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穴場やスポットのご紹介 歴史系が好きなんで、由来なんかも書いています。

限定地域のサービス仕事でなかなか県外に出られないのが、今の悩みの種

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タイトル 日 時
加賀騒動
加賀騒動 更新頻度が少なく、ご訪問も多くなく、皆さんにはご迷惑をおかけしています。 ...続きを見る

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2018/01/10 23:04
石川県庁 夜景
石川県庁 夜景 巷はクリスマスのイルミネーションイベントや個人宅のイルミが瞬いている今日この頃。。 掃除さえまともに進んでいない我が家には関係ないなんて開き直ってはいますが、やはり綺麗なものは綺麗。 イルミも観たいなあ。。とは思うけれど、ここ何日かは強風と雨。。出かけるのもなあと面倒くさいなあと仕事以外はそそくさと部屋にこもる日々が続いています。ついでに画像整理もしてます。。 ...続きを見る

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2017/12/25 03:37
白山七社C 白山別宮(しらやまべっくう)神社
白山七社C 白山別宮(しらやまべっくう)神社 前回から、すっかり間が空いてしまいましたが、白山七社で最後に登場するのが白山別宮(べっくう)神社です。別宮の読み方は諸説あってはっきりしませんが「べっくう、べつぐう」と読む資料が多いようですが、地名では「べつく」になります。 画像は春先と夏が混在します。申し訳ありません。 ...続きを見る

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2017/12/19 14:10
粟津白山神社
粟津白山神社 大王寺の本堂を左手に進むと、祈りの小径の入り口になる粟津白山神社の長い石段が現れます。 粟津温泉街を見下ろす山上にあり、一の鳥居から粟津温泉の町の広がりが観られます。大王寺が拝殿とすれば、白山神社の位置は神殿、奥の院といった位置になります。そのためか加賀の国守や、加賀藩から小松に隠居領として入部した前田利常が参拝した記録が残されています。 ...続きを見る

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2017/12/12 13:50
養老山 大王寺
養老山 大王寺 祈りの小径からの終点が粟津白山神社と大王寺になります。 ...続きを見る

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2017/12/05 14:07
旧養老公園 祈りの小径
旧養老公園 祈りの小径 おっしょべ公園から山の方に登ると長い散策路になります。別名・祈りの小径。 前ブログでも書きましたが、本来はのとやの側道から登った所にある粟津の守護寺・大王寺からが順路になりますが、今回はおっしょべ公園から逆に進むことにしました。ただ、ちょっと後悔したのは、最初の三叉路までの登り坂が結構きついんですよね。日ごろの運動不足がこんなところに出てしまいます。 ...続きを見る

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2017/11/29 15:00
粟津温泉 おっしょべ公園
粟津温泉 おっしょべ公園 少し前にご紹介した「恋人の聖地」、石川県内には四カ所あるんですが、このブログでは三カ所目のご紹介になります。以前にご紹介しているのは…LOVE&BEACH/サンセットブリッジ内灘・一里野温泉/白山温泉郷 ...続きを見る

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2017/11/17 22:36
白山市立博物館 白山下山仏と加賀禅定道
白山市立博物館 白山下山仏と加賀禅定道 凄く久しぶりに、本地元の白山市立博物館に行ってきました。 市外の博物館や美術館などはちょこちょこ行っているんですが、意外と自分の地元にはほとんど行っていないんですねえ。これが3度め、しかも10何年近く振りかもしれません・・名称が市立松任博物館から白山市立博物館になって初めての来館になります。 ...続きを見る

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2017/11/11 18:05
能登国総社
能登国総社 以前も書いていますが北陸道の国名は越の国と云い、分割された国名は若狭(嶺南)、越前(福井嶺北)、加賀、能登、越中、越後、佐渡となります。若狭は北陸道ですが、京都の外海として畿内に含まれることが多く、佐渡は離島ですから、越前・越中・越後を北陸道とすることが多くなります。三国に分立したのは天武末期から持統天皇の時代と云われています。 元は越前・越中・越後の三国でしたが、国域や国境も何度か変遷しています。越前の最大域は嶺北に能登・加賀を含めた領域、越中は新潟の上中越を含んだ領域という時代もありました... ...続きを見る

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2017/10/31 21:24
月照寺 玉泉寺
月照寺 玉泉寺 以前ご紹介した加賀八家・前田対馬守家の菩提寺・玉龍寺。金沢に多くの寺院が林立する寺町に隣接する野町にあり、周囲に多くの寺院が林立します。加賀藩三代・前田利常を養育した前田長種を祖にしています。 ...続きを見る

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2017/10/26 13:05
実性院B 大聖寺藩主墓所
実性院B 大聖寺藩主墓所 実性院の左脇の裏山に続く参道を登ると、大聖寺藩主の墓所があります。この墓所も前回紹介していますので、詳しくはこちらをどうぞ ⇒ 山ノ下寺院群A 実性院 (H27.11.3)  ...続きを見る

