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zoom RSS 天狗橋 天狗壁

<<   作成日時 : 2015/08/20 16:30   >>

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以前、不動滝鶴来八景を紹介したことがありますが、その八景の中に「天狗橋納涼」というのがあります。天狗橋は手取川に架かる橋で加賀禅定道の入り口となる白山比盗_社のある鶴来と能美・辰口を繋ぐ貴重な存在でした。

天狗橋がある場所の手前は白山麓から流れる手取川が大きく左折して広がり、鶴来八景の一つ「臥龍堤月見」の十八講河原を経て加賀平野の扇状地を作っています。天狗橋はこの扇状地の始まりとなる扇の要の様な場所になります。
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江戸時代までは、能美の岩本宿と鶴来の大国町を渡し船がありました。この渡し船を「岩本の渡し」と呼んでいました。以前紹介した「七ツ滝」で紹介しましたが、江戸時代の史家・小倉有年の紀行文の中でも「岩本の渡し」が出ています。(江戸期以前は手取川の本流はもう少し鶴来よりに流れていました。昭和9年の大洪水による河岸堤防の整備、七ヶ用水の整備や国道157号線の整備で現在のようになったと云われています。)

明治になると渡し船も廃れてしまい、地元の要望で吊り橋が作られたそうです。当時はまだまだ人が渡れる程度のものだったようですが、昭和9年(1934年)の手取川の大氾濫で流されてしまい仮の吊り橋が架けられ、改めて本橋となる吊り橋が架けられました。

昭和25年9月ジェーン台風(台風28号)が襲来、11月に天狗橋が傾いたと県は国に申請しています。
ところが実際には県から指示を受けた土木事務所による作為的な破壊でした。この破壊工作中に運の悪いことに通行中の地元民と休日視察中の土木作業員の2名が事故によって亡くなっています。この事件で県知事までを巻き込んだ疑惑事件に発展します。最高裁にまで持ち込まれた事案でしたが、結局、実行犯として作業員数名が執行猶予付、指示した実行犯として土木道路課長が主犯として実刑の懲役刑になっています。
しかし後年になって語られることですが、土木道路課長は誠実実直な人柄で、実際には事実を知らなかったのではないか逆に被害者であり、犯人にまつり上げられたのではないかと云われています。当時の県行政ではこのような災害復興事業は土木道路課長ではなく砂防課長の権限でした。後年ですが、この砂防課長は故意に道路破壊を行い復興申請するという類似行為で逮捕・免職しています。ただ件の土木道路課長も裁判では事故自体を認めたのみで他者の介在は語っていません。しかし、刑期を終えた後、県や有力者を訪ね事実の調査を独自に行っていたと伝えられています。しかし独自調査の内容は一切、家族にも語らなかったそうです。

僕はこの事件に関しては、昭和末頃の北國新聞の特集の後述記事で見聞したんですが、当時の災害規定で災害復興申請が土木や建築では国からの補助金の優先工事とされたため、こういった架空・偽装請求が全国的に横行していたそうです。地方復興と整備が急務だった各県行政の抜け道に使われた手法だったようです。いくら地元のためとはいえ、こういった手法を自慢するような関係者の談話には違和感を持ったものです。

その問題の3代目の天狗橋の橋台が天狗壁の側にあったと記憶してたんですが見当たらず。。。
このような紆余曲折があったものの、昭和28年に天狗橋は着工、昭和30年に完成しています。鶴来側の2段のアーチ型鉄橋と岩本側の桁橋(ガーター橋)が合体したものでした。幅は6メートルとそれ程広くなく大型車の擦れ違いに支障はあるものの南加賀と白山麓を繋ぐ重要な橋として、産業道路の川北大橋ができて役割は半減しましたが50年以上運用されてきました。
平成24年に新天狗橋が新設され、しばらく供用されていましたが本年撤去されました。赤茶の鉄骨アーチが美しくて意外に好きな橋だったんですが、画像を探したんですが見つかりませんでした。見つけたら再アップします。
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新しい5代目の天狗橋は車幅が広く走りやすくなった桁橋です。更に広めの歩道もあり安全対策が取られています。欄干は4代目の鉄骨アーチの色を引き継いで赤茶色になっています。鶴来八景の「天狗橋納涼」というイメージからは離れてしまった感じですが。。

