大日川ダム

大日川ダム周辺略図 道路は略図ではどれも同じ幅ですが、実は起伏はあるは車一台がやっとの道も多くあるのでご注意をダムにある地図看板ですがけっこう古いものです。鳥越高原大日スキー場は平成19年(2007年)に名称変更で鳥越大日スポーツランドになったんですが、平成24年にスキー場が閉鎖・廃業しています。現在は広い駐車場を利用したジムカーナや自動車練習・競技会場、阿手町の催物会場になっています。他はいずれも健在ですが白山スーパー林道は平成27年(2015年)に名称が「白山白川郷ホワイトロード」に変更されています。今年は崩落もあって、岐阜側は無料区間と有料区間の三方岩駐車場まで開通していますが、その先の有料区間および石川側の無料区間は通行止めになっています。来年は開通できるそうです。 赤瀬ダム・赤瀬湖を右に観ながら大杉谷川に沿った道(県道43号)を15~20キロほど進み、牛ヶ首峠(地図では丸山)を左折して大日川に沿って10キロほど進むと大日川ダムになります。野性の証明での車の引き上げシーンは赤瀬ダムと云われていますが、僕には車の走行シーンは大日湖東岸道路、引き上げは日川ダムの西側角地に思えました。大日川ダム湖 東側道路から、この道は車幅が狭いので、映画のように転落注意大日川は総延長34.9キロ、石川・福井の県境付近の大日山(1368m)を源にしています。ちなみに大日山は河南三山(江沼三山、鞍掛山・富士写ヶ岳・大日山)に数えられ修験道のメッカでした。古くから大日如来を祀る山として信奉されてきました。また山稜…

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六郎塚(六郎杉) 伝・林六郎光明墓所

日御子神社から西に500mほど行くと、六郎杉と呼ばれる大きな杉の木の繁茂するところがあります。谷崎潤一郎賞を受賞した高樹のぶ子の小説「透光の樹」、秋吉久美子主演で映画化もされていますが、この六郎杉が透光の樹のモデルで、鶴来の町が舞台になっています。まあ谷崎賞ですから、四十路男女の恋愛を官能的に描いていますが、高樹のぶ子特有の流れるような旅情感が冒頭に書かれています。映画の方は一部映像賞や音楽賞を獲得していますが、萩原健一の途中降板や裁判沙汰でスキャンダルが表立って残念な結果でしたが。。 そしてこの六郎杉のある場所は、古くから六郎塚とも呼ばれ、林六郎光明という平安末期から鎌倉初期にかけての武士の墓所跡と伝承され、地元の保護や崇敬を受けて来た土地になります。義経記 巻第七 五 平泉寺御見物の事から引用判官其日篠原に泊り給ひけり。明けければ齋藤別当実盛が手塚太郎光盛に討たれける、あいの池を見て、安宅の渡を越えて、根上の松に著き給ふ。是は白山〔の〕権現に、法施を手向くる所なり。いざや白山を拝まんとて、岩本の十一面観音に御通夜あり。明くれば白山に参りて、女体后の宮を拝み奉らせて、其日は劔の権現の御前に参り給ひて、御通夜ありて、終夜御神楽参らせて、明くれば林六郎光明が背戸を通り給ひて、加賀國富樫と云ふ所も近くなり、富樫介と申すは当國の大名なり。鎌倉殿より仰せは蒙らねども、内々用心して、判官殿を待ち奉るとぞ聞えける。2008.03.02撮影 金剣宮境内 義経腰掛石短いくだりですが、この中に出てくる場所は僕のブ…

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日御子(ひのみこ)神社

北陸鉄道石川線の現在の終点・鶴来駅の一つ手前に日御子(ひのみこ)駅があります。鶴来駅との中間に鶴来高校があるので通学、ガステーブルの点火装置では全国シェアの7割を誇り、現在では浴室テレビ・浴室照明を製造するRBC鶴来工場、陶器のニッコー鶴来工場などがあり貴重な地域の足場になっています。駅名の日御子は、西に少し行ったところにある日御子神社に由来する村名からになります。元は火御子社と呼ばれ、古代には太陽信仰も行われたと伝わりますが、詳しくは解らなかったのでいつもの加能郷土辞彙から抜粋すると・・・日ノ御子・・・石川郡林郷に属する部落。邑名は白山の御子神なる火ノ御子神が鎮座するから起ったのである。大永神書に日御子宮とあるから、火御子を日御子と書いたことも古いことであらう。郷村名義抄に、日御子村の宮神体日天子の由と書いたのは誤である。加越能当跡緒に、『日御子領の内、六郎畠と申所有。林六郎館跡之内。塚も有。』と記する。補足:石川郡林郷は江戸期以降の呼称でお隣の旧松任市の林中地区を指しますが、ここでは後文にある、この一帯を領した林氏の領地を指しています。鎌倉中期以前の林郷を指し、野々市南部(現在の上林・中林・下林など)を中心に旧松任市・旧鶴来町・能美市・金沢港・金沢西南部と広範囲に及ぶと云われています。 六郎畠は現在の六郎塚のことになります。林六郎の正名は林氏全盛時の林六郎光明を指しています。この林氏は能美・石川郡の名家として通っていて富樫氏とは同族になり鎌倉期に没落しています。家系を辿ると富樫氏の本家的存在…

