狼煙・禄剛崎灯台 ~ 見附島(軍艦島)

珠洲の塩田からさらに東に向かいまして、大谷川を越えて三叉路を左折します。 そうそう、大谷川では5月3~5日に300匹以上の鯉流しの「鯉のぼりフェスティバル」を開催しているそうです。一度見たいと思ってるんですけどね。未だ果たせずにいます。 ここからはのどかな田舎道になります。田畑や網小屋などなど 大谷から15キロ程ったら、狼煙の町に到着です。 レストハウス横の駐車場に車を停めて、正面の人家の横から登り口に 先を歩いていくのは、我家の二人 この登り坂が結構きついのですよ。標高50m位しかないんだけど、結構急な坂道なんですよ日頃、運動不足の3人にはキツイのナンの道の途中には8月頭なのに、木陰には紫陽花・日向にはコスモスが咲いてます。それだけがハヒハヒ云ってる3人には慰めでしたねぇ 坂道を登りきると緑の広場が待っています。この広場が結構広いんですが、途中に幾つかモニュメントが作られています…

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仁江海岸 珠洲製塩

曽々木海岸から更に東に進んでいくと珠洲市に入ります。 暫く海を眺めながらと平坦な道に、そして海岸の岩もなくなり、のどかな海岸線になります。 昔、この国道249号線は塩の道、塩街道と呼ばれていました。それは、ここ珠洲で作られる塩を運ぶための道だったんです。 珠洲では揚浜式製塩が受け継がれています。 道の駅「すず塩田村」で、資料や映像が見られます。施設も綺麗だけど施設が整いすぎて、観光され過ぎかも。おかげで、観光客はみんな寄って行きますね。僕たちが通ったときもいっぱいでしたねぇ でも、もっと東に行くと何軒か、製塩を営んでいる会社の建物があるんで、そちらの方が本格的なものが見られます ということで、ここによって行きました。「珠洲製塩」 ここのほうが、お客さんも少ないし、本格的な製塩も見られます それに店頭販売の塩もスーパーや通販より安いのですよ ここでは、「揚浜式製塩」と「流下式製塩」の2種類見られます。 「揚浜式」は、砂を敷き詰め、海水をかけて、その砂を集めた砂桶で海水を濾過するものです。全国的にも珠洲でしか見られなくなりました。 行った時、ちょうど砂を集めている時でした。真昼の日差しの中での作業はたいへんそう{%晴れwe…

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白米千枚田~曽々木海岸

朝市通りから駐車場に戻ってきまして、     「さて、何処行こうかな。。。」 全然予定を立ててなかったんですよ、なんという無計画     「猿山岬と禄剛崎、どっちが良い?」 返事のない二人を無視して、独り決め     「よし、禄剛崎に行こう...10年ぶりだなぁ」 ちなみに猿山岬は輪島から西、禄剛崎は東、能登半島の鼻っ面になります。 地図感のない二人には、地名は解れど、位置感覚は無し。 行き先は勝手に僕が決めちゃうのです 輪島市街から国道249号線を東へ15キロ程って小休憩 天気が良くて暑かったんで、毎回の事ながらまたしてもこれです ちと,欲しかったばかりに頭を舐めちゃいました。少し形が悪いんですが ここは「千枚田ポケットパーク」展望台から千枚田を一望できるんですが、あまりの暑さにレストハウスに飛び込んじゃいました まぁ、花より団子、千枚田よりソフトクリーム{%顔文字ファイトhdec…

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朝市通り 市姫社

毎年8月に輪島のお客さんの所に行くことになっています。今年(H18)も行かねば 毎年、能登地区のお客さんを調整していたのですが、今年(H18)は上手く調整できなくて一軒だけの訪問になってしまいました。ならばという事で、ついでに能登に観光しようとなりまして、嫁さんと娘も乗せて お客さんの家は輪島の朝市通にあるので午前中は車が入れないので、毎年午後から伺っていたのですが、今回は10時に約束にしてLet’t GOです。ノンビリ寄り道もしたかったんで、8時前には家を出ましたよ 娘が寝坊しちゃったんで、朝飯抜き、、、だけど 早く行くなら、能登海浜道路なんですが、のんびり・いろんなスポットを見るなら国道249号がお奨めです。約50分後、今浜から千里浜なぎさドライブウェイに寄り道です。以前にも紹介しましたが、約8キロのなぎさの砂浜を普通車で走れます。 ところが夏場は海に遊びに来ている人が多いので、渚に標識が建てられています。 やっぱり、春先とか秋のほうがでかっ飛ばせますねぇ。夏はゆっくりしか走れません。 琴が浜から道路は海岸線を走ります。奇岩や赤い岩、風光明媚な海岸線です。此処はもう旧の門前町、輪島になりますねぇ。道の駅「赤神」で、ジュースタイム 土曜日と…

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気多大社 正覚院

妙成寺から帰途に着く事にしましたが、羽咋にはもうひとつ大きな神社があります。気多大社(けたたいしゃ)がそれです。能登一宮に指定されています。 加賀一宮は以前紹介した白山比咩神社です。 ここも歴史は古い社です。祭神は大国主命です。古代からあったのは確かで、近くの海中や海岸から、大規模な遺跡(寺家遺跡)が発見されています。それも縄文前期からのもので、奥能登の真脇遺跡と合わせて、能登は古代には先進地だったみたいですね。 気多大社は、縁結びをメインにしています。初詣には若いカップルが多いんですよ 大社側でも、ここに力点を置いて、宣伝に余念がありません。 大社内のあちこちに、縁結びの関係のものがあります。 写真のは、この通路に絵馬を掛けて、カップルで通ると幸せになると唄っていますムード 大社の奥の院から先は、「入らずの森」と呼ばれる原生林の森です。 此処の神社とは今まで相性が悪くて、来るといつも大荒れの天気だったんですが、今日は始めて晴れたんじゃないかなぁ ただね、現在(H20)ここは、神社庁や文科省と訴訟の真っ最中で、神社が誰のモノなのか民衆のモノだということは忘れて欲しくないですね。平成22年に最高裁で神社側が勝訴して、神社庁から独立して単立神社になっています。 ついでに気多大社の隣にある正覚院にも寄って見ましたよ。 ほんとは、駐…

