火伏不動尊 ~ 市神宮跡

鶴来の町にお仕事でお客さんちに行ったんですが、ちょっと早かったみたいで留守。 少し時間つぶしにそこらをぶらぶら。。ちょっと変わった建物を見つけて立ち寄ってみました。 鶴来の町は獅子吼側は段丘になっていて、大きな断崖が壁のようになっています。そこを背にするように中心街があります。その崖の登り口にあったのが、この建物でした。古風な木造りの建物。 入口には火伏不動尊の文字が、こういうのを見ると興味津々で観に行ってしまう僕^^ 玄関は鍵が掛かっていて入れませんでしたが、ヒョイと上を見上げると面白いもの発見。 表額と並んで架けられているのは、一枚岩の欠片。その石に古銭を貼り付けて鳥居を作ってありました。 のどかで静かな所で鶴来別院や真宗系のお寺が多く並び、住宅が立ち並ぶ場所ですが、ひょっこりとこういうのがあるのが、古くから白山麓に向かう宿屋や酒造が多くあって、真宗と白山詣での入り口として栄えた宿場町だった名残と云えますね~~ この火伏不動尊の下に広がるのが鶴来の中心街で住宅なども密集している場所で、火の用心は大事なものでした。もちろん、消防設備も大事ですが、古くから火から守られる願いを込めた火伏不動尊は大事にされてきました。ちょっと格子の隙間から覗き見すると小さな不動尊像が。。。 地蔵堂や地蔵尊はよく観かけますが、この不動尊の管理は清沢町の有志で管理しているそうですが、町内管理でこのように立派な御堂を持つ不動尊はなかなか珍しいと思います。この辺りは古くからの住人が多く、真宗時…

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多太神社

小松市街にありながら大きな本殿と参道を合わせ持ち、社域には大きな木々と三社の摂社を抱えているのが「多太神社」です。創建は当社縁起から武烈天皇5年(503年)。祭神は衝桙等乎而留比古命(つきほことおるひこ、仁徳天皇、)。八幡三所大神(応神天皇、仁功皇后、比咩大神(宗像三女伸))他多数 元々は仁徳天皇(仁徳大皇)が主祭神だったようです。(多太の名は、出雲風土記の命名(みことな)の現れる地・多太郷から来ていると思われるため)つまり、古くから知られる延喜式内社になるわけです。式内社については、以前触れたことがあるので、こちらをどうぞ ⇒ 式内社(上柏野 楢本神社の欅) 平安初期に八幡宮を合祀して多太八幡宮と称していました。更に江戸期には能美郡の総社とされていました。この小松・能美では由緒ある神社の筆頭になります。 延喜式内社として知られる神社ですが、その名を更に高めたのが斉藤実盛の兜鎧が奉納されていることにあります。 斉藤実盛に関しては以前に2記事をUPしています。是非お読みください。              実盛塚・篠原古戦場        首洗池 斉藤実盛の篠原の戦・首洗池は「源平盛衰記」「平家物語」の悲話となっています。また、実盛塚での遊行上人との出逢いと成仏は世阿弥によって物語となり、能、謡曲「実盛」・浄瑠璃「実盛物語」となって受け継がれています。 斉藤実盛は天永2年(1111年)越前国南井郷(現・鯖江市南井町)に河合助房として生まれ、13歳で武蔵国長井庄(現・熊谷市妻…

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尾﨑神社

黒門前緑地と同じ並びの西側にあるのが「尾﨑神社」 塀垣や社殿が朱色に塗られていて、古風で落ち着いた神社が多い金沢の中でも異色な神社です。 寛永20年(1643年)、4代藩主・前田光高によって金沢城北の丸に建てられたものです。元々は金沢城内の北の丸は現在の尾﨑神社の裏面に当たる場所になります。 創建時は「東照三所大権現社・神護寺」と命名されていましたが、明治の神仏分離で現在の「尾﨑神社」となっています。明治8年(1875年)陸軍第七連隊が入場して金沢城が陸軍省用地になると、明治11年に現在地に移設遷座されています。 東照大権現社の名の通り、幕府からの許可を取り徳川家康(東照権現)を祀ったもので、日光東照宮から分霊を受けてを創建したものです。当時の幕府の大工頭・木原木工允を棟梁として呼び、金沢の大工・宮大工が施工。もちろん、金箔・塗装など材料は金沢産が多く使われており、象嵌や金具などの飾り細工は京都・金沢の名人・職人が集められたと云われます。加賀工芸は国内でも特筆されるものですが、この神社建築が始まりと云っても過言ではありません。ちなみに金箔は金沢が昔から突出しており、本場の日光東照宮の金箔は金沢産です。 全国各地に東照宮はありますが、東照宮建築としては本殿と拝殿を分離させるなど最初期のものとされています。また、北の丸の発掘調査から石瓦が発掘され、他に建物があったことが確認されています。 御存じのように、明治14年(1881年)陸軍金沢第七連隊の火の不始末で金沢城は三十間長屋、…

