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<<   作成日時 : 2016/11/26 19:59   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 22 / トラックバック 0 / コメント 13

上越のヒーロー・上杉謙信は、自身を毘沙門天の転生・化身として深く信仰していたことで知られています。主城・春日山城の山頂に護摩堂や毘沙門堂を建てて、平素・出陣前にも籠っていたと云われています。

日本では毘沙門天は、天部の御法神・四天王神の一神、北部を守護する多聞天として知られています。つまり、四天王の一神として呼ぶときは多聞天、独尊とした時には毘沙門天と呼ばれています。夜叉・羅刹を率いるところから夜叉王・羅刹王と荒ぶる神として呼ばれるときもあります。

また、神仏混交では恵比寿の本地仏にされますが、七福神では別々になっていますね。日本では甲冑姿で現わされるので勝負事や守護神の要素が強調されていますが、元々の発祥とされるインドではクベーラ、ヴァイシュラヴァナ(神の息子の意)と呼ばれ北の守護神ですが、武装はなく財宝の神とされています。中国を経由して日本に伝わるまでに財宝神としての恵比寿が分離して北面の守護神・多聞天・毘沙門天が強調されたと思われます。

上杉謙信が深く信仰し春日山城に建てて籠ったとされる毘沙門堂、堂内に安置して拝んだとされる毘沙門天像は泥足毘沙門天と呼ばれていました。謙信の死後は遺骸を収めた甕と共に安置され、上杉家が米沢に移った後も江戸期を通じて謙信の遺骸の甕と善光寺如来像と共に城内の謙信霊柩(御堂)に収められていました。明治維新後、米沢城の破却で現在の上杉家廟所に廟所を移された際に上杉謙信の位階を上げて神式に変えたために、泥足毘沙門天像は上杉家菩提寺の法音寺に安置されています。 法音寺HP 泥足毘沙門天

ちなみに上杉謙信の遺骸についてですが、謙信死後、遺体は漆を全身に塗って甲冑を着せて甕に収め土葬したと云われています。春日山林泉寺には謙信の墓とされる二基の墓標があります。史実としては上杉景勝が会津に移封された際に上杉謙信の遺骸を収めた甕を掘り起こし泥足毘沙門天と共に移動したと云われています。残された墓標は供養塔の意味が強いと云われています。
ところが、春日山林泉寺の寺伝では掘り起こしたとか、移動したという記述の記録が一切伝わっておらず、上杉謙信公は今もこの墓標の下に眠っていると主張しています。また、関ケ原時に上杉景勝は越後の堀家を抑えるために越後に残った旧臣を中心に一揆を画策・実行して、越後国内に堀家を釘付けにしています。その際の直江兼続が出した檄文は「謙信公の墓を守り抜け!!」というもので、この説の後押しになっています。
後で書くつもりですが、上杉謙信には女犯を侵さずで女性を側に近づけなかったために、謙信女性説まであります。出来るなら、米沢の廟所の甕を開けて春日山の墓を発掘すれば、はっきりするんでしょうが。。上杉家では謙信は特別な存在で許可が出そうにありません。。

上杉謙信の旗印「」は刀八(とばつ)毘沙門天と呼ばれていますが、刀八毘沙門天は「とうはち」とも読むんですが、羅生門の楼上に置かれたという東寺の国宝・兜跋(とばつ)毘沙門天の変化形だと云われています。顔が阿修羅像のような三面や八面、腕が8〜10本それぞれに剣を持つといった具合に異形の毘沙門天です。
毘の旗印と呼び名にもなるくらいですから、この刀八毘沙門天も護摩堂や寺院に置かれたと思うんですが、上杉謙信関係では旗印は残っていますが、刀八毘沙門天の仏像は現存していません。春日山林泉寺の本堂・宝物殿にこの像があるんですが、僕の記憶が正しければ、平成2年(1990年)公開の渡辺謙さんが病気降板した角川映画「天と地と」の際に映画用として作製されてセットとして使用、公開後に張りぼての鉄門と共に寄進されたものじゃなかったかなあ。。
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上杉謙信が入れ込んだ毘沙門天ですが、そのルーツだと云われているのが今回の滝寺にある滝寺山吉祥寺毘沙門堂だという説が有力と地元では云われています。