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妙成寺

この日は、仕事で羽咋市(はくいし)まで行ってきました。 行き先は「能登青年の家」だったんですが、さっさと終わりまして、時間もたっぷり余ってしまいました。せっかく此処まで来たんですから、しばらく行ってなかったところを周ってみることにしました(最初から、それが目的だったとか) 此処から、北上すると妙成寺があります。「みょうじょうじ」みょうせいじ」「みょうごんじ」いろんな読み方があるようですが、「みょうじょうじ」が一般的みたいです。僕が中学の頃は、「みょうごんじ」と言っていたんだけど。。。。  20年ぶりに来たなぁ この日は曇天で、ガスった日でした。てっきり黄砂かと思っていたんですが、後でニュースを見ていたら、上空が無風状態で埃や塵が停滞していたそうです。と云う事は、あれはごみだったの。。。 それはさて置き、「妙成寺」は日蓮宗の北陸本山です。 鎌倉時代の開山ですが、江戸期に三代藩主の前田利常が母親・寿福院(千代保)と長女・浩妙院(亀鶴姫)の菩提寺にしてから大きくなりました。(二人の墓所は東京の池上本門寺にもあり、万両塚・十一層塔としても知られています。) 妙成寺の建物も江戸期の物で重文指定が10あります。   まずは石段を登っていくと、仁王門です。門の左右に厳つい仁王様が待っています 境内の写真…

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ヤセの断崖

門前から、また海岸線を走って富来へ 富来町(とぎまち)は、今は市町村合併で志賀町(しかまち)となりました。 風光明媚な海岸が有名です。巌門(がんもん)・関野鼻(せきのはな)・福浦港・増穂浦海岸などがお奨めです。地震で海岸の一部の岩が崩れたりしていますが、景色は相変わらず最高です まずは関野鼻に、ここには松本清張の「ゼロの焦点」で有名な「ヤセの断崖」があります。別名「痩せの断崖」崖の上に立つと身がすくんで痩せるぐらい怖いという意味らしいです。高さは55メートル、断崖の端っこでは手摺りもないので 映画やドラマでは女優さんが端っこに立って、崖を背にして演技をしていますが、現場に立つとゾワッとします。正直凄いと思います。 能登沖地震でこの痩せの断崖の先が一部崩落しましたが、それでもやっぱり迫力あります。 ちなみにここは北陸でも東尋坊・巌門と並ぶ○○の名所。ほんとは載せづらい写真も撮っちゃったけど(看板)やめときます 行った時、自分で観てね。がたくさんありまする。 近くには、義経の舟隠しや機織り岩など海の景勝地満載です 今回は時間がなくてよれませんでした。。。 続いて「増穂浦海岸」、この海岸には貝殻…

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総持寺祖院

さて、輪島の朝市通りを後にして、帰りの道へと車(RV)車(RV)ダッシュ(走り出すさま) でも、タダ帰るのはつまらないので、門前や富来によって行こうと思いました。 朝市通りを抜けたところにある「いろは橋」から 輪島に来た道も門前は通ったんだけど、ちょっと遠回りして光浦から西保海岸経由で戻ることにしました。 西保海岸は海側に切り立った崖や奇岩のある海岸で隠れたビュースポットです。それと家を囲む間垣が有名です。 ちょっと写りが悪いけど海岸線に白っぽく見えるのが道路です。切り立った崖がわかるでしょう。 結構遠回りして、地震の被害がひどかった門前町に、やっぱり青シートが所々に目に付きました 本町内に入ると、潰れかけた家も何軒か。屋根工事も間に合わなくて、シートが掛かった家もまだまだあります。 そして門前町役場(門前は輪島市と合併したので輪島市門前支所)に車を停めて、総持寺祖院に足足 総持寺の創建は1322年(後醍醐天皇の時代)です。以降、明治後期まで曹洞宗の大本山として存在しました。明治38年に大火で消失、横浜の鶴見が丘に本山を移しました。以降は、曹洞宗の起源地として祖院と呼ばれています。。(福井の永平寺は道元が開いた大本山で、曹洞宗では鶴見と2本山制をとっています)。 総持寺の参道入り口ですが地震で崩れて、ブルーシートが掛かっています。 入り口にある「芳春…

