砂子谷富士社 砂子谷の大杉

金沢の森本ICから富山県・福光に向かう国道304号線で、県境を越えて1キロほどを右折すると砂子谷の集落になります。坂道の途中に土地の産土神と思われる神社があります。 日頃、神社や旧跡を見るのが好きな僕は、標柱や歴史看板などを見るとつい急ブレーキを踏んじゃいますねえ^^;今回も石柱の「巨木」の文字に反応してしまいました。 自分の知らない神社に出会うと、後で神社庁を検索することが多いのですが。。石川の神社庁のHPでは小さな神社でも、それなりの由緒や由来が載せられているんですが、富山の神社庁では名前・住所くらいしか載っていないことが多いんです。いつも四苦八苦^^;今回の砂子谷富士社も例にもれず、境内にも案内板もなく、今のところ不明状態です。 とはいえ、鳥居横の標柱「富士社」の揮毫は衆議院議員・綿貫民輔氏。南砺市出身の代議士で、すでに政界は引退していますが、自民党で入閣、国民新党でも活躍していました。 綿貫民輔氏は28歳で倒産寸前の砺波運輸の社長となって、4年間で立て直して上場、現在のトナミ運輸へとつなげたことで知られています。その後、政界入り、自民党幹事長・建設大臣・衆院議長などを歴任、郵政民営化で小泉首相に反旗を翻して、自民党離党の末に国民新党初代代表など。。。南砺市では名誉市民第一号。。 ちなみに綿貫家は歴代・井波八幡宮の宮司の家柄になります。現在の井波瑞泉寺のお隣りで、大きな境内地を誇っています。境内は元々は瑞泉寺・井波城の跡地でもあって、けっこう…

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粟津(あわづ)温泉

粟津温泉総湯前 開湯の碑 11月にいつも行く粟津温泉近くのお客さんの所。でも昨年に続き、早く行き過ぎて一時間ほど時間調整をすることに、ということで、昨年は文字だけになってしまった粟津温泉の中心地の風景を散策してきました。 昨年の記事は・・・  2017.11.09 粟津温泉 おっしょべ公園      旧養老公園 祈りの小径      養老山 大王寺     粟津白山神社  粟津温泉の起源は、白山開山・平泉寺創建を行った泰澄大師が、翌年の白山登頂から丸岡・豊原寺への帰路。霊夢に現れた白山権現のお告げによって、住民を集めて掘削させ温泉を発見。弟子の雅亮法師に湯守となることを命じ、雅亮法師は還俗して名を(法師)善五郎と改め湯宿をつくります。これが粟津温泉並びに世界最古第三位の温泉宿・法師の起源になります。 粟津温泉街に向かう玄関口に立つ泰澄大師像 まずは粟津温泉中心地から離れた産業道路(国道8号線)の津波倉東ICから見える泰澄大師立像。 塔のような土台に立つ泰澄大師像は近くで見るとやっぱり高い@@ 粟津温泉の玄関シンボルと云えます。石組仕立ての土台もよくも建てたという灯台のようです。 泰澄大師は越前・麻生津に生まれたと云われ、生まれながらに白髪だったと云われます。 14歳で出家・法澄と名乗ります。役小角と共に愛宕山の悪霊退治・開山、神社建立で名を挙げ、大宝2年(702年)に文武天皇から弱冠20歳で鎮護国家法師に任じられ、北陸白山信仰の本拠として丸…

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西山古墳群~高座八幡神社

西山古墳群 標柱 前にご紹介した北陸最大級の前方後円墳1号墳の秋常山古墳群と隣接しているのが西山古墳群になります。秋常山は発見時は西山古墳群の一部とされていました。 以前紹介したように能美平野の中に点在する丘陵地帯を利用して造られたのが能美古墳群ですが、その中で一番東方の丘陵に位置しています。前回紹介したようにこの西山古墳群も南面や西部が宅地や田畑地として掘削を受けています。更につい最近まで西山はこの辺りの秋常・高座・久常といった地区の共同墓地になっていました。 西山古墳群入口 久しぶりに訪れてみると共同墓地は平坦地に降りて新設されていて、西山墓地はその多くが撤去移動されていました。国史跡指定の関係と思われますが、墓石が撤去されたとはいえ、古墳の形跡は解り難く、西山古墳群の標柱が無ければ、古墳のあった地とは解らない状態。。今後の灌木や藪地の整備が課題になってくると思われます。 何カ所かは円墳の形跡も観られますが、この西山は古墳群が注目されていますが、その前の時代、弥生期から古墳期への移行期の周溝墓、土坑墓・木棺墓が発見されています。また、その位置が古いものが高度の高い東北部の位置、古墳期の物は麓の低地である西南部と見事に分離されていて、しかも同じ方向に並列しています。墳墓同士があまり重なる場所がないということです。とはいえ、その後の平成に至るまでこの西山の上は墓地の集積地だったわけです。 以前は地続きだった秋常山の大型古墳を含め、弥生期から古墳終末期そして現代ま…

