桑島化石壁(恐竜壁)

桑島の大栃のある百合谷橋を渡って進むと広々した広場の三叉路に出ますが、右折すると谷川に沿った大嵐山への登山道の入り口駐車場に行けます。途中には近年発見された立木の珪化木があり、大嵐山の登山道の途中には水芭蕉の群生群が見られます。5.6月にまた再訪したいなあ。。今回は先日の台風のせいか通行止めの表示があったのと時間的に断念。三叉路をまっすぐ進むことに、以前は深瀬の手取橋まで行けたんですが、道路が数カ所崩落していてトンネルを抜けたところで通行止めです。とはいえ、目的地はこのトンネルでしたから。。。 三叉路からしばらく行くと、前回画像を紹介した「手取川総合開発記念館」が右手の山上にそびえ立っています。遠くからでも目立つ建物ですが、間近で観ると本当に大きな建物です。 その記念館の前には寂しげで朽ち果てそうな旧家造りの家屋二軒(旧桑島資料館)に挟まれた広場に記念碑と迫力満点の恐竜の像が佇んでいます。 「ライン博士顕彰碑」(写真は撮ったんですが不鮮明な上に銘文が潰れたりで、予測字があります。) ライン博士(1853~1918)は、明治七年(1874)に我が国の工芸調査のため、二年間、プロシア国(現ドイツ国)から派遣された。 山岳信仰研究のため、明治七年七月白山登山をされ、帰路桑島化石壁付近で植物化石を採集された。化石は友人ガイラー博士によって、明治十年ジュラ紀(一億数千年前)のものと公表された。このことは、我が国の化石による地質時代確認の最初の報告であった。 したがって、桑島地区は日本…

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桑島の大栃

白山麓には前回紹介した日本最大の栃ノ木「太田の大栃」のような、栃ノ木の巨樹が幾つか点在していますが、そのほとんどが山間の険しい位置にあります。ただ、唯一の例外が今回の「桑島の大栃」になります。 案内板から・・・ 『桑島の大栃』 推定樹齢・約400年 幹周り・615㎝ 幹高・23m 所在地・石川県白山市桑島10号4番地13号 標高・465m  昭和50年の手取川ダム建設事業に伴う、桑島住宅地や道路の整備により、白峰地域では唯一身近に見られるようになった大栃です。 栃の実は、古くから先人を支え、特産品『とち餅』を育みました。これからもこの巨樹が、多くの人々に末永く見守られる事を願います。 桑島区 白峰観光協会 案内板にあるように、本来この木のある場所は、水芭蕉の群生地のある大嵐山(1204m)の中腹に当たります。 元は山間だったところに、昭和50年(1975年)居住地や道路の造成整備によって、身近な位置で観られる巨木になったわけです。 金沢方向からだと国道157号線で左手に手取川ダム湖を見ながら進むと、白峰村落の手前を左折した桑島大橋でダム湖を渡ったところ、ホテル八鵬を左手に曲がった先、百合谷橋のたもとに桑島の大栃が佇んでいます。 樹勢が強そうで、真っ直ぐで太い主幹が目前で枝分かれしており、葉も生い茂っています。横に停めた愛車フィット君と比べてもらうと大きさが解ると思います。白峰の名産品・とち餅や桑島地区のシンボル的存在です。 百合谷と言えば、この谷川の…

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太田の大栃 国内最大のトチノキ

前回に続いて七尾の寺院を書こうとしたのですが、どうも文章がまとまらず途中書きになったまま、、しばらく頭を柔らかくしてまとまってから書こうと思います。。 久しぶりに一里野に仕事で行ったのですが、予定よりも2週遅れたので、今年はイルミも観れずに終わってしまいました。蕎麦畑も終了した後。。。せっかく白山麓の奥まで来たんですから、ついでに白峰に寄り道してきました。白峰には何度も訪れていながら、白峰でも10数年から20数年ぶりの場所ばかりを再訪してきました。 白峰と勝山の県境は豪雪地帯で、今年の冬も国道沿いでも2メートル以上積もっていたそうです。そんな豪雪地帯の山間地には大木が点在しています。その中には樹種では国内最大の巨樹も存在します。「太田の大栃」。 ご近所ブロ友のgoさんがお気に入りの高山植物園の入り口を200m程、福井方向の谷峠に向かうと、堂埜森神社の社があります。この社が大栃へむかう山道への目印になります。 この堂埜森神社は神社庁HPによれば、古来ここに堂があって守をなしていたところから堂ノ森と称したという。明治に神社明細帳に登載されなかったが、昭和23年に宗教法人になった白峰村内の八坂神社が管理者になっているようです。神社としては新しい部類ですが、古くから祠堂が置かれていたようです。主祭神は素戔嗚(すさのお)ですが、前述の様に、この先には勝山に抜ける最大の難所・谷峠があることから、旅人の安全を見守る手向(たむけ)神の祠堂だったと思われます。 社殿前には文学碑がありま…