僕が北陸の山岳信仰や密教に係わる山関係を書くと、10回に9回は出てくる越の大徳・泰澄上人。またまたここでも登場します。
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伝承によれば、和銅5年(712年)米山薬師(現・上越市柿崎区、密蔵院)を開山した同年、米山滞在中の泰澄は西南の空に五色の雲がたなびくのを見て滝寺に辿り着きます。暗夜に不動明王が現れて「山上の桜の木の下に黄金の毘沙門天がある」と告げました。毘沙門天像を発見した泰澄は祠を建てて毘沙門天像を祀ったのが吉祥寺毘沙門堂、同じくお告げを下した不動明王像を彫って祀ったのが滝寺不動の始まりとされています。
ちなみに、滝寺不動の裏山山頂には米山薬師の祠が米山に向かって建てられているそうです。今回は暗くなりかけの夕暮れ時で登らなかったのでまたの機会に。。
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上越における毘沙門信仰の発祥地ともいえるわけで、毘沙門天を深く信仰した上杉謙信は当然ながら祈願所として、吉祥寺は伽藍も充実して大きく栄えていたといわれます。また、出陣前の謙信はこの毘沙門堂に籠り兵の前に、毘沙門天が乗り移った姿を現したと云われています。毘沙門天の化身とされた上杉謙信の配下の武将や軍団兵にとっても毘沙門天は重要な対象でした。広い越後から集結してくる謙信の軍団の集結地は、この滝寺の地とされていた由縁です。集結した武将・軍兵はここで毘沙門堂毘沙門天像に参拝したそうです。
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これは逸話ですが、春日山城に建てた毘沙門堂ですが、謙信が深く信仰し籠りきる泥足・刀八毘沙門天を配下武将や兵たちも拝ませて欲しいという要望を謙信に出すのは当然です。でも、春日山城の本丸や毘沙門堂の敷地を観たことがある人には解ると思いますが、そんな多人数が押し掛ける広さもないし、第一に堂内に籠って、作戦や戦術を独りで考察する謙信にとっては大迷惑。謙信はそんな部下たち「毘沙門天ならオマエ達の眼の前に俺がいる。」と、言ったそうですが。。軍神・上杉謙信に仕える兵士や民衆にとっては、そうそう謙信の姿が見られるわけはなく滝寺毘沙門天が拠り所になっていたようです。

逸話ついでに、よく勘違いされていることですが、上杉謙信が軍神としてストイックで、女犯を犯さないのは自分を毘沙門天の転生・化身だとしているのを理由だという方がおられますが、毘沙門天=多聞天には吉祥天という奥さんがいることをお忘れなく、しかも善膩師童子(ぜんにしどうじ)という子供までいます。また、元々は七福神でも吉祥天が入っていたのですが、毘沙門天吉祥天があんまりに仲が良すぎて弁財天が嫉妬するので、吉祥天が遠慮して福禄寿が代わりに加わったという話があります。

上杉謙信にはもう一つ強く信仰していた神に「飯縄権現(いづなごんげん)」というのがあります。白狐に乗った烏天狗、白狐に蛇が巻きつき炎を背負う姿で現わされますが、謙信が兜の前立てに使っていたのは有名です。
現代では飯縄神社・戸隠神社や高尾山薬王院が有名ですが、古来から戦勝の神として知られていて足利義満・謙信のライバルとされる武田信玄・徳川家康など多くの武将から信仰を受けています。

ところがこの飯縄権現には、古来からの呪法として愛宕権現の愛宕勝軍神祇秘法・荼枳尼天(だきにてん)と稲荷が結びついた荼枳尼天法と並び称される「飯縄法」という外法とされた修験法がありました。この修験法を極めると、菅狐(くだぎつね)を駆使して人の目を眩惑し、変幻自在の戦術で戦闘に負けることはなく、果ては空中を飛翔できると云われています。ところがこの修験法の中には絶対条件があって、三年の山籠りなどいろいろありますが、特殊なのが女性との接触を避けるという絶対条件がありました。

