海月寺

江戸期、金沢の金石は宮腰(みやのこし)と呼ばれ北前船の母港として栄えました。
そんな金石の東方の一画に海月寺という小さな寺院があります。ここに銭屋五兵衛の三男・要蔵の墓があります。
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以前、海の豪商と呼ばれた銭屋五兵衛を紹介しました→銭屋五兵衛記念館  銭五の館

海の豪商と云われた銭屋五兵衛ですが、その最期は悲惨なものでした。
銭屋五兵衛は晩年は家督を長男・喜太郎に譲っていましたが、喜太郎は生来病弱で性格も温厚なことから、銭屋の実権や方針は引き続き五兵衛が握っていました。そして、その意向を実践していたのは三男・要蔵と手代・弥吉が両翼となっていました。銭屋の没落の要因となった河北潟干拓事業も総責任者は要蔵が受け持っていました。

銭屋が加賀藩から責任追及されたのは、河北潟での魚の大量死、それを食べた漁民の死が銭屋の干拓事業の際の石灰と共に毒を投入したと疑われたことです。(数年後、河北潟の赤潮による毒素化と学者に証明されています。)
加賀藩の苛斂誅求な処置は情け容赦のないものでした。銭屋一族・使用人のことごとくが捕えられ入牢と共に厳しい拷問や追及に処されます。
千賀女などの奔走に同情した真龍院の助言などにより、長男・喜太郎が釈放(ただし加賀所払い)されましたが、時すでに五兵衛は牢死。しかし加賀藩の処分は厳しく銭屋は家名断絶・財産没収(家名に関しては後年、許可が下ります。)更に主犯格とされた要蔵と弥吉は磔刑。さらに一族・使用人など51人が斬死・さらし首となってしまいました。

海月寺は元々は釈迦堂として建てられたものです。建てたのは鐵悟道珍(てつごどうちん)という尼僧です。
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鐵悟尼は粟崎の近くの五郎島村の農家出身で本名を「西井てつ(鉄)」と云いました。
16歳の時、銭屋家に女中奉公として入りました。才気があり愛嬌もあるということで、銭屋一家全員(特に五兵衛)に気に入られ、娘同然として座敷内に置かれていました。その後、銭屋家に戻ってきた要蔵と恋仲になっていたと云われます。当然、婚姻まで行っていませんでしたが、娘・嫁同然として変わらず五兵衛以下に可愛がられていたそうです。
ちなみに、要蔵は三男ということもあって近在の親戚筋に婿養子として出されていたのですが、結局離縁されて銭屋家に戻ってきたようです。五兵衛には三男五女の子供がいましたが、七番目の三男・要蔵をことのほか、気に入っていたようです。娘同然に可愛がっていたてつ要蔵が恋仲になったのは内心喜んでいたのではないでしょうか。

ところが、降って涌いたような疑獄事件により、五兵衛は牢死・要蔵は磔の刑で刑死してしまいます。
悲嘆にくれたてつは、大乗寺を訪れ仏門に入ります。その後、現在地に釈迦堂と庵を建てて、94歳の生涯を五兵衛と要蔵を弔って過ごしたそうです。海月寺本堂にはには五兵衛の木像があります。この像は鐵悟尼の話から製作されたものだそうです。
これは逸話になりますが、刑死した要蔵の亡骸は刑場の松に長く晒されていたのですが、夜間にてつがその首を持ち去ったと云われています。鐵悟尼は生涯、要蔵の遺骨を肌身離さず側に置いていたと云われます。
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要蔵の墓は元々はこの寺にはありませんでした。
銭屋五兵衛100回忌に、鐵悟尼(てつ)と要蔵の関係から、てつの希望に叶うとして金石住民有志がここに移設したそうです。
元は五兵衛や弥吉が眠る本龍寺にあったと思われますが、その辺は不勉強で忘れちゃいました。。ご存知の方が居たら教えて下さい。
銭屋五兵衛記念館に鐵悟尼の銭屋家時代の遺品などが多く展示されています。
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鐵悟尼存命中にこの海月寺に下宿していた人物がいます。金沢三文豪の一人・室生犀星
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室生犀星は13歳で高等小学校を中退して、金沢地方裁判所の給仕として就職しました。ここで俳句などの先人に出会い文学に目覚めたと云います。19歳に金石出張所に移った際にこの海月寺の2階に下宿しています。
20歳で上京していますから1年に満たない期間でした。
しかし19歳当時にはすでにペンネームの「犀星」を名乗っており北陸の俳壇界では知られた存在だったようです。俳壇以外にも詩や小説を書くようになっており、寺の2階部屋で後に発表した多くの作品を書いていたそうです。現在も犀星の使った部屋はそのまま保存されているそうです。一度は観てみたいものですねえ。
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犀星は短い期間を過ごした金石でしたが、ここでの思い出は心に残ったようで詩集「抒情小曲集」、小説「海の僧院」で海月寺を取り上げています。更に金石町小学校の校歌は犀星が作詞しています。(犀星は県内の学校や他の都道府県の学校校歌は多く作詞しています。確か金大も金沢美大もそうじゃなかったかな^^;)