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白山七社④ 白山別宮(しらやまべっくう)神社

前回から、すっかり間が空いてしまいましたが、白山七社で最後に登場するのが白山別宮(べっくう)神社です。別宮の読み方は諸説あってはっきりしませんが「べっくう、べつぐう」と読む資料が多いようですが、地名では「べつく」になります。 画像は春先と夏が混在します。申し訳ありません。 小松に加賀国府があった時代、加賀国の中心地は小松でした。加賀国府の推定地は小松市東部の国府町近辺と云われていますが、現在も不明のままです。加賀国府は前のブログでも書いたように、安元事件以降は自然消滅的に消滅して、その後の源平の争乱、寺井・林氏、野々市の富樫氏と中心地が北上して、国府の地も荒涼とした荒れ地や耕作地になったこともあります。 加賀国府が健在だった頃、小松市街や加賀国府から白山参拝の道は、辰口の虚空蔵山などの山間の道を通って、宮竹の平地に出て岩本宮を経由して岩本の渡しから渡し船に乗って本宮、加賀禅定道を進む道。 もう一本が現在の国道360号線をまっすぐ進んで、仏御前の原町を越えて中ノ峠・三坂峠越えで白山麓の鳥越から吉野で加賀禅定道の途中から入るルートでした。 小松から中ノ峠・三坂峠を越えて白山麓の鳥越に入ったところで待つのが白山七社で中宮三社の一つの別宮でした。前回の佐羅宮が加賀禅定道から白山の登山道の関門とするなら、三坂峠越えの関門に当たるのが別宮でした。 前回も紹介しましたが、白山記の記述には…本地は十一面・阿弥陀・正観音の三所権現なり。 十一面は垂迹なり。 御姿本宮の…

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一里野高原 イルミ

台風がどんどん近づいていた前日。嫁さんと二人で夜の一里野高原に 真っ暗な夜の高原に向かう道は久しぶりで、途中雨も降り出して、所々霧も出て怖々運転しておりました。昼間は何度も走っているんですが、真っ暗な夜のワインディングロードは久しぶりで、数えるほど^^; そうまでして行きたかった一里野高原。 毎年秋から冬にかけて、輪島の千枚田までイルミを観に行っていたのですが、今年はついに加賀地区にも登場。ところが時期は8月から9月いっぱいまで、行こう行こうと思いながらあと2週間。。ついに我慢しきれず、嫁さんを無理やり連れだして、一路、白山の麓・一里野高原スキー場まで。。、真っ暗なワインディングロードに、狭いトンネル内の所々に工事信号の片側通行、あげくに雨が降って所々で霧発生の悪路でした。できれば晴れてくれると、もっと楽だったのに。。 今年は白山開山1300年。。今回はそれを記念してという口実に、恋人の聖地らしくと云うことで、イルミネーションのゲレンデを作製。 ガゼポは18世紀頃にヨーロッパの宮殿の庭園などに作られた日本でいう東屋(あずまや)。中国の崖上などに建てられた亭が発祥と云われています。一里野では建物の天井に鐘があって、紐を振って鳴らすとみんなの注目を浴びちゃいます ちなみに恋人の聖地もプロジェクトは10年程ですが全国的に広がってきましたが、始まった頃は県内では河北郡内灘町のラブビーチ・サ…

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旧山岸家住宅

山の民の里とされる白山麓ですが、戦国の混乱は牛首村にも及んでおり、白山平泉寺と越前・加賀一向一揆、更に再侵攻した織田方の柴田勝家軍の間で揺れ動いています。まず時代は越前朝倉家滅亡の頃に遡ります。 ついでに散りばめた画像は林西寺の側の食堂・「みのすけ」さんで食べたお昼の食事で「温そば定食」+100円の大盛で1180円。白山麓のじわもの料理(地産地消)^O^ 祖父と同じ名前で釣られてはいっちゃいましたが、古くから観光事業に尽力している老舗食堂。味も素朴で美味しいお薦め品。文章とは合わないですがご勘弁^^ お隣の越前・勝山の地名の由来ですが・・・織田信長軍が一乗谷を滅ぼして朝倉義景を自害に追い込んで引き上げた後、越前の統治は恭順した朝倉景鏡(あさくらかげあきら、朝倉家滅亡後は土橋信鏡、)に本領安堵と共に一応任せた形をとりました。ところが、部下の相克から土一揆が発生。更にこれに一向宗が加わって一向一揆に変貌します。いつしか一揆衆の標的は景鏡に移っていきます。 元々、朝倉家と一向宗には長い抗争と和平の繰り返しが過去にはあったのですが、そうした朝倉家への恨み辛みの上に、更に織田家に朝倉家及び越前を売った景鏡を標的にするのは自明の理でした。 全盛期の朝倉家ならともかく単なる代官的力しかない景鏡に全面対決する力はなく、一族を率いて逃げ込んだのが白山平泉寺でした。当然ながら越前一向宗は景鏡の引き渡しを要求しますが平泉寺はこれを拒否。平泉寺VS越前一向衆という戦いにまで発展したので…

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林西寺

白峰関連が続いています。。たった一日に廻ったのに、いったい何話書くんだと云われそうですが、笑っておつきあいください。 白山山頂の管理権問題が三番場で争われている最中、天文12年(1543年)牛首・風嵐(平泉寺後援)VS尾添(白山寺後援)の杣取権(木材の伐採・加工権)がこじれ、江戸期に入っても越前松平藩VS加賀前田家の領土係争地になっていました。明暦元年(1655年)に前田利常が尾添に杣取を命じたことから急速に悪化。両地の抗争が両藩の領地抗争に発展します。そして加賀藩が訴える形で幕府裁定に持ち込まれます。 しかし、この領地争いは前々ブログで書いたように。元は加賀領とはいえ柴田勝家時代に白山麓16か村は越前領になっており、その後一向宗討伐の流れで加賀領になっていた経緯、室堂の社屋建築の実績なども牛首・風祭にあり、尾口・尾添は別にして、白峰・西谷は越前平泉寺に親密感を持っていたようです。これに加えて親藩VS外様では加賀藩は不利な立場と言えました。 ちなみに白山麓16か村の内訳は牛首・風嵐(かざらし)・島(桑島)・下田原の白峰四村、深瀬(ふかぜ)・鴇ヶ谷(とがたに)・釜谷(かまたに)・五味島・二口・女原(おなはら)・瀬戸の尾口七村、大日川上流部の新保・須納谷(すのだに)・丸山・杖・小原(おはら)の現小松市の西谷五村。今訪れても山深い山村で多くが過疎やダムの影響で無人村ですが、瀬戸・女原・二口の様に伝統的行事が受け継がれ集落が残る村もあります。 ところが歴史の機微と云いますか、抗争が激化…