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満願寺山 九萬坊権現 ~ 富樫大明神

前回の桃雲寺の記事の最後に紹介した九萬坊(くまんぼう)という天狗。金沢にはこの九萬坊を祀っている神社やお寺は幾つかあるんです。 有名所では珠姫の菩提寺・天徳院、寺町にある前田利家の娘・菊姫の菩提寺・西方寺。医王山にある山岳信仰のメッカ医王山寺などが知られています。特に知られているのが金沢東部の窪団地の頂上にある満願寺山にある「九萬坊権現」。 本殿とも云える奥の院は満願寺山の更に山向うの三小牛にある黒壁山にあります。こちらにも相当前に一度行っているんですが画像が無いので、春になったら再訪してご紹介するつもりです。 というわけで、今回は窪にある「九萬坊権現」です。 満願寺山は標高176.6m。金沢の東南部の高尾にあるお椀を伏せたような丸っこい山です。その山裾の斜面にあるのが窪団地という新興団地ですが、急な斜面で勾配のきつい坂道が多いことでも知られています。その頂上部に九萬坊権現はあるのですが、そこまで登るのには車が悲鳴をあげそうな斜面です。冬場の雪がある時期には登れない車があるため、平野の下部に駐車場を借りている住人も多いそうです。 そのような悪条件の地なのですが、この満願寺山の頂上部には古墳期前期の高地性集落跡、三基の方墳、更に隣の高尾山の高尾城の支城的な砦跡が混在していることが確認されているそうです。ですから、古から知られた場所にはなっていたようです。 高地性集落は平野部ではなく、生活条件としては悪条件な山頂や斜面に作られた集落です。主に西側に向いた海などを望める地に多…

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五十谷(ごじゅうだに)の大杉

白山一里野からの帰り道、 この時季は気温も過ごしやすいし空気も何となく澄んで感じますから、ついつい気持ちよく走っちゃうんですが。。白山麓は冬支度もあって道路やスノーガードの補修が急ピッチで、あっちこっちで片側通行になっています。あと1か月ほどもすると雪の話題が出るんでしょう。そのために頑張って貰ってるんでありがたいんですが、さすがに何度も停まって待っているとウ~ンってなっちゃいます。 で、まっすぐ家に帰るのを変更して、鳥越の別宮神社(べつくじんじゃ)を左折して五十谷(ごじゅうだに)の方に寄り道してみることに。。 帰り道の関係であまりこちらの方を通らないので、知らない道の一つだったんです。でもこの道沿いに知る人ぞ知る有名なものが二つあるんです。 大日川から支流になる堂川にそって5キロ程道を進むと五十谷八幡神社が右手に現れます。ここまで来ると、ホントに人里離れたというのが実感できます。でも、この神社に素晴らしい杉が御神木としてあるんですよ。間近で観ると圧倒されるくらいの荘厳さのある木です。県指定天然記念物「五十谷の大杉」 長い腕を水平に伸ばしたような姿は、異形ともいえる迫力と荘厳さを併せ持っています。以前にご紹介した吉野谷の御仏供杉(おぼけすぎ)の仲間ですが、まったく違った姿を魅せてくれています。山中の人里離れた所にある巨木の姿に、しばし感嘆と共に木の形や枝の流れに見入ってしまいました。 日本に自生する杉は日本特有の固有種になります。国内の樹…

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花山神社 菩提町

小松市に岩山を中心にした遊仙峡と呼ばれる寺院庭園を巡ることができる那谷寺(なたでら)があります。北陸の寺院でも四季の景観は随一と云われています。 寺伝に依れば、開創は白山信仰により「越の大徳」と呼ばれた泰澄上人で、岩窟に千手観音を治めたのが始まりと云われ、当初は「自生山 岩屋寺」と名付けられており白山修験者の拠りどころとなっていました。 寛和2年(986年)花山法皇が行幸した際に、法皇が「私が求めている観音霊場三十三カ所はすべてこの山にある」といって、西国三十三カ所霊場の第一番・那智山と第三十三番・谷汲山の一字ずつを取って「那谷寺」と命名し自ら中興の祖となったと云われています。 この那谷寺の東方の山を越えたところに菩提町という村落があります。ここには古くから花山法皇に関する伝承が伝わっています。なんと、法皇は晩年をここで過ごして亡くなったというものです。 まずは花山法皇について・・・ 第63代・冷泉天皇の第一皇子として生まれ、生後11か月で立太子、17歳で第65代天皇となっています。 一部乱心の質はありましたが、荘園整理令、貨幣流通の活性化など画期的な政策を行おうとしますが、わずか2年の在位で出家退位しています。これには藤原北家の藤原兼家の陰謀策略によると云われています。退位後は熊野・比叡山に修行し、摂津・中山寺(宝塚市)で伝説の宝印を探し出し、三十三霊場を巡って法力を得たと云われています。同じ摂津・東光山(三田市)に院政生活を送ったと云われています。41歳で花山院(現・京…

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上柏野 楢本神社の欅(けやき)

白山市は旧の松任市と手取川河口の美川町、白山のある白山麓の鶴来町・河内村・吉野谷村・鳥越村・尾口村・白峰村が合併してできたのですが、後述の白山麓には山麓ということで、大木や銘木が多く存在します。 しかし、松任や美川は手取川の扇状地にある平野の為もあり、大きな森が少なく大木もそれほどありません。 あるといえば、多くは神社の杜になります。 そんな松任地区で樹高が一番高いのが上柏野町にある「楢本神社のケヤキ」と云われています。樹高約33メートル、目通り7.7メートル。(ちなみに、樹木のサイズ表示はいろいろありますが主要なものでは、地面から頂点の高さの樹高。枝葉の広がりの左右の幅の葉張り。幹回りの太さの目通り。この三種があります。目通りは名の通り人間の目の高さ(1.2メートル)で測るものです。もしその高さで株分れしている際は、各株の太さを合計して平均したものです。)樹齢は千年近くと云われています。 国道側のこじんまりした集落内にあるため、近くを通る割には通り過ぎてしまうので、意外に知られていませんが、静かな雰囲気の神社の中にあるので神厳な雰囲気があります。 参道から観ると、下太りの土台のような幹から急に細長く(実際は太いんだけど)幹が頭上高く伸びて行きます。 実は本来3本に枝分かれしていたそうですが、2本は枯れ落ちてしまったそうです。裏側に回ってみると解るんですが根元の太い部分が大きな空洞があり大人が中に入れる程になっています。空洞の真ん中に逆根と呼ばれる幹がありこれがこの木を保ってい…