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桑島の大栃

白山麓には前回紹介した日本最大の栃ノ木「太田の大栃」のような、栃ノ木の巨樹が幾つか点在していますが、そのほとんどが山間の険しい位置にあります。ただ、唯一の例外が今回の「桑島の大栃」になります。 案内板から・・・ 『桑島の大栃』 推定樹齢・約400年 幹周り・615㎝ 幹高・23m 所在地・石川県白山市桑島10号4番地13号 標高・465m  昭和50年の手取川ダム建設事業に伴う、桑島住宅地や道路の整備により、白峰地域では唯一身近に見られるようになった大栃です。 栃の実は、古くから先人を支え、特産品『とち餅』を育みました。これからもこの巨樹が、多くの人々に末永く見守られる事を願います。 桑島区 白峰観光協会 案内板にあるように、本来この木のある場所は、水芭蕉の群生地のある大嵐山(1204m)の中腹に当たります。 元は山間だったところに、昭和50年(1975年)居住地や道路の造成整備によって、身近な位置で観られる巨木になったわけです。 金沢方向からだと国道157号線で左手に手取川ダム湖を見ながら進むと、白峰村落の手前を左折した桑島大橋でダム湖を渡ったところ、ホテル八鵬を左手に曲がった先、百合谷橋のたもとに桑島の大栃が佇んでいます。 樹勢が強そうで、真っ直ぐで太い主幹が目前で枝分かれしており、葉も生い茂っています。横に停めた愛車フィット君と比べてもらうと大きさが解ると思います。白峰の名産品・とち餅や桑島地区のシンボル的存在です。 百合谷と言えば、この谷川の…

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太田の大栃 国内最大のトチノキ

前回に続いて七尾の寺院を書こうとしたのですが、どうも文章がまとまらず途中書きになったまま、、しばらく頭を柔らかくしてまとまってから書こうと思います。。 久しぶりに一里野に仕事で行ったのですが、予定よりも2週遅れたので、今年はイルミも観れずに終わってしまいました。蕎麦畑も終了した後。。。せっかく白山麓の奥まで来たんですから、ついでに白峰に寄り道してきました。白峰には何度も訪れていながら、白峰でも10数年から20数年ぶりの場所ばかりを再訪してきました。 白峰と勝山の県境は豪雪地帯で、今年の冬も国道沿いでも2メートル以上積もっていたそうです。そんな豪雪地帯の山間地には大木が点在しています。その中には樹種では国内最大の巨樹も存在します。「太田の大栃」。 ご近所ブロ友のgoさんがお気に入りの高山植物園の入り口を200m程、福井方向の谷峠に向かうと、堂埜森神社の社があります。この社が大栃へむかう山道への目印になります。 この堂埜森神社は神社庁HPによれば、古来ここに堂があって守をなしていたところから堂ノ森と称したという。明治に神社明細帳に登載されなかったが、昭和23年に宗教法人になった白峰村内の八坂神社が管理者になっているようです。神社としては新しい部類ですが、古くから祠堂が置かれていたようです。主祭神は素戔嗚(すさのお)ですが、前述の様に、この先には勝山に抜ける最大の難所・谷峠があることから、旅人の安全を見守る手向(たむけ)神の祠堂だったと思われます。 社殿前には文学碑がありま…

