠   もちろんCDは自分のに交換です         約1時間経過後、2人がで戻ってまいりまして家路にGO しかし、も19:00過ぎ。。。さすがにお腹がすいてきたなあ ということで、以前に青山の赤鬼さんにソースカツ丼のイタリア軒のことを書いたのを思い出しまして、行ってみる事に、、、十何年ぶりだなぁ。。。 ところでこのヨーロッパ軒、元々創業者が早稲田でソースカツ丼を考案して店を営んでいたのが、関東大震災で地元の福井に帰郷して開業したものです。本店がその場所ですが建物も古いま…

続きを読む

北潟湖菖蒲園

5月末に行った北潟湖にもう1度行って参りました。 本当はね、先週行きたかったんですが家族のスケジュールが合わなくて、今日になってしまいました。 家を出るのが相変わらず遅い家族でして、15:00スタート 話は違いますが、我が家では家族で車に乗ると、音楽(CD)は娘が独占しています  僕には選択権無し 娘の好みなので、当然僕の駄目なのもあるわけですが、拒否できないところが父の辛さですね 好みが合うものも中にはありますので、そのときは    今回はこれですね。僕も好きな歌手の1人です。可愛くって気に入ってたんですが現在は引退    BGMがわりにドウゾ      ということで、ちょっと寄り道しながら目的地に到着(17:30遅ッ)    北潟湖畔荘というホテルの駐車場に入り口があります。    遅い時間だったので、イベントは終了してました。    人は少ないと思ったけど意外に花を観てる人がいましたねぇ。      ただ、6月末になっていたのと今年は雨が少ないために、花が大分落ちていましたね。先週来れていれば最高だったかも。。。。{%顔文字キライ…

続きを読む

西山動物園

西山公園内の西側、長泉寺山の中腹にあるのが「西山動物園」 昭和60年開設と歴史は新しく規模もそれほど大きくなく小規模な動物園です。日中友好事業の一環でミミキジやレッサーパンダなどの希少動物が贈られて成立しています。 特にレッサーパンダの繁殖は4世代となって、繁殖数は日本一を誇っています。ここのレッサー達は日本各地に繁殖のために多くが旅立っていますが、先月もとくしま動物園にメスのミンミンがお嫁入りしていったそうです。 平成17年に市川市から嫁いできたミンファが脱走して、森に逃げ込んだことで市民総出の大捜索という事件で全国的に有名になったのですが、災い転じてミンファはそれ以来一番の人気者、そのミンファも今はおかあさん^^  愛くるしいレッサー達は動物園の顔として人気者になっています。コミュニティバスや駅はレッサーの顔つきです。 入場料は嬉しい無料。 安心して見られますよ^^V 西山動物園  http://www.city.sabae.fukui.jp/users/zoo/doubutu.html 旅行日 2012.05.13 追伸 この記事でぐる○○のトラベル記事終了^^V 日記が5.6枚あるんでUPしたら、溜まってる写真整理をして新記事開始か、ぐる○○の食日記を転写するか迷っています。食日記は写真管理が煩雑で難しそうなんで断念かも。。

続きを読む

西山公園 つつじまつり

鯖江市は越前嶺北の真ん中にある町です。 代表する生産品としてはメガネのフレームが有名で、国内生産の90%以上がこの町で作られています。昨昨年3月に「めがねミュージアム」も完成して、情報発進の役割を果たしています。工房やショップの他に博物館もあり、有名人の使用したメガネが60人以上の物が展示されています。 タレントの大村昆さんが収集したものですが、中にはブルース・リーや松田優作の使用したサングラスなどファン垂涎の物が多くあります。 また日本最古の漆器工芸と云われる「越前漆器」の産地としても知られています。その他にも音楽関係ではマリンバなどの打楽器製造で有名な「こおろぎ社」の発祥の地でもあります(現在は隣りの越前町にあります)。 この鯖江市には「西山公園」という素晴らしい公園があります。 春には約5万本の躑躅が咲き誇りますし、初夏には3500株の花菖蒲、秋には1600本のもみじも赤に染まって美しい姿を見せてくれます。 また、レッサーパンダの繁殖で知られる西山動物園も園内にあります。 西山公園の始まりは 安政6年(1859年)越前鯖江藩・第7代藩主・間部詮勝(まなべあきかつ)によって作庭されたのが始まりです。藩内の民衆と共に共有するという理念で作られたもので、なだらかな長泉寺山を中心に藩主自ら鍬や鋤をもって作庭したそうです。間部詮勝は安政の大獄で主導的立場にあった人物で、冷酷非情な人物と思われがちです。政治家としては冷静冷徹でしたが、地元民衆に対しては優しいお殿様だったようで…