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金剣宮参道 不動滝

以前と云うよりも、だいぶ前にご紹介したことのある金剣宮。たまに車休憩に立ち寄るんですが、毎回駐車場に車を停めるんで直接に宮に入ってしまいます。今回は久しぶりに表・裏参道を往復してきました。 事前に前のブログを読んでみたら、大きな間違いを発見 何を勘違いしてたのやら 金剣宮の主祭神を大国主と書いていましたが大国主は脇祭神。。主祭神は天津彦彦穂瓊々杵尊(あまつひこ ひこほ ににぎ のみこと)でした。ホノニニギは天孫降臨で葦原中国に降り立った神です。天照大神の息子と高皇産霊尊(たかむすび・高木神)の娘の間に出来た子で、天孫ニニギとも呼ばれています。海幸彦・山幸彦の父になります。山幸彦は神武天皇の祖父になりますから、神武の曾祖父になります。 金剣宮では明治の神仏分離の際にホノニニギを主祭神・白山第一御子彦神に比定したそうです。明治の神仏分離では記紀の神を、現地神に比することが多いのですが、何故ホノニニギかは不明です。 元々、白山七社の一社の金剣宮では、当然ながら白山神(白山比咩大神・妙理大権現・菊理媛神、呼び名はいろいろあります。)を信奉していました。七社の入り口に当たることから、主祭神は白山第一御子彦神(妙理権現第一王子)となっていました。明治以降はホノニニギを同一としていますが、江戸期以前は単独神でした。 神仏習合には本地垂迹(ほんじすいじゃく)という考えがあります。これは仏・菩薩・天部が日本の民衆の前に現れる際には八百万の神の姿…

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田中郷菅原神社

携帯電話を買い替えたのは良いのですが、機種変更のデータ移行はいつもとは違って、画像データは移せなかったので徐々に整理中(連絡先の通常連絡先も解らなくなって、古いののデータを観ながら直してます。やっぱりガラケーにすべきだったと少し後悔中。。以前のデータが解りづらい) そのついでにUPしてないものをこの機会にUPしようなどと考えています。時期は一気に古くなったりしますがご容赦ください。 外回りの仕事ついでにその近辺をウロウロしてみると、意外な発見があったりします。 今回の田中郷菅原神社(たなかごうすがわらじんじゃ)もそんな神社の一つです。この神社は実をいうと、我が家から車で5分程度の場所なんですが、長年近くに住んでおきながら全く知らなかったとは不覚の一言でした。 手取川扇状地の上にある白山・野々市には多くの用水路がありますが、この神社の横にも郷用水と呼ばれる用水路が流れています。おかげで、用水路を回り込み狭い住宅路を入り込まねばなりません。散歩や散策路には最適ですが車にはとてもつらい場所です。でも、用水路には桜が植えられ並木になっていますから、やっぱり散策路としては素晴らしい景観です。この神社の横には大きな広場(菅原公園)があって、子供たちの遊び場にもなっています。 社域に入ると真新しい社歴板があります。それによると田中郷菅原神社の創建は天正12年(1584年)となっています。田中村の有力者・藤右衛門が菅原大神(菅原道真・天神様)を勧請して天満宮としたものです。 寛永15年(1…

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埴生護国八幡宮~砺波の関~倶利伽羅不動尊・鳳凰殿

嫁さんが頭の中で膨らませた如来寺の牡丹はちょこっと空振りだったため、盛りは過ぎてるだろうけど倶利伽羅の八重桜を観に行こうと意見の一致をみました。山側環状から国道359号を経由して小矢部に廻って倶利伽羅峠越えを目指すことにしました。 まずは、何はともあれお昼ご飯ということで、3対1(義兄は中華にしたかったみたい。残念でした。)の多数決で、御蕎麦が食べたいということで、ナビで検索して一番近いお店に。。 花そば やぶ お昼時とはいえけっこう駐車場に車が停まっていました。内は満席でしたが、すぐに席が空きましてメニューと睨めっこ@@; 表看板や駐車場の看板は蕎麦だったのに、一品料理、丼物、定食、うどんもありの食堂と云った感じ。。丼の文字につい眼が行っちゃうけど初志貫徹で御蕎麦に(でも誘惑に負けて天婦羅定食のお蕎麦付) 麺はまずまず つゆが思ったより美味しいのが驚き 天婦羅もべたつかず、カラッと揚がって美味しかった 埴生護国八幡宮は倶利伽羅合戦において、源義仲が最初に本陣を置いて戦勝を祈願した場所です。 騎馬像としては日本有数の大きさを誇る源義仲像(ちなみに近くの高岡は銅器製造が盛んで全国の7割以上の銅像製造を行っています。)、100段以上の急な石段(室町・戦国期に蓮沼城主・遊佐慶親が寄進したもの)、本殿拝殿は江戸期に前田利家・利長・利常と三代に渡って造営したものです。 元は埴生八幡の名でしたが、前田利長の時代に飢饉…