この修験法を実践していた有名人の双璧が、応仁の乱の一翼になった細川勝元の息子・管領・細川政元上杉謙信と云われています。謙信に関してははっきりしませんが、細川政元に関しては文献が多く残って明白な事実ですし、愛宕法にも手を出していたと云われています。あまりにこの二人の行動が似通っているんですね。細川政元は父・勝元の名が有名で知らない人も多いですが、応仁の乱後、幕府内の重鎮として東山に隠遁生活に耽る将軍・義政や戦の長滞陣に暮れる義尚に代わって政務の実権を握り、半将軍とあだ名され、細川・京兆家としては最大の所領を誇ったのが政元の時代でした。

時代は僅かにずれますが、細川家・上杉家ともに最大所領を誇ったのがそれぞれこの二人なのですが、共に有能で戦闘にも強く、施策も優れていました。家内ではカリスマ的存在で、なくてはならない立場というのは変わりませんでした。政務・当主を投げ出して修験者生活に専念したかったみたいですが、両家の家臣や豪族がそれだけはと説得した実話が残っています。暇さえあれば、自室や堂内に籠って修験三昧、突然に黙って放浪に出て数日数カ月行方不明になったり、家臣にとっては困ったご主人様ですが、政務にしても軍事にしてもやることはやって負け知らず、家臣も大きな声で意見をできなかったみたいです。

本題の女性を近づけなかったのも共通していて生涯独身を通したのも同じですから、この飯縄法修験が要因だと思います。当然実子はなく、二人とも多くの養子をとっていますが、死後に家督争いで家が衰退したのも共通しています。ついでにいえば、二人の死は暗殺死と病死の違いはありますが、倒れたのが風呂場と雪隠という人が気を抜きやすい場所も共通しているかも。。

完全に横道に逸れてしまいました。上杉家が会津・米沢に移封となって、代わりに入封したのが堀家でした。
当然ながら、新領主としては旧領主の痕跡は極力消してしまいたいものです。越後のカリスマとして上杉謙信の影は邪魔以外の何物でもなく毘沙門天信仰の源泉ともいえる吉祥寺は取り潰され荒廃します。
しかし越後の英雄として上杉謙信の名声と信望は強く根差しており、領民の信望がこの毘沙門天像を後世まで残したともいえます。この滝寺毘沙門堂では現在も近在の住民の会によって毘沙門天像を30年に一度の開帳の秘仏として保存伝承されてきました。前回の開帳は平成10年(1998年)でしたが、昨昨年から約1年ほど昨年春まで春日山で特別展示公開をされていました。 → 滝寺毘沙門天立像(上越市HP)
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改めて訪れた日 夕方のあたりが薄暗くなってきた時間帯
細い山際の道を進んで、上信越自動車道の高架を過ぎた山間に入り、溜め池を左に見て砂利道に変わったところに、滝寺不動毘沙門堂に向かう道標につきます。毘沙門堂を先にお見せしてしまいましたが、毘沙門堂は砂利道を500メートルほど登った先にあります。車で200メートルほどは行けますがUターンが難しいので要注意。この道標に車を停めた方が正解です。
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滝寺不動は春日山城から約3.4キロ南南東の山裾にあります。道標からは森に進むように小川に沿って歩きます。人家もないとても静かな森閑とした場所で、怖いくらいに水の流れる音以外の音のない世界です。境内の滝の前では水の音しか聞こえてきません。たくさん建っている霊神碑が盛時の賑わいを示すようですが、とにかく静かで滝の音だけが響く世界です。ちなみに霊神(れいじん、れいしん)というのは二種類あって、霊験あらたかな神を現す場合と神道で優れた資質の人間を神として祀る場合がありますが、ここでは前者のようです。でも、名前を見てもチンプンカンプンてことは後者かも。。
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しかし参道や石碑を含め境内や石段、拝殿も美しく手を加えられており、付近住民・関係者の愛着が感じられます。貼り紙によれば、4月と10月に例祭が行われ明王堂が解放され、不動明王像が開帳されるようです。今年は10/28と訪れた5日後、惜しかったなあ。。
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3メートルほどの滝には不動明王像が彫られており、滝の水に濡れた姿はなかなかの迫力です。炎を背負い大きく見開いた眼は悪魔(悪事)を睨みつけ、右手に持つ剣は「降魔の剣」と呼ばれ、世の全ての悪魔(悪事)や煩悩を打ち砕くことを象徴しているそうです。滝に彫られた像は中央が不動明王。左が制多迦(せいたか)童子、右が矜羯羅(こんがら)童子になると思います。不動明王には八大童子と呼ばれる8人の眷属がいるのですが、三体を現すときはこの二童子と合わせた三尊図になります。
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今は訪れる人も少なく、上越の若い人などは知らない人が多い滝寺不動ですが、明治・大正期には上越地区では一番の人気スポットでした。以前読んだ上越市誌に面白い大正時代の記事が取り上げられていました。
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大正15年(1926年)当時の日刊新聞・高田日報が郷土の名所旧跡を天下に紹介しようと一大キャンペーンを張り、読者に「上越名所旧跡投票」を呼びかけ、一葉書一カ所投票で一カ月の期間で募集しました。その応募総数23万8226票。その内の10.6%、2万5225票を集めダントツだったのが滝寺不動でした。当時は例大祭が春秋に行われ上越一円から人が集まっていたそうです。ちなみに現在投票すればトップだろう日本三大夜桜の高田公園の桜(当時は師団の桜)はこの時は21位・2540票。実は高田公園の桜は明治42年(1909年)に在郷軍人会が2200本を植林して、市民の観桜許可開始は大正6年。第一回観桜会は投票の年という事情もあったんです。