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百万貫岩

僕がこのサイトで一番最初にUPしたのが、石川県の名のもとになった手取川についてでした。            2012年6月23日 ⇒ 最初のUP 日本最大級の石ころ さすがに5年も経つと変更部分が、粟津温泉の温泉旅館「法師」、創業が養老2年(718年)でこの時点では世界最古だったんですが、山梨県の西山温泉・慶雲館(慶雲2年(705年)開湯)、兵庫県の城崎温泉・千年の湯 古まん(養老元年(717年))が前年にギネス申請・翌年正式に登録されて、世界(日本)3位になっています。 前ブログの石川の県名の由来と百万貫岩 白山を源流に加賀平野を扇状地にして日本海に流れる「手取川」。3000メートル近くの急峻な日本有数の高低差から流れるため、「石も転がる急流の川」ということで、別名が「石川」。つまり、この手取川の別名から採られたのが県名の由来です。 大昔から暴れ川と知られる存在でしたが、昭和9年に最大の氾濫が起こっています。下流域の現在の川北町・辰口町(現在は能美市)など多くの町村が被害に遭い、多くの家屋や村民が犠牲になっています。その教訓から、河口の美川町から白山麓入口の鶴来町まで長い河岸堤防が築かれています。堤防の上は道路になっていて平常時は県民の憩いの場になっています。天気の良い日にはこんなに静かな川がと思う広々とした風景が続きます。昭和の大洪水・大氾濫の凄さの名残が手取川上流にあります。それが「百万貫岩」。 捕捉になりますが、正確には石川県の名前は、金沢県(金沢藩)から県…

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白山七社(番外編) 岩根神社

前回紹介した白峰の中心から天領取次元・大庄屋・山岸家を右手に観て、石積みが観られる道を真っ直ぐ行くか、白山公園線を市ノ瀬方向に進むと。。白山公園線を冬季通行止めにするゲートの左手に広場があります。 そこが岩根神社になります。(例年ならば11月から4月末までゲートは閉まっていることが多いです。) 白山七社・岩本神社で書きましたが、岩本宮の旧名が岩根宮と呼ばれたとなっていました。能美市教育委員会では岩根宮として文化財指定しています。 しかし、疑義にしたように岩本神社では、岩根宮の名称を天狗壁頂上の磐座を名の謂れにしていますが、やはりどうしてもこれには無理が多いと思われます。それに加賀禅定道とは手取川を挟んでおり、登山道とは少し違っています。ただ、中世以降は間違いなく岩本の渡しの関係性からも岩本宮として白山七社・本宮四社の一角というのは間違いありません。 白山開山(養老元年・717年)から加賀国成立(弘仁14年・823年)までは加賀自体が越前の一部でした。 加賀・越前・美濃番場が定められた天長9年(832年)、鎌倉時代に書かれた白山之記に岩本宮の記述があることから遅くとも平安末期。それまでは加賀の白山社として岩根宮という存在があったわけです。 白峰が主張しているのがこの岩根神社の地になります。越前・加賀禅定道からも離れた位置です。 しかし白山七社の中でも加賀国府からの道からの中継点になる岩本宮・別宮。松任・金沢からの本宮の前に立つ剣宮が示すように、加賀の白山七社は各街道…

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白峰の歴史

予定では中宮三社の別宮を書いて、こちらは番外編にしようと思っていたんですが、文を途中まで書いて昨年訪れた別宮の写真を見たら、撮ったはずの摂社の観音堂の画像がありませんで、もう一度行ってこようと思っています。現在の別宮で昔を語るならこの観音堂は外せないんです。ついでにご無沙汰している鳥越城や資料館も観たいと思っていますんで。。。しばらくお待ちを と、いうわけで、先日、白峰に嫁さんとドライブ&お食事に行って来たんで、重伝保存地区を二人でぶらぶら&おそばをズルズルその帰りに岩根神社と百万貫岩を観てきました。ついでに久しぶりに手取川ダムを観ようとPAにも寄りましたが、ダムには立ち入り禁止で手取湖しか見られませんでした 白峰(旧石川郡白峰村・現、白山市)は白山開山の泰澄の下山地として古くから知られ、現在も観光新道・砂防新道に繋がる市ノ瀬や別当出合に向かう白山公園線や、別山に真っ直ぐ向かう別山市ノ街道の登山口として知られていました。この白峰地区は石川県内でも特殊な場所で、古くは冬期間は下界から途絶する地区で、白山と手取川本流に抱かれた自然と共に生きてきた歴史があります。加賀であって加賀でない、福井勝山との関係が深いとはいえ、また福井とも違う雰囲気、白峰は白峰という山の民の里だと理解して欲しい場所です。 福井県勝山市が巨大な恐竜館を造って恐竜の里と呼ばれていますが、白峰の桑島化石壁は勝山市の北谷と同じ手取層群…