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椿原天満宮(椿原山砦跡)

先日、南米から戻った家ニスタさんのブログを読んでいたら、久しぶりのお城巡りをされていました。 昔の古城巡りですから、薮の中になっていたり、城の敷地や構造を利用して神社やお寺に変わっているものもあり大苦戦したようです。 僕も城跡巡りは嫌いじゃないですから、幾つかまわっているのですが、やはり寺社や薮の中はよくあります。中には古墳を利用して造られた城もあり、古墳調査と保存で城の遺構が解り難いものまであります。 しばらく、お城巡りをしていなかったんですが、一番最近、行ったというか立ち寄ったのが、この椿原山砦跡。 現在は椿原天満宮になっているところです。 前田家の加賀藩時代には、金沢の町と城の鎮護と防衛拠点として、正式な神官だけが常駐している神社が五つ存在しました。金沢城を囲むように存在したこれらの神社は、宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮 それぞれが浅野川や犀川、卯辰山や小立野台地と云った重要拠点に配置されているのですが、地図で見ると五芒星の形に配されているようにも見えます。現在も金沢五社巡りとして、神社愛好家や観光客に人気のコースになっています。 それぞれを簡単に紹介すると、、、、 ★宇多須神社(江戸期は卯辰八幡宮)・・・金沢城から北東の東山茶屋街を入った所にある神社。東に卯辰山、南に浅野川がある要衝です。また、加賀藩の武家屋敷が多く存在した場所です。この神社は金沢城からは鬼門に当たるのですが、幕府に隠れて藩祖・前田利家を神霊として祀っていたことで知…

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能生白山神社

弁天岩の駐車場から国道8号を潜って登った所にある神社が「能生白山神社」 起源ははっきりしませんが、当初は奴奈川神社と呼ばれ、能生川と支流の島後川を遡った大澤岳の山頂にあったと伝わっています。  祭神は奴奈川姫命(ぬなががわひめのみこと)、伊佐奈岐命(いざなぎのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)となっています。ちなみに大己貴は大国主の別名です。元は奴奈川姫と大国主を祀っていたようです。 マリンドームの記事で書きましたが、元々はこの辺りは奴奈川姫の勢力圏であり、その中でも島後川の流域には奴奈川姫の生誕から生活を過ごしたと云われた産所があり本拠地とされています。 大澤岳から連なる山稜に神道山という山があるのですが、日本海から能生川を遡った大国主は、この山を越えて奴奈川姫に求婚に行ったとされています。 話は変わりますが、現在、神道山は「神道山公園」として整備されていますが、ここには北陸最長の石段があります。その段数1088段。なかなかというより、とんでもなくハードな石段です。能生にはあまり馴染のない僕ですが10年程前に登りましたが、もう息切れしてしまいました。。 神道山はカタクリの自生地として有名で、4月中旬から5月にかけて石段の側にはカタクリの可憐な花が多く観られます。また山頂からの眺望も日本海が観られる美しい風景です。 僕が登った当時は山頂に平和の鐘があるだけでしたが、今は休憩所兼飲食処もあるようです。足腰に自信があって、花が好きな人にはお奨めスポットです。 …

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弁天島(弁天岩)

能生でのんびりと観光してたんですが、、、、 考えてみれば、石川・上越間を何度も往復してる割には、じっくりと観て回ったことがなかったんです。 今回が初めての能生での名所巡りだったかもしれません。 能生町のシンボル的存在は今回の弁天岩だと思いますね。 先にも書いたように、8号線を何度も通っている割には、ここに立ち寄ったことがなかったんです。 石川から車で走ると、能生町の住宅街を抜けて、勾配のカーブを解放感と共にアクセルを踏み込んでいる場所なんですね。天候の良し悪しに関係なく、ゴツゴツした岩山のような島に赤い欄干の橋を横目できれいだなあと思いつつ通り過ぎてましたから。上越出身の嫁さんはあの島なら見たことがあるということで、寄ろうとは言わないですから。。帰り道は大概、夜で急ぐから闇夜を通り過ぎるだけですからねえ。。 と、いうわけで、初めてこの島に渡ってみたわけです。それとこの弁天岩は石川県とは浅からぬ縁もありますからね。 能生海岸はゴツゴツした岩が沿岸沿いに観られるのですが、この岩場は安山岩・凝灰岩など火山性鉱物や砂泥岩で形成されています。これらのほとんどが100~300万年程前の海底火山の爆発による噴出物や海底隆起でできた物と云われています。 先の記事で紹介した「マリンドリーム」の辺りは広大な空き地に観えますが、筒石駅でも書きましたが12キロに及ぶ頸城トンネルの工事の際の掘削土砂の利用が問題になり、海岸を埋め立てたものです。もったいないと思う人も多いと思いますが、能生・谷…

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板屋神社(板屋兵四郎)