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金名橋(旧手取川橋梁・御影大橋) 手取自転車道橋

現在、キャニオンロードと呼ばれるサイクリングロードはそのほとんどが金名鉄道と呼ばれた白山麓を走る鉄道路線跡になります。金名鉄道(旧北陸鉄道金名線)については始終着駅だった加賀一の宮駅でご紹介しています。 ⇒ 2019.09.01 加賀一の宮駅舎 以前のブログから抜粋・・・金名鉄道は、鶴来の運送業者・小堀定信(こぼりていしん)が出資して、大正14年(1925年)に設立された鉄道会社でした。白山麓に鉄道をの情熱で白山下駅(旧鳥越村・河原山)を起点に創業したものの、白山下駅着工前には資金切れだったものの協力者・出資者を求めながら見切り発車で着工したといういわくつきの鉄道でした。 協力者・出資者募集にぶち上げた構想は、金沢から名古屋までを鉄道で繋ごうという壮大なものでした。もちろん単独路線ではなく、岐阜の越美南線・白鳥駅への鉄道接続、北陸線の金沢までの敷設という構想でした。とはいえ、計画は現在の中宮・白川郷のホワイトロードといった2000m越えの難関が待ち受け、前述の様に着工段階で資金ショートする個人レベルでは難しい路線構想で机上の構想、あくまで出資者・協力者集めだったとも云われています。とはいえ、その構想から金名鉄道と名付けられたわけです。 とはいえ、破産寸前まで追い込まれながら小堀定信の情熱によって、昭和2年(1927年)には神社前駅(加賀一の宮駅)・中鶴来駅に延伸、石川電気軌道の鶴来駅に到達しています。しかし、累積赤字に苦しんだ金名鉄道は、わずか2年で神社前駅・鶴来駅間(約2キロ)を石川電気軌…

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七ヶ用水大水門

前回の加賀一の宮駅舎から、金名鉄道線路だった真新しいサイクリングロードを二人で歩いて、古宮公園の方に以前は、大回りしないと古宮公園の奥に行けなかったんですが、整備されたおかげで目的地には一直線。。 ちょうど曲がろうとしたところで、嫁さんが@@「ねえねえ、あのガラスのピラミッドみたいのは、な~~に?」「えっ、あ~前に来た時、教えてあげたじゃん・・」「覚えてない。。わたし見てくる~~」嫁さんが見に行ったのはこれです。古宮公園 瓦笥発見保存地 2017.04.14撮影白山本宮(白山比咩神社)が、この地にあった時代の1700に及ぶ大量の瓦笥(かわらけ、土師皿)が発掘されたもので、そのほとんどが神事に使用されたもの。まあ、白山本宮のゴミ捨て場。 白山本宮がこの安久濤(あくど)の森に文明12年(1480年)まで、長い期間あった伝承が証明されたものです。白山本宮はこの年に火災で焼失、白山三の宮(現在地)に仮遷座していましたが、世紀を跨いだ前田利家の修復で現在地に固定されました。おかげで本来の三の宮が消失、白山比咩神社の町名・三宮町としてだけが残っています。後で思い出しましたが、昨昨年、家族で来た時に何があるとは教えたけど、あっちウロウロこっちウロウロで佇むお父さんを無視して二人はそそくさと先を歩いていて、その時は見なかったようです。 曲がった先にある建物は「手取川七ヶ用水土地改良区白山管理セン…

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加賀一の宮駅舎

白山比咩神社 表参道一の鳥居(R1.8.13撮影)パーク獅子吼からの帰り道、娘にお土産をということで白山比咩神社の表口に立ち寄ることに。。 白山麓のど真ん中、旧の吉野谷村にある吉野工芸の里の入り口にある大判焼のお店「山法師」 このブログサイトの最初のアップでも紹介しています。⇒ 最初のUP 日本最大級の石ころこのブログの画像はこの時のアップの2.3年前のものですからもう10年も前になるんでしょうか。。最後のおまけ画像としてアップしたものです。 皮ばかり厚く、くどい甘味の多い大判焼ですが、山法師の餡は甘いのはもちろん、変なくどさが無く誰でもペロリ ^O^しかも餡は通常の3倍のボリューム満点。日頃、大判焼はどこで買っても同じとのたまう嫁さんもここだけは特別というほど、、とにかく我が家でも全員大好きな逸品ですアップ当時から全国一の甘党とされる石川県の人には知る人ぞ知るの人気店でした。 吉野工芸の里の入り口にある茅葺屋根が目印の山法師は、白山麓のスキー場関係者が、冬以外の営業として始めたお店で、冬期間は本業のスキー場で休業しています。しかも時間的にも長時間開いているお店でもありませんでした。しかし、白山麓の吉野谷はやはり遠い、ゆっくり走ると自宅からでも車で1時間弱はかかってしまいます。というわけで、白山麓に仕事で行って昼間に通るときに、タイミングが合えば、お土産で買っていたんです。ところが人気が出ると大変な事態…

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獅子ワールド館

全国には春祭り・夏祭り・秋祭り、更には越後獅子、角館ささら舞、長崎袴獅子のご当地舞や正月舞、宴会獅子、演舞劇など様々な獅子舞が四季を通して演じられています。一人立ち・二人立ち・ムカデ獅子・大幌(胴・胴幕・伽耶・萱胴他)、神楽・伎楽、更には獅子頭も様々なものがあります。悪魔・厄払い、豊年祈願・御礼、祝祭、奉納祈願、宴会芸、劇芸など目的も千差万別。各都道府県、各地域でみても一つとして同じものが無いと云われるほどで、国内の民俗芸能では最多と云われるのが獅子舞だと云われる由縁です。能の鏡獅子、伎楽の獅子もありますから、その幅広さは計り知れません。。 獅子ワールド館   これだけ全国に民俗芸能として広がる獅子舞ですが、個別の獅子舞を紹介展示はあるもの、他県や海外を一堂に獅子頭や獅子舞を紹介する資料館はほとんどありません。。僕の知る限りでも獅子博物館(埼玉県白岡市)・ひみ獅子舞ミュージアム(富山県氷見市)くらいです。地元獅子をメインにしますから、規模としては、どちらもそう多くないのですが。。この辺りが全国でも同じものは一つもないと云われる獅子舞・獅子頭の課題にもなります。 白山市でも加賀獅子頭の里として獅子の展示館「獅子ワールド館」があります。やはり大規模なものではありませんが海外の獅子、江戸期の獅子、県外各地の獅子、鶴来町の現役獅子頭などいろいろな獅子が見られます。入場料無料。 ******************************************そもそも獅子の起源・源流はといえば、獅子…