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白山七社③ 佐羅早松神社

加賀番場にあたる白山比咩神社と岩本宮・剣宮・三宮はある程度近い距離の存在で固まっています(本宮四社)。 「白山之記」の「白山七社本地垂迹事」という箇所には・・・ 本宮   御位は正一位なり       本地は十一面観音なり。 垂迹は女神なり。 御髻と御装束は唐女の如し。 金剣宮 白山の第一の王子なり       本地は倶利伽羅明王なり。 垂迹は男神なり。 御冠に上衣を着す。 銀弓と金箭を帯し、金作の御太刀刷かせ給ふ。 三宮   白山の第三の姫宮なり       本地は千手観音なり。 垂迹は女神なり。 御装束等は本宮の如し。 岩本宮 白山の第二の王子なり       禅師権現なり。 本地は地蔵菩薩なり。 垂迹は僧形なり。 本地は仏教での本体。垂迹は姿を変えた神話の神の姿になります。この四宮が本宮の菊理姫神を母親にして、残りの三つの宮は兄弟・妹の家族を表していることになります。金剣宮の倶利伽羅明王は剣が本性の明王ですから不動明王にすることがあります。 これから紹介する中宮三社も、この形式を持っていて、関係性が解ります。前述の「白山記」の同文を記すと   中宮   本地は如意輪なり。 垂迹は本宮の如し。 ただし童形か。 児宮と云々。 ただし根本は如意輪なり。 後に三所を祝ひ奉る。 佐羅宮 本地は不動明王なり。 垂迹は金剣宮の如し。 早松は普賢・文殊なり。 二童子の本地か。 別宮   本地は十一面・阿弥陀・正観音の三所権現なり。 十一面は…

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白山七社② 岩本神社

だいぶ日が経ってしまいましたが、白山七社シリーズに戻ります。 前回のブログ ⇒ 白山七社① 古宮公園(白山本宮跡)周辺 白山山頂の奥宮へと参拝する禅定道は、加賀・越前・美濃の三道がありました。古来の禅定道は信仰の道ですから、自分の足で歩くのが基本でした。どんな有力者・分限者であれ変わりはありませんでした。 古く伝統のある神社や寺院の入り口では観ることがあると思いますが、下馬下乗の石碑や掲示札(下馬札)があります。 大きな神社になるとその神域は広大なものになっていきます。白山神の神域もなかなか広大なものになります。最初に元も子もないことを書いてしまいますが、白山という名の山は本来はここには存在しないんです。御前峰(2702m)・剣ヶ峰(2677m)・大汝峰(2684m)の白山三峰、三県が跨る別山・三ノ峰を加えた白山五峰を中心にした山地の総称が白山になり、正式には両白山地・白山連峰といいます。ただ両白山地にしてしまうと、富山・石川・福井・岐阜;滋賀の山並みのほとんどになってしまうので、白山と云えば前述の五峰を中心にした連山を指して言います。白山開祖の泰澄上人が拝んだ別山・御前峰・大汝峰が白山三山と云います。この三山にそれぞれ別山神社・白山奥宮・大汝神社が置かれています。この三山が白山神の総称地になります。 当然ながら、この神の山地・越のしらやま・白山に登る禅定道も神の道ということで、下馬下乗の対象になったわけです。加賀・越前・美濃の三禅定道が成立したのは平安時代初期で、その起点(…

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樹木公園 夜桜

石川県内もすっかり葉桜になってしまいました。ただ早かったソメイヨシノとは違って、倶利伽羅峠の6000本の八重桜は満開が遅れたようで、ちょうど今が満開だそうです。ただ行けそうにはないんですねえ。。久しぶりに赤餅食べながら、お花見したかったなあ。。 本当なら仕事もこの辺で目途が就く予定でしたが、ちんたら仕事をしていたおかげで、仕事が大幅に遅れてGWもひたすら帳票作成と遅れている更改のお客さんを回らねばなりません。遅くなりすぎて一部のお客さんには怒られています^^; そういういけない行為をしていたせいか、先週は川北の桜風景を書こうとして、文章を半分以上書いていたら途中で消失。久しぶりの出来事でした。しばらく順調だったので気を抜いて一気に書こうとしてたんですが、豆に保存しながら書かないといけませんねえ><; ということで、川北の分はまたの機会にしまして、画像の少なめな久しぶりの樹木公園を。。まあ、桜の時季は終わってますが、去った桜を懐かしみながらということで、、 明るい時の桜の樹木公園はだいぶ古い記事ですが ⇒ 2010.04.18 樹木公園 白山麓の入り口、白山市(旧石川郡鶴来町)にある樹木公園。正式には石川県農林総合研究センター・林業試験場の構内公園(樹木公園)になります。昭和37年(1962年)に当地に開設。 林業試験場の総面積約43.7ha。本館や展示館・研究室などの建物施設は1.2ha程で、大部分が苗場や試験林や林業研修、展示樹林も山地を利用したものになっています。 ※ち…

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白山七社① 古宮公園(白山本宮跡)周辺

お客さんへの営業廻りの時間調整や予定のない帰途に名所旧跡めぐりをすることが多い僕ですが、本来ならばこの時季は桜の名所ならばいうことなしなんでしょうが。。。そこはお客様の場所と時間次第さらに飛び込みの事務仕事が多いんで、出られない時も多いんで。。 桜の名所もちょこちょこ短時間立ち寄りはしていますが、また後になりますが時季外れという声は無視してご紹介いたします^^なんせ気に入ってて、3年連続で行ってる場所もあるのにいまだアップしてないし‥ ここ何日かは白山麓の入り口に行っていました。おかげで、まだ行ってなかった白山七社の佐羅早松神社にもよることが出来ました。これで白山七社は全制覇^^V 画像のない岩本神社に再度行って画像をとって紹介すれば、全部ご紹介できると思います。 実は前のブログの前には、だいぶ前に訪れていた白山別宮神社(別宮)を途中まで書いていたんですが、弥生さくら公園の桜が見事で、そっちを優先してしまったんです。 今年開山1300年を迎える霊峰・白山に加賀から登る際には、現在は白峰経由で市ノ瀬から登るのが主流ですが、実はこれ、勝山の越前馬場(平泉寺白山神社)からの越前禅定道の中途から登る形になります。 加賀馬場(白山本宮・白山比咩神社)を起点に尾添の一里野からハライ谷を登るのが、古来の加賀禅定道でした。ちなみに馬場(ばんば)のあった加賀・神宮寺・白山寺、越前・平泉寺、美濃・長滝寺ですが、各寺から先の白山に向かう道は霊域として、馬は禁止されていて、ここでつなぎ…

