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zoom RSS 沖太郎丸神社

<<   作成日時 : 2017/03/08 16:14   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 28 / トラックバック 0 / コメント 10

小松市原町にあった豆丸様の祠の伝承の続きです。

太郎丸の姉兄弟についての伝承は、沖太郎丸神社の長い社歴のほんの一部になります。
前回のブログに引用しましたが、改めてここに書き出すと。。

太郎丸さまと称せられる。往古二人の公達が都より落ちのびてきて、ここで敵に謀殺され、夜毎に金火がでたので、その御霊を祀ったのが太郎丸・次郎丸の宮であるという。他に姉丸宮もあった。後厳之御魂社と称したが更に今の社名に改称。昭和44年沖町イ一番地甲より、今の社地に移転と同時に社殿改築。

忙殺された太郎丸・次郎丸の兄弟には、さらに姉と幼い弟がいました。
幼かった弟は部下に救われ原町に逃れたといわれ、豆丸と呼ばれたと云われています。幼い名で祀られたということは非業の死をとげたのか、白山神社に合祀された豆丸様になります。
豆丸様・・・H27.12.24 白山神社 (旧・仏が原金剣宮)

また、姉丸はこれまたアップしたように小寺町にある相之宮白山神社に祀られています。兄弟が謀殺された当時の生死は不明ですが、機織りを近在に伝えたという伝承があることと、同じ小寺町に次郎丸神社があったことから兄弟の菩提を弔っていたのではないかと推測されます。
姉丸の宮・・・H28.2.24 相之宮白山神社(姉丸宮)

これは沖町近辺に伝わる伝承ですが、社歴にある金火の出現に関するものですが、、、太郎丸・次郎丸を守護していた武将は二人を謀殺された後、二人の遺体を埋葬した後(小寺町)は悲嘆と無念から野町(沖町近辺、太郎丸神社があった地)の路傍にあった松の木の傍らで自害したと云われます。その後、毎夜、怒りの金火が現れ住民を恐れさせました。このために、住民によって霊を慰めるため松の木の傍らに祠を建てたと云われ、これが沖太郎丸神社の始まりとするものです。逃亡してきた兄弟が同じ小松とはいえ、離れた場所に潜むというのも考えにくく、この伝承の方が実際には真相に近かったのではないでしょうか。。。

この事件の年代ははっきりしませんが、沖太郎丸神社の由緒書には、天禄期(970〜974年)と推測しています。この時代は平将門・藤原純友の乱から40年近くほど後ですが、長い貴族政治に金属疲労が起こり治安が乱れ、地方では土豪や有力者が武士階層として台頭してきた時代です。
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本命ともいえる沖太郎丸神社にも訪れてみました。この沖太郎丸神社のある沖町は、古くからの民家や農家が多く集まり、市街地の旧国道8号線の幹線道路沿いの商業集積地が多いこともあり、小松市街でも人口密度の高い地です。おかげでと云っては何ですが、地場の神社としては氏子も多く、敷地や社殿も大規模なものになっています。
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現在の拝殿は昭和44年(1969年)に沖町交差点付近から現在地に遷座した際に建てられたもので、地場の地元神の神社としては大きな造りです。一応地元神とは言いますが、主祭神は天照大神。祭神は応神天皇、神功皇后、比淘蜷_としています。しかし、名が示す通り、本当の陰の主祭神は太郎丸兄弟になります。
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沖太郎丸神社はこの地に移る前は、少し北西にある沖町の交差点付近にありました。神社の真新しい由緒書には古来から太郎丸宮と呼ばれ、次郎丸・姉の丸・豆丸の各宮を代表していたとあります。その後、明治期に後厳之御魂社(いつのみたましゃ)として天照大神を主祭神とする神明宮となっています。
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明治29年(1896年)に太郎丸神社となり、明治40年、八幡神社となっていた次郎丸宮を合祀して、現在の沖太郎丸神社と改めています。一応、この際には姉の丸宮・豆丸も合祀したとなっていますが、相之宮白山神社が姉丸宮と呼ばれ、祠も存在し行事が行われており、豆丸の存在は知られておらず、後述の付け足しのような。。
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沖太郎丸神社のあった沖町交差点を含む旧国道上は、古代においては湖や河川が多く沼地が多かった小松では数少ない平地部として居住地・農業生産地となっており、弥生遺跡としては日本初の柄付き石器、管玉の製作道具、木製祭祀具、文様付き土器などが多く発掘され、出土品が国重文指定を受けた八日市地方(ようかいちじがた)遺跡や、3世紀から16世紀にかけての遺物が重なる複合遺跡の深町遺跡が近在します。
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このことから古くから官庁が置かれたことが窺われます。太郎丸の伝承も由緒書に書かれるように、平安期の中央集権組織から地方の豪族・土豪の時代へと移る過程の哀しい出来事だったと思われます。怨霊神を祀り、益神にしたことから、他でも見られるように古来から疫病退散・除疫の神として信仰を受けていたようです。
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江戸期には畳表の生産地として、夫役に変えて畳表を前田利常に献上の記録があり、その返礼に利常が参拝奉納したとなっています。現在も有力な商業地ですが、江戸期も生産を担い、小松城にも近い立地は重要地だったと思われます。
表参道脇に大正12年(1923年)に設置されたラジオ塔があります。ラジオ塔はラジオの普及を目的にラジオ受信機を収めたものですが、人が集まる場所だということを証明するような物でもあります。
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沖太郎丸神社に訪れると、まるでお客様を迎えるように、手水舎に白黒ぶちの猫が座っていました。
なかなか優雅で威厳のあるたたずまい、声をかけたらゆっくりと去って行きました。。。神社の本当の主はこの猫さんだったかも