ちなみに2位以下10位までが入賞で、大型写真付きの記事掲載と絵葉書を作成して配布したそうです。2位以下は。。上越出身の嫁さんでも知らない所が多くてチンプンカンプン^^;僕の方が知ってるけど、それでも知らない所や行ったことのない所が多々。。
※2位 白山神苑  16468票 糸魚川市能生 ・・・ 以前紹介しましたが、能生白山神社のこと、特に春季祭礼が見物です
※3位 林泉寺    13184票 春日山      ・・・ 上杉謙信が幼少時代修業した寺
※4位 菅原神社  12754票 清里区(旧清里村) 境内に頚城地方最大の前方後円墳 当時は祭礼が有名 未訪地
※5位 浄興寺    12723票 高田寺町    ・・・ 親鸞創建、昭和52年東本願寺から独立、真宗浄興寺派13ヶ寺本山
※6位 浄善寺    12707票 柿崎区      ・・・ 本堂が印度パゴタ様式でキリスト教会やモスクのような建物 柿崎御坊
※7位 塔ケ崎大池11891票 頸城区(旧頚城村) 現在は大池いこいの森という自然公園 縄文遺跡から火炎式土器が発見されています。
※8位 鮫ケ尾城址 11563票 妙高市斐太  ・・・ 北国街道における越後の最前線の城、御舘の乱で上杉景虎が自刃した城
※9位 八坂神社  11524票 西本町(直江津)  別名・今町祇園社 上越祭り(旧祇園祭)の主催神社 未訪地
※10位春日山公園 11038票 春日山     ・・・ 何度も近くを通りながらまったく知らない場所???未訪地
※10位虫川の大杉 11038票 浦川原区(旧浦川原村) 樹齢1200年の大杉 未訪地

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滝寺不動不動明王にも人気が集まったんでしょうが、この人気は異常なくらいです。当時は外バイパスが無く、入り組んだ狭い道だったはず。年2回とはいえ上越一帯から大勢が集まるんですから、ここに立ってもなかなか想像がつきません。この人気を集めたのが不動明王もさることながら、上杉謙信軍の集結地であり、待機する軍勢の前に毘沙門堂から扉を開けて登場する軍神・上杉謙信の姿に憧れた上越の民の支持が大きかったのでしょう。昔から謙信が出陣前に籠った毘沙門堂はここだと信じられていた証明のようです。