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泉谷 いも菓子

前の日記で僕が好きな能登の饅頭のBEST3(縁賀良饅頭・竹内の味噌饅頭・泉谷のいも菓子)を書きましたが、なんとなんと妻が友人から「泉谷のいも菓子」を戴いてきました^^V だいぶ前なんですが、妻の友人が言うには、奥能登の親戚が3箱も持って来るそうなんです。多すぎるんで、妻にあげるということに、その時、妻は「旦那が大好物と云ってた^^」と答えたんだそうです。それ以来友人は良い処理係が出来たと回してくれるようになったんですよ。言っとくもんですねえ^^V 泉谷は奥能登の珠洲市の飯田町の和菓子屋さんで作っています。金沢駅の百番街でも売っているらしいんですが、車人間の僕は百番街には余り縁がないんですよね。かといって、飯田はおいそれとは行けない能登の鼻っ面になる奥能登地区。なかなか口に出来ない地元の好物の一つなんです。 泉谷の創業は安政2年(1855年)、奥能登で和菓子一筋に150年以上の老舗です。「いも菓子」は大正8年に創生されたそうです。これまたもうすぐ100年を迎えるということです。 「いも菓子」は芋を使ったのではなく、奥能登の素朴な風情をサツマイモの形に表した和菓子です。見た目も小さなサツマイモという感じ。 自家製の餡を用い、一つ一つを串に通して焼き上げたニッケイ(肉桂・シナモン)の風味が効いた手作り和菓子です。 いも菓子を真ん中で割ると、餡の中から芋の繊維筋の糸が出る凝りようです。この糸は昆布を利用しているそうです。見た目は単純な菓子に見えますが、実は相当の研究と試作を繰り返した…

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縁賀良饅頭(えがらまんじゅう)

毎年恒例で仕事絡みで輪島の朝市通りに行っています。 一時期、地震被害と風評被害で2.3年ほど低迷しましたが、現在は人出は元に戻ってというより、以前にまして盛況です。 朝市通りに来ると、僕が必ずお土産で買っているお菓子があります。 通りの一番奥にあります。 「饅頭処 つかもと」 朝市にも露天を出していて人だかりです。でも製造販売しているのは、これ1種類だけです。 それが「縁賀良万頭(えがらまんじゅう)」です。 初めての人は色を見て吃驚するみたいですが、漉し餡をもち粉で包んで、くちなしで色付けしたもち米をまぶしたものです。 えがらは栗のイガが訛った言葉だそうですが、そんなトゲトゲではないですよ。但し朝生なので、長く置くと固くなっちゃうので要注意。 でも蒸し直しても良いし、焼いても良しです。僕は焼いたのも好きですねぇ^O^ 縁賀良饅頭は元々は加賀藩でお祝いに使われる五色饅頭のひとつでしたが、県内に広まって行ったものです。金沢や山中にもありますが、もちろん黄色もありますが草餅風や白柄などで、伝統的な黄色の物はこの店が色濃く残っています。 数量限定の即日販売なので、買われるときは午前中に行かないと買いそびれることが多いので要注意です。 能登には饅頭の美味しい店が多く、甘党の僕には嬉しい限り。 輪島・塚本「縁賀良饅頭」、珠洲飯田・泉谷「いも菓子」、田鶴浜・竹内「味噌饅頭」が僕のお気に入りBEST3です。 訪れた際にはお試しあれです。 旅行日 2011.0…

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荒山砦(荒山城址)

前田利家が全山焼き討ちした石動山攻めで重要なポイントになったのが、桝形山の山頂にあった荒山砦です。能登と越中の国境上にある荒山峠・桝形山は現在は「荒山城址」と中能登町や氷見市がパンフレットや観光案内・登り口には表示されていますが、昔の文書や歴史小説などでは「荒山砦」と記されている物が多いのでここでは「荒山砦」とさせてもらいます。 氷見の阿尾城と能登の鹿島口を繋ぐ街道の国境線上にあります。現在は県道18号です。なかなか急峻でカーブの連続ですが思ったより走り易い道です。石動山の出城とも言われていますが、元々は阿尾城の菊池氏の持ち砦だったようです。 阿尾城に関しては以前、記事に書いていますのでこちらをどうぞ                http://72469241.at.webry.info/201208/article_57.html そもそも石動山合戦の原因は本能寺の変に乗じて、上杉軍の後援を受けた畠山氏旧臣の温井景隆・三宅長盛が旧領復活を狙い、同じく寺領復活を狙う石動山に入ったことにあります。ちなみに景隆・長盛は兄弟です。その後、2人は桝形山に砦構築を始め普請を始めます。 魚津から信長横死を聞き急遽戻った前田利家は石動山天平寺に僧侶として入っていた七尾の氷見屋の息子から情報を得、加賀の佐久間盛政に協力を要請し、石動山と桝形山の中間に秘かに3000の軍勢で布陣します。翌日、石動山から桝形山に向かう三宅軍4300を急襲し三宅長盛を討ち取ります。勢いに乗って佐久間盛政は荒山…

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石動山 天平寺址

石動山の麓にあったのが「天平寺」 石動山頂上の五社権現を中心にして、石動山系には平安期になると多くの山岳修験者が入るようになり、北陸の修験場の中心地となって行きました。さらに仏教とも結びつき真言宗寺となり神仏習合色の強い「石動山 天平寺(てんぴょうじ)」として成立していきました。天皇の御撫物(おんなでもの、天皇や宮家の御召し物、昔は新着の着物は1年間祓いをしてから着用していました。)の勅願所にもなっており朝廷よりの保護も厚かったようです。最盛期には360坊3000衆徒を誇りました。 比叡山・興福寺などと同じく当時は政教分離には遠く、2度の兵火に遭い2度とも全山焼亡にあっています。一度は南北朝、南朝方の武将を保護した為、北朝方の越中守護に攻められたときに全山焼亡しましたが、朝廷の命を受けた足利尊氏により再興されており、戦国期には能登畠山氏の保護を受けて前記の絶頂期を迎えました。 2度目が本能寺の変後、上杉軍の後押しを受けた温井・遊佐軍が荒山砦に侵攻した際、これに加担して兵を挙げたため、前田利家軍に攻め込まれました。荒山砦が陥落後、五社権現の本尊・虚空蔵菩薩像を人質として差出し投降を願い出ましたが、利家は許さず荒山砦の射掛山の捕虜50名程を除き、全山焼討ち・衆徒全員なで斬りを行っています。このときの焼討ちは比叡山に匹敵すると云われ、僧兵・僧侶だけでなく稚児にまで及んだと云われています。 その後、朝廷の命を受けた豊臣秀吉に再興が命じられ、秀吉の命を受け前田利家が復興し江戸期までの間、…