金沢と云えば武家屋敷や老舗など加賀百万石の伝統と街並みを残している街。金沢城や多くの寺社が伝統文化を伝えています。特に観光客や市民が多く訪れる兼六園は水と緑が織りなす庭園が人気になります。 兼六園と云えば、霞ヶ池や瓢池(ひさごいけ)や噴水など多くの水で観光客を和ませています。ところがこの泉水の水がどこから来ているか知っている人は意外に少ないはずです。 加賀百万石文化が花開こうとしていた矢先の寛永8年(1631年)、長町武家屋敷の南西、法船寺門前の民家(現在の中央通町11)から出火、原因は武士による放火、俗にいう「寛永の大火」 江戸期を通じて金沢は大火に何度も襲われていますが、その最初の大火がこの「寛永の大火」。 この大火は南西からの強風に乗って、金沢の町を総なめにして、金沢城にも火が掛かり全焼、焼失家屋1万戸以上の大火となりました。金沢市の地図が大幅に変わり、現在の町割りになったのはこれ以降です。 もちろん強風による被害も大きかったのですが、消火の水がないことも大きな被害に拍車を掛けました。 特に金沢城中には井戸しかなく、堀はあっても空堀で水はなし。燃えるに任せた状態でした。過去にも落雷などで何度も金沢城は火災に遭っていました。その度に建物は燃えるに任せた状態で、金沢城に天守がないのも慶長7年(1602年)の落雷によるもので、それ以降幕府との関係上造れず、歴代藩主にとっては屈辱の一つでした。 そんな時に起こった寛永の大火は、金沢における弱点をさらけ出したものでした。 あ…

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硲 伊之助美術館

石川県内には個人の美術館が幾つかあります。 大型美術館ではたくさんの美術作家の作品を揃えて並べるため、作家の個性が際立って一種の統一感やテーマ性が欠ける機来が多々あります。個人美術館は本人のみの作品がメインですから、その点では違和感なく見られます。 欠点と云えば、作家や作品への好き嫌いが個人によって変わるので、家族やアベックだと一人だけが見入って、もう一人が渋い顔で手持無沙汰で外で待ってるなんてのがよくあります。 我が家でも、嫁さんと僕では好みが離れすぎていて、意見の一致を観る美術館は珍しいくらいです。 とは言いつつ、作家の事や画風なんてよく解らず、眺めては気に入るとじっと見続ける似た者夫婦なんですけどね。そんな夫婦が好きな作家の美術館と意見がそろう、珍しい美術館が「硲 伊之助(はざまいのすけ)美術館」 かれこれ24.5年程前、我家族は僕の転勤もありましたが、新潟から石川(元々僕の生まれ故郷なんですが10何年振りの帰郷でした。)に引っ越してきたんです。まあ、3年程で次の勤務地(滋賀・守山)に引っ越したんですが。。さすがに高校以来離れていたので、生まれ育った県とはいえ、意外に名所旧跡が解らないんですよね。 その時に購入したのが、能登出版の「見る・学ぶ・遊ぶ石川県の博物館」¥1800、54の施設を紹介した本 その本を参考にその3年で8割がたを踏破したんですが、その中に加佐ノ岬にある「硲 伊之助美術館」に訪れたんです。当時は辺鄙な場所でしたが、木彫の展示室にあった絵画はゴッホ・…

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2・3回目の初詣

元日、Uターンしてしまった初詣 4日に改めてやって参りました 体調もやっと復活してきた娘も含めて家族で出直してきました。 前回と同じく「安宅住吉神社」にやって来ましたよ。元日は雪だったけど、この日はあいにくの 元日は参拝客は多かったけど、4日ともなれば参拝客は少ない。けれど、社務所のおじさんや巫女さん達の元気な「明けましておめでとうございます。」の声が響き渡っています。弁慶の顔もこの間より柔らかく見えるのは気のせい 拝殿にてガランガランと願いを込めまして、3人で御神籤を引きまして、、、しかし、僕と嫁さんは末吉・娘は小吉 良いのだこれから昇り調子になるのが末吉・小吉なのだ 拝殿前の亀石を3回ナデナデ この亀石を3回撫ぜると長寿になるそうです。来られた際はお忘れなく この神社の敷地内には「安宅の関址」があります。 能・文楽の「安宅」・歌舞伎の「勧進帳」で有名です。奥羽逃避行中の義経・弁慶…

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H23 Uターンの初詣

今年(H23)は久しぶりに元日に初詣と思い「安宅住吉神社」まで、雪が舞う中を嫁さんと二人で行ったんですが 海辺の駐車場に車を停めて本殿まで登ってみると 狭い境内には人・人・人 こんなに寒いのに 本殿までの人の列を観た二人思わずUターンしてしまいました どうしても列に並ぶという行為ができない夫婦 弁慶さんに睨まれても帰ることに、4日にもう一度初詣はやり直そうということに 帰り道、長靴に穴が開いたと騒ぐ嫁さんの為に、小松のアル・プラザに寄って行くことに。。。結局、今年最初の買い物は嫁さんの長靴(ゴム長とも云う)という色気の無い物に成ってしまいました ちなみに、嫁さんは僕と出かける時、天気の悪い時は長靴か登山靴みたいな編上げブーツ、晴れてもスニーカー{%メイドに…