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徳丸白山神社(とくまるしらやまじんじゃ)

冬場になると寒いのが一番でついつい引き籠りになってしまい、自堕落な生活を送ってしまいます。仕事も日暮れが早くて目的地に行って真っ直ぐ帰ってくるだけになってしまい、なかなか寄り道もしていないので記事のネタもないので、ついつい古くなっちゃいます。替わりに画像整理で掘り起こしています。 久しぶりにご近所シリーズです。。。。我が家から2番目に近い神社が「徳丸白山神社」です。 田圃のマン真ん中にある神社ですが、けっこう古い歴史を持っているようで、境内の広場も広く、毎年左義長が行われています。ただ残念なことにまだ一度もこの神社の左義長を観たことないんですけどね。。 名前が示すように、旧松任市の徳丸地区の氏神様です。徳丸町は結構広い地区で、思ったよりも広域に渡っていています。 徳丸白山神社由来碑 主祭神 菊理比咩命(きくりひめのみこと) 祭 神 豊受比咩命(とようけひめのみこと) 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)       菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 宮  司 柏木 信勝 伝説によれば大宝二年(西暦七百二年)文武天皇の頃 白き霊鳥が船岡山(元白山比咩神社鎮座の地)より飛びきたりて留まること三日ばかり ついに飛び去る様もなく依って村人たち神霊なりとして白山比咩神社に願うて御分霊を豊受し霊鳥の留まるところに鎮斎せり これ当社の起源なりとある その頃この地に眼病が流行し 宮守の者夢に観音よりその薬法を授けられその薬にて眼病も平…

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舟岡山城

白山市の旧鶴来町は古くから白山巡礼の入り口的存在で、宿場的存在として古くから栄えた町です。また、加賀禅定道の起点となる加賀馬場となる白山比咩神社が鎮座することで知られています。 手取川の流れが作った細長い盆地と、獅子吼高原と呼ばれる急峻な高原がすぐ側に迫る特異な自然環境です。盆地の横の崖面は町を守るようにありますが、その端に舟の形のような台地になる孤峰があります。                                          清沢坊願得寺跡 H25.12.04撮影 戦国初中期、加賀国の実権を握っていたのは、加賀守護・富樫政親を高尾城に滅ぼした真宗勢力の賀州三ヶ寺(松岡寺(蓮綱、蓮如三男)、山田光教寺(蓮誓、蓮如四男)、二俣・若松本泉寺(蓮乗⇒蓮悟、蓮如次男⇒七男)でした。鶴来には蓮如の十男・実悟が本泉寺・蓮悟の養子となって清沢坊願得寺に置かれていました。この実悟が、加賀を「百姓が持ちたる国」と云った人物です。願得寺の名称は実如(蓮如の長男)から与えられたもので、実如は北陸に退避した蓮如に代わって近畿に残り、旧仏教・朝廷交渉を一身にになった人物です。早世しなければ確実な法主候補でした。というより晩期には法主的存在でした。真宗内では、実如から寺名を下賜されることはこの時点では蓮如以上に重要なものでした。 しかし実如の死後、本願寺内の内紛で能登・加賀・越前守護まで巻き込んだ享禄の錯乱(大小一揆)が起きます。しかし北陸真宗の最強軍団・山之内衆が大一揆側(本願寺・本覚寺・超勝…

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笥笠中宮神社(けがさちゅうぐうじんじゃ)

先日、久しぶりに一里野まで用事があって行ってきました。白山麓まで道路は冬に向けて補修工事が真っ盛り。 もう少しすれば紅葉も盛りを迎えるし、白山スーパー林道もとい白山白川郷ホワイトロード(今年から名前が変わったんでした。)にも久しぶりに行ってみたいですねえ。通行料金も以前の半額(普通車1600円)になったことだし。 しかし今回は夕方の約束だったんで、時間的に陽が落ちるんで一里野から先には行かなかったんです。帰り道の夕暮れ時でしたが、新中宮温泉の幟に釣られて、笥笠中宮神社(けがさちゅうぐう)に寄ってみました。江戸期以前は笥笠中ツ宮(けがさなかつのみや)というのが正式なようですが。。 そういえば、いつのまに新中宮温泉になったんでしょうか。。たしか、僕の記憶の中では、ちょっと前まで中宮温泉と思っていたけど。。でも温泉施設の総湯は昔から新中宮温泉センターだったような。。気もするし まあ前述のホワイトロードの料金所近くに中宮温泉がありますから、ややこしいのは確かなんですが、新ナントカというのはなぜか違和感を感じますね。どちらが中宮の元祖となると温泉は確かに奥の中宮温泉になるんですが、歴史的な文化では新中宮の方が古いんじゃないでしょうか。。あんまりその辺の名称に関しては詳しくはないんですが。。 白山市には市が運営する五つの市民温泉があるんですが、ここの新中宮温泉センターもその内の一つになります。ちなみに他の市民温泉施設は松任海浜温泉(徳光CCZ)・めおと岩温泉(旧河内村紅津、ラクヨウ)・大…