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伊須流岐比古神社

石動山の「伊須流岐比古神社(いするぎひこ)」は本来は石動山山頂にありましたが、麓にあった天平寺が明治の廃仏毀釈により徹底的に破却され、本来の主神の「伊須流岐比古神社」だけが残されています。 この神社は能登二ノ宮に挙げられています。 石動山の名前の由来は、 はるか昔、この山に流星が落ち,石となり鳴動し続けたそうです。そこから石動→せきどう→いするぎ 能登や本来の読みは「せきどうさん」ですが加賀・越中では「いするぎやま」と読むことが多いです。 この石の鳴動を鎮めるために造られたのが石動山の山頂におかれた「伊須流岐比古神社」です。開山は崇神天皇6年(BC92年)と、養老元年(717年)白山開山の泰澄によるという2説があります。 古くからの伝承もあり修験道のメッカでもありましたから、山頂の祠(大宮)が以前からあり崇拝が続き、養老令により寺社を建立したというのが正確なところのようです。 加賀一ノ宮の白山比咩神社とは対をなす存在とされており、伊須流岐比古(石動彦)と白山比咩神(菊理媛)はイザナギ・イザナミに比称されています。明治以前の神仏習合では石動権現(五社権現)と白山大権現(白山妙理権現)。本地仏は虚空蔵菩薩と白山妙理菩薩(十一面観音)。ですから、能登と加賀は石動山と白山で夫婦の関係と思っていただければ^^ 全国に広がる白山神社の総鎮守は白山比咩神社ですが、荒廃し郷社に格下げされた伊須流岐比古神社にもここを本山とする「石動神社」が秋田・山形・新潟・富山・岐阜・愛知・滋賀に数は少ないで…

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石動山への道 能登半島からの富山湾

七尾城の駐車場から展望台へ続く道は更に進むと富山湾の佐々波・黒崎海岸と多根ダム経由で石動山に向かう林道に分かれますが、石動山方向の林道の方は現在(H23)崖崩れや整備で通行止めですのでUターンして国道159号に戻ることをお奨めします。富山湾側の氷見の脇地区の須久那彦名神社から石動山に向かえますが、途中の平の山から吉岡にかけては先日の台風豪雨で崖崩れ修復工事中です。迂回路はあるんですが、小型車で車幅いっぱいですので大型車は回避した方が良いと思います。 今回僕はこの経路を強行しましたが、坂道・林道・集落地を縫いながら車を進めましたが対向車は1台だけ、ちょっと不安もありましたがハンドルを持つと引かない性格が良いのか悪いのか。。ナビを持たぬ僕^^; 感と経験?と。。。で進んでいくと。。途中、なかなか良い景色や懐かしい風景にも出会えました。 県境の脇・平地区は水利が悪く、多くの溜め池が観られますし、棚田や石垣造りの畑や田圃があったりします。途中途中にたまに出会う集落にも懐かしい雰囲気があります。 斜面の開けた場所からは富山湾や立山連峰が観られるし、適度な紅葉も美しい^^たまにはこんなドライブも良いもんですねえ^^などと 無謀なドライブもちゃんと目的の石動山に抜けました。この間、携帯は圏外。。。ちなみに石動山の辺りも圏外><あげくには石動山では自衛隊のレンジャー訓練に出会ったり^^;能登・越中の国境の山中はなかなかハードな場所です^^; 旅行日 2011.11.02

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城山展望台

七尾城址の本丸駐車場を更に車道を進んでいくと右手に駐車場と公衆トイレの広場があり、広場手前を左折して登ったところにあるのが城山展望台です。 この展望台のある位置は七尾城よりも東北の位置にあり、標高も100メートル程高い位置にあります。七尾城から能登の風景も素晴らしいけれど、この展望台からは天気が良いと東南に富山湾や更にその向こうの冠雪した立山連峰が観ることができます。眺望では能登一番だという人も多くいます。七尾市では一番高い位置になることもあり、ラジオ局の中継アンテナが設置されている場所でもあります。 また、南西方向には七尾城の本丸が遠目に見ることができ、自分が観てきた七尾城が遠目ですが綺麗に見られる場所でもあるんです。是非、立ち寄って観る価値はあると思います。 この展望台は七尾城・三代城主の三男・畠山義智から続く松波城(現能登町)畠山家の18代目・畠山一清氏が建てたものです。ちなみに畠山一清氏はポンプや風水力機器で有名な荏原製作所の創立者です。 コンクリート造りのちょっと洒落た七角形の建物です。中心の角柱には七尾や能登畠山氏の由来や説明が書かれています。これはなかなか詳しい内容で改めて勉強になります。 駐車場から展望台に向かう通路には多くの木々や躑躅が植えられており、春には躑躅が美しく、秋は紅葉と野紺菊(ノコンギク)が咲き乱れています。春秋に訪れるのがお奨めです。 旅行日 2011.11.02