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2017/10/18 17:13
実性院A
実性院A 実性院は江戸期の建物ですが、内外部共に補修や改造の痕が多く観られますが、曹洞宗特有の屋根付通路の伽藍配置、本殿内の正側三方丈・広縁(大廊下)・露地(土間)は基本的な配置と景観を保っています。曹洞宗寺院は仏間・正方丈が派手なものが多いのですが、思ったよりも簡素な造りです。ただし、正方丈を仕切る柱、仏間の装飾柱は立派な木柱で側方丈、広縁から隔絶した雰囲気を感じます。 ...続きを見る

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2017/10/07 19:57
実性院@
実性院@ 昨昨年、訪れるのが遅れて白い花を見られなかった実性院でしたが、昨年は予定が狂ってこられず、今年は大丈夫と思って伺いましたが、今度は逆に1.2週早すぎた1分咲きといった感じです。花の時季に合わせるのは本当に難しいですね。 ...続きを見る

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2017/10/04 12:42
一里野高原 イルミ
一里野高原 イルミ 台風がどんどん近づいていた前日。嫁さんと二人で夜の一里野高原に 真っ暗な夜の高原に向かう道は久しぶりで、途中雨も降り出して、所々霧も出て怖々運転しておりました。昼間は何度も走っているんですが、真っ暗な夜のワインディングロードは久しぶりで、数えるほど^^; ...続きを見る

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2017/09/27 13:38
高山右近の碑B
高山右近の碑B 天正19年(1614年)にマニラに退去させられた高山右近でしたが、乗船した船にはすし詰めの乗員数で劣悪な環境状態。途中、高齢の三人の宣教師が死亡したと云われています。定員オーバーの為、通常の倍以上の日数を掛け、マニラに辿り着いたというのが実情でした。しかし、先駆けの伝達で「日本の殉教者的武将」の名は知られており、マニラ総督府の祝砲と大歓声と共に、大歓迎を受け、総督からはスペイン人しか許されないイントロラムス内に邸宅と十分な援助を与えられたそうです。 しかし、この過酷な船旅に消耗した身体は癒... ...続きを見る

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2017/09/18 23:00
A高山右近 前田利長時代
A高山右近 前田利長時代 天正16年(1588年)加賀に来た高山右近でしたが、前田利家時代にはそのほとんどが大阪での前田利家の相談役、外征と金沢城の修復・町割りの整備にと大阪・金沢間往復に忙殺されたと云えます。畿内の先進的な築城術、利休七哲としての文化の素養による金沢文化の創設など、多岐に渡ったことが窺えます。 しかし、この間に忠節を尽くした右近の実績と信義は、利家の信頼と藩内でも重きをなしていったようです。 ...続きを見る

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2017/09/10 21:55
高山右近記念公園@
高山右近記念公園@ 今年(H29)2月7日 大阪城ホールで戦国武将だった高山右近(洗礼名ジュスト、ユスト)の列福式が行われ、高山右近を福者とするカトリック教会・ローマ教皇庁の宣言がなされました。古くから、高山右近の所縁の地(金沢・高槻・明石など)から日本キリスト教会に聖者・福者の申請が行われており、もっと大きなニュースとして報道されると思っていましたが、意外に小さい見出しで逆に驚いたものです。やはり、キリスト教は名前は知られても、まだまだ日本での地位は小さいものなのか、聖人じゃないとダメなのかと勘繰ってしまいました... ...続きを見る

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2017/09/01 18:18
タラ汁 ひまつぶし
タラ汁 ひまつぶし 城山トンネルを抜けて宮崎海岸(翡翠海岸)を横目に見ながら走る国道8号線。。城山トンネルの坂道を降りた所にある踏切を渡った宮崎漁港の宮崎の町から境関の旧街道に入る境西の交差点までの国道沿いには、タラ汁の文字の看板の食堂が並んでいます。別名・タラ汁街道と呼ばれています。 ...続きを見る

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2017/08/23 21:22
宮崎城址
宮崎城址 平安末期から鎌倉初期にかけて、越中最東部・黒部川東部一帯を支配していたのが宮崎党でした。北陸宮の御所警護の名目で築かれたのが、城山(当時は八幡山、脇子山)山頂の宮崎城になります。 ...続きを見る

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2017/08/17 09:49
以仁王と北陸宮
以仁王と北陸宮 富山県の最東部・朝日町の朝日ICから国道8号線を新潟方向に進むと城山を貫く笹川・城山の二本のトンネルがあり、抜けると左手に翡翠がとれる別名・翡翠海岸と呼ばれる宮崎海岸の海岸線が観られ、それまでの暗く狭い道がいきなり開けたような穏やかな平地に変わります。この平地帯は東端の境川で越中・越後の国境になります。この境川の地は国境の緩衝帯であり、国境の係争地でもありました。江戸期の加賀藩の境関が出来るまでは越中側の国境警備・防御は、この城山の山頂にあった宮崎城が果たしていました。 ...続きを見る

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2017/08/06 22:36

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