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獅子吼高原 パーク獅子吼

9/1 獅子吼高原のパーク獅子吼で第6回OTSUITCHIマーケットというイベントが開かれていました。俗にいうテント市なんですが、昨年までは旧鶴来町役場(現・白山市役所鶴来支所)の駐車場で年2回ほど開催していたのですが、スペースも狭く、こじんまりとしたイベントになっていました。今回は獅子吼高原の山裾のパーク獅子吼のふるさと館を中心に林間の広い一帯に80店舗のテント市と30店舗のフリーマーケットを開催するという大掛かりなイベントが開催されました。ついでに奥獅子吼登山ハイキングも開催。それまでは商店街や鶴来支所が開催する小規模なものでしたが、今回は若い集団の実行委員会が合体して大きなイベントに仕上がりました。たまたま、仕事の関係のお客さんから紹介されて実行委員会から声が掛かり、ちょこっと関わることになったのです。今までのテント市にはあまり縁がなかったこともあって、以前に観た道の駅の2.3台のテント市かと思って伺うと話が全く違う。。 実行委員会の委員長さんもこれだけの大規模イベントは初めてということで、まあそんなに人は来ないだろうとタカを括っていたんですが、参加入場客は8000人が目標。。。次回もあるかもしれないし、やはり気になるんで嫁さんを誘って久しぶりにパーク獅子吼まで行ってきたんです。 白山市は全体で見れば人口はここ10年程は横ばい微増の状況ですが、やはり地域の差があり人口の増えているのは旧松任市街地で、白山麓の入り口の鶴来地区は微減、また高齢化による問題がやはり顕在化してきています。当然なが…

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桑島化石壁(恐竜壁)

桑島の大栃のある百合谷橋を渡って進むと広々した広場の三叉路に出ますが、右折すると谷川に沿った大嵐山への登山道の入り口駐車場に行けます。途中には近年発見された立木の珪化木があり、大嵐山の登山道の途中には水芭蕉の群生群が見られます。5.6月にまた再訪したいなあ。。今回は先日の台風のせいか通行止めの表示があったのと時間的に断念。三叉路をまっすぐ進むことに、以前は深瀬の手取橋まで行けたんですが、道路が数カ所崩落していてトンネルを抜けたところで通行止めです。とはいえ、目的地はこのトンネルでしたから。。。 三叉路からしばらく行くと、前回画像を紹介した「手取川総合開発記念館」が右手の山上にそびえ立っています。遠くからでも目立つ建物ですが、間近で観ると本当に大きな建物です。 その記念館の前には寂しげで朽ち果てそうな旧家造りの家屋二軒(旧桑島資料館)に挟まれた広場に記念碑と迫力満点の恐竜の像が佇んでいます。 「ライン博士顕彰碑」(写真は撮ったんですが不鮮明な上に銘文が潰れたりで、予測字があります。) ライン博士(1853~1918)は、明治七年(1874)に我が国の工芸調査のため、二年間、プロシア国(現ドイツ国)から派遣された。 山岳信仰研究のため、明治七年七月白山登山をされ、帰路桑島化石壁付近で植物化石を採集された。化石は友人ガイラー博士によって、明治十年ジュラ紀(一億数千年前)のものと公表された。このことは、我が国の化石による地質時代確認の最初の報告であった。 したがって、桑島地区は日本…

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桑島の大栃

白山麓には前回紹介した日本最大の栃ノ木「太田の大栃」のような、栃ノ木の巨樹が幾つか点在していますが、そのほとんどが山間の険しい位置にあります。ただ、唯一の例外が今回の「桑島の大栃」になります。 案内板から・・・ 『桑島の大栃』 推定樹齢・約400年 幹周り・615㎝ 幹高・23m 所在地・石川県白山市桑島10号4番地13号 標高・465m  昭和50年の手取川ダム建設事業に伴う、桑島住宅地や道路の整備により、白峰地域では唯一身近に見られるようになった大栃です。 栃の実は、古くから先人を支え、特産品『とち餅』を育みました。これからもこの巨樹が、多くの人々に末永く見守られる事を願います。 桑島区 白峰観光協会 案内板にあるように、本来この木のある場所は、水芭蕉の群生地のある大嵐山(1204m)の中腹に当たります。 元は山間だったところに、昭和50年(1975年)居住地や道路の造成整備によって、身近な位置で観られる巨木になったわけです。 金沢方向からだと国道157号線で左手に手取川ダム湖を見ながら進むと、白峰村落の手前を左折した桑島大橋でダム湖を渡ったところ、ホテル八鵬を左手に曲がった先、百合谷橋のたもとに桑島の大栃が佇んでいます。 樹勢が強そうで、真っ直ぐで太い主幹が目前で枝分かれしており、葉も生い茂っています。横に停めた愛車フィット君と比べてもらうと大きさが解ると思います。白峰の名産品・とち餅や桑島地区のシンボル的存在です。 百合谷と言えば、この谷川の…

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太田の大栃 国内最大のトチノキ

前回に続いて七尾の寺院を書こうとしたのですが、どうも文章がまとまらず途中書きになったまま、、しばらく頭を柔らかくしてまとまってから書こうと思います。。 久しぶりに一里野に仕事で行ったのですが、予定よりも2週遅れたので、今年はイルミも観れずに終わってしまいました。蕎麦畑も終了した後。。。せっかく白山麓の奥まで来たんですから、ついでに白峰に寄り道してきました。白峰には何度も訪れていながら、白峰でも10数年から20数年ぶりの場所ばかりを再訪してきました。 白峰と勝山の県境は豪雪地帯で、今年の冬も国道沿いでも2メートル以上積もっていたそうです。そんな豪雪地帯の山間地には大木が点在しています。その中には樹種では国内最大の巨樹も存在します。「太田の大栃」。 ご近所ブロ友のgoさんがお気に入りの高山植物園の入り口を200m程、福井方向の谷峠に向かうと、堂埜森神社の社があります。この社が大栃へむかう山道への目印になります。 この堂埜森神社は神社庁HPによれば、古来ここに堂があって守をなしていたところから堂ノ森と称したという。明治に神社明細帳に登載されなかったが、昭和23年に宗教法人になった白峰村内の八坂神社が管理者になっているようです。神社としては新しい部類ですが、古くから祠堂が置かれていたようです。主祭神は素戔嗚(すさのお)ですが、前述の様に、この先には勝山に抜ける最大の難所・谷峠があることから、旅人の安全を見守る手向(たむけ)神の祠堂だったと思われます。 社殿前には文学碑がありま…