「抒情小曲集」にあるこの詩。。。。。。あまりに有名です。犀星は知らなくてもこの詩の頭は聞いたことがあると思います
               ふるさとは遠きにありて思ふもの
               そして悲しくうたふもの
               よしや、うらぶれて異土の乞食となるとても
               帰るところにあるまじや
               ひとり都のゆふぐれに
               ふるさとおもひ涙ぐむ
               そのこころもて
               遠きみやこにかへらばや
               遠きみやこにかへらばや

旅行日 2013.03.20



























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この記事へのコメント

  • がにちゃん

    一見 何気ない家見たいなお寺ですが。なかなかなもんですね
    2013年07月17日 21:37
  • つとつと

    実際、鐵悟尼も庵兼住まいとして造られたものなので、こじんまりした建物なんですよ。それでも代々尼僧が住まって、大乗寺から管理の人が整備してるそうです。
    2013年07月19日 00:46
  • 賢さん

    金石在住の女流作家「麻井紅仁子」さんが要蔵とてつの情愛を描いた「朧の月」を今回出版されました。https://www.facebook.com/ken.matsuo.5494
    2013年11月02日 10:46
  • つとつと

    賢さん
    情報ありがとうございます。是非、拝読させて頂きます^^/
    5年ほど前ですが、俳優の篠井英さんが演じた邦楽劇の作者が麻木サンだったと記憶しています。
    2013年11月03日 15:57
  • ぴーこ

    銭五の三男要蔵磷付の一本松について調べていたら、つとつとさんのページにたどり着き大変面白く読ませていただきました。銭五の100回忌に要蔵の墓が海月寺さんに移されたとは初めて知りました。
    さて以前の墓の場所ですが、現在日成ビルドがある辺りだと思います。金石町市街全図というむかしの地図の右下に要蔵の墓とあります。

    地図はこのページの4枚目です。
    https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/kinsei/miyanokoshi.pdf
    2020年04月24日 09:56
  • つとつと

    ぴーこさん
    ずっと、要蔵の墓所は本龍寺からだと思っていたのですが、そうでしたか処刑場の近くにあったんですねえ。そうすると海月寺から200mもないくらいですから、てつさんも墓参を頻繁に行っていたんでしょうね。
    貴重な資料を教えて頂いてありがとうございます。感謝です。
    2020年04月24日 11:54

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  • 本龍寺 銭屋五兵衛の墓所
  • Excerpt: 金沢西警察署を更に西に向かうと、江戸期に北前船の港湾として栄えた宮の越(金石)の町になります。
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2013-09-21 13:02
  • 瓶割坂③ 雨宝院
  • Excerpt: 前回の神明宮の境内を遊び場にしていた室生犀星が幼少・少年期を過ごしたのが「雨宝院」です。正式名は「千日山 雨宝院」。真言宗の寺院です。
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2015-05-26 11:03

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