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宮島神社 岩抱きのけやき

宮島峡の一の滝から少し下流に向かって公民館の手前を右折すると宮島神社があります。 宮島神社は子撫川(こなでがわ)を中心に山間に点在する宮島二十五村の惣社とされています。総社と惣社は現在は同義語扱いで、よくゴッチャになってしまいますが、基本的には前者は主に奈良時代以降の国府の側に建てられ、国司が祭祀を行うために国内の神を合祀した国社ともいえます。惣社は近在の地方・村・部落・集落の点在する神様を合祀したり、代表として奏者としての役割を果たした神社になります。 宮島神社が惣社のどれに当てはまるかは別にして、大岩に巻きつくように立つケヤキが注目の社です。 小矢部市指定天然記念物 岩抱きのけやき この神社は、宮島郷宮島谷二十五ヶ村の惣社と伝えられている。神社の社殿に向かって右手の巨岩は、周囲一七メートル高さ三メートルを測り、その上に幹まわり三・六メートル樹高三五メートルの大木が太い根で岩を抱きかかえるようにして生えている。「岩抱きのけやき」と呼ばれ、小矢部市指定天然記念物に指定されている。 境内には、自然石の露頭が多くあり、かつては神霊を招き祭祀を行った聖地で古代、神社が発生する以前の磐境(神霊祭祀の霊域)と考えられている。後に社殿がつくられるようになり、この磐境をそのままにして、後方に拝殿を建て、その奥に本殿を築いた。このように古い時代の磐境のすがたを今に残している埜は、県内でも数少ない。(昭和六十年九月には由緒を伝える石碑が建立されている。) 平成十年七月十五日 小矢部市教育…

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狹野(さの)神社・能美九谷陶祖(とうそ)神社

狭野神社 表参道・一の鳥居 九谷焼陶芸村から500mほど西に行った所に、産業九谷の草分けとなった佐野窯が開かれた佐野町(旧佐野村)があります。旧佐野村は辰口丘陵の姓南端に当たり、広大な加賀平野の東端からなだらかな丘陵帯に広がる村落でした。この地で崇敬されていたのが狭野(さの)神社になります。佐野の名の由来はこの神社の名からのようです。 狹野神社由緒 御祭神 素盞嗚尊命 すさのおのみこと 天照大神 あまてらすおうみかみ 豊受比咩命 とようけひめのみこと 仰、当社は往昔、佐野集落の発祥の地である。東部丘陵団地の東端、峠路の山中に、鎮守の神として創建されたもので、郷民の崇敬厚く、嘉祥三年(八五〇)に皇室から正六位上を賜 った。狹い谷間の野原の奥にあったから狹野の社と称えられ、これが佐野の地名の起こりと言う。やがて祖先が農耕に便利な八丁川沿岸と鍋谷川沿岸に移住した。延喜七年(九〇七)に式内社となって、全国でも著名な古社として知られたが、嘉元元年(一三〇三)に南禅寺領となって、その管轄の政所が置かれた。その後南北両佐野が合体し、現在地へ氏神が遷座された。 前田藩政のとき、利常公が格別に崇敬され正保元年(一六四四)の春にご参拝、翌年の春の祭儀に自ら祭主となられた。明治三十五年県社に昇格し、同年神饌幣帛供進神社に指定さ れ、明治四十年に末社神田神社を合祀し大正十三年拝殿を改築し、昭和五十年に本殿、幣殿、社務所を造営した。 境内は二千坪余(神苑神楽山を含む)神田山、お守り 山、雉の山の神…

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四坊高坂八幡神社(波自加弥神社奥の院)

全国には変わった神様を祀っている神社がありますが、北金沢の波自加弥(はじかみ)神社もその一つです。 波自加弥神社が主祭神としているのが生姜(しょうが)の神様になります。生姜の古名は「薑・椒」で「はじかみ」と読んでいたと云われています。神社名の波自加弥はこの語が変じたものだと云われています。金沢では波自加弥神社の生姜から更に広義に広げて香辛料の神様として、神社で開催される「はじかみ大祭」には、生姜を扱う生産者や業者はもちろん食堂やレストラン関係者が集まってきて製品などを献納して、社業発展などを祈願して賑わっています。日頃は静かな神社ですが、この日は賑やかな祭礼でごったがえします。近年ではすっかり金沢の風物詩の一つになってきています。 6月15日は「生姜の日」。実はこれはお茶漬けの素やふりかけなどで知られる永谷園が、日本記念日協会に登録申請して制定されたものなんです。H19(2007年)に冷え知らず・生姜シリーズのヒットで、気を良くした永谷園は生姜部という部署を造るほどの力の入れよう ⇒ 永谷園生姜部HP H21(2009年)に前述のように日本記念日協会に申請して6月15日が「生姜の日」になったのですが、波自加弥神社のはじかみ大祭の開催日でして、永谷園はこの祭礼の日に因んで申請したそうです。 波自加弥神社の神主・田近氏は、河北・金沢や白山市の神社合わせて42社の兼務をしていて、石川県神社庁の金沢支部長さん。相当多忙なはずなんですが、ブログも毎日更新しています。神主らしからぬはじけた…