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白山七社④ 白山別宮(しらやまべっくう)神社

前回から、すっかり間が空いてしまいましたが、白山七社で最後に登場するのが白山別宮(べっくう)神社です。別宮の読み方は諸説あってはっきりしませんが「べっくう、べつぐう」と読む資料が多いようですが、地名では「べつく」になります。 画像は春先と夏が混在します。申し訳ありません。 小松に加賀国府があった時代、加賀国の中心地は小松でした。加賀国府の推定地は小松市東部の国府町近辺と云われていますが、現在も不明のままです。加賀国府は前のブログでも書いたように、安元事件以降は自然消滅的に消滅して、その後の源平の争乱、寺井・林氏、野々市の富樫氏と中心地が北上して、国府の地も荒涼とした荒れ地や耕作地になったこともあります。 加賀国府が健在だった頃、小松市街や加賀国府から白山参拝の道は、辰口の虚空蔵山などの山間の道を通って、宮竹の平地に出て岩本宮を経由して岩本の渡しから渡し船に乗って本宮、加賀禅定道を進む道。 もう一本が現在の国道360号線をまっすぐ進んで、仏御前の原町を越えて中ノ峠・三坂峠越えで白山麓の鳥越から吉野で加賀禅定道の途中から入るルートでした。 小松から中ノ峠・三坂峠を越えて白山麓の鳥越に入ったところで待つのが白山七社で中宮三社の一つの別宮でした。前回の佐羅宮が加賀禅定道から白山の登山道の関門とするなら、三坂峠越えの関門に当たるのが別宮でした。 前回も紹介しましたが、白山記の記述には…本地は十一面・阿弥陀・正観音の三所権現なり。 十一面は垂迹なり。 御姿本宮の…

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一里野高原 イルミ

台風がどんどん近づいていた前日。嫁さんと二人で夜の一里野高原に 真っ暗な夜の高原に向かう道は久しぶりで、途中雨も降り出して、所々霧も出て怖々運転しておりました。昼間は何度も走っているんですが、真っ暗な夜のワインディングロードは久しぶりで、数えるほど^^; そうまでして行きたかった一里野高原。 毎年秋から冬にかけて、輪島の千枚田までイルミを観に行っていたのですが、今年はついに加賀地区にも登場。ところが時期は8月から9月いっぱいまで、行こう行こうと思いながらあと2週間。。ついに我慢しきれず、嫁さんを無理やり連れだして、一路、白山の麓・一里野高原スキー場まで。。、真っ暗なワインディングロードに、狭いトンネル内の所々に工事信号の片側通行、あげくに雨が降って所々で霧発生の悪路でした。できれば晴れてくれると、もっと楽だったのに。。 今年は白山開山1300年。。今回はそれを記念してという口実に、恋人の聖地らしくと云うことで、イルミネーションのゲレンデを作製。 ガゼポは18世紀頃にヨーロッパの宮殿の庭園などに作られた日本でいう東屋(あずまや)。中国の崖上などに建てられた亭が発祥と云われています。一里野では建物の天井に鐘があって、紐を振って鳴らすとみんなの注目を浴びちゃいます ちなみに恋人の聖地もプロジェクトは10年程ですが全国的に広がってきましたが、始まった頃は県内では河北郡内灘町のラブビーチ・サ…

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旧山岸家住宅

山の民の里とされる白山麓ですが、戦国の混乱は牛首村にも及んでおり、白山平泉寺と越前・加賀一向一揆、更に再侵攻した織田方の柴田勝家軍の間で揺れ動いています。まず時代は越前朝倉家滅亡の頃に遡ります。 ついでに散りばめた画像は林西寺の側の食堂・「みのすけ」さんで食べたお昼の食事で「温そば定食」+100円の大盛で1180円。白山麓のじわもの料理(地産地消)^O^ 祖父と同じ名前で釣られてはいっちゃいましたが、古くから観光事業に尽力している老舗食堂。味も素朴で美味しいお薦め品。文章とは合わないですがご勘弁^^ お隣の越前・勝山の地名の由来ですが・・・織田信長軍が一乗谷を滅ぼして朝倉義景を自害に追い込んで引き上げた後、越前の統治は恭順した朝倉景鏡(あさくらかげあきら、朝倉家滅亡後は土橋信鏡、)に本領安堵と共に一応任せた形をとりました。ところが、部下の相克から土一揆が発生。更にこれに一向宗が加わって一向一揆に変貌します。いつしか一揆衆の標的は景鏡に移っていきます。 元々、朝倉家と一向宗には長い抗争と和平の繰り返しが過去にはあったのですが、そうした朝倉家への恨み辛みの上に、更に織田家に朝倉家及び越前を売った景鏡を標的にするのは自明の理でした。 全盛期の朝倉家ならともかく単なる代官的力しかない景鏡に全面対決する力はなく、一族を率いて逃げ込んだのが白山平泉寺でした。当然ながら越前一向宗は景鏡の引き渡しを要求しますが平泉寺はこれを拒否。平泉寺VS越前一向衆という戦いにまで発展したので…

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林西寺

白峰関連が続いています。。たった一日に廻ったのに、いったい何話書くんだと云われそうですが、笑っておつきあいください。 白山山頂の管理権問題が三番場で争われている最中、天文12年(1543年)牛首・風嵐(平泉寺後援)VS尾添(白山寺後援)の杣取権(木材の伐採・加工権)がこじれ、江戸期に入っても越前松平藩VS加賀前田家の領土係争地になっていました。明暦元年(1655年)に前田利常が尾添に杣取を命じたことから急速に悪化。両地の抗争が両藩の領地抗争に発展します。そして加賀藩が訴える形で幕府裁定に持ち込まれます。 しかし、この領地争いは前々ブログで書いたように。元は加賀領とはいえ柴田勝家時代に白山麓16か村は越前領になっており、その後一向宗討伐の流れで加賀領になっていた経緯、室堂の社屋建築の実績なども牛首・風祭にあり、尾口・尾添は別にして、白峰・西谷は越前平泉寺に親密感を持っていたようです。これに加えて親藩VS外様では加賀藩は不利な立場と言えました。 ちなみに白山麓16か村の内訳は牛首・風嵐(かざらし)・島(桑島)・下田原の白峰四村、深瀬(ふかぜ)・鴇ヶ谷(とがたに)・釜谷(かまたに)・五味島・二口・女原(おなはら)・瀬戸の尾口七村、大日川上流部の新保・須納谷(すのだに)・丸山・杖・小原(おはら)の現小松市の西谷五村。今訪れても山深い山村で多くが過疎やダムの影響で無人村ですが、瀬戸・女原・二口の様に伝統的行事が受け継がれ集落が残る村もあります。 ところが歴史の機微と云いますか、抗争が激化…

