白馬山頂に城を築造した際に、城の守護神としてこの虚空蔵菩薩像を城山の麓にあった「愛宕神社」の側に「伊須流岐比古神社」を創建して安置し、新しい石動として城の名を「今石動」としたのが始まりです。
その後1638年、今石動城が廃城となった際に「愛宕神社」と「伊須流岐比古神社」は合祀され「石動愛宕神社」として現在地に移されています。


「石動愛宕神社」の創建は不明ですが、少なくとも鎌倉期には存在したようで、京都の「愛宕神社」から分霊を受けて創建されたそうです。
町道から続く108段の石段や寄進された鳥居や灯篭でなかなかの雰囲気があります。現在の拝殿は文久2年(1862年)に建立された物です。

石動の町は南砺の井波・城端との関係が深く、拝殿には多くの装飾や彫刻が施されていますが、井波・城端の粋が詰まっています。十二支・獏・獅子・龍などが装飾されていて江戸期から世評に高かったもので、参拝の際には拝殿の廊下を端まで歩いて見上げて観て下さい。
毎年4/29.30に春季祭礼が行われるんですが、その際に11基の曳山が小矢部市内を巡ります。この曳山も江戸期からの物で、彫刻は井波・城端、彫金は金沢など北陸の美術工芸の芸術品と云われています。高岡の御車山と並んで人気があります。
http://takaoka.zening.info/Oyabe/Festival/Isurugi-Hikiyamamatsuri_Festival.htm
旅行日 2011.11.26
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