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根上(ねあがり)の松

能美市は野球の松井秀喜の出身地の根上町・九谷焼の産地の寺井町・いしかわ動物園のある辰口町の三町が、平成の大合併で誕生したものです。この能美市の在る位置は大規模な古墳群が示すように江戸期以前は加賀の中心地で、古くから歴史の端々に挙がってくる地域でもありました。 能美市高坂町(旧能美郡根上町高坂)に高坂山(通称、根上山)という小さな砂地の尾根があります。 尾根の山頂に「根上の松」と呼ばれる松があります。登り口が解り難く地元の人にしか知られていない存在ですが、旧町名の根上町の由来になっています。 源平盛衰記 巻第二十八 北国所々合戦事から(国民文庫「源平盛衰記」引用) 〔斯りしかば、〕五月二日平家は越前国を打随へ、長畝城を立、斉明を先として加賀国へ乱入。源氏は篠原に城郭を構て有けれ共、大勢打向ければ堪ずして、佐見、白江、成合の池打過て、安宅の渡、住吉浜に引退て陣を取。平家勝に乗り、隙をあらすな者共とて攻懸たり。其勢山野に充満せり。先陣は安宅につけば、後陣は黒崎、橋立、追塩、塩越、熊坂山、蓮浦、牛山が原まで列たり。権亮三位中将維盛已下、宗徒の人々一万余騎、篠原の宿に引へたり。越中、加賀、両国の兵共、安宅渡に馳集り、橋板三間引落し、城を構垣楯を掻平家を待処に、越中前司盛俊が一党五千余騎、安宅の渡に押寄見れば、橋板は引たり水は深し、南の岸に引へたり。源平川を隔て只遠矢に射る。日数をへる共落すべき様なし。盛俊子息の盛綱を招て、あの渚は波に碾れて浅かるらん者を、打下て見よと云。盛綱即打下て馬…

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笥笠中宮神社(けがさちゅうぐうじんじゃ)

先日、久しぶりに一里野まで用事があって行ってきました。白山麓まで道路は冬に向けて補修工事が真っ盛り。 もう少しすれば紅葉も盛りを迎えるし、白山スーパー林道もとい白山白川郷ホワイトロード(今年から名前が変わったんでした。)にも久しぶりに行ってみたいですねえ。通行料金も以前の半額(普通車1600円)になったことだし。 しかし今回は夕方の約束だったんで、時間的に陽が落ちるんで一里野から先には行かなかったんです。帰り道の夕暮れ時でしたが、新中宮温泉の幟に釣られて、笥笠中宮神社(けがさちゅうぐう)に寄ってみました。江戸期以前は笥笠中ツ宮(けがさなかつのみや)というのが正式なようですが。。 そういえば、いつのまに新中宮温泉になったんでしょうか。。たしか、僕の記憶の中では、ちょっと前まで中宮温泉と思っていたけど。。でも温泉施設の総湯は昔から新中宮温泉センターだったような。。気もするし まあ前述のホワイトロードの料金所近くに中宮温泉がありますから、ややこしいのは確かなんですが、新ナントカというのはなぜか違和感を感じますね。どちらが中宮の元祖となると温泉は確かに奥の中宮温泉になるんですが、歴史的な文化では新中宮の方が古いんじゃないでしょうか。。あんまりその辺の名称に関しては詳しくはないんですが。。 白山市には市が運営する五つの市民温泉があるんですが、ここの新中宮温泉センターもその内の一つになります。ちなみに他の市民温泉施設は松任海浜温泉(徳光CCZ)・めおと岩温泉(旧河内村紅津、ラクヨウ)・大…