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百万貫岩

僕がこのサイトで一番最初にUPしたのが、石川県の名のもとになった手取川についてでした。            2012年6月23日 ⇒ 最初のUP 日本最大級の石ころ さすがに5年も経つと変更部分が、粟津温泉の温泉旅館「法師」、創業が養老2年(718年)でこの時点では世界最古だったんですが、山梨県の西山温泉・慶雲館(慶雲2年(705年)開湯)、兵庫県の城崎温泉・千年の湯 古まん(養老元年(717年))が前年にギネス申請・翌年正式に登録されて、世界(日本)3位になっています。 前ブログの石川の県名の由来と百万貫岩 白山を源流に加賀平野を扇状地にして日本海に流れる「手取川」。3000メートル近くの急峻な日本有数の高低差から流れるため、「石も転がる急流の川」ということで、別名が「石川」。つまり、この手取川の別名から採られたのが県名の由来です。 大昔から暴れ川と知られる存在でしたが、昭和9年に最大の氾濫が起こっています。下流域の現在の川北町・辰口町(現在は能美市)など多くの町村が被害に遭い、多くの家屋や村民が犠牲になっています。その教訓から、河口の美川町から白山麓入口の鶴来町まで長い河岸堤防が築かれています。堤防の上は道路になっていて平常時は県民の憩いの場になっています。天気の良い日にはこんなに静かな川がと思う広々とした風景が続きます。昭和の大洪水・大氾濫の凄さの名残が手取川上流にあります。それが「百万貫岩」。 捕捉になりますが、正確には石川県の名前は、金沢県(金沢藩)から県…

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白山七社(番外編) 岩根神社

前回紹介した白峰の中心から天領取次元・大庄屋・山岸家を右手に観て、石積みが観られる道を真っ直ぐ行くか、白山公園線を市ノ瀬方向に進むと。。白山公園線を冬季通行止めにするゲートの左手に広場があります。 そこが岩根神社になります。(例年ならば11月から4月末までゲートは閉まっていることが多いです。) 白山七社・岩本神社で書きましたが、岩本宮の旧名が岩根宮と呼ばれたとなっていました。能美市教育委員会では岩根宮として文化財指定しています。 しかし、疑義にしたように岩本神社では、岩根宮の名称を天狗壁頂上の磐座を名の謂れにしていますが、やはりどうしてもこれには無理が多いと思われます。それに加賀禅定道とは手取川を挟んでおり、登山道とは少し違っています。ただ、中世以降は間違いなく岩本の渡しの関係性からも岩本宮として白山七社・本宮四社の一角というのは間違いありません。 白山開山(養老元年・717年)から加賀国成立(弘仁14年・823年)までは加賀自体が越前の一部でした。 加賀・越前・美濃番場が定められた天長9年(832年)、鎌倉時代に書かれた白山之記に岩本宮の記述があることから遅くとも平安末期。それまでは加賀の白山社として岩根宮という存在があったわけです。 白峰が主張しているのがこの岩根神社の地になります。越前・加賀禅定道からも離れた位置です。 しかし白山七社の中でも加賀国府からの道からの中継点になる岩本宮・別宮。松任・金沢からの本宮の前に立つ剣宮が示すように、加賀の白山七社は各街道…

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白峰の歴史

予定では中宮三社の別宮を書いて、こちらは番外編にしようと思っていたんですが、文を途中まで書いて昨年訪れた別宮の写真を見たら、撮ったはずの摂社の観音堂の画像がありませんで、もう一度行ってこようと思っています。現在の別宮で昔を語るならこの観音堂は外せないんです。ついでにご無沙汰している鳥越城や資料館も観たいと思っていますんで。。。しばらくお待ちを と、いうわけで、先日、白峰に嫁さんとドライブ&お食事に行って来たんで、重伝保存地区を二人でぶらぶら&おそばをズルズルその帰りに岩根神社と百万貫岩を観てきました。ついでに久しぶりに手取川ダムを観ようとPAにも寄りましたが、ダムには立ち入り禁止で手取湖しか見られませんでした 白峰(旧石川郡白峰村・現、白山市)は白山開山の泰澄の下山地として古くから知られ、現在も観光新道・砂防新道に繋がる市ノ瀬や別当出合に向かう白山公園線や、別山に真っ直ぐ向かう別山市ノ街道の登山口として知られていました。この白峰地区は石川県内でも特殊な場所で、古くは冬期間は下界から途絶する地区で、白山と手取川本流に抱かれた自然と共に生きてきた歴史があります。加賀であって加賀でない、福井勝山との関係が深いとはいえ、また福井とも違う雰囲気、白峰は白峰という山の民の里だと理解して欲しい場所です。 福井県勝山市が巨大な恐竜館を造って恐竜の里と呼ばれていますが、白峰の桑島化石壁は勝山市の北谷と同じ手取層群…