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七尾城址

能登を代表する山城「七尾城」別名は「松尾城」と云います。 七尾の名は七尾城の位置する城山の七つの尾根から来ていると言います。 七つの尾根の名は松尾・竹尾・梅尾(鶴尾)・菊尾(烏帽子尾)・亀尾・虎尾(袴尾)・龍尾(牛尾)ですが、七尾城が築かれたのはこの内の北端の松尾になり、別名では松尾城という記述もあります。石動山系の北端に位置しその規模・威容は難攻不落と云われた物でした。 日本五大山城・山岳城に数えられる名城です。ちなみに他の四城は春日山城(新潟)・月山富田城(島根)・観音寺城(滋賀)・小谷城(滋賀)。山岳城の場合は小谷城の代わりに八王子城(東京)がこれに加えられます。 七尾市という所は面白い所で昔にあったものが町名になったものが多いのです。七尾城の在る場所は現在は古城町と呼ばれ、その外側が古屋敷町と当時の配置が解るようになっています。ちなみにこの古屋敷町には畠山氏の子孫が建てた「七尾城史資料館があり、能登畠山氏の資料や城から発掘された物など七尾城の事前勉強にうってつけです。同じく隣の「懐古館 飯田家」がありますが、現在の七尾城が荒廃せずに残っているのはこの大庄屋・飯田家代々の整備・手入れのおかげと云っても過言ではありません。 七尾城に登るには2つコースがあります。一つは昔からの登城口から三の丸を超していくコース。こちらは本丸までは直線で3キロ程ですが途中に虎口や七曲り、2の丸と3の丸の間の大堀切など急こう配が多く倍以上を歩く覚悟が必要です。一度歩いたことがあるんですが、足腰…

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阿岸本誓寺 茅葺きの本堂

門前市街から海岸線に出て南に2キロほど行って左折すると、田園風景の向こうに大きな茅葺きの屋根が見えます。それが「阿岸本誓寺」。 岩手県奥州市の「正法寺本堂」、山形県鶴岡市の「出羽三山神社三神合祭殿」と並んでこの「阿岸本誓寺本堂」は日本三大茅葺き建物のひとつと云われています。前記のふたつは写真でしか見たことがありませんが立派で荘厳ですが本誓寺の本堂もなかなかです。 近くで見てもその威容には驚きますが、田園の中から見ると周りの家の屋根と比べて威容がますます解ります。 作家の五木寛之も「百寺巡礼」の北陸編では、この寺を一番最初に持ってきています。 4年前(2007年3月)の能登沖地震で門前は県内で一番大きな直撃を受けたのですが、門前市街にある曹洞宗の旧本山の総持寺祖院の建物も大きな被害を受けていました。本誓寺も境内や建物内は被害を受けましたが、屋根には被害がなく茅葺き屋根の耐震性を実証したようです。 阿岸本誓寺は名の通り、創建時はここから少し北東の阿岸に始まり、創建時は真言宗でしたが寺伝によると鎌倉期1268年に浄土真宗に改宗したそうです。その後、戦国期1584年に現在地に移ったそうです。 現在の本堂は江戸期1792年に12年の歳月をかけて棟上げされたそうです。 阿岸本誓寺は江戸期においては能登における最高の格式を誇り、曹洞宗総本山の総持寺(現在の祖院・鶴見総持寺は明治に移転)、日蓮宗北陸本山の妙成寺を差し置いて、能登における106ヵ寺の代表として触れ頭の地位にありました。…

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元祖あて(档) 石川の県木

各都道府県にはシンボルとして、花・鳥・木を選定しています。更に魚や蝶や獣も選定しているところもあります。ところが、身近なはずのこれらを三つ共いえる人は意外に少ないようです。 興味のある人はこちらをどうぞ 全国知事会のサイトです。 http://www.nga.gr.jp/symbol/symbtop.html 石川県のシンボルは花は白山や立山に咲く高山植物の「クロユリ」 鳥は日本では最大の鷲「イヌワシ」。ちなみに、英名はジャパニーズ・ゴールデン・イーグル。プロ野球の東北楽天のチーム名になってます。 ついでに魚は6種7品、季節ごとに分かれていて、春はサヨリ(細魚)・カレイ(鰈)、夏はイカ(烏賊)、秋はアマエビ(甘海老)、冬はカニ(加能蟹・香箱蟹)・ブリ(鰤)になっています。獣・蝶は未選定です。 県木は「あて(档)」 「あて」と云われると他県の人にはピンと来ないと思います。「あて」はヒノキアスナロの変種です。産地としては能登の他は北海道・渡島半島、青森県、佐渡島・栃木県になります。青森県では「ヒバ」と呼ばれ、津軽が有力な原産地です。ちなみにこの「青森ヒバ」は青森の県木になっています。なので、青森と石川は呼び名は違うけれど同じ県木なんです。 青森の青森ヒバは建材として有名ですが、能登アテも建材として家屋に多く使用されていますが、更に石川の伝統工芸の輪島塗の輪島漆器の木地にも使用されています。これが県木として選定された要因になったと思われます。 石川県内の「あて」の最大・…