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苔の里 ~ 荒俣峡

先日、ブログ友達のgoさんが日用町の苔の里をUPしていました。 goさんのブログ goさんは僕と生活圏が同じなので、僕の行く場所やgoさんが行かれる場所は、お互いに7割方は解る場所であり、違った視点で新鮮な感覚を知ったりなるほどと思うことがしばしばです。 まあ、goさんが得意な登山や渓流や海釣りは、ぶきっちょで運動不足の体力不足な僕の不得意分野で羨ましいかぎりが多いんですが。。 ところが、同じ生活圏でちょっと足を延ばしても大概の場所は知っているはずなんですが、「え~~@@こんな所があったの@@」と驚かされる時があります。今回の苔の里もそんな場所です。苔の里とは全く知りませんでした。 実際、訪れて観ると、少なくとも3.4回は通っていたはずの道路なのに、何も気づかずに通り過ぎていたんですねえ。。人家も少なく日用町の道路は田舎の割に拡幅されて広いんで、気持ち良く飛ばしていたんですかね~~~ goさんのブログを観て、あまりの美しさに近いうちに行ってやろうと思っていたんですが、そういう時に限ってなかなか近くに行く機会がなかったんですねえ。。 そして、ついにこの日、嫁さんは仕事で不在でしたが、暇そうな顔をしていた娘を連れだして、二人でドライブがてら苔の里を観に出かけました goさんのブログの予備知識のおかげで、駐車場に無事到着 詳しい説明はgoさ…

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瓶割坂② 神明宮

前回の大蓮寺のお隣にあるのが「神明宮」になります。 神明宮は金沢五社(宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮)に数えられる江戸期に重要視された由緒ある神社です。金沢五社は以前にも書いたことがあり、この神明宮も文字だけですが、簡単な説明を書いていました。 椿原天満宮(椿原山砦跡) その時の文章を抜粋すると 金沢五社 ・・・ 前田家の加賀藩時代には、金沢の町と城の鎮護と防衛拠点として、正式な神官だけが常駐している神社が五つ存在しました。金沢城を囲むように存在したこれらの神社は、宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮 それぞれが浅野川や犀川、卯辰山や小立野台地と云った重要拠点に配置されているのですが、地図で見ると五芒星の形に配されているようにも見えます。現在も金沢五社巡りとして、神社愛好家に人気のコースになっています。  加賀・金沢神明宮・・・金沢城の南に位置し、犀川に掛かり加賀・松任・鶴来からの主要入り口となる犀川大橋のたもとで、城から観ると犀川の対岸となる場所にあります。 別名は祓宮(はらいのみや)。この名は江戸期、正月などに金沢城内で使われた注連縄などを寺社奉行立ち合いで、境内で祓い燃やすのが慣例となっていたためです。この行事が金沢の左義長の起源と云われています。 また、春(5/15~17)・秋(10/15~17)に行われる「あぶりもち神事」は食べるお守りとして、金沢の風物詩の一つになっています。 上戸彩・高良健吾主演の「武士の献立」の前作と…

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宝乗寺

宝乗寺のある三谷地区は金沢から山越えで越中・福光に抜けられる国道304号線の県境近くの山間になります。金沢から富山方向に走って、古屋谷町の交差点を右折すると、これまた峠越えに医王ダムから流れる森下川伝いに、以前ご紹介した二俣本泉寺に抜けられるのですが(県道211号)。。右折してしばらく行くと山中に入るような車町という住宅団地があります。そして住宅街の一番奥に宝乗寺の駐車場があります。 211号沿いにも入口はあるんですが、長い階段をひたすら登ることになるし、そもそも駐車スペースはあるけど狭く、水汲みの人に邪魔になってしまいます。登り口に七面清水(しちめんしょうず)という洗水と清水があり、けっこう車で水を求める人が多いようです。 正式名は明珍山・宝乗寺。日蓮宗の寺院です。 創建は当寺縁起によれば、真言宗の寺院として創建されたとされます。真言密教に関連する真言宗は北陸には多く観られましたが、そもそもこの辺りは医王山系に当たり、修験者が多く存在したことが覗えます。 永仁2年(1294年)、日蓮宗の北陸本山・妙成寺を開基した日像が京都布教の途次に立ち寄り、法論の末に日蓮宗に転宗させています。日像の足跡は北陸に多く残されていますが、七尾の石動山・天平寺でやはり法論を持ちかけて排斥されていますし、この後京都でも延暦寺・東寺から排斥を受けていますから、その法論の持ちかけはけっこう過激だったようです。ともあれ、1.2度京都から追放処分を受けていますが、赦免後は後醍醐天皇の保護の元に京都に妙顕寺を建立、公…