旅行日 2016.02.24




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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
この神社 いわれともに初めて知りました

北陸の神社・仏閣・伝説など ほとんど知らないことばかりです

にゃんとも面白いですね
メミコ
2017/03/08 20:20
新潟を含む北陸は神社の数が多い地域なんです。石川だけでも2000近くと云われています。その一つ一つに地元の愛着を受けて、長い歴史があります。そうすると、いろんな伝承が語られています。行ってみるとますます面白いですね。
つとつと
2017/03/09 08:06
立派な神社が建てられたのですね 神社守の猫ちゃんですね  信仰心の熱い地域なんだなぁと思いました  大事にされていたのでしょうね
がにちゃん
2017/03/09 14:33
こんばんは、つとつとさんの記事を見せて頂きました、いつの時代かに一つの史実があり、それが色々な形でこの地の神社に伝えわっていったのでしょうね、その色々な話をよく調べていて感心しました。
話の伝わり方によっては、史実から離れて民話のように変化してして行きますね。
go
2017/03/09 20:40
こんにちは〜
いつも思うことですが、つとつとさんの歴史探訪を本にしたら素晴らしいなと感じています。
一般の歴史無知(私を入れて)の人が再認識する本になりそうですね。
本と言いましたが その前につとつとさんブログ本からね。
奥様 骨折回復されましたか。
イータンも昨年の今頃 背骨12番を骨折してコルセットで身動き出来ず寝てばかりゴロゴロ、悪夢の日々でしたので 奥様のお気持ち少しは解ります。
すみません! お話がずれてしまった感ありそうですね(^^)
イータン
2017/03/10 12:34
前回紹介戴いて、本当に興味深い、
謎めいた伝説だなあと感嘆したんですが、
今回は、姉丸さまが「機織りを近在に伝えた」
という話があって、思わずそこに目が留りました。
記紀神話のオオゲツヒメのように、死んだ女神の
体内から、大事な作物や養蚕文化が生まれ、
人々の暮らしを助けたとされる伝説は、
「ハイヌウェレ型神話」と呼ばれ、世界的な
拡がりを持つと言われます。姉丸さま伝説には、
そうした殺された女神、文化英雄の神話の
名残りが見られるのではないかと…。
勝手に想像力を逞しくして、申し訳ありません。
yasuhiko
2017/03/10 14:29
がにちゃんさん
小松市内でも拝殿神殿は屈指の規模かもしれません。小松市は古い伝統が根付いていて、神社の新設には近在の氏子が多く参加しているようです。
特に地場神の神社がこれだけ大きいのは、久しぶりに観ました。

goさん
神社は寺とは違って地場の伝承が素地になっていますから、地元の信仰心が大きく影響しているようです。松任の神社に比べて、小松の建て替えられた神社は大規模なものが多くて、地元の思い入れを感じさせてくれます。
伝承自体もどのように伝わって変化しているのかは、資料を読んでいると、違った話が横から出てくるので、興味津々になります。引っ越しが多いせいで、今住んでる家の近くの神社の伝承は全く知らなかったんですが、先日地元本で知ったくらいですが、松任の神社は民話からのものが多いようです。

イータンさん
時々ですが自分が書いたブログを読み直すと、誤字脱字の多さにたまげちゃいます。
ブログ本にしてみるのも面白いかもしれませんね。でも他の人に見せるのはちょっと恥ずかしいかも。。
嫁さんもイータンさんほどではないですが、腕を肘まで固定されて動けないので、ごろごろしてましたが、もうストレス溜まりまくってるみたい。今秋、肘のギプスを切ってもらって少しだけ楽になったと喜んでました。でも、医者にダイエットを命じられていたのに、食っちゃ寝の毎日で体重が戻ってると嘆いてますよ。まあ、今秋になって笑顔が出るようになってホッとしてます。
つとつと
2017/03/12 09:27
yasuhikoさん
オオゲツヒメとは少し違うようには感じますが、確かに不幸な出来事から伝承が起源になっているのは間違いないようです。古事記や日本書紀を読むと、農産や機織りなど何かを生み出すものには女神を持ってくるのは、世界に多く点在する神話と共通するようです。
ハイヌヴェレやオオゲツヒメの神話を聞くと、食料が不浄なものから出てくるということなのか、また生産・調理過程を下簸たものとしてみているように感じてしまいます。ただ、二人が純朴な者になっていて、住民やスサノオを後悔させ、二人を後に信奉するのは共通していると思います。そういえば、子供の頃に母や祖母に男の子は台所に入るものではないと怒られましたが、これにつながるんでしょうかね。
つとつと
2017/03/12 10:03
「ラジオ塔」・・・そんなのが あったんですね!
まだこもよ
2017/03/13 09:23
まだこもよさん
昭和年代は街頭テレビというのがあって、懐かしい映像なんかで観られますが、それのラジオ版だと思えば良いと思います。
各県の人の集まる公園や神社、寺の境内などに設置されたおかげで、いくつかは現存しています。まだこもよさんの所にもあると思いますよ。灯篭型や灯台型が多いようです。
つとつと
2017/03/13 10:04

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