続きを読む

織田劔神社 織田家発祥の地

「織田劔神社」は越前国二ノ宮にあげられる神社です。別名は織田明神。 ちなみにオダではなくオタと読みます。 劔神社の創建は社伝によれば、仲哀天皇の第2子の忍熊王が北陸平定の際に、近くの座ヶ岳に祀られていたスサノオの霊力と剣を借りて当地を平定し、その後、スサノオの神霊をこの地に移し神剣を御神体として劔神社を創建されたと云われています。 仲哀・忍熊共に神功皇后により非業の死を遂げていますが、スサノオを主祭神に共に祭神になっています。 この神社が有名なのは織田信長の織田家の発祥の地とされているからです。真実は別にして、劔神社の神官は神社への崇拝を怠らなかった平清盛の嫡男で小松殿と呼ばれた平重盛の孫(資盛の子・親実)が壇ノ浦後に神官家に養子に入ったことに始まっています。、その子孫で神官だった常昌が管領の斯波家の家臣となり、名前も地名から織田常昌と名乗ります。その後、尾張の守護代として派遣され尾張織田家が誕生したというわけです。信長も朝倉氏の一乗谷攻めの後、立ち寄り、自分の氏神であるとして神社の領地保有と保護を認めています。 拝殿の右横には織田神社の社があり信長ファンが拝んで行くそうですが、これは実は織田の庄の産土神なのです。その前にある二つの末社の右側が平重盛と織田信長を祀る「小松建勲神社」なのでそちらを拝んだ方がご利益あると思いますよ。 劔神社の境内は現在も広く拝殿や本殿の建物もなかなか趣があります。 本殿は柿葺で織田様式と呼ばれ唐・千鳥破風が施されており、築400年と云われ…

続きを読む

朝倉義景墓所

戦国期、越前を治めていたのが朝倉氏。 朝倉氏の本拠は大野から西方の一乗谷で、5代約100年間勢威を誇っていました。5代当主・朝倉義景は織田信長に敦賀の刀根坂の合戦(斉藤龍興が戦死、美濃斉藤家の実質滅亡)に敗れ、一乗谷を放棄して大野に撤退して勝山・平泉寺に味方要請しましたが拒否され、宿所の六方賢松寺を寝返った朝倉景鏡に囲まれ自刃しました。ここで朝倉氏の越前支配は幕を閉じています。余談ですが、朝倉景鏡は姓を土橋と改め信長から本領安堵を受けましたが1年後、越前一向一揆により亡くなっています。このため信長が再侵攻するまで越前は一向宗のものとなりました。 江戸時代になって朝倉氏の旧臣・松田氏の子孫により五輪塔がつくられ曹源寺に置かれていましたが、20年後に100メートル程離れた現在地に移されたそうです。 朝倉義景の墓を中心に、信長により処刑された愛王丸(義景の子)・小少将(義景の側室・愛王丸の母)・光徳院(義景の母)の3人連名の墓。朝倉義景に殉死した高橋景倍・鳥居景近の墓が配されています。 大野における朝倉氏の人気は高く、この墓所の近在には義景保育園・義景集会所など義景の名を冠したものが多く存在します。 この墓所は閑静な住宅街の一角にあるのですが、一帯は「義景公園」として綺麗に整備されています。「義景庵」、湧水の「義景清水」とにかく義景だらけです^^;非業の死を遂げた義景もニンマリしているかも^^ 義景庵の前には「水琴窟」が作られていて、耳を澄ますと甲高い澄んだ音色が聞こえます。立ち…