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五十谷(ごじゅうだに)の大杉

白山一里野からの帰り道、 この時季は気温も過ごしやすいし空気も何となく澄んで感じますから、ついつい気持ちよく走っちゃうんですが。。白山麓は冬支度もあって道路やスノーガードの補修が急ピッチで、あっちこっちで片側通行になっています。あと1か月ほどもすると雪の話題が出るんでしょう。そのために頑張って貰ってるんでありがたいんですが、さすがに何度も停まって待っているとウ~ンってなっちゃいます。 で、まっすぐ家に帰るのを変更して、鳥越の別宮神社(べつくじんじゃ)を左折して五十谷(ごじゅうだに)の方に寄り道してみることに。。 帰り道の関係であまりこちらの方を通らないので、知らない道の一つだったんです。でもこの道沿いに知る人ぞ知る有名なものが二つあるんです。 大日川から支流になる堂川にそって5キロ程道を進むと五十谷八幡神社が右手に現れます。ここまで来ると、ホントに人里離れたというのが実感できます。でも、この神社に素晴らしい杉が御神木としてあるんですよ。間近で観ると圧倒されるくらいの荘厳さのある木です。県指定天然記念物「五十谷の大杉」 長い腕を水平に伸ばしたような姿は、異形ともいえる迫力と荘厳さを併せ持っています。以前にご紹介した吉野谷の御仏供杉(おぼけすぎ)の仲間ですが、まったく違った姿を魅せてくれています。山中の人里離れた所にある巨木の姿に、しばし感嘆と共に木の形や枝の流れに見入ってしまいました。 日本に自生する杉は日本特有の固有種になります。国内の樹…

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上柏野 楢本神社の欅(けやき)

白山市は旧の松任市と手取川河口の美川町、白山のある白山麓の鶴来町・河内村・吉野谷村・鳥越村・尾口村・白峰村が合併してできたのですが、後述の白山麓には山麓ということで、大木や銘木が多く存在します。 しかし、松任や美川は手取川の扇状地にある平野の為もあり、大きな森が少なく大木もそれほどありません。 あるといえば、多くは神社の杜になります。 そんな松任地区で樹高が一番高いのが上柏野町にある「楢本神社のケヤキ」と云われています。樹高約33メートル、目通り7.7メートル。(ちなみに、樹木のサイズ表示はいろいろありますが主要なものでは、地面から頂点の高さの樹高。枝葉の広がりの左右の幅の葉張り。幹回りの太さの目通り。この三種があります。目通りは名の通り人間の目の高さ(1.2メートル)で測るものです。もしその高さで株分れしている際は、各株の太さを合計して平均したものです。)樹齢は千年近くと云われています。 国道側のこじんまりした集落内にあるため、近くを通る割には通り過ぎてしまうので、意外に知られていませんが、静かな雰囲気の神社の中にあるので神厳な雰囲気があります。 参道から観ると、下太りの土台のような幹から急に細長く(実際は太いんだけど)幹が頭上高く伸びて行きます。 実は本来3本に枝分かれしていたそうですが、2本は枯れ落ちてしまったそうです。裏側に回ってみると解るんですが根元の太い部分が大きな空洞があり大人が中に入れる程になっています。空洞の真ん中に逆根と呼ばれる幹がありこれがこの木を保ってい…

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栢野大杉&草団子

風邪が長引いてしまってクサクサしていたのですが、 久しぶりの完全休養日。天気も相変わらず良いし、ついに我慢できずに外へドライブに  同じくお休みの嫁さんを連れ出しました 昨昨年(H20)のお正月にコメントを戴いたjillママさん その時、jillママさんが雑誌で見たという「栢野大杉屋の草団子」  大聖寺の駅前のお店では見たこともあるし食べたこともあったのですが、柏野の大杉の前にあるお店は知りませんでした。食日記に載せてjillママさんに見せてあげたかったんですが、なかなか機会がなくて行けずにいたのですがついに心機一転、栢野の大杉まで行くことにしました ということで今回の食日記は、jillママさんとヨモギのお餅や団子が好きだったというjillさんへ 栢野(かやの)の大杉は、山中温泉の一番奥の方にある菅原神社の境内にある大杉です。樹齢2300年で根元の周りは11.5m、途中から二又に分かれていて樹高54.8mの巨木です。昭和3年に国の天然記念物に指定されています。昭和22年の石川国体の際、昭和天皇がご覧になったことから別名「展覧の大杉」とも呼ばれています。 他に三本の幹周り8mの大杉と共に神社の参道を挟む様に平行に立っています。この4本の巨木が菅原神社の御神木に…