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天狗橋 天狗壁

以前、不動滝で鶴来八景を紹介したことがありますが、その八景の中に「天狗橋納涼」というのがあります。天狗橋は手取川に架かる橋で加賀禅定道の入り口となる白山比咩神社のある鶴来と能美・辰口を繋ぐ貴重な存在でした。 天狗橋がある場所の手前は白山麓から流れる手取川が大きく左折して広がり、鶴来八景の一つ「臥龍堤月見」の十八講河原を経て加賀平野の扇状地を作っています。天狗橋はこの扇状地の始まりとなる扇の要の様な場所になります。 江戸時代までは、能美の岩本宿と鶴来の大国町を渡し船がありました。この渡し船を「岩本の渡し」と呼んでいました。以前紹介した「七ツ滝」で紹介しましたが、江戸時代の史家・小倉有年の紀行文の中でも「岩本の渡し」が出ています。(江戸期以前は手取川の本流はもう少し鶴来よりに流れていました。昭和9年の大洪水による河岸堤防の整備、七ヶ用水の整備や国道157号線の整備で現在のようになったと云われています。) 明治になると渡し船も廃れてしまい、地元の要望で吊り橋が作られたそうです。当時はまだまだ人が渡れる程度のものだったようですが、昭和9年(1934年)の手取川の大氾濫で流されてしまい仮の吊り橋が架けられ、改めて本橋となる吊り橋が架けられました。 昭和25年9月ジェーン台風(台風28号)が襲来、11月に天狗橋が傾いたと県は国に申請しています。 ところが実際には県から指示を受けた土木事務所による作為的な破壊でした。この破壊工作中に運の悪いことに通行中の地元民と休日視察中の土木作業員の…

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鶴来浄水場(手取川水道事務所)

毎日、口にする水道水の浄化・管理をおこなう水道施設は、通常は安全のために立入制限が厳重なものの一つです。それでも、団体見学などの申請をすれば、意外に公開見学ができます。 でも個人となるとなかなか難しいし、説明職員が居ないと駄目なので、今日の今日と云った飛込み見学は断られます。 その水道施設が一般に公開されるのが水道週間の時、6月の上旬になりますが、個人としてはこの週が狙い目です。とはいえ、予定や仕事でなかなか合わせにくいのですが。。。 以前、ご紹介していますが、園地が国名勝に指定されている金沢の.末浄水場、同じく文化財指定の犀川浄水場など、水という大切な物を扱うために自然で清浄感の安定した場所が必要なために、水道施設のある場所や施設は美しい所が多くなります。 毎日使っている水道水ですが、水道施設の取水場やポンプ場、浄水場や配水場を意識している人はそれ程多くないと思います。実際、あって当たり前的な感覚だと思います。 たまたまなんですが、請求書類の打合せでお客さんに会う必要があったのですが、お客さんが指定してきた場所が、なんと今回は手取川水道事務所。金沢の末・犀川には何度か入場しているんですが、白山市の鶴来浄水場は初めての入場正直、内心ワクワクドキドキラッキーなんちゃって こういうときだけは、営業外回りの良い所と感じちゃいます。これで、石川県の水道の三浄水場は…

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鳥越の雪 ~ 秋浜海岸の夕陽

すっかりご無沙汰しています 毎年のことながら、この時期は仕事の繁忙期で只でさえ、更新や訪問が滞ってしまいます 今年は更に仕事の商品改定や帳票や支払方法の変更で、繁忙に輪を掛けて苦しんでいます 更に、年末にひいた咳風邪が治らず、、、、まあ治りかけに嫁さんがインフルになって、、、うつされて悪化したんですが、、、幸い、僕のはインフルではなく風邪だったみたい、、、でもしゃべってると咳が止まらない。。 ついでに時間のある時に記事UPをしようとしたら、PCの不調か、、、途中で消えちゃったり、、、 マア、二重どころか四重苦。。。。と云ったところ。。。 4月半ば過ぎには完全復帰予定(大丈夫かなあ。。) 忙しいとは言っても、サボろうと思えばサボれる営業仕事。。写真だけは溜まっています。まだ、前のも残っているのに。。 ちまたでは、桜の開花や満開情報が聞こえてきます。僕の近所でも早咲きの桜が観られたりします。春ももうすぐ本番。スタッドレス…

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火伏不動尊 ~ 市神宮跡

鶴来の町にお仕事でお客さんちに行ったんですが、ちょっと早かったみたいで留守。 少し時間つぶしにそこらをぶらぶら。。ちょっと変わった建物を見つけて立ち寄ってみました。 鶴来の町は獅子吼側は段丘になっていて、大きな断崖が壁のようになっています。そこを背にするように中心街があります。その崖の登り口にあったのが、この建物でした。古風な木造りの建物。 入口には火伏不動尊の文字が、こういうのを見ると興味津々で観に行ってしまう僕^^ 玄関は鍵が掛かっていて入れませんでしたが、ヒョイと上を見上げると面白いもの発見。 表額と並んで架けられているのは、一枚岩の欠片。その石に古銭を貼り付けて鳥居を作ってありました。 のどかで静かな所で鶴来別院や真宗系のお寺が多く並び、住宅が立ち並ぶ場所ですが、ひょっこりとこういうのがあるのが、古くから白山麓に向かう宿屋や酒造が多くあって、真宗と白山詣での入り口として栄えた宿場町だった名残と云えますね~~ この火伏不動尊の下に広がるのが鶴来の中心街で住宅なども密集している場所で、火の用心は大事なものでした。もちろん、消防設備も大事ですが、古くから火から守られる願いを込めた火伏不動尊は大事にされてきました。ちょっと格子の隙間から覗き見すると小さな不動尊像が。。。 地蔵堂や地蔵尊はよく観かけますが、この不動尊の管理は清沢町の有志で管理しているそうですが、町内管理でこのように立派な御堂を持つ不動尊はなかなか珍しいと思います。この辺りは古くからの住人が多く、真宗時…

