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zoom RSS 白山七社B 佐羅早松神社

<<   作成日時 : 2017/06/12 22:30   >>

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加賀番場にあたる白山比盗_社と岩本宮・剣宮・三宮はある程度近い距離の存在で固まっています(本宮四社)。

「白山之記」の「白山七社本地垂迹事」という箇所には・・・

本宮   御位は正一位なり
      本地は十一面観音なり。 垂迹は女神なり。 御髻と御装束は唐女の如し。

金剣宮 白山の第一の王子なり
      本地は倶利伽羅明王なり。 垂迹は男神なり。 御冠に上衣を着す。 銀弓と金箭を帯し、金作の御太刀刷かせ給ふ。

三宮   白山の第三の姫宮なり
      本地は千手観音なり。 垂迹は女神なり。 御装束等は本宮の如し。

岩本宮 白山の第二の王子なり
      禅師権現なり。 本地は地蔵菩薩なり。 垂迹は僧形なり。


本地は仏教での本体。垂迹は姿を変えた神話の神の姿になります。この四宮が本宮の菊理姫神を母親にして、残りの三つの宮は兄弟・妹の家族を表していることになります。金剣宮の倶利伽羅明王は剣が本性の明王ですから不動明王にすることがあります。

これから紹介する中宮三社も、この形式を持っていて、関係性が解ります。前述の「白山記」の同文を記すと
 
中宮   本地は如意輪なり。 垂迹は本宮の如し。 ただし童形か。 児宮と云々。 ただし根本は如意輪なり。 後に三所を祝ひ奉る。

佐羅宮 本地は不動明王なり。 垂迹は金剣宮の如し。 早松は普賢・文殊なり。 二童子の本地か。

別宮   本地は十一面・阿弥陀・正観音の三所権現なり。 十一面は垂迹なり。 御姿本宮の如し。 阿弥陀は奇眼老翁なり。 神彩甚た閑正なり。 観音は咲を含む。 宰の官人なり。 銀弓金箭を帯す。


白山之記は白山縁起とも呼ばれて白山比盗_社に納められていたものですから、中宮三社についてはちょっと説明的になっています。
中宮に関しては、如意輪は観音菩薩のことです。三所権現は、泰澄の瞑想によって現れた白山妙理権現、大行事権現(菊理姫)、大汝権現の三神をいいます。白山三峰にも準えられ、仏神としては十一面・阿弥陀・聖観音になります。別宮の宰の官人は勅をもって政策や行事を務める役職。中宮と別宮は菊理姫を主祭神として三権現を信奉していたことが解ります。中宮の憧形・児宮から本宮四社の本宮・三宮を合わせた存在にも見ていたようです。別宮も同じ形態ですが 宰の官人という言葉から、神に仕える役人、岩本宮に似た存在です。
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佐羅(佐良)宮は少し違った金剣宮に似た存在ですが、元は早松という社が先で、そこに合祀されたようで、五王子権現と呼ばれる白山神の使者の五王子を尊保していたようです。主祭神は筆頭の第一王子の不動明王。
佐羅宮は脇で支える、すけとしての次官、軍事の佐官。これは先人に立つ武神、補佐官を表すと思われます。
は網羅という語の様に網を張って捕らえる。薄絹の繭糸、羅紗以前の文様入りの舶来品の織物で日本では冠に使用されていました。金剣宮の御冠に繋がります。
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佐羅宮があった場所は、加賀番場から禅定道(現在の国道157号線)と別宮からの道(現在の国道360号線)が合流する雲龍山の麓から4キロほど白山方向に進んだ崖上にあります。更に500mほど進むと加賀・越中・飛騨の重なる奈良岳を源流にする瀬波川が手取川に合流する場所、更に2キロほど進むと白山を源流にする尾添川が手取川に合流する場所と難所の手前になります。また尾添川と手取川の分岐点は加賀禅定道と白峰を経由して勝山(平泉寺)に向かう道の分岐でもあります。加賀番場・加賀国府・白山中宮・越前の重要な中継点となります。
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佐羅宮、現在の佐羅早松神社がある場所は白山市佐良(旧吉野谷村佐良)。氏子14戸の静かな山村です。
国道沿いに建つ標柱「佐羅早松神社」ですが、現在は地名から佐良早松神社が正式なものになっているようです。しかし、飛騨と美濃の境界にある美濃市上河和に同名の佐羅早松神社があり、ここから勧請したと云われていますから、佐羅が本来の文字のようです。
羅という文字は本来が薄絹織や繭糸という上品な意味なんですが、日本では新羅とか羅州羅氏とか朝鮮系や渡来系、魔羅・摩羅・婆娑羅などの隠語の荒らしさや暗さのイメージもあるので地名の表記を変えたのではないでしょうか。
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道路から見上げると崖上に境内が見えるんですが、標柱から直線で50mチョットに感じるんですが、これがちょっとした錯覚。。。
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この佐良地区のこの宮のある山崖は古い岩盤層で間を泣谷川という急流が流れていて、土石流危険地区に指定されています。泣谷川は道路下を導水管で手取川に流れ落ちるようにしており、上流には調整池などの砂防がなされています。
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このため、参道は泣谷川の急流や滝を見ながら、一旦上流に登って回り込むように行かなければなりません。結構距離があるのと泣谷川は深い谷になっているので、崖っぷちにはご注意を・・・
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でも、なかなか壮観な滝の眺めです。木枝が邪魔で見通せないのが辛いところ。。まあ、歩くときはくれぐれも左側通行で。。ついでなので、上流の調整池も、、これだけの調整池がありながら、下流の水量は恐るべきで。。滝もこの水圧でできた渓谷だと云えます。
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もう数えきれない程、前の道を通りながら、未訪だった白山七社で唯一の神社。この時が初来訪です。
旧吉野谷村時代の案内板、後で聞いた話ですが、取り外しができるそうで冬場は手水舎に雪や風雨を避けているそうです。古い割には綺麗なわけです。
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佐羅早松神社