続きを読む

柳廼社(やなぎのやしろ) 藩主隠居所

大野城の外丸を挟んだ場所に10メートル程の時鐘が目印の広い駐車場があり、大野観光にはここに駐車すると便利なのですが、ここの東側に「結ステーション」というコミュニティースペースがあります。物品販売所・観光案内所など観光の起点・中継点になっています。 その結ステーションの脇に御屋敷のような無料休憩所があるのですが、これが新しくできた「藩主隠居所」です。この隠居所は7代藩主・土井利忠が隠居後6年間を過ごしたもので、当時は現在の有終西小学校のグラウンドを右に見ながら進んだ所にある柳廼社がある場所にありました。土井利忠(明治元年没)の死後、明治15年、旧藩士によって土井利忠を顕彰して同地に柳廼社が建てられ、社務所として使われていたものです。 昨年(H22)、移築・修築を行ったばかり。平屋造りで書院風、武家らしい質実なものです。庭園もなかなか良いつくり。特に式台(表玄関)は立派で目を惹きます。観光客で訪れた人は脇の納戸から入る人が多いようですが、お殿様気分で表玄関がお勧めです。 土井利忠は在世中、窮乏だった大野藩を一代で立て直した人物として名君と呼ばれた人です。「更始の令」により君臣の垣根を払い、内山兄弟を抜擢して、面谷鉱山の直営・藩直営店の大野屋の全国チェーン展開・蝦夷地開拓による大型船建造・北方交易、明倫館、洋学館の開設、長崎種痘の翌年の種痘所開設など多岐に渡っています。 旅行日 2011.9.25 藩主隠居所 柳廼社(やなぎのやしろ

続きを読む

越前大野城

越前大野城(別名:亀山城)は1575年に越前平定に織田信長の武将として活躍した金森長近が入部・築城したのが始まりの城です。 金森長近は最初は大野盆地の西端にある戌山城(いぬやまじょう)に入りましたが、翌年から盆地にせり出す小孤峰の亀山の山頂に新城の建築を始め、亀山の東に広がる平地に二の丸・三の丸・将棋盤のように区画された城下町を整備しています。これが現在の大野市街の基礎になっています。 標高239メートルの山頂の天守からは大野盆地の四方が見渡せ、防衛上は戌山城の方が上ですが、政治・戦略上はこちらの方が良かったと思われます。 金森長近が大野城に在城したのは約10年でしたが、その後、長谷川秀一・青木一矩・織田秀雄と城主が変わり、関が原後は福井藩の直轄領、松平(結城)秀康の三・四男、天領など領主・城主が頻繁に変わり、1682年に幕府老中だった土井利房(土井利勝の四男)が老中辞任後、国替えで転封、越前大野藩の初代藩主になっています。 大野城は古図によると、天守・小天守・天狗書院(天狗櫓)の三つの天守からなる複合連結式の城だったようですが、1775年に焼失、20年後に小天守・天狗書院が再建されましたが明治維新に破却され城壁だけとなり放置・売却されていました。おかげで往時の姿は不明となっています。 昭和になって旧士族の寄付により1968年に再建されたものです。 ただ、往時の絵図や他城の天守から推定製作したために、天狗櫓に小天守があり、3連結ではなく2連結になっています。城もコンクリート…

続きを読む

藤島神社

福井市にある足羽山の北東端の麓にある神社が「藤島神社」です。 建武中興十五社の一つで主祭神は新田義貞。副祭神は弟・脇屋義助、子供・義顕・義興・義宗。そして殉難兵士。 藤島神社の始まりは明治三年、新田義貞と思われる兜が発見された新田塚の地に初代福井県知事が祠堂を作ったのが始まりで、明治九年に「藤島神社」と名付け別格官幣社になりました。 その後明治三十四年に遷座して現在地に移り現代に至っています。 南北朝統一以降は北朝が主体の為、戦国・江戸期は新田義貞(江戸期は徳川家が新田源氏を祖としていたので、それなりの尊集は受けていました。)は朝敵のあつかいでしたが、明治天皇は明治維新を建武の新政となぞらえて、建武中興の功労者を復権させています。伝承ですが、明治天皇は南朝の流れを汲む人だとも云われる由縁です。その後も皇室・各宮家の崇敬を受けています。 足羽山の北東麓にあるため福井市街が一望に出来ます。拝殿前からの眺望は一見です。 建物も総檜造りの拝殿・本殿は威風を感じさせます。本殿裏外も出入り口があり、本殿を間近で見られる珍しい神社です。また寄進者の名を石垣や石柱に見られますが新田家や松平家の名前が多く、縁のない僕ですがそれでも名が解る人が多く見られます。新田家は現在26代目みたいですね。 藤島神社  http://www.fujishima-jinja.jp/ 旅行日 2010.4.9