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福浦港・福浦旧灯台 日本最古の木造現存灯台

巌門から少し南にある福浦港。断崖に囲まれた入江のような場所にある漁港です。古くから知られた港で奈良時代には遣唐使・渤海使の出港地になっていました。また渤海からの船もここを船の修復・中継地とすることを決められていました。古くは福良津・福良泊と呼ばれ国の管理下の重要な港だったようです。平安以降、一時期は衰退しましたが、戦国期以降・江戸期にかけて北方航路・北前船の中継点・風待ち港として栄えたそうです。昭和以降はだんだんと寂れて来ていたのですが、近年は好漁場が近くにあり漁の根拠港として役割を高めています。 福浦港は北港と南港の2箇所の入り江に分けられますが、南港の漁協前に行くと福浦港の立地が良く解ります。見上げると首が痛くなるような絶壁の断崖に囲まれ風を防いでくれる自然の良港が納得できます。そして多くの漁船が停泊しています。また、巌門などの能登金剛を巡る遊覧船もここを停泊地にしていますので、ここでイルカの風船を乗せた姿を観ることが出来ます。 福浦港の周辺は入江のため道路幅が狭く、大型車の人は通行に要注意です。住宅地や灯台は南側の断崖上にあるのですが、漁協前から登ることもできますが、極端な狭い急坂なので普通車や運転に自信のない人は遠回りですが県道36号を高浜側から広い道を廻った方が無難です。 その断崖上(日和山)にあるのが「福浦旧灯台」です。 金毘羅社のある小さい広場には福良津の記念碑・江戸期の方位盤や野口雨情の歌碑が置かれています。 野口雨情は昭和9年に能登を訪れ、能登の各地に句…

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増穂が浦海岸 世界一長いベンチ

能登金剛の景勝地、巌門と痩せの断崖のある関野鼻の間に弓形のように広がる砂浜が「増穂が浦海岸」です。古くは渤海の使節船が寄港する港も近くの福浦と共にここにありました。 能登屈指の美しい砂浜と黒松林が約4キロ続く美しい海岸で「日本の水浴場55選・88選」にも選ばれて、人気の海水浴場にもなっています。 また「サンセット ヒル イン 増穂」と呼ばれるほどの夕陽の名所でもあります。 冬には強い風に打ち上げられる桜貝・忘れ貝などがある事でも有名です。その種類は600以上と云われています。鎌倉の由比ヶ浜・和歌山の和歌の浦と並んで「日本小貝三名所」とも云われています。冬に来ると子供連れの家族が貝拾いをしている微笑ましい姿がよく観られます。また明治以降、三十六歌仙貝として宮中に献上されているそうです。 この海岸を見渡せる遊歩道の上に延々と続く木のベンチがあります。その長さ460.9メートル。着座数1346人という記録を持っています。これは世界記録なんだそうです。ということで「世界一長いベンチ」の名称で、端に立っても反対の端っこが見えないほどの長さです。このベンチはどこに座っても広い砂浜と海、夕陽が眺められるものです。考えた人は素晴らしい^^V このベンチに座っていると、広い砂浜海岸とその向こうの海、振り返ると遊歩道に沿った松林、時間がゆったり流れるように感じられます。訪れた際にはぜひ座って観て下さい。もち寝そべってもOKです。 遊歩道の中途に観音像と歌碑があります。 若い方は知らないか…

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赤神海岸

能登路を車で行く時は大きく分けると4種類ほどの経路があります。 有料道路の能登海浜自動車道・金沢からのアクセスが便利で内灘・白尾ICから乗ると幾つかの料金所を経由して、穴水まで直接行けます。更に能登空港手前の交差点で輪島と珠洲方面に一般道で分かれます。再来年(H25)4月に無料化が決定して急ぐ人には最適道路になります。 富山方向からは氷見から国道160号線で富山湾を沿うように走る道。天気が良いと富山湾の向こうに立山連峰が見える道。湾なので海も静かな時が多く国道のほとんどが海を観られる道路です。七尾から国道249号にアクセスして奥能登に向かう道です。 白山・金沢から国道8号線から159号で能登方向に向かい高松を過ぎた免田で右折するコース。右手に山が多く単調な道ですが、バイパスとして整備されていて走りやすい道路です。一般道で七尾市街に向かう最短ルートです。 もう一本が、同じく免田で直進する249号線。この国道249号線は能登半島を一周するように進む国道です。途中「猫の目」で七尾に向かうルートもありますが、ひたすらまっすぐ走ると海岸線を沿うように富来・門前を経由して輪島に向かうルートです。今回はこのルートをご紹介します。 能登半島の特に西側の海岸線は風光明媚ですが、数キロ走るとまるで違った海岸が出現します。車で走行できる千里浜、巌門・関野鼻のような断崖絶壁が続く能登金剛や西浦海岸、歩くと音のする泣き砂の琴が浜、いろいろな海岸風景がこの国道沿いや周辺にあります。 そんな中で僕が…

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須夷蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)

能登島の南西部の高台にある古墳です。 この古墳は古墳終末期の7世紀中頃に作られた物です。葬られていた人は不明です。 縦17.1m・横18.7mの方墳です。玄室を二つ持っており、通路や奥で横長になる玄室には、近くの海岸で採れる安山岩が床・壁・天井に張り巡らされています。特に左の雌穴と呼ばれる玄室には棺を乗せたであろう棺台が作られていました。天井がドーム型など、このような造りの古墳は国内では類例がなく、朝鮮の高句麗に多く見られるものだそうです。雌穴から出土した鉄斧も朝鮮半島に多い物です。 7世紀中頃と云えば、乙巳の変(大化の改新)を代表するように、聖徳太子・蘇我物部などの飛鳥から天智・天武の時代など日本が大きく激動した時代です。中国では618年に隋が滅び唐が興り、同じく朝鮮も百済660年・高句麗668年と滅亡するなど東アジアの激動期にあたります。そんな時に能登島にこのような古墳が築かれたのは興味深い事です。 現在の七尾港には古代においては鹿嶋津といわれる海軍基地が置かれていましたが、その対岸にあたる能登島。その高台から鹿嶋津を見渡すような場所。更に当時、能登は羽咋にある「汀の正倉院」と云われる寺家遺跡・福浦湊は高句麗後の渤海との交流が顕著ですが、能登の古墳群は西側に集中しており東に当たる能登島に朝鮮式の古墳が存在するのも謎が多く残っています。 この古墳は昭和まで玄室が露わになるなど荒廃していましたが、平成になって復元・整備が薦められました。現在は国指定史跡として遺跡公園としてなか…