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縁結びの杉 津幡町八ノ谷

津幡町の鳥越・笠谷地区を更に山間部を行くと八ノ谷という地区があります。この辺りは山が深く、棚田や山肌に畑があるような原風景が観られます。 その集落の家屋の間を登る道の奥に八幡神社があり、長い石段を登った境内脇に大きな杉があります。 この杉は樹齢450年程、江戸時代から大正期にかけて「縁結びの杉」として八幡神社と共に地元民に信仰されてきたものです。夫婦の仲や男女の仲を取り持つ木として県内でも知る人ぞ知るの存在でカップルで訪れる人が多くいます。 「縁結びの杉」の由来伝承は神社の入り口に由来が書かれています。 その抜粋脚色ですが。。 およそ400年程前、この部落に住む庄助という若者がいました。この庄助、働き者で正直で理知的と村内でも評判でしたが、嫁に恵まれず独り身のまま孤独な一人暮らしを続けていました。ある日の晩、寝ている庄助の枕元に白髪の老婆が立ち「おまえの誠実さを愛でて良い嫁を娶らせてあげよう。明晩の子の刻に八幡様の杉の根元に行くように。。。」と云うと、フッと消えてしまいました。 翌日の晩、半信半疑の庄助でしたが、云われた通り八幡神社の杉の前に行くと、村一番の美女と言われるお春さんが立っていました。聞けばお春さんも同じ夢のお告げを受けたという話。その後、二人は夫婦となり人が羨むほど仲睦まじく末永く生涯を共にしたそうです。 てな具合でよくある話ではありますが、杉の神様が男女の縁結びをしてくれるということで、長く地元では信仰されたそうです。 棚田の風景を観がてらド…

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元祖あて(档) 石川の県木

各都道府県にはシンボルとして、花・鳥・木を選定しています。更に魚や蝶や獣も選定しているところもあります。ところが、身近なはずのこれらを三つ共いえる人は意外に少ないようです。 興味のある人はこちらをどうぞ 全国知事会のサイトです。 http://www.nga.gr.jp/symbol/symbtop.html 石川県のシンボルは花は白山や立山に咲く高山植物の「クロユリ」 鳥は日本では最大の鷲「イヌワシ」。ちなみに、英名はジャパニーズ・ゴールデン・イーグル。プロ野球の東北楽天のチーム名になってます。 ついでに魚は6種7品、季節ごとに分かれていて、春はサヨリ(細魚)・カレイ(鰈)、夏はイカ(烏賊)、秋はアマエビ(甘海老)、冬はカニ(加能蟹・香箱蟹)・ブリ(鰤)になっています。獣・蝶は未選定です。 県木は「あて(档)」 「あて」と云われると他県の人にはピンと来ないと思います。「あて」はヒノキアスナロの変種です。産地としては能登の他は北海道・渡島半島、青森県、佐渡島・栃木県になります。青森県では「ヒバ」と呼ばれ、津軽が有力な原産地です。ちなみにこの「青森ヒバ」は青森の県木になっています。なので、青森と石川は呼び名は違うけれど同じ県木なんです。 青森の青森ヒバは建材として有名ですが、能登アテも建材として家屋に多く使用されていますが、更に石川の伝統工芸の輪島塗の輪島漆器の木地にも使用されています。これが県木として選定された要因になったと思われます。 石川県内の「あて」の最大・…

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夜泣きイチョウ(瀬戸の大イチョウ)