続きを読む

新田塚

福井市街の芦原街道を北上すると「新田塚」という地名が存在します。 歴史好きの人ならピンと来ると思いますが、南北朝の時代、当時はここは燈明寺畷と呼ばれ、新田義貞の戦没地です。 新田義貞は鎌倉幕府の本拠地・鎌倉を攻め落とした武将です。太平記などでは足利尊氏のライバルとして描かれ、楠木正成・北畠顕家などの引立て役のように描かれています。しかし鎌倉陥落の功績は足利尊氏の六波羅攻略や楠木正成の千早城防衛戦よりも戦功第一だと思います。なぜ大きく評価されなかったかといえば、武家世界では足利氏の方が家格が上だったことと新政の舞台・京都からは遠い関東の地ということで出遅れたことが挙げられます。足利が六波羅攻略後、京都を掌握し武士階級の人気を集め天皇を取り込んで行政権を握っていますから、後から京に入った義貞に付け入る余地がなかったと思います。占拠した鎌倉を離れたこと、京での論功行賞の不調後の行動には政治力や判断力には欠けたようです。ただ武力や戦闘に関して太平記や神皇正統記では愚将のようにされたのは本人も納得行かないと思います。現実に足利尊氏離反後、何度も五分の戦を演じ、窮地に追いやっていますから。 湊川の戦い・天皇の比叡降下後は北陸に転進し一時衰退しました。その後盛り返し敦賀・越前を掌握しましたが、寝返った平泉寺衆徒の籠った藤島城攻めの際、偵察行動中にこの燈明寺畷で遭遇戦となり戦死しました。建武5年(1338年)、彼が史実に出た期間は7.8年の波乱万丈の短い期間、盛り返しつつあった中での戦死は本人も悔いが残…

続きを読む

西光寺 柴田勝家の菩提所

北ノ庄城落城により亡くなった「柴田勝家」の菩提所がこの「西光寺」です。 元々、西光寺は朝倉氏の時代、天台宗真盛派の祖・真盛上人により一乗谷に創建されたもので、現在も一乗谷の寺跡には多くの石仏塔・石仏群が残されています。柴田勝家が越前に進出した際、柴田家の菩提寺として現在地に移したものです。 福井駅から南へ市電伝いに足羽川を渡った足羽山の下、住宅街にあるお寺です。幕末に安政の大獄で小塚原で命を落とした橋本左内の菩提寺の善慶寺の裏側になります。 境内には柴田勝家の墓所があります。 この墓には北ノ庄落城の際、亡くなった勝家・お市の方・甥の柴田勝景(丸岡城主)・子の孫次郎が合祀されたと伝わっています。しかし、戦後になって墓の位置を移動した際に中を開いたところ、わずかの遺品・調度だけだったそうです。落城の火災・爆発で遺体も発見できなかったと何かで読んだような気がします。尚、お市の方の墓も合祀されてここですが、菩提寺は江戸時代に近くの自性院になっています。 毎年、二人の亡くなった4/24には法要が行われていますし、市内では勝家の武者行列が行われています。残念なことに、震災の為、今年は武者行列は中止になってしまったそうです。 墓の横には北ノ庄城の堀から発見された礎石、勝家が愛用の梅の木があります。梅の木は戦災で焼けたのですが数日で後日発芽したそうで、現代に残っています。 勝家・お市夫婦の遺品は数多くあったそうですが、第2次大戦の福井空襲により多くを失ってしまったそうです。そ…

続きを読む

九頭竜湖

国道158号線を九頭竜川に沿って行くと大きな湖が広がります。名前は「九頭竜湖」。 ここは昔から岐阜とを繋ぐ街道でしたが、豪雪と険しい山で大変な場所でした。昭和42年に九頭竜ダムが建設され大きな湖が出現しました。 山奥特有の新緑の美しさ・燃えるような紅葉が美しい場所で、湖を中心にキャンプ場やスキー場が配されています。 九頭竜ダムはロックフィル式のダムです。ロックフィルというのは石や岩石を積み上げて建設するダムです。黒部ダムのようなアーチ式・コンクリートダムとは違って地盤が軟弱な地に向いているそうです。、石積みが荒く見えますが景観は個人的に好きですね。 北陸や岐阜にはこの形式のダムが多く、御母衣(みほろ)・手取川(てどりがわ)も同じ形式です。高さは128メートル。 九頭竜湖をこの時期走ると紅葉が美しいのですが、途中途中に車を止める場所にはそれぞれの景観地があります。 僕の好きなスポットは「九頭竜湖・ダム」「箱ヶ瀬橋(夢の架け橋)」 「箱ヶ瀬橋」は、瀬戸大橋の試作として造られた物ですが、湖面に浮かぶ姿は綺麗ですよ。新緑や紅葉に冴えるんですよ。 和泉村にある「道の駅 九頭竜湖」も九頭竜湖の山越え前後の一服に最適です。ティラノサウルスの親子のモニュメントがお出迎えしてくれます。 ただし、雪の積る時期は倉庫で冬眠してるそうなのでご注意を^^; 旅行日 2010.11.07 追加 先日(H24.6.24)、昼間にこの道の駅に立ち寄ったんですが、いつものご…