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能登島ガラス美術館

能登島の観光施設は「能登島水族館」と「能登島ガラス美術館」を中心に置いています。能登島水族館は日本海側最大の水槽を持つています。日本最大級の1200t・22mのトンネル水槽。海藻が生い茂る水槽。 イルカプールが見所です。また昨年10月にジンベイザメ館が新設されました。 今回は時間もなかったので10年ぶりに美術館を訪れることにしました。 能登島ガラス美術館は水族館から西にある小高い丘の上に、平成3年に造られました。建物も幾何学的な宇宙を連想させるような感じです。館内の作品だけでなく、建物や館外オブジェを観て廻るのも楽しい世界です。 現在、開催している20周年記念展覧会は「鏡のアート」。 ギャルリーヴィヴァンの現代万華鏡コレクション 大小様々な形の万華鏡が展示されており、一つ一つ自分で操作しながら覗き込むと美しい花の世界が観られます。中には果物や寿しを変化させたもの。便器の中を覗き込むと云った変わり種もあります。 万華鏡は子供だけでなく大人にもワクワクとした感覚をもたらしてくれますねえ^^ 富山市在住の現代ガラス作家・本郷仁氏の作品 鏡の形や組み合わせや光の屈折を使った作品群 現実感を持たせるものや幻想的なもの 自分自身が鏡のオブジェに入ったりライトを当てたりして体験できます。ミラー芸術は作品鑑賞ではなく作品体験の要素が強く興味深い物です。 常設展示は現代ガラス工芸品が並ぶのですが、今回は先に開催された清朝のガラス工芸作品と次回のダリ・シャガール・ピカソのデザイン作品も…

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能登島大橋 中能登農道橋(ツインブリッジ)

能登の内海である七尾湾を塞ぐようにある能登島。 この島のおかげで、静かな内海の七尾湾は更に波が静かな三つの海に分かれています。それが「七尾北湾」「七尾西湾」「七尾南湾」です。 各湾は波の穏やかなものを利用して、港湾・漁港基地・養殖地として利用されています。 能登島から本土までの距離は近い場所で1キロ弱程ですが、以前までは連絡船フェリーが唯一の交通手段でした。 昭和57年に「能登島大橋」が有料道路として開通しフェリーが廃止されました。 その後、能登島には「能登島水族館」「能登島ガラス美術館」「家族旅行村」という人気スポットが作られ、各海岸の風光明媚な景観やイシル・クチコなどの特産品も多く、県内外からの観光客も多く訪れたおかげで、約16年で橋の償却が完了。 橋の通行料金は往復1500円ほどと高額でしたが、予想外の短期間で無料化にこぎつけたのは地元・県の努力の成果だと思います。小さい児童を抱えた家族の訪れが大きかったようです。僕もたくさんご奉仕しました^^;子供の頃の娘に休日にどこに行きたいと云えば「水族館か恐竜館が良い^^V」この言葉に負けたお父さんがたくさんいたみたいです。 「能登島大橋」は長さ1050m、石川県で一番長い橋です。車道は2車線。直線で途中に上下にうねりを持たせたものです。俗にラーメン橋と呼ばれるタイプです。 和倉温泉から能登島西部の屏風瀬戸に繋がる直線の白い姿はなかなか綺麗で、和倉の温泉旅館や和倉側の緑地公園からの橋の全景が観られます。 中能登農道橋…

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小丸山城址 小丸山公園

七尾駅から和倉に向かう途中、右手に小高い丘があります。ここが「小丸山公園」です。ソメイヨシノや枝垂桜があり、能登の有力な花見スポットになっています。また自然林も多く、日影も多く、夏の避暑にも良い場所です。 ここは元々は小丸山城がありました。 前田利家が能登を分与され入部した際、築城したものです。 畠山氏が治めていた際は本城は「七尾城」でしたが、堅牢な山城の為、新任の治政に向かないため、ここに本城を築城したようです。ただ利家本人はあまり在城せず、兄の安勝(前田慶次郎の妻の親)・長連龍などに城代を任せていました。 構造としては平山城。本丸・宮丸・天性丸そして南面防衛の大念寺山砦で構成されていました。また、29(現存は16)の「山の上寺院群」と呼ばれる寺院を配置して防衛用に配していました。加賀藩以降も寺院を防衛拠点として配すのは金沢城・高岡城にも受け継がれています。 大念寺山は道路・鉄道により現在はありませんが、宮丸は愛宕山相撲場になっています。三更橋で繋がる本丸と天性丸は城の面影が解ります。また宮丸跡の相撲場から本丸・天性丸に向かう土塁は往時を偲ばせます。 前田利家が金沢に移った後は前田安勝が城代を務め、利家死後は能登を相続した次男の前田利政が居城としました。利政が関が原戦の責任で没落後、一国一城令により廃城となり、城の建物は取り払われました。 この小丸山は七尾の高台になり、東西南北に市街を見渡すことができ、港に近く・能登への街道ののど元に当たります。地勢的にも重要拠…