ただ、現在の吉祥寺跡には寺院の形跡はまったく見られません。毘沙門堂の前にある石積みの石塔が、寺院の礎石を積み上げたものだと云われています。石の年代は鎌倉期のものと確認されているそうです。先にも書いたようにこの毘沙門堂にまで来ると、森閑として滝寺不動のように水音が聞こえるということもありません。たまに小鳥の声が聞こえるくらい。。震えが来るくらい別世界を感じられると思います。後年に建てられたと思われる毘沙門堂ですが、今にも扉を開けて上杉謙信が出てきそうです。





バイパスが出来て交通量が増え、春日山に訪れる人が増えています。地元でも滝寺不動の清掃整備、近くの水芭蕉群生地の整備を進めています。春秋の例祭の時期も良いですが、閑散期も狙い目かも

旅行日 2016.10.23



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コメント(13件)

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つとつとさん、お早うございます、このたび私のblogの「晩秋の山之村」にコメントを頂きありがとうございます、ところが私のメールにはつとつとさんからコメントが入ったという知らせが入っているんですが、肝心の私の記事には反映されていません、メールのコメントの内容に”掲載停止(以下をクリック)の記載が有って長々とURLが表示されています、そこをクリックすると”要求を受け付ける事が出来ませんでした、URLが正しくないか、対象コメントはす既に処理されている可能性がございます。”このようなコメントが有りました、私の方の設定が悪いのか調べて見ましたが、これまでのところほかのblogerさんからのコメントは正常に表示されますので、不思議な現象です。
私のコメント欄に表示されないのでお知らせまで。
go
2016/11/27 11:20
つとつとさん、お騒がせして申し訳ありません、つとつとさんのコメントが保留コメントに入っていました、保留コメントの一覧表に「スパム」になっていたので復活させまして記事に表示されました、どうして保留コメントになったかわかりませんが色々お騒がせして申し訳ありませんでした、お詫びいたします。
go
2016/11/27 17:29
goさん
僕のコメントでご迷惑をおかけしました。どうなったんでしょうね、変な分野言葉はなかったと思うんですが^^;
つとつと
2016/11/28 08:23
つとつとさん、お騒がせしてごめんなさい。
私のパソ子は時々何を考えているか分からない事が起こるので厄介な子ですね。
さて、今回のつとつとさんの記事の上杉謙信は武田信玄と川中島の合戦で戦った時に自分の信じる毘沙門天の「毘」の字の旗印で勇ましく戦って宿敵信玄に一太刀、二太刀浴びせたのですが決着がつかなかった事と生涯妻をめとらず女性を遠ざけていたことぐらいしか知りませんでしたが、つとつとさんの記事を読んで随分と知識を得ました、といっても最近物事がすんなり頭に入らないのでどれくらいの事が覚えられたかクエッションです。
記事中に出てきました越の大徳・泰澄大師ですが、先日行った那谷寺の開祖でもあるし、白山を開山して下山途中に那殿観音に金の仏像を納めて開山したまでは承知していたのですが、今回の記事で米山薬師を開山したり、吉祥寺毘沙門堂、滝寺不動等に登場していますが、その頃は歩いて移動していた時代に1人の人間が大変な偉業を達成したものですね。