続きを読む

一乗滝 佐々木小次郎

一乗谷の上城戸を越えて、足利義昭が滞在した御所・安養寺址を左に見て、一乗谷の町を左折、山の方に行くと一乗滝があります。 一乗滝は白山開山の泰澄上人が開いたと云われています。 滝の上には不動明王を祀った白滝神社を置いたそうです。 この滝を一躍有名にしたのは佐々木小次郎。 佐々木小次郎は巌流として、宮本武蔵と舟島で対決した剣客です。 佐々木小次郎の得意技「燕返し」。これを編み出した場所がこの滝だと云われています。NHKの大河ドラマ「武蔵」のロケも行われました。 熊本藩士の書いた「二天記」には、「越前国宇坂庄浄教寺村の産」と書かれています。現在の福井市浄教寺町。一乗谷の南隣の村です。 一乗小学校の近くにあった中条流の富田勢源道場に幼い頃から家人・門人として入っていたそうです。 滝の歩道の入り口に佐々木小次郎の像があります。 昔、トリビアの泉という番組で「みのもんたにそっくり」と出ましたが、あんまり点数は出なかったですね。実際、誰かに似てるとは思いますがみのさんじゃないと思います。 佐々木小次郎の生年・誕生地・遍歴には諸説があるんですが、敗者の悲劇と歴史のロマンですね。 旅行日 2010.11.07

続きを読む

諏訪館庭園跡 一乗谷

一乗谷は4つの庭園が国の名勝に指定されています。「館跡庭園」「湯殿跡庭園」「南陽寺跡庭園」「諏訪館庭園跡」がこれにあたります。 朝倉氏滅亡後、「館跡庭園」以外は地表に残っていたものです。 その中で規模の大きなものが「諏訪館庭園跡」です。 この庭園は2140㎡。朝倉屋敷跡の3分の1の大きさを誇ります。 4段組みの滝と滝副石組、楓の古木、は美しい配置です。 滝副石の最大なものは4m以上で日本最大の物です。石には文字が彫ってありますが、これは朝倉宗滴・貞景・孝景の法名で、江戸末期に掘られたものです。ちょっと無粋と思ったのは僕だけ? これほどの豪勢な庭園を持つ館の主は朝倉義景の4人目の側室で小少将です。義景は彼女に夜も昼も溺れ込んだと云われ、傾城の美女として、義景が政治から遠ざかった原因の一つとされています。後日談ですが、義景は一乗谷から落ちる際、自刃した大野六坊賢松寺にもわざわざ連れて行っています。 そんな彼女ですが、義景との間に男子「愛王丸」を授かりましたが、義景死後に捕えられ護送途中、信長の命により親子共々虐殺されたと云われています。 旅行日 2010.11.07

続きを読む

一乗谷朝倉氏遺跡

復元町並みの正面から川を渡った場所に朝倉義景の館跡があります。発掘以前は朝倉義景の菩提寺として「正雲院」と呼ばれる寺院が建っていましたが、現在は福井市内の心月寺に移転統一されています。 入り口には朝倉遺跡の紹介写真で有名な唐門。豊臣秀吉が朝倉義景の菩提の為に寄進したと云われています。表上部に朝倉家の「三ツ木瓜紋」裏には豊臣家の「五三の桐紋」があります。現在建っているのは江戸中期に福井藩主によって建て替えられた物だそうです。 土塁と濠に囲まれた敷地は6400㎡で17棟の建物が確認されています。門をくぐるとその広さには驚きます。 また主殿跡からは日本最古の10m程の花壇も発掘されています。花粉調査から菊・百合・油菜の花が植えられていたようです。いくつか草木を植えて再現していました。一番上の写真の中央右斜め下の長方形の部分です。 主殿脇から木立の中に入ると朝倉義景の墓があります。 元々は天正4年に地元農民が小さな祠を建てたのが始まりですが、江戸初期に福井藩主によって現在の墓塔が建てられたそうです。何となく古びた墓と薄暗がりに栄枯盛衰を感じます。 大野にも義景の墓がありますが、これは江戸中期に子孫によって作られたそうです。朝倉義景は身内の朝倉景鏡によって自刃に追い込まれ、その首は京で獄門に晒されましたが、首も遺体もその後は不明。信長がしゃれこうべで酒杯を作ったといいますが、自分や家臣でそれを使って飲んだというのは創作という説が有力です。 どちらにしても、宏大な屋敷跡を持っ…

続きを読む

最近のコメント