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イナチュウ美術館

輪島の朝市通りはその名をみんなに知られています。 朝市の素朴な賑わい・店舗も和風の色調に統一感を持たせています。 しかし、そんな通りの中で洋風の外観と彫刻の建つ美術館があります。ここだけ異質な雰囲気を醸し出しています。お宝鑑定団のスペシャルにも何度か登場しているので、知る人ぞ知る存在です。 イナチュウ美術館を運営しているのは、輪島塗・漆芸では能登最大手の稲忠グループです。「きりこ会館」「稲忠漆芸会館」も同じ運営です。バブル後の売上不振から平成14年に民事再生の申請により存続が危ぶまれましたが、地元能登・石川の強い要望で観光資源として存続運営が続けられた経緯があります。稲忠の漆芸技術は高レベルで近年の玉虫の厨子の再現など現在も高いレベルを維持しています。 稲忠漆芸堂  http://www.inachu.jp/ 最盛期の稲忠の創業家が世界各地の王族が愛用した工芸品を収集したものを展示しています。盛時の財力の凄さが覗われます。作品群には美術雑誌や関連本などで見たことのある作品が並んでいます。特に徳川・ナポレオン・ルイ王朝の作品群は注目に値するものばかりです。作品も間近で見られます。 入ってすぐの神殿と絵画コーナーにはルーベンスの「マギの洗礼」に圧倒されます。220X270CMの大型作品は鑑定額ウン百億円と云われています。 他にもフランス革命時の銃弾痕のあるヴェルサイユにあった「ルイ14世夫妻の肖像画」肖像画としては最大級。 セーブル・マイセンの陶器、パリ万博で大賞受賞の…

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ぼら待ちやぐら

穴水町の海岸沿いに、木を組んだやぐらがあります。 天文学者パーシバル・ローエルが、著書「NOTO」の中で怪鳥ロックの巣のようだと表現した漁業用のやぐらです。確かにやぐらの天辺に巣を置けばそんな感じに見えるかもしれません。 このやぐらは、能登の古代漁法のものです。 やぐらの下に網を張り、やぐらの上から監視して、ボラが網のところに入ったら引上げるという、とってものんびりした漁法です。一日中、この上から海を覗いていたんだそうです。 現在ではこの漁法を行う人は10年前を最後にいなくなってしまい。観光用として2箇所が残っています。 旅行日 2009.2.18

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能登空港

出来立てのほやほやなので、まだまだこれからの空港です。 行った日は平日の雪の日のため静かな空港でした。 まだまだ、便数も少なく、羽田との2往復だけ しかし、輪島市内とのバスのアクセスもしっかりしているので、観光の入口と期待されています。 地元の僕たちとしても、空港の駐車場は無料なので、こっちが良いかなとも思ってしまいます。もっとも便数と早い時間の出発便が欲しいですねぇ。 早くつかないと、その日がもったいないからねぇ。せっかく一時間で行けるのにもったいないなぁ。 空港の隣には、航空学園の第2高校が併設されました。 石川では期待の星なんですがまだまだ未知数>期待しています。 能登空港 http://www.noto-airport.jp/notosypher/www/index.jsp 旅行日 2009.2.18

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みそまんじゅう本舗 竹内

所用で輪島まで行った帰り道、我家へのお土産に寄ったのがここ 和倉温泉近辺で、旅行のお土産になることが多いのが、「味噌饅頭」 味噌饅頭と聞くと、食べたことない人は餡が味噌味だと想像するようですが、実はあんこは単なる白餡。ちと、味噌色といえばそう見えるかもしれませんが味噌は入っていません。皮に味噌を風味として使用しているんですよ。県内の人たちにも人気がありまして、石川県内では一番人気の饅頭だと思いますよ。 そもそも、県内に知れ渡ったのはTVのCMソングなのです。 「竹内の♪みそまんじゅう~~~♪ 田鶴浜のみそまんじゅ~う♪」 たぶん、石川県内の人は全員頭の部分なら歌えると思います。 味もしつこくない甘さなんですよ。 能登の和倉・七尾近辺に来られた際には、是非お試しあれ みそまんじゅう本舗 竹内  http://misoman.com/ 旅行日 2009.2.18 和倉温泉 加賀屋楽天トラベル ゆとりとやすらぎの和風空間加賀屋へようこそ 楽天市場 by

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狼煙の灯台 禄剛崎灯台

珠洲の塩田からさらに東に向かいまして、大谷川を越えて三叉路を左折します。そうそう、大谷川では5月3~5日に300匹以上の鯉流しの「鯉のぼりフェスティバル」を開催しているそうです。 ここからはのどかな田舎道になります。田畑や網小屋などなど大谷から15キロ程進むと、狼煙の町に到着です。レストハウス横の駐車場に車を停めて、正面の人家の横から登り口に そして待望の灯台です。能登半島の1番端っこの先に建つ白亜の灯台です 禄剛崎灯台(ろくごうざきとうだい)  別名 狼煙の灯台 です この地は昔から船の要衝地点で、昔は船に対して狼煙で合図を送っていたそうです。だから狼煙の灯台とも云います。 灯台と共に、船舶のためのビーコン波の塔も併設されているんですよ。 ここは能登半島の突端という事で、同じ場所から日の出と日の入が見られる場所としても有名です。灯台側の崖下には、美しい海が見られます。 ここの海岸は、「千畳敷」と呼ばれる海食棚があるんです。干潮時には棚が現れて岩に打ち上げられる波しぶきが見られるし、満潮時には棚の影響で海に美しい紋様が見られます。僕は干潮前の大きな波紋が浮かぶのお気に入りなんですよ 能登の景色で一度は見て欲しいのが、ここと桜のトンネルになる能登中島の駅が僕のお奨めの双璧です。 旅行日 2008.8.9

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