go
2016/11/28 17:24
goさん
僕も新しいダイナちゃん(色が変わったので今回は女の子です)は、若く新しすぎてなかなか理解できなくてアプローチを続けるしかないみたいです。
謙信と信玄はどちらも人気がありますが、やはり北陸は謙信ファンが多いようです。逆に長野・山梨・関東では信玄ファンが多いようです。どちらにしても、その地では悪口が言えない両者です。昨昨年ですが小布施から長野に廻った時に、二人が戦ったと云われる川中島の八幡原の古戦場を観ましたが、今は公園になっていました。
泰澄上人開山の山は数えきれない程ありますね。越の大徳とはよく云ったものです。全てとは思えないんですが、これだけの山々や福井から新潟までのすごい距離を踏破したのには恐れ入ります。
つとつと
2016/11/28 21:38
謙信さん TVや映画ではとってもかっこよい方で・・・なぁ〜んてミーハー気分で  謙信も信玄も信念で生きていられた方のようですね  
がにちゃん
2016/11/29 11:30
がにちゃんさん
昔は石坂浩二、近くはガクトにアニメのバサラですっかり謙信のイメージは、格好良くなってきました。信玄は変わらず御屋形様のイメージ。
女の子の人気は、相変わらず謙信に分があるみたい。
つとつと
2016/11/29 20:45
僕はどちらかといえば信玄派なのですが、北陸では圧倒的に謙信なのですね。
謙信はきれいごとばかり言いすぎるので、現実主義者の信玄のほうが好きです。
とはいえ、謙信の信濃出兵も関東出兵も、じっさいには実利があるからやっだのであって、決して「義のため」などという甘い理由ではなかったのでしょうね。
そうでなければ、戦国時代を生き抜くことはできませんから。
家ニスタ
2016/11/30 22:26
上杉謙信の遺体を巡る話、
大変興味深いものがありました。
それに、女性を側に近づけなかった
理由を巡る考察も。「英雄色を好む」の諺に
全く反した行い、考えてみれば、
極めて不思議で不自然な気がします。
飯綱権現の秘法と言われると、なるほど、
それなら理解できると思いました。
先日、高尾山に出かけて「飯綱権現堂」に
お詣りしましたが、それが、謙信の生き方と
関係あったなんて、思いもよらい事でした。
yasuhiko
2016/12/01 14:58
家ニスタさん
地元の甲斐、信濃中部以南、関東には武田信玄支持者が多いようです。
気候風土の影響も多いようですが、北陸では産物に恵まれている代わりに、雪や自然災害が多く点在するコミュニティが狭く、個々に独立した豪族や土豪が点在していました。つまり独自色が強くてなかなか他を受け付けないんです。要は国よりの自分の土地や地域が大事なんです。その割には人懐こくて信義を大事にします。一度信じたり、友人になると深く付き合う感じで、しかも夢想家というかロマンチストが多いんです。そういう土壌が現在の仏教の主流の真宗・曹洞宗・日蓮宗といった草創期の本山的役割を置けたようです。テンデンバラバラですが、一旦、カリスマ的な存在が出るととんでもない団結力を発揮する土壌もあるということです。謙信はそういう北陸人の代表的存在なんですよ。謙信が信義を一義にしたのはそのためです。跡を継いだ景勝に対して徹底的に反抗した新発田氏などはこの反面をよく表していると思います。反して信玄の甲斐は土壌が瘦せて産学がほとんどの国ですが、愛国心の強い土地柄です。当然国優先で現実主義になるのは当たり前です。ケイン臣と信玄がぶつかるのは仕方ありませんが、正反対が隣り合わせというのが歴史の綾ですね。
つとつと
2016/12/02 12:10
yasuhikoさん
北陸人のひいき目もありますが、謙信の信義と思い込みの強さは、北陸にいるとなんとなく理解できます。ただ、端から見れば、カリスマ性と実行力はあっても、はた迷惑な国主ではあったようです。謙信は日本人には少ないAB型ですが、極端に固執するタイプで刀の収集も、当時は地味で大名には人気がなかった長船一筋といった感じ。。なかなか興味は尽きない人物ですね。そうそう、刀といえば上越では謙信・景勝の愛刀・山野毛一文字を買う買わないで大騒ぎみたいですが、案外将来性もあるし、お買い得だと思うんですがね。。
つとつと
2016/12/02 12:35
「上杉謙信」って 名前はよく知っているけど 詳しくは知らないですね・・・。
まだこもよ
2016/12/05 09:42
まだこもよさん
戦国武将に関しては、やはりご当地人気というのがついて回りますから、離れれば離れるほど、興味がないと知らない人が増えるのは仕方ないと思います。
でも、北陸での人気は根強いですよ^^
つとつと
2016/12/05 21:46

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