白山七社の一つで、佐羅大明神ともいわれている大社。
「白山記」には、「天元五年(九九二)宝殿・小社佐羅早松が創建され、長保元年(九九九)二宇と五間二面の講堂が建立された。」とある。
白山最盛期の安元年間に佐羅早松宮の神輿を押し立てて、白山衆徒が都へ加賀の国衙を強訴によって追放した安元事件は、歴史上画期的な事件であり、当時の白山勢力の強大さを窺うことができる。

昭和四十六年十一月三日 村指定有形文化財
吉野谷村教育委員会


安元事件(白山事件、安元3年(1177年))は白山七社を語るときには、外せない事件になります。これまでにも何度か書いています。白山七社の中でも佐羅宮が特に大きく係わっています。
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白山神社 (旧・仏が原金剣宮)から引用

安元事件に関しては以前のブログ(笥笠中宮神社)(ほうらい祭り)などにも書いていますが。原村から山一つ越えた涌泉寺(ゆうせんじ)で起こったもので、加賀国府の目代・藤原師経が、馬匹禁止の境内に乗馬で侵入して神水で馬を洗うという暴挙に対して、涌泉寺側が怒って藤原師経一行を叩き出したことに端を発しています。これに対して師経の兄で国守・藤原師高は報復として、涌泉寺に焼討を掛けています。国府としては近隣の有力な白山社への脅しと挑発だったと思います。しかし、これに黙っていなかったのが前述の白山七社です。
涌泉寺は中宮三社に属した寺院の中でも中宮八院の一つとされる有力寺院。佐羅宮が後援者だったと云われています。白山七社が協力して国府に押し掛けたわけです。これに対して、藤原師高・師経兄弟は危険を感じて京に退避します。しかし、白山七社では前述の佐羅宮の神輿に加え本宮・金剣宮の神輿を押し立てて、京に強訴に押し掛け、比叡山まで押し出し後白河法皇に兄弟の引渡と断罪を掛け合ったわけです。
藤原師高・師経兄弟の父親・西光(俗名・藤原師光)は後白河にとっては最側近の参謀格で反・平清盛の先鋒格でもあり、簡単には譲れず交渉は長引いてしまいます。痺れを切らした白山衆徒の神輿は都の市中に押し出したのですが、これに対して後白河の護衛に当っていた清盛の長男・平重盛の軍勢が、弓矢を神輿に射込んで、死人まで出して撃退しています。この際に打ち捨てられた神輿が(佐羅宮の物と云われています。)、京都
の白山神社の発祥の起源になっています。
この一件により、藤原師高・師経は流罪、西光は謹慎、神仏の神輿に矢を射込んだ平重盛も謹慎となり、後白河院の権力が一気に落ち、対抗馬と院との仲介を図っていた長男が居なくなったことで、歯止めが無くなった平清盛の権力が急上昇、同年の鹿ケ谷事件で西光を捕縛斬首、完全に天下掌握を果たします。
加賀国府は事件により衰弱して歴史に埋没してしまい、所在地も不明状態になっています。白山七社もこの事件で目的は果たせたものの、平家の力に敗れた後遺症で力を失って行ったと云われています。