僕の住む白山市は例の平成の大合併で1市2町5村が合併してできた市です。おかげで面積では県内一の自治体になっています。西は日本海に接し、南には霊峰・白山から白山麓などの山林の自然を持っています。 そんな山林の中には巨木と云われる木も存在し、日本最大級の木も何本かあります。「大田の大トチノキ」はトチの木では日本一の大きさだそうです。機会があったらご紹介します。 今回紹介する「瀬戸の大イチョウ」も青森・津軽の「北金ヶ沢のイチョウ」には幹周りでは大きく負けますが、樹高ではためを張る存在です。 「瀬戸の大イチョウ」は樹高約35メートル、幹周り9.8メートル。樹齢500年以上。イチョウには珍しく二股に分かれていますが立ち姿はスマートな印象です。 このイチョウがある場所は国道157号線から白山麓に向かい、道の駅「瀬女」を過ぎて、一里野高原・白山スーパー林道に向かう道沿いの旧尾口村の「瀬戸神社」の境内にあります。 ここまでは平坦な道に感じますが、ここは標高340メートル、石川県内でも豪雪地帯で有名な場所です。こんな場所でイチョウがここまで大きく育ってきたのは特質物なんだそうです。 昔から県内では有名だったようで、地元の民謡にも歌われていますし、伝承も伝わっています。 昔、この巨木には天狗が棲みついて夜ごと大声で泣いたので夜泣きイチョウとも呼ばれるようになったそうです。山からの風の声だとは思いますが、これが「夜泣きイチョウ」の名の由来です。 白山市の巨木は白山麓の国道・県道・…

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御佛供杉 吉野工芸の里内

白峰・一里野に向かう国道157号と、小松から繋がる360号が合流する場所にある「吉野工芸の里」 白山の工芸品や陶芸・和紙・吹きガラスなどの工芸品のアートギャラリーや販売を行っている。古民家を利用した「ふるさと工房」。工芸品作製の体験もできます。広い芝生には作家のオブジェが配置され、天気の良い日は多くの子供連れが遊んでいます。 その芝生広場の隣にこんもりと繁茂した大きな木があります。これが「御佛供杉」と云います。樹高18.7m・幹回7.6m・樹齢680年。国の天然記念物の指定を受けています。 遠目や写真だとたくさんの木が集まっているように見えますが、実は一本の杉なんですよ。杉と云えば真直ぐに伸びた木を想像する人が多いのですが、この杉は根元の上から大きく幹が10数本に枝分かれして繁茂しています。たぶん落雷かなにかで幹が折れ、そこから新しい幹が横や上に成長したのではないかと云われています。その姿が仏前に供える飯盛りに見えることから「御佛供杉(おぼけすぎ)」の名前が付いたそうです。 伝承・・・解説板より 別名「倒さ杉」と呼ばれるこの杉は、九州肥後の国に生まれられた大智禅師が幼い時に仏門に入り、正中元年(一三二四)、十一年の中国(当時は元の国)での修業を終えて帰朝され、翌年ここ吉野の山中にて祇陀寺を開山されました  元徳二年(一三三〇)に菊池氏の願いを入れ肥後に向うにあたり山ん寺から杖にしてこられた杉の小枝をさかさにさして、「この木が根づいて繁茂すれば、仏法盛んになるべし」と言われて、村…

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栢野の大杉 栢野大杉茶屋

栢野(かやの)の大杉は、山中温泉の一番奥の方にある菅原神社の境内にある大杉です。樹齢2300年で根元の周りは11.5m、途中から二又に分かれていて樹高54.8mの巨木です。昭和3年に国の天然記念物に指定されています。昭和22年の石川国体の際、昭和天皇がご覧になったことから別名「展覧の大杉」とも呼ばれています。他に三本の幹周り8mの大杉と共に神社の参道を挟む様に平行に立っています。この4本の巨木が菅原神社の御神木になっています。 神社の横から縄文土器が発掘されていて、この4本の木があまりに平行なことから縄文人が植樹したのではないかという説もあります。 以前は石畳の参道を歩いたのですが、神社の本殿まで木道が作られていました。看板によると平成15年に「浮橋参道」として木道を設けて、杉葉を敷き詰めて4本の御神木を保護しているそうです。 狭い国道沿いにあるため、神社の境内はそれ程広くありませんが、4本の巨木によって神厳な雰囲気があります。 この神社と道路を挟んだ所にあるのが「栢野大杉茶屋」12~4月は冬季休業。ここの草団子は地元のヨモギともち米で作られた逸品です。 後で調べたんですが 「栢野大杉茶屋」は、加賀市の観光情報から・・・栢野地区では、由来に基き、古くから春祭りの時に無病息災を願って各家庭で草団子を作って食べるという風習がありました。 だんだん廃れゆくその風習を守るためと、町おこしを兼ねて、平成2年11月に地元のお母さんたちが協力してお店をつくり、だんごの販売をはじめま…

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