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道の駅こまつ木場潟

H22/10/9 天気は雨降り 時々、土砂降りにもなっています 石川の各地ではいろいろとイベントが開催されていましたが、みんなたいへんだったみたい 金沢ではネンリンピック。僕の住む白山市では昨年紹介した ほうらい祭り。 開会式も造り物や獅子舞が出ていましたが、雨でたいへんだったみたいです 嫁さんが休みで、買い物に行くというので運転手に立候補 午前中、仕事が入っていたのでちょっと行って来て、二人でレッツゴーです あっと、娘は僕の風邪を貰ったみたいで、部屋に引きこもっています。 僕みたいに咳は出ないみたいで、熱っぽいだけと言ってました。 そのかわり、お土産はしっかり頼まれました 嫁さんのご希望は「ホームセンターならどこでも良いのだ」 ほんとは晴れていたら、福井まで行くつもりだったんですが断念 金沢はイベントだらけで交通規制中だから南へ行くことに。。。 小松に行くつもりで国道8号線を走って思い出したのが道の駅 4/22(H22)にオープンした「こまつ木場潟」 石川県には昔から5つの大きな潟があったのですが、干拓や開発で姿を変えて…

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プラチナルート⑥ 平泉寺白山神社&旧玄成院庭園

7/18 白鳥町で遅めの食事をしまして国道156号から158号に乗り換えます。 158号線は白鳥から福井市を繋ぐ国道です。九頭竜川に沿って走り続けますが、途中に九頭竜湖や九頭竜ダムも見られます。 九頭竜の名は幾つか諸説があるんですが、有力なのは天地創造の四大明神のひとつ「黒龍大明神」から来ていると言われています。 特に白鳥の油坂峠からしばらくすると広がる九頭竜湖の湖畔、九頭竜渓谷の景観は絵に描いたような美しさです。春夏は新緑と湖、秋は燃えるような紅葉が見られます。 戦国時代の雄、朝倉家の終焉の地「大野」で、またまた国道を乗り換えて157号線に。。。 ここから勝山市に向かいます。そろそろ夕方になっていますが、まだ明るいのが救いです 慌てて着いたのが平泉寺(へいせんじ)の第一駐車場 ここではこんなモニュメントがお迎えしてくれます 「チャマゴン」と「チャマリン」です 勝山市には日本一の規模を誇る「福井県立恐竜博物館」があります。石川の白峰からこの勝山は恐竜化石が多く発見されている手取層群が広がっていて、恐竜の森と博物館を展開しています。娘が子供の頃、恐竜が大好きでよく来ていました。森と博物館で1日たっぷり過ごせます。 わざわざこの駐車場にやって来たのはこの為でした。 {%…

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プラチナルート⑤ 帰雲城 ~ 長滝白山神社

7/18 白川郷で上越組と別れ僕達は156号線を南下、白鳥町に向かいます 東海北陸自動車道が出来たおかげで、観光客の車は高速に廻ってくれるので、国道も日曜ですが車も少なくすんなり走れます 白川郷からしばらく行くと「帰雲城」の文字を見つけて立ち寄りました 歴史好き・お城好きの人には有名なお城です。 室町・戦国時代、白川郷を治めていたのは内ヶ島氏という一族でした。 内ヶ島氏は飛騨の金山を採掘管理をしていて裕福な一族として知られていました。古くは足利義政の銀閣寺、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大阪城の建築予算の多くは内ヶ島氏が負ったといわれています。 秀吉の越中の佐々征伐では佐々成政の援軍として従軍しましたが、その後秀吉に帰順して許され、本城である帰雲城に帰っていました。しかし3ヵ月後、天正の大地震で帰雲山が崩壊、庄川を塞ぎ山津波で一族郎党・城・城下町が全滅消滅してしまいました。ちなみにこの日は城中で本領安堵を祝って宴の真っ最中で、一族郎党が集まっていたそうで、生存者は他国に使者として出ていた4人のみと云われています。 長い日本史の中で、自然災害でひとつの城下町が一夜で消滅したのはここだけです。この城址碑の向こう、東の山肌には現在も崩落の爪あとが見られます。別名日本のポンペイとも言えます。 戦国期…

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松任金剣宮 ~ 那谷寺

さて、この日は朝からハプニング 事故停電ですよ。朝の6時にいきなり電気がプッツン 強風と雷で、近くの電線が切れてしまったようです。いやーまいりました 電気がないと、PC・TVはもちろん、なんと固定電話も駄目 さらには電気点火のファンヒーターや風呂も駄目なんだもん。点いたのはガスコンロだけ 現代社会は電気がなくなるとエライことになるもんですねぇ。。 とにかく寒くて寒くて。。。。布団から出るのがつらかった~~~ しかし、外のほうが暖かいのはなぜ。。。ひぇ~~~ 午前中、仕事があったのでササッと済ませて家に戻ったけれど、まだ復旧していなかった。嫁さんと娘は休みで、布団の中で震えておりました 帰って30分程で復旧しましたが、こんな日こそ初詣に行かなきゃ                              (どういう理屈じゃ←嫁さん弁) 前日から徹夜で年賀状のイラストを手書きしていたのに停電に邪魔された娘は、、、、、これから、もう一度チャレンジ   彼女、趣味の漫画同人の仲間には手書きイラストを書いているんです。 ということで…

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月うさぎの里

ここのところ、土日になると誰かが必ず急用が入って、一週間の中でなかなか家族3人が揃うことが減ってしまいました なかなか、3人揃わないと遠出や外食が減っちゃいますねぇ この日も嫁さんは1日仕事  僕は午前中だけ仕事して帰って来ましたら、娘がぽつねんと一人で部屋におりました  つまらなさそうにしている娘を連れ出しまして、二人でドライブに 行き先は加賀市まで。。。。で、到着したのは「月うさぎの里」元々、ここは以前まで「うるし蔵」といって、漆の工芸品を中心に加賀や福井の土産品を販売、薮内佐斗司の木彫り彫刻の展示・販売を行っていました。広場には薮内氏の作品がモニュメント代りに置かれていました。 その広場をそのまま利用してHPでは50羽だけど、70匹以上のうさぎを放し飼いにして、うさぎの広場にしてしまったんだそうです。以前からの広場作品や美術館もそのままです。 広場は入場無料だし。。。。 日曜ということもあって…