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五十谷(ごじゅうだに)の大杉

白山一里野からの帰り道、 この時季は気温も過ごしやすいし空気も何となく澄んで感じますから、ついつい気持ちよく走っちゃうんですが。。白山麓は冬支度もあって道路やスノーガードの補修が急ピッチで、あっちこっちで片側通行になっています。あと1か月ほどもすると雪の話題が出るんでしょう。そのために頑張って貰ってるんでありがたいんですが、さすがに何度も停まって待っているとウ~ンってなっちゃいます。 で、まっすぐ家に帰るのを変更して、鳥越の別宮神社(べつくじんじゃ)を左折して五十谷(ごじゅうだに)の方に寄り道してみることに。。 帰り道の関係であまりこちらの方を通らないので、知らない道の一つだったんです。でもこの道沿いに知る人ぞ知る有名なものが二つあるんです。 大日川から支流になる堂川にそって5キロ程道を進むと五十谷八幡神社が右手に現れます。ここまで来ると、ホントに人里離れたというのが実感できます。でも、この神社に素晴らしい杉が御神木としてあるんですよ。間近で観ると圧倒されるくらいの荘厳さのある木です。県指定天然記念物「五十谷の大杉」 長い腕を水平に伸ばしたような姿は、異形ともいえる迫力と荘厳さを併せ持っています。以前にご紹介した吉野谷の御仏供杉(おぼけすぎ)の仲間ですが、まったく違った姿を魅せてくれています。山中の人里離れた所にある巨木の姿に、しばし感嘆と共に木の形や枝の流れに見入ってしまいました。 日本に自生する杉は日本特有の固有種になります。国内の樹…

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二曲城(ふとげじょう)

加賀一向一揆の最後の牙城として有名なのが「鳥越城」ですが、この鳥越城と連携して最後まで抵抗した城が「二曲城(ふとげじょう)」です。 鳥越城の規模が大きく有名すぎて支城扱いということもあり、更に発掘調査の開始が平成16年と近年になってからということもあり、影に隠れたように意外に知られていませんが、一向一揆の城としては最後まで抵抗した城として同等の評価があっても良いように思われる城です。 鳥越城の発掘物などを展示している「鳥越一向一揆歴史館」「道の駅・一向一揆の里」がある場所は、間に大日川が流れ、別宮から三坂峠まで南北を山岳に囲まれた盆地帯ですが、白山麓の一向宗徒の本拠地になっていました。 この地には鳥越・二曲城主で白山麓門徒(山内衆)の指揮官の鈴木出羽守の屋敷もあったそうです。 鈴木出羽守の屋敷があったとされる場所は、二曲城の登り口の左手に鳥越一向一揆の慰霊碑の横に建つ平吉庵がある場所だそうです。 現在は出合町となっていますが、応時は一向一揆館や二曲城の麓の上出合は二曲(ふとげ)とも呼ばれていました。 ちなみに「二曲」の由来は、美貌と優雅さで知られた鈴木出羽守の娘が立ち上がった際、長い髪が背を伝って下に降り、更に二曲り(ふたまがり)も溜まったということから来ているそうです。これは江戸期の十村役の書上げ帳に書かれているそうです。 鈴木出羽守に関しては資料が少なく詳細は多くありませんが、二曲が本貫とも本願寺が依頼して紀伊雑賀衆門徒から…

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金剣宮参道 不動滝

以前と云うよりも、だいぶ前にご紹介したことのある金剣宮。たまに車休憩に立ち寄るんですが、毎回駐車場に車を停めるんで直接に宮に入ってしまいます。今回は久しぶりに表・裏参道を往復してきました。 事前に前のブログを読んでみたら、大きな間違いを発見 何を勘違いしてたのやら 金剣宮の主祭神を大国主と書いていましたが大国主は脇祭神。。主祭神は天津彦彦穂瓊々杵尊(あまつひこ ひこほ ににぎ のみこと)でした。ホノニニギは天孫降臨で葦原中国に降り立った神です。天照大神の息子と高皇産霊尊(たかむすび・高木神)の娘の間に出来た子で、天孫ニニギとも呼ばれています。海幸彦・山幸彦の父になります。山幸彦は神武天皇の祖父になりますから、神武の曾祖父になります。 金剣宮では明治の神仏分離の際にホノニニギを主祭神・白山第一御子彦神に比定したそうです。明治の神仏分離では記紀の神を、現地神に比することが多いのですが、何故ホノニニギかは不明です。 元々、白山七社の一社の金剣宮では、当然ながら白山神(白山比咩大神・妙理大権現・菊理媛神、呼び名はいろいろあります。)を信奉していました。七社の入り口に当たることから、主祭神は白山第一御子彦神(妙理権現第一王子)となっていました。明治以降はホノニニギを同一としていますが、江戸期以前は単独神でした。 神仏習合には本地垂迹(ほんじすいじゃく)という考えがあります。これは仏・菩薩・天部が日本の民衆の前に現れる際には八百万の神の姿…

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めおと岩 

今年のGWに上越の嫁さんの実家から、義母と義兄が遊びに来てくれました。 嫁さんはもうニコニコで、何日も前からニコニコそわそわで、部屋掃除と整理に大忙しになっていました。日頃からまめにやってれば良いんでしょうが、そこは掃除が苦手な我が家族。これだけはなかなかうまくいきませんねえ。 5月3日は朝から風邪が強く雨ふりでしたが、午後から嘘のように綺麗に晴れたんですが、 義兄曰く、「黒部の辺りから富山過ぎるまで嵐のようで前も見難かった。。疲れた~~」 我が家に着いた時には二人とも疲労感いっぱいでした。。 本当は午後から観光に行こうと思っていたんですが、この様子では無理。 というわけで、日帰り温泉に行って、家でゆっくり食っちゃ寝にしようと予定変更 いつもは家から近いCCZ温泉なんですが、たまに…

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金沢南総合運動公園・バラ園 ~ 御仏供杉(おぼけすぎ)