天狗橋の名前の由来になったのが、鶴来から天狗橋を渡った左手の天狗壁から来ています。まるで斧でザックリ切り取ったような断崖が天狗壁と云われています。古来この断崖の頂上に天狗が住むとして名付けられたと云われています。また、白山七社の一つの岩本宮(現在は岩本神社)の前身・岩根宮はこの天狗壁の頂上にあったと伝わっています。
山全体が凝灰岩で出来ており別名・天狗山と呼ばれています。峻険な山崖が手取川に沿うように続いています。天狗橋横の広場から天狗山の岩壁が観られます。以前は石切り跡や天狗壁のすぐ側まで行けましたが、今は草木に覆われて近づけないのが残念です。
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実は天狗壁は開発で穴だらけに傷ついています。大正・昭和期に凝灰岩掘削の穴。更にトンネルが四つ。
能美市の案内から抜粋すると、下部から明治32年(1899年)の宮竹用水隋道、弘化四年(1847年)の二ヶ用水の隋道(この隧道は手取川側に窓が幾つか開けられていたそうです)、昭和6年(1931年)の北陸鉄道能美線のトンネル、昭和44年(1969年)の和佐谷林道トンネルがありますが、和佐谷林道以外は草木に覆われていて姿形は見られなくなっていますが、実際には穴だらけの傷だらけ。。

現在も和佐谷へ向かう林道がありますが、江戸期には手取川はもっと北に流れていたため、白山比盗_社との関係が深かった和佐谷の神人の集落へ向かう往来道が山並に沿うようにあって賑わったと云われています。
現在は和佐谷集落に向かうために、前述の和佐谷林道が天狗山の中腹と山中に2か所の隧道が掘られて通じています。ただ、崩落が多いために通行禁止になることが多いですし道幅も狭いので、あまり通る人や車はいません。和佐谷には山上大橋の手前(道の駅しらやまさん)を右折するのが楽で無難ですから。。

天狗橋から天狗山を抜け和佐谷に向かう和佐谷林道(正式名は林道鍋谷・和佐谷線)は、手取川沿いに続いているのですが濃い樹木が遮って薄暗い道ですが、開けた場所に出ると、日頃は見られない南側、右岸からの手取川の流れや、「臥龍堤月見」の十八講河原の姿形が観られます。
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天狗山を中腹(上部に近い所)の道路から見上げるとなかなかの奇岩の岩山です。まだ登ったことはないのですが、手取川や加賀平野の扇状地が観られる眺望ポイントだと思われます。
この天狗山の頂上には御座岩と呼ばれる大きな敷き岩があるそうです。この御座岩の名の由来は、これは伝承ですが、天正5年(1577年)手取川の合戦で、織田方の柴田勝家軍を退けた上杉謙信がここを訪れ天狗壁の姿に感動して頂上の岩の上で詩集会を催したことからと云われています。
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狭く曲がりくねった道を進むと三叉路の突き当たります。左に行けば和佐谷の集落に行けるのですが、鶴来浄水場の帰りに立ち寄っているので、今回は鍋谷に向かう林道の方へ向かうことに。。
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この道は高野山(373m)や揚原山(487m)などを縫うように縦走する山越え道で、旧辰口の鍋谷(現・能美市鍋谷)に抜けられる林道です。加賀平野の入口近くの辰口丘陵深部に当たるのですが、標高3〜400メールの山が囲むような場所のため、人家がなく人や車の出入りが少ないこともあって、自然の宝庫、動植物の楽園になっています。今回は時間がなく寄りませんでしたが、本来は高地にしか生息しないルリイトトンボや、モリアオガエルの産卵地となっている蟹池(がんいけ)があります。その他にも自然動物が多く生息する地域でもあります。
加賀平野が眺められる高野山や揚原山の登山口もあり、自然を満喫できる隠れスポットですが、熊さんやお猿さんも出現する場所なので、それなりの装備をするのがお奨めです。

高野山の登山道を100m程進むと東屋があります。この東屋からは正面に獅子吼高原が観られ、手取川の扇状地や松任市街(現・白山市街)が綺麗に観られます。眺望はお奨めのスポットです。

さて、先に動植物の宝庫のような地と書きましたが、それを実感させられるようなことに何度も出くわした日になりました。三叉路を右折して林道に入ってのぼりに差し掛かったところで、眼の前にたぶん鹿だと思いますが眼の前に飛び出してきました慌てて車を停めた僕 鹿の方も慌てたみたいで、尻餅を突いて慌てて山を駆けあがって行きました。一息ついて山肌の方を見上げると、じっと見つめる顔が木の陰から。。「ここは僕のテリトリー、早く行け!!」みたいな感じ。。車の窓を開けてカメラを向けたら、さっと逃げて行きました 残念
あきらめて車を発進させようとしたら、遠くの木には猿の親子連れ これまたカメラ向けたらすたこらさっさ
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東屋に登ろうと車を停めたのは高野山と揚原山双方のの登山口。クマ出没注意の看板が、何度見ても気持ちの良い物ではありません でも、しっかり東屋には登っちゃいましたね^^;
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山越え終盤の下り坂、暑い日だったんですが山からの水が流れた道にはクロアゲハの群れが
仕事の約束時間が迫ってたので写真は撮らずにスルー
もうすぐ鍋谷という最後の難関カーブを曲がったら、今度はカモシカが道路の真ん中で通せんぼ
驚かすのも可愛そうなんで、しばらく一人と一頭でニラメッコこちらはしっかり写真を撮りました
記念撮影で満足したのかカモシカはガードレールの向こうに隠れちゃいました。。でも、お尻が見えてるよ
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通り過ぎて、カーブ前でバックミラーを観たら同じ位置に佇むカモシカ君う〜む、テリトリーを犯したお邪魔虫だったのは僕だったようです。。これだけあったら残るは熊さん。。寄り道はしないのが無難。。だったのは確かかも