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涌泉寺は現在は残っていませんが地名は残っていて、重機の製造販売で知られるコマツの発祥地・涌泉寺鉱山として知られています。当時、涌泉寺は中宮八院の一つの有力寺院で、後援・寄り親が佐羅宮でした。京に逃げ帰った師高・師経兄弟を追う形で、佐羅宮及び同調した本宮・剣宮の三基の神輿を押し立てて、後白河院に対して強訴に及んだ事件です。最初は比叡山に留める予定が要求に応じない院に業を煮やした白山衆徒は、洛中に二基(佐羅宮・本宮)の神輿で押し掛けたわけです。これに対して院警護の任にあった平重盛(清盛の長子)の軍勢が矢を射かけて死者の出る暴挙に出ます。当時、神の使いである神輿に対して弓矢に及ぶのは忌ごととして厳禁タブーとなっていました。
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結果的に白山衆徒は神輿を打ち捨てて退散。本宮の神輿は祇園社(八坂神社)に保管後、比叡山に戻されたともいわれますが行方不明。佐羅宮の神輿は残された場所(現・京都市上白山町)に保管され、後に御神体となり白山神社の起源となります。江戸期に後桜町天皇の歯痛に箸と塩を献上して治癒したことから、紋入提灯を拝領して歯痛の神様として信奉され、今では歯科医が参拝することで知られているそうです。京の洛外にも白山神社が多いのはこの白山神社から派生したと云われています。と、いうわけで佐羅宮は京都の白山神社の故郷になるということです。
ちなみに、比叡山に残っていた剣宮の神輿は、無事に剣宮に帰還。鶴来町の奇祭「ほうらい祭り」の起源になっています。
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佐羅早松神社では現在の主祭神は草葺不合命 (鵜草葺不合命、うがやふきあえずのみこと)。文字数の割に読みが異常に長い神様ですが、山幸彦と海神の娘・豊玉姫の息子。育ての母と云える玉依姫(豊玉姫の妹)と結婚して四男に神武天皇がいます。玉依姫は機織り姫としても知られています。神の使者と織姫ということは、佐羅はこの二神を表すのかもしれません。早松は解りませんが、草葺不合命 のことかも。拝殿の扁額は手作りで簡素なもので早松神社となっています。小社として脇に菊理姫が祀られていますが、本来格上の菊理姫が脇に廻るという首を傾げる状態です。これが玉依姫なら納得なんですが。。
白山記の記述通りなら、早松が文殊・普賢菩薩なら五王子を祀っていることになります。
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拝殿内には新旧の奉納絵馬がありますが、なかなか美しい絵柄で、多くは馬の姿絵ですが、安元事件、白山伝承を描いたものも見られます。
氏子が14戸と少ない神社ですが、この絵馬や境内の整備を観ると、大事にされている神社だということが解ります。

旅行日 2017.04.13






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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
素朴な神社 歴史を感じますね 京都とも深いつながりのあるのですね

絵馬 綺麗に残っていますね  何故か女の子のように見える絵馬が・・・  
がにちゃん
2017/06/13 11:09
前回の岩本神社から神仏混合・分離で頭が混乱して…。すみません。深田久弥さんの日本百名山「白山」を読んで一度リセットしました。深田さんの故郷の山だったのですね。土地勘が有ればもっとスッと入って行けるのでしょうが…。今回もなかなか興味深く読ませていただきました。知った名前が出てくるとホッとします。つとつと様目線でこちらの神社を見てみると思わぬ発見がありそうです。
tor
2017/06/13 20:41
氏子が14戸とはいえ 絵馬とかすてきな感じですね

狛犬さんも拝見できて 毎回楽しみです
メミコ
2017/06/13 21:28
がにちゃんさん
京都の白山神社の始まりがこの神社の神輿になるそうです。京都では一時期は大きな神社だったそうですが、今は通りの一角こじんまりとした神社になっています。
この規模の神社でこれだけの絵馬が揃ってるの、なかなかないと思います。

torさん
明治の神仏分離は強引すぎて、以前までの神仏習合は難しく見えてしまいますが、要は無理やり神様に観音様などをすり合わせた結果なんです。場所によって本地垂迹はバラバラですから、まず覚えられないですよ。
深田久弥は加賀市の大聖寺出身で、柴山潟の湖を越えてみえる白山の姿は子供の頃から焼き付いていたんでしょうね。久弥のいうように、みんな自分の故郷の山を持ち続けていますから。。。加賀の人間の多くは白山が故郷の山になっています。

メミコさん
神社自体もすごい場所にあるんですが、境内は綺麗に整備されていて、白山七社の中では一番の眺望の神社です。加賀の狛犬は厳めしく猛々しいものが多いので、僕も好きなんです。やはり、獅子舞の影響が強いのかもしれません。
つとつと
2017/06/14 08:23
絵馬美しいですね。
氏子14戸とは少ないようですが、集落の戸数が少ないと氏子も少ないということになるのでしょうか?
他の集落から氏子になる人とかはいないのかな。
いずれにしろ、閑静なところのようで、一度訪れて瞑想にでもふけってみたい気分になりますね。
家ニスタ
2017/06/16 22:51
氏子14戸なんですか。
静かな山里の雰囲気が伝わってくる
ようですが、その一方、奉納された
豪華な絵馬には驚かされます。
安元事件は初めて知りました。
重要な歴史の転換点に、白山七社が
大きく関わってたんですね。
yasuhiko
2017/06/17 11:55
家ニスタさん
とても静かな神社です。有名個人名の神社や歴史の長い神社なら、子孫や全国に散らばった人の尊宗もありますが、白山七社は一向宗によって大きく衰退して、近郷の村社になったものが多いんです。江戸期に白山信仰は復活したとはいえ限られたものでこの神社は村社として残された神社ですが、境内も周りの自然も複雑で、確かに迷走にはよい場所かも・・

yasuhikoさん
絵馬の鮮やかは特筆ものの神社で歴史を窺わせます。
安元事件というとなじみがないんですが、この事件は平清盛や後白河法皇が出るドラマや作品には必ず登場します。後白河がどうにもならぬ厄介なものとして、揚げる理由が解ります。
つとつと
2017/06/17 14:23

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