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白山七社③ 佐羅早松神社

加賀番場にあたる白山比咩神社と岩本宮・剣宮・三宮はある程度近い距離の存在で固まっています(本宮四社)。 「白山之記」の「白山七社本地垂迹事」という箇所には・・・ 本宮   御位は正一位なり       本地は十一面観音なり。 垂迹は女神なり。 御髻と御装束は唐女の如し。 金剣宮 白山の第一の王子なり       本地は倶利伽羅明王なり。 垂迹は男神なり。 御冠に上衣を着す。 銀弓と金箭を帯し、金作の御太刀刷かせ給ふ。 三宮   白山の第三の姫宮なり       本地は千手観音なり。 垂迹は女神なり。 御装束等は本宮の如し。 岩本宮 白山の第二の王子なり       禅師権現なり。 本地は地蔵菩薩なり。 垂迹は僧形なり。 本地は仏教での本体。垂迹は姿を変えた神話の神の姿になります。この四宮が本宮の菊理姫神を母親にして、残りの三つの宮は兄弟・妹の家族を表していることになります。金剣宮の倶利伽羅明王は剣が本性の明王ですから不動明王にすることがあります。 これから紹介する中宮三社も、この形式を持っていて、関係性が解ります。前述の「白山記」の同文を記すと   中宮   本地は如意輪なり。 垂迹は本宮の如し。 ただし童形か。 児宮と云々。 ただし根本は如意輪なり。 後に三所を祝ひ奉る。 佐羅宮 本地は不動明王なり。 垂迹は金剣宮の如し。 早松は普賢・文殊なり。 二童子の本地か。 別宮   本地は十一面・阿弥陀・正観音の三所権現なり。 十一面は…

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白山七社② 岩本神社

だいぶ日が経ってしまいましたが、白山七社シリーズに戻ります。 前回のブログ ⇒ 白山七社① 古宮公園(白山本宮跡)周辺 白山山頂の奥宮へと参拝する禅定道は、加賀・越前・美濃の三道がありました。古来の禅定道は信仰の道ですから、自分の足で歩くのが基本でした。どんな有力者・分限者であれ変わりはありませんでした。 古く伝統のある神社や寺院の入り口では観ることがあると思いますが、下馬下乗の石碑や掲示札(下馬札)があります。 大きな神社になるとその神域は広大なものになっていきます。白山神の神域もなかなか広大なものになります。最初に元も子もないことを書いてしまいますが、白山という名の山は本来はここには存在しないんです。御前峰(2702m)・剣ヶ峰(2677m)・大汝峰(2684m)の白山三峰、三県が跨る別山・三ノ峰を加えた白山五峰を中心にした山地の総称が白山になり、正式には両白山地・白山連峰といいます。ただ両白山地にしてしまうと、富山・石川・福井・岐阜;滋賀の山並みのほとんどになってしまうので、白山と云えば前述の五峰を中心にした連山を指して言います。白山開祖の泰澄上人が拝んだ別山・御前峰・大汝峰が白山三山と云います。この三山にそれぞれ別山神社・白山奥宮・大汝神社が置かれています。この三山が白山神の総称地になります。 当然ながら、この神の山地・越のしらやま・白山に登る禅定道も神の道ということで、下馬下乗の対象になったわけです。加賀・越前・美濃の三禅定道が成立したのは平安時代初期で、その起点(…

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樹木公園 夜桜

石川県内もすっかり葉桜になってしまいました。ただ早かったソメイヨシノとは違って、倶利伽羅峠の6000本の八重桜は満開が遅れたようで、ちょうど今が満開だそうです。ただ行けそうにはないんですねえ。。久しぶりに赤餅食べながら、お花見したかったなあ。。 本当なら仕事もこの辺で目途が就く予定でしたが、ちんたら仕事をしていたおかげで、仕事が大幅に遅れてGWもひたすら帳票作成と遅れている更改のお客さんを回らねばなりません。遅くなりすぎて一部のお客さんには怒られています^^; そういういけない行為をしていたせいか、先週は川北の桜風景を書こうとして、文章を半分以上書いていたら途中で消失。久しぶりの出来事でした。しばらく順調だったので気を抜いて一気に書こうとしてたんですが、豆に保存しながら書かないといけませんねえ><; ということで、川北の分はまたの機会にしまして、画像の少なめな久しぶりの樹木公園を。。まあ、桜の時季は終わってますが、去った桜を懐かしみながらということで、、 明るい時の桜の樹木公園はだいぶ古い記事ですが ⇒ 2010.04.18 樹木公園 白山麓の入り口、白山市(旧石川郡鶴来町)にある樹木公園。正式には石川県農林総合研究センター・林業試験場の構内公園(樹木公園)になります。昭和37年(1962年)に当地に開設。 林業試験場の総面積約43.7ha。本館や展示館・研究室などの建物施設は1.2ha程で、大部分が苗場や試験林や林業研修、展示樹林も山地を利用したものになっています。 ※ち…

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白山七社① 古宮公園(白山本宮跡)周辺

お客さんへの営業廻りの時間調整や予定のない帰途に名所旧跡めぐりをすることが多い僕ですが、本来ならばこの時季は桜の名所ならばいうことなしなんでしょうが。。。そこはお客様の場所と時間次第さらに飛び込みの事務仕事が多いんで、出られない時も多いんで。。 桜の名所もちょこちょこ短時間立ち寄りはしていますが、また後になりますが時季外れという声は無視してご紹介いたします^^なんせ気に入ってて、3年連続で行ってる場所もあるのにいまだアップしてないし‥ ここ何日かは白山麓の入り口に行っていました。おかげで、まだ行ってなかった白山七社の佐羅早松神社にもよることが出来ました。これで白山七社は全制覇^^V 画像のない岩本神社に再度行って画像をとって紹介すれば、全部ご紹介できると思います。 実は前のブログの前には、だいぶ前に訪れていた白山別宮神社(別宮)を途中まで書いていたんですが、弥生さくら公園の桜が見事で、そっちを優先してしまったんです。 今年開山1300年を迎える霊峰・白山に加賀から登る際には、現在は白峰経由で市ノ瀬から登るのが主流ですが、実はこれ、勝山の越前馬場(平泉寺白山神社)からの越前禅定道の中途から登る形になります。 加賀馬場(白山本宮・白山比咩神社)を起点に尾添の一里野からハライ谷を登るのが、古来の加賀禅定道でした。ちなみに馬場(ばんば)のあった加賀・神宮寺・白山寺、越前・平泉寺、美濃・長滝寺ですが、各寺から先の白山に向かう道は霊域として、馬は禁止されていて、ここでつなぎ…

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徳丸白山神社(とくまるしらやまじんじゃ)