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朝市通り 市姫社

毎年8月に輪島のお客さんの所に行くことになっています。今年(H18)も行かねば 毎年、能登地区のお客さんを調整していたのですが、今年(H18)は上手く調整できなくて一軒だけの訪問になってしまいました。ならばという事で、ついでに能登に観光しようとなりまして、嫁さんと娘も乗せて お客さんの家は輪島の朝市通にあるので午前中は車が入れないので、毎年午後から伺っていたのですが、今回は10時に約束にしてLet’t GOです。ノンビリ寄り道もしたかったんで、8時前には家を出ましたよ 娘が寝坊しちゃったんで、朝飯抜き、、、だけど 早く行くなら、能登海浜道路なんですが、のんびり・いろんなスポットを見るなら国道249号がお奨めです。約50分後、今浜から千里浜なぎさドライブウェイに寄り道です。以前にも紹介しましたが、約8キロのなぎさの砂浜を普通車で走れます。 ところが夏場は海に遊びに来ている人が多いので、渚に標識が建てられています。 やっぱり、春先とか秋のほうがでかっ飛ばせますねぇ。夏はゆっくりしか走れません。 琴が浜から道路は海岸線を走ります。奇岩や赤い岩、風光明媚な海岸線です。此処はもう旧の門前町、輪島になりますねぇ。道の駅「赤神」で、ジュースタイム 土曜日と…

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徳光八坂神社

営業で外回りをしていると休憩場所がお気に入りの場所になってきます。 特に、夏場になると木陰のある駐車場や道路端になってしまいます。 木陰があって車の停められる場所となると、おのずと限られてきます。それと、公衆トイレがあればいうことなし となると、場所は神社や公園に限られてきます。 何年か前の話ですが、公園の駐車場に車を停めてしていたら、小さな足音と物音が、、、車の窓から3.4歳の女の子が覗いていました。チラッと観て笑顔をかけて、また。。。女の子も笑ってくれたんで しばらくして、少し離れた所から母親らしき声が。。。   「○○ちゃんそこに行っちゃ駄目よ。怖そうな変な人が居るからね。」 ガ~ん ソレって僕のこと。。。 夏なので、運転する時はサングラス掛けるんですが、そのまま寝てたんですね。確かに傍から観ると変質者か怖い人に見えるかも その時以来、休憩中は眼鏡やサングラスははずすことにしています。 ちなみに、僕が変で怖い人に見えるサングラスは。。。 それからですね、神社の側が多くなったのは。。。。

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気多大社 正覚院

妙成寺から帰途に着く事にしましたが、羽咋にはもうひとつ大きな神社があります。気多大社(けたたいしゃ)がそれです。能登一宮に指定されています。 加賀一宮は以前紹介した白山比咩神社です。 ここも歴史は古い社です。祭神は大国主命です。古代からあったのは確かで、近くの海中や海岸から、大規模な遺跡(寺家遺跡)が発見されています。それも縄文前期からのもので、奥能登の真脇遺跡と合わせて、能登は古代には先進地だったみたいですね。 気多大社は、縁結びをメインにしています。初詣には若いカップルが多いんですよ 大社側でも、ここに力点を置いて、宣伝に余念がありません。 大社内のあちこちに、縁結びの関係のものがあります。 写真のは、この通路に絵馬を掛けて、カップルで通ると幸せになると唄っていますムード 大社の奥の院から先は、「入らずの森」と呼ばれる原生林の森です。 此処の神社とは今まで相性が悪くて、来るといつも大荒れの天気だったんですが、今日は始めて晴れたんじゃないかなぁ ただね、現在(H20)ここは、神社庁や文科省と訴訟の真っ最中で、神社が誰のモノなのか民衆のモノだということは忘れて欲しくないですね。平成22年に最高裁で神社側が勝訴して、神社庁から独立して単立神社になっています。 ついでに気多大社の隣にある正覚院にも寄って見ましたよ。 ほんとは、駐…

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金剣宮

まだ、寒くて雪のちらついていた日曜日でしたが、この日もお仕事に勤しんでおりました。鶴来町のお客さんの所で、時間を過ごしまして、、、、今月末に契約完了ということで 次のお客さんとの約束まで、時間が結構あいてしまいました。と云う事で、またまた近場を散策してました。 今回は白山比咩神社の隣にある金剣宮へ、正確には「金剱」と書いて「かなつるぎ」と読みます。名前の通り、鶴来の名称の元になっているんです。鶴来の旧名は「剱・剣」なんですよ。創建も崇神天皇3年と呼称?してるので、隣の白山比咩神社よりも古いことになります 祭神は大国主命なんですが、白山信仰から古来より白山七社・白山本宮四社に数えられ、有力寺社の一つでした。 剣=倶利伽羅不動 も祀っているので、昔から武将や藩主から信仰を受けていたようです。 源平盛衰記と社殿には、源義仲が倶利伽羅合戦の戦勝の報謝として横江荘200戸(現在の白山市横江)・鞍置の馬20頭を寄進したとされています。同じく奥州への逃避中の源義経が同じく立ち寄り、一泊と神楽を奉納したと云われています。その後も戦国時代の各武将や江戸期の加賀前田家の歴代藩主からの信仰や寄進を受け続けました。 で、源義経が腰掛けたという石も。。。ついでにそこからの眺めも 入り口で迎えてくれる狛犬も迫力満点   …