それにしても、白山麓の入り口みたいな場所なんですが、本当に動物・虫たちの宝庫ですと再確認。。

ちなみに今回の天狗橋の右岸からのルートは、分類を白山麓にしましたが、実はここは能美市になります。実は対岸の道の駅「しらやまさん」も能美市になります。道の駅は鶴来だと、県民のほとんどの人は思ってるんですが。。。僕も数年前までそう思ってました。この変形とも云える市の境界は過去の手取川の流れが変わった為と云えます。前述した和佐谷は古来、平安期には寺院や神社が多くあったと古書に載っているのですが、浸食されて多くの土地を失って今は小さな集落です。現在のようないびつな市境になったようです。ちなみに古代の白山比盗_社の本社は、七ヶ用水の取水口の近くの古宮公園にあり、側に手取川が流れ対岸が和佐谷という広い地域だったそうです。

旅行日 2015.08.08

天狗橋・天狗壁


                       高野山登山道・東屋






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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
土木工事・・・何やらドラマ見ているような結末ですね まじめ人間が・・・いつの間にやら犯人に・・・  
出会いましたね いろいろな動物に かなり犯していますね動物のテリトリー(笑)
熊さんにだ合わなくて良かったですね  何もしなければ・・・と言われているものの やっぱり会いたくないですもんね
がにちゃん
2015/08/21 17:05
本当にサスペンスドラマの世界ですが、事実は小説よりも奇なりです。
エリート職員だからこそ、罪をひっかぶっちゃったみたいです。真相を確かめたかった気持ちは解りますが、あまりに遅すぎた。。
確かにテリトリーを犯しまくった感じですねえ^^;でも、山奥ではないんですよ。人家から数キロと云った感じの身近な感じなんですけどねえ。前に訪れた時は何にも出会わなかったんですが、今回はどうしたんだろうというくらい自然界の動物や蝶を観てしまいました^^良かったんだか悪かったんだか。
山越えの間は人や車とは一切、出会わなかったんですから、動物たちの楽園だったんですねえ。それを乱した僕は完全にお邪魔虫でした。
つとつと
2015/08/21 21:02
こんばんは〜

なんだか一人で出かけては危険な感じのする天狗壁ですね。
それだけ人の手が加わっていないという事でしょうか。

林道に魅せられました〜
このような魅力的なところ中々出合えません。

しかし野生の動物は恐いです。
つとつとさん 熊さんにあったらすぐに車に飛び乗れば大丈夫でしょうか。
でもでも恐い 牛さんとカモシカさんで良かったですね。
一人山は充分お気を付けて下さい。
イータン
2015/08/21 21:40
イータンさん
天狗壁は切り立った岩山ですが、観る分には決して危険ではありませんよ
天狗橋の両岸はちょうど手取川の流れを観るには最適なスポットです。特に夏場には気持ちが良いくらい^^
これだけ動物たちに会えたのは久しぶり^^白山麓には多くの野生動物が生息しているようです。結局、この林道を通っておきながら、歩いたのは東屋までの200m程^^;ちょっともったいない気がしました。一応、熊鈴は付けてました。
でも熊さんには遭いたくないですよね。
今回は寄れませんでしたが、6月に蟹池に行くとモリアオガエルの卵が木に多く泡のようにあるんですよ。しばらく行ってないなあ。
つとつと
2015/08/22 07:04
昔からの橋がずっと残っている所もあれば…何回も新しくなっている橋もあるんですね!
「天狗」=「外国人」と言う説がありますよ!?
まだこもよ
2015/09/03 11:49
まだこもよさん
石川の名前の元にもなった「石をも転がす川」の手取川。昔から暴れ川で何度も氾濫を繰り返しています。天狗橋は辰口の南加賀と白山の重要な連絡橋で、貴重な橋になっていますから、整備は重要なのは確かです。重要な橋の交換整備は大事ですからね。
そういう説もあるし、山の民を指すという説もありますね。白山麓の様な山岳地域では山の民説が有力です。山の上や大木の上に住むという伝承が多く残っています。どちらにしても、平地民とは別種の人を指していたんでしょうね。
つとつと
2015/09/03 14:25

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