冬場になると寒いのが一番でついつい引き籠りになってしまい、自堕落な生活を送ってしまいます。仕事も日暮れが早くて目的地に行って真っ直ぐ帰ってくるだけになってしまい、なかなか寄り道もしていないので記事のネタもないので、ついつい古くなっちゃいます。替わりに画像整理で掘り起こしています。 久しぶりにご近所シリーズです。。。。我が家から2番目に近い神社が「徳丸白山神社」です。 田圃のマン真ん中にある神社ですが、けっこう古い歴史を持っているようで、境内の広場も広く、毎年左義長が行われています。ただ残念なことにまだ一度もこの神社の左義長を観たことないんですけどね。。 名前が示すように、旧松任市の徳丸地区の氏神様です。徳丸町は結構広い地区で、思ったよりも広域に渡っていています。 徳丸白山神社由来碑 主祭神 菊理比咩命(きくりひめのみこと) 祭 神 豊受比咩命(とようけひめのみこと) 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)       菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 宮  司 柏木 信勝 伝説によれば大宝二年(西暦七百二年)文武天皇の頃 白き霊鳥が船岡山(元白山比咩神社鎮座の地)より飛びきたりて留まること三日ばかり ついに飛び去る様もなく依って村人たち神霊なりとして白山比咩神社に願うて御分霊を豊受し霊鳥の留まるところに鎮斎せり これ当社の起源なりとある その頃この地に眼病が流行し 宮守の者夢に観音よりその薬法を授けられその薬にて眼病も平…

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舟岡山城

白山市の旧鶴来町は古くから白山巡礼の入り口的存在で、宿場的存在として古くから栄えた町です。また、加賀禅定道の起点となる加賀馬場となる白山比咩神社が鎮座することで知られています。 手取川の流れが作った細長い盆地と、獅子吼高原と呼ばれる急峻な高原がすぐ側に迫る特異な自然環境です。盆地の横の崖面は町を守るようにありますが、その端に舟の形のような台地になる孤峰があります。                                          清沢坊願得寺跡 H25.12.04撮影 戦国初中期、加賀国の実権を握っていたのは、加賀守護・富樫政親を高尾城に滅ぼした真宗勢力の賀州三ヶ寺(松岡寺(蓮綱、蓮如三男)、山田光教寺(蓮誓、蓮如四男)、二俣・若松本泉寺(蓮乗⇒蓮悟、蓮如次男⇒七男)でした。鶴来には蓮如の十男・実悟が本泉寺・蓮悟の養子となって清沢坊願得寺に置かれていました。この実悟が、加賀を「百姓が持ちたる国」と云った人物です。願得寺の名称は実如(蓮如の長男)から与えられたもので、実如は北陸に退避した蓮如に代わって近畿に残り、旧仏教・朝廷交渉を一身にになった人物です。早世しなければ確実な法主候補でした。というより晩期には法主的存在でした。真宗内では、実如から寺名を下賜されることはこの時点では蓮如以上に重要なものでした。 しかし実如の死後、本願寺内の内紛で能登・加賀・越前守護まで巻き込んだ享禄の錯乱(大小一揆)が起きます。しかし北陸真宗の最強軍団・山之内衆が大一揆側(本願寺・本覚寺・超勝…

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笥笠中宮神社(けがさちゅうぐうじんじゃ)

先日、久しぶりに一里野まで用事があって行ってきました。白山麓まで道路は冬に向けて補修工事が真っ盛り。 もう少しすれば紅葉も盛りを迎えるし、白山スーパー林道もとい白山白川郷ホワイトロード(今年から名前が変わったんでした。)にも久しぶりに行ってみたいですねえ。通行料金も以前の半額(普通車1600円)になったことだし。 しかし今回は夕方の約束だったんで、時間的に陽が落ちるんで一里野から先には行かなかったんです。帰り道の夕暮れ時でしたが、新中宮温泉の幟に釣られて、笥笠中宮神社(けがさちゅうぐう)に寄ってみました。江戸期以前は笥笠中ツ宮(けがさなかつのみや)というのが正式なようですが。。 そういえば、いつのまに新中宮温泉になったんでしょうか。。たしか、僕の記憶の中では、ちょっと前まで中宮温泉と思っていたけど。。でも温泉施設の総湯は昔から新中宮温泉センターだったような。。気もするし まあ前述のホワイトロードの料金所近くに中宮温泉がありますから、ややこしいのは確かなんですが、新ナントカというのはなぜか違和感を感じますね。どちらが中宮の元祖となると温泉は確かに奥の中宮温泉になるんですが、歴史的な文化では新中宮の方が古いんじゃないでしょうか。。あんまりその辺の名称に関しては詳しくはないんですが。。 白山市には市が運営する五つの市民温泉があるんですが、ここの新中宮温泉センターもその内の一つになります。ちなみに他の市民温泉施設は松任海浜温泉(徳光CCZ)・めおと岩温泉(旧河内村紅津、ラクヨウ)・大…

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天狗橋 天狗壁

以前、不動滝で鶴来八景を紹介したことがありますが、その八景の中に「天狗橋納涼」というのがあります。天狗橋は手取川に架かる橋で加賀禅定道の入り口となる白山比咩神社のある鶴来と能美・辰口を繋ぐ貴重な存在でした。 天狗橋がある場所の手前は白山麓から流れる手取川が大きく左折して広がり、鶴来八景の一つ「臥龍堤月見」の十八講河原を経て加賀平野の扇状地を作っています。天狗橋はこの扇状地の始まりとなる扇の要の様な場所になります。 江戸時代までは、能美の岩本宿と鶴来の大国町を渡し船がありました。この渡し船を「岩本の渡し」と呼んでいました。以前紹介した「七ツ滝」で紹介しましたが、江戸時代の史家・小倉有年の紀行文の中でも「岩本の渡し」が出ています。(江戸期以前は手取川の本流はもう少し鶴来よりに流れていました。昭和9年の大洪水による河岸堤防の整備、七ヶ用水の整備や国道157号線の整備で現在のようになったと云われています。) 明治になると渡し船も廃れてしまい、地元の要望で吊り橋が作られたそうです。当時はまだまだ人が渡れる程度のものだったようですが、昭和9年(1934年)の手取川の大氾濫で流されてしまい仮の吊り橋が架けられ、改めて本橋となる吊り橋が架けられました。 昭和25年9月ジェーン台風(台風28号)が襲来、11月に天狗橋が傾いたと県は国に申請しています。 ところが実際には県から指示を受けた土木事務所による作為的な破壊でした。この破壊工作中に運の悪いことに通行中の地元民と休日視察中の土木作業員の…