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倶利伽羅不動尊 山頂堂

本当は4日に行くつもりだったんですが、仕事が入っちゃって1日延期しました。 行った先は、倶利伽羅不動尊です。 倶利伽羅不動尊は石川と富山の県境にあります。 千葉の成田山・神奈川の大山と並んで三不動尊と呼ばれています。。 「倶利伽羅」はサンスクリット語で「剣に黒龍の巻きついた不動尊像(姿)」。つまり剣に巻きついた黒龍の姿が本体で、よく人間のような姿で表現される神様たちとは一風違った存在です。ただ黒龍は北の守護神ともされていて玄武になぞらえる説もあります。サンスクリット語はインドの古代言語で、現代でも公用語になってるらしいですよ。あまり使う人はいないらしいけど。。。此処の不動明王は「倶利伽羅紋々」といって、その筋の人の刺青などでも有名です。 不動尊山頂堂下の駐車道路から撮りました。ちなみに、この道路から東が富山県です。 今回はカメラと携帯両方で撮ったので、アップすると解り易いですが、緑色の屋根下が石階段になってます。 登った上にあるのが本堂山頂堂です。こちらが表口だと思ってる人が多いですが、実は裏口なんですよ ついでに、赤いダツフルと黒いコートが、我家の娘と嫁さん。一応初公開 階段の途中には、弘法大師一行像や水掛不動なんかもあります。 長い階段を登ったところが、本堂の山頂堂。煙で本堂が煙っちゃってます 本堂内では護摩を焚いてくれるので、護摩…

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猿丸神社

営業で外回りをしていると、いろんな所でお客さんと会うんですよ。 普通は自宅とか会社が多いんですが、たまに面白い所?や何とも言えない所で待ち合わせたりします。 と云う事で、先週・先々週の待ち合わせ場所。。。を撮った所だけの紹介ですが、ほんの一部だけど。。。お客さんの前でははちょっと難しいのでネ。 まずは、金沢の片町スクランブル交差点、夜は賑やかですよ。 此処で待ち合わせ。。。車を近くの駐車場に停めて。。。しかし水曜なので店舗はみんな定休日 寂しく交差点の端っこで待ちましたがな 結局、写真の右の方にある(写真に入ってない)ミスドで。。。。 同じ日なんですが、以前upした尾山神社 その山門の左の脇に小さな路地がありまして、昔なつかしな感じの飲み屋横丁になってます。夜はちょっとした飲み屋横丁ですが、昼間に行くと何とも言えない寂しい雰囲気です。 飲み屋街で営業だから、相手は飲み屋さんと思うなかれ、目的地は看板のない美容院決して綺麗でお洒落な店…

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若宮神社 秋祭り

この日はわが町の 秋祭り でした。 町内会長に指名で、袴役やれといわれて獅子舞の先導役でした。 朝6:30に神社に集合です。 低血圧で朝の弱い僕眠い眼擦って何とか起きましたがな 皆でぞろぞろ若宮神社に集合です。参道には屋台が並んでるけど、当然無人ですよ。 神社で御祓い受けてスタートです。境内で獅子舞のお披露目でスタートですが、みんな朝早くて元気がまだまだ。。そりゃそうだ。。朝早いし、酒も入ってない。 袴役ってのは、獅子舞の先回りで、各家の集金係みたいなもんです。おかげで、獅子舞もまともに観れません それに午前中(と云うより朝なんだもん)店舗ぐらいしか玄関開いてないし。。袴役の人数も多いから、手持ち無沙汰で暇を持て余し気味 結局は袴役みんなで世間話で時間が過ぎて行きました。それにしても礼服着たイカツイおじさんが固まってると、何とも言えない雰囲気ですよね 10時過ぎぐらいに  お客さんからですよ、この時ぐらい呼出電話がラッキーと思ったのが、ひさしぶりー…

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尾山神社

この日、仕事の説明会とセミナーがあって、1日金沢市内でした。 つまらない説明会とお勉強で、眠い目を擦りつつ頑張りましたよ お昼時間は各人自由と云う事で、久しぶりのお店まで行く事に。。。      てくてくと歩いていくことに 久しぶりに歩いてみると      金沢の中心街を通るR157の1つ西裏の道を歩くと、鞍月用水路沿いに静かな佇まいが続きます。      近くには武家屋敷もあります。 ノンビリ歩いて着いたのがここです。 「グリル くらつき」 前々からよく行ってたんですが、なかなかお昼時にいけなくてご無沙汰でした 此処のご主人は、お休みの時は獅子吼でハングライダーで飛んでます。         体は小さくて口数は少ないけど面白い人ですよ。                 まぁ、いつも厨房にこもっているけど。。         と、いうわけで、チャキチャキの奥さんが店を切り盛りしてます いつもの日替わりランチをば注文 今日は「豚のしょうが焼きとポテトコロッケ」¥800       しょうが焼きも大判2枚で今日は当たりかな 11:30に入店したので、店は空いていたので奥さんととりとめのない話をしながら完食{%顔文字ファ…

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