今年(H23)は花が遅れてくれたおかげで、観る機会が多くて喜んでいます。 菖蒲はちょっと見れなそうですけど桜や藤は見れましたから、それとなんと薔薇も観ることができました。 今回(6/4)は金沢市にある「金沢南総合運動公園」のバラ園に行ってきました。 金沢南総合運動公園は第2回の国民体育大会(国体)に使用された陸上競技場・球技場・総合プールを中心にした運動施設公園です。 その他に芝生広場・ゲートボール場もあり、金沢市民の憩いの場になっています。金沢の居住・住宅地の中心にありますが、全くそれを感じさせない静けさもあり、散策にも持って来いの雰囲気があります。 この運動公園の一角に目的のバラ園があります。 石川県内でも人気スポットの一つになっていて120種・約1800本のバラが美しい花を見せてくれています。 見頃は5月下旬から6月上旬ですが、秋の9月下旬から10月上旬も見頃です。それ以外の夏場にも幾つか咲いています。 " /> バラにもいろいろな種類や色があるんですねえ。。写真にはないですがブルーに挑戦中の水色の薔薇もありました。それと各国のプリンセスの名を冠したものも多く見かけました。花の名前に疎い僕としては花の側に名前の立札があるのはとっても嬉しい。                           プリンセス・ミチコ 白山麓のミントレイノのバラ園も見ようと行ったんですが、こちらは山間にあるため、全くと言うほど咲いていませんでした。2週間後…

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藤の花

グリーンパークに藤棚を観て来ました 一昨日の強風激しい雨 昨日の黄砂 と、打って変わって、今日は良い天気 前から藤棚が観たいという嫁さんを連れて「松任グリーンパーク」まで行ってきました。 一昨年よりはまばらで丈も短かったけど、360mの藤棚は美しい花を見せてくれてます。でも、土曜で天気が良いとあって、見物のお客さんがいっぱい ちょこっと二人で一周して次に向かうことに 松任グリーンパーク 次に行ったのが旧河内村(現白山市河内町)にある「吉岡園地」 ここにも長い藤棚があるんですが、まだ作られてから10年も経っていないので、まだまだ不揃いな感じ。。藤の蔦が繁茂するには長い時間がひつようですねえ。それと2.3週ほど早かったような気がします。それでも藤棚の下を歩けるように歩道が整備されていて、綺麗な花や薫りが感じられます。 吉岡園地 この園地に道路を挟んであるドーム型の建物が「白山美術館」。遊学館高校などを抱える金城学園の短期大学部の美術科が運営しています。 ちょう…

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河内地場産業センター 食事処ふじ

今冬(H23)は昨年と違って白山麓に行く用事がなく、ちょっとホッとしてたんですが、この日仕事が入って旧河内村まで行くことになっちゃいました。 家の近辺はこんな感じだったんですが、、、、 7.8キロ先、待ち合わせのお客さんの鶴来の町に入ると、雪がこんもり ほんのわずか場所が変わっただけでこの状態です。あな恐ろしや 雪をバカにしちゃいけません 一晩で50センチほど降ってしまったそうで、着いた時には除雪の真っ最中 ということで、旧河内村までは一人で行くことに 河内村は鶴来から更に6.7キロ・白山方向に行ったところ。いやはやここも凄い雪でした。今週末、昨年紹介した「白峰雪だるま祭り」に行こうと思ってたんですが、3mは積もってるそうです。どうしようかなあ でも、2000以上の雪だるまも魅力なんだよねえ さて、目的もそうそうに終了。。朝早く出たせいか。。そう、朝ご飯食べてなかったんですよ。時間は11:00前。と、いうことで朝食兼昼食を食べていくことに{%おにぎりw…

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プラチナロード③ 岩間山荘

さて、一里野高原の岩間山荘に着いて、近くの温泉センターの「天領」の露天風呂に入って、部屋にくつろいで居たのですが、時間も6時近くになると「ご飯はまだ~~~」 日頃、6時前には晩飯を食べている義母・義兄、もう待ちきれない様子 日頃、晩ご飯の遅い我が家族は、見ない振り聞かない振り 我が家は晩御飯が遅くって、早くても9時過ぎ^^;下手すると11時なんて時もあるんです。6時だと早すぎて、なかなか胃腸が反応してくれなくてまっ、食べ始めるとちゃんと食べちゃうんですけど 窓辺でタバコしながら、こんな庭を眺めていました。巣箱に何か居ないかと見ていたけど居ないみたい。朝、餌台に野鳥が来ていました。 午後6時 晩御飯の開始 もう待ちかねたようにお座敷に急ぐ義母・義兄そして続く義弟家族。のんびり付いて行く我が家族。こういう所に各家庭の平生が覗えます{%…

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プラチナルート② パーク獅子吼ふれあい館 ~ 一里野 岩間山荘

前回の日記で、昆虫館の後にパーク獅子吼に寄ったのですが、実を言うとその3日前にも仕事で訪れていたのです。 パーク獅子吼は高原の頂上のスカイ獅子吼・スキー場、麓のもく遊りん・獅子ワールド・造り物の館・地元工芸品の広場など鶴来の観光の発信源になっています。プラチナルートの石川側のスタート地点になっています。 7/14 そのパーク獅子吼の運営事務所は、ゴンドラ乗り場の向かいの木造ドームふれあい館」になります。この建物は表から見ると平屋みたいに見えますが、中に入るとすり鉢式になっています。一番底を中心にコンサート会場になるようになっています。毎週、土日には各種のコンサートが開催されています。それを囲むように上部にはテーブルが配置されていて、食事が出来るようになっています。 さて、仕事の打ち合わせも終わり、食事をしていくことにレストラン 表の幟にあった「つるぎ牛カレー」にしました。価格はワンコインの500円。牛肉をルーの3分の1使ってギュギュッと煮込んだそうです。「胸焼けしない」が、歌い文句なんだけど、量が多いのも特徴です 確かに食べやすい味です中辛ですが舌にピリピリという刺激はありませんちなみに、福神漬け・ラッキョウ・サラダも地場の物です。 7/17 話が…

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