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鶴来浄水場(手取川水道事務所)

毎日、口にする水道水の浄化・管理をおこなう水道施設は、通常は安全のために立入制限が厳重なものの一つです。それでも、団体見学などの申請をすれば、意外に公開見学ができます。 でも個人となるとなかなか難しいし、説明職員が居ないと駄目なので、今日の今日と云った飛込み見学は断られます。 その水道施設が一般に公開されるのが水道週間の時、6月の上旬になりますが、個人としてはこの週が狙い目です。とはいえ、予定や仕事でなかなか合わせにくいのですが。。。 以前、ご紹介していますが、園地が国名勝に指定されている金沢の.末浄水場、同じく文化財指定の犀川浄水場など、水という大切な物を扱うために自然で清浄感の安定した場所が必要なために、水道施設のある場所や施設は美しい所が多くなります。 毎日使っている水道水ですが、水道施設の取水場やポンプ場、浄水場や配水場を意識している人はそれ程多くないと思います。実際、あって当たり前的な感覚だと思います。 たまたまなんですが、請求書類の打合せでお客さんに会う必要があったのですが、お客さんが指定してきた場所が、なんと今回は手取川水道事務所。金沢の末・犀川には何度か入場しているんですが、白山市の鶴来浄水場は初めての入場正直、内心ワクワクドキドキラッキーなんちゃって こういうときだけは、営業外回りの良い所と感じちゃいます。これで、石川県の水道の三浄水場は…

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鳥越の雪 ~ 秋浜海岸の夕陽

すっかりご無沙汰しています 毎年のことながら、この時期は仕事の繁忙期で只でさえ、更新や訪問が滞ってしまいます 今年は更に仕事の商品改定や帳票や支払方法の変更で、繁忙に輪を掛けて苦しんでいます 更に、年末にひいた咳風邪が治らず、、、、まあ治りかけに嫁さんがインフルになって、、、うつされて悪化したんですが、、、幸い、僕のはインフルではなく風邪だったみたい、、、でもしゃべってると咳が止まらない。。 ついでに時間のある時に記事UPをしようとしたら、PCの不調か、、、途中で消えちゃったり、、、 マア、二重どころか四重苦。。。。と云ったところ。。。 4月半ば過ぎには完全復帰予定(大丈夫かなあ。。) 忙しいとは言っても、サボろうと思えばサボれる営業仕事。。写真だけは溜まっています。まだ、前のも残っているのに。。 ちまたでは、桜の開花や満開情報が聞こえてきます。僕の近所でも早咲きの桜が観られたりします。春ももうすぐ本番。スタッドレス…

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火伏不動尊 ~ 市神宮跡

鶴来の町にお仕事でお客さんちに行ったんですが、ちょっと早かったみたいで留守。 少し時間つぶしにそこらをぶらぶら。。ちょっと変わった建物を見つけて立ち寄ってみました。 鶴来の町は獅子吼側は段丘になっていて、大きな断崖が壁のようになっています。そこを背にするように中心街があります。その崖の登り口にあったのが、この建物でした。古風な木造りの建物。 入口には火伏不動尊の文字が、こういうのを見ると興味津々で観に行ってしまう僕^^ 玄関は鍵が掛かっていて入れませんでしたが、ヒョイと上を見上げると面白いもの発見。 表額と並んで架けられているのは、一枚岩の欠片。その石に古銭を貼り付けて鳥居を作ってありました。 のどかで静かな所で鶴来別院や真宗系のお寺が多く並び、住宅が立ち並ぶ場所ですが、ひょっこりとこういうのがあるのが、古くから白山麓に向かう宿屋や酒造が多くあって、真宗と白山詣での入り口として栄えた宿場町だった名残と云えますね~~ この火伏不動尊の下に広がるのが鶴来の中心街で住宅なども密集している場所で、火の用心は大事なものでした。もちろん、消防設備も大事ですが、古くから火から守られる願いを込めた火伏不動尊は大事にされてきました。ちょっと格子の隙間から覗き見すると小さな不動尊像が。。。 地蔵堂や地蔵尊はよく観かけますが、この不動尊の管理は清沢町の有志で管理しているそうですが、町内管理でこのように立派な御堂を持つ不動尊はなかなか珍しいと思います。この辺りは古くからの住人が多く、真宗時…

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五十谷(ごじゅうだに)の大杉

白山一里野からの帰り道、 この時季は気温も過ごしやすいし空気も何となく澄んで感じますから、ついつい気持ちよく走っちゃうんですが。。白山麓は冬支度もあって道路やスノーガードの補修が急ピッチで、あっちこっちで片側通行になっています。あと1か月ほどもすると雪の話題が出るんでしょう。そのために頑張って貰ってるんでありがたいんですが、さすがに何度も停まって待っているとウ~ンってなっちゃいます。 で、まっすぐ家に帰るのを変更して、鳥越の別宮神社(べつくじんじゃ)を左折して五十谷(ごじゅうだに)の方に寄り道してみることに。。 帰り道の関係であまりこちらの方を通らないので、知らない道の一つだったんです。でもこの道沿いに知る人ぞ知る有名なものが二つあるんです。 大日川から支流になる堂川にそって5キロ程道を進むと五十谷八幡神社が右手に現れます。ここまで来ると、ホントに人里離れたというのが実感できます。でも、この神社に素晴らしい杉が御神木としてあるんですよ。間近で観ると圧倒されるくらいの荘厳さのある木です。県指定天然記念物「五十谷の大杉」 長い腕を水平に伸ばしたような姿は、異形ともいえる迫力と荘厳さを併せ持っています。以前にご紹介した吉野谷の御仏供杉(おぼけすぎ)の仲間ですが、まったく違った姿を魅せてくれています。山中の人里離れた所にある巨木の姿に、しばし感嘆と共に木の形や枝の流れに見入ってしまいました。 日本に自生する杉は日本特有の固有種になります。国内の樹…

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