洞谷山 永光寺(とうこくさん ようこうじ) ①

金沢方向から国道159号線を七尾方向に走って、白鳥が飛来することで有名な邑知潟(おうちがた)のある邑知を過ぎると右手に「五老峯 永光寺」という大きな看板と石柱の門があります。そこを右折して山の方にしばらく登って行くとある寺院が「洞谷山 永光寺」です。ずっとエイコウと思っていましたがヨウコウが正解だそうです。
永光寺は曹洞宗の寺院です。創建は正和元年(1312年)、瑩山禅師(常済大師)が建立したものです。
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現在の曹洞宗の大本山は、御存じのように、福井の永平寺・横浜鶴見の總持寺の二大本山制を採っています。
両本山のトップは貫主と呼ばれており、曹洞宗全体のトップは管長となっています。この両二大本山の貫主が2年交代で管長を努めています。現在(H25)の管長は永平寺の貫主が勤めています。

江戸期以前は奥州と九州にも大本山がありましたが、幕府命令で二大本山になりましたが江戸期には水戸の祇園寺も大本山を名乗った時期がありました。明治維新後は現在の形態になっています。
つまり曹洞宗は大きく分けると2派閥(二大本山)の共同体制組織というわけです。

なぜにこのような2派閥になったのかというと話が長くなりますが、開祖・道元が曹洞宗を開いた頃に遡ります。
開祖・道元が京都の聖興寺で曹洞宗の布教を始めていたころは、新教に対して延暦寺からの制約や妨害が厳しい時代でした。
同じ頃に派生した禅を主体とした日本達磨宗も延暦寺からの制約・禁制を受け、布教禁止令や焼き討ちを受けて越前に避難していたのですが、教主の急死などもあり、大多数の者が道元の曹洞宗に転宗しました。道元もまた、延暦寺などの制約を避け、この機を利して新天地を求めて越前にと移り、永平寺の創建を達成しました。
(この達磨宗から転宗した者の中には、2.3代貫主の懐奘(えじょう)・義介(ぎかい)も含まれていました。)

他でも書きましたが、各宗派の開祖という人物(国教扱いとしての最澄・空海は除く)は、多くの人がそれまでの仏教への個人的疑問から自分なりの考察や修行を独自に始めており、もちろん布教や弟子に教示したりはしましたが、自己の変革や修行に専念しており、独自の集団を創り上げて組織を創り上げようとはしていません。(日蓮や一部はちょっとちがいますが。) 主には後継の人達によって教団の形態を整え発展させていったものです。

曹洞宗の道元も同じく多少の教示や教導はしましたが、自己の修養・向上を目指していたようです。
どこの組織でも起こることですが、道元の死後になると永平寺内部では、道元の教えを忠実に推し進めようとする保守派と、更に教えを突き詰め昇華させ新規の仏門を取り入れて布教を広げようとする革新派に分かれ対立するようになっていきます。革新派の多くは達磨宗から転宗した者が多くいたようです。
2代貫主・懐奘は達磨宗からの転宗組でしたが、自ら道元の忠実な侍者だと公言して終生を過ごした人物で、貫主の間は大きな緩衝材として両派を抑えていましたが、革新派の義介が3代貫主となると大幅な改革に乗り出し、保守派の大きな抵抗を受けます。(三代相論と云われるものです)
結局、義介が貫主を辞任して加賀の大乗寺に移って布教に努めることになります。
義介が去った永平寺はスポンサーだった波多野氏が衰弱して長く低迷しましたが、この二代あとの義雲による寺院内改革で復活し今日に繋がっています。

ちなみに義介が移った現在の大乗寺は野田山にありますが、当時は富樫家が守護となっていた時代で中心地は野々市にありました。大乗寺も創建当時は野々市にありました。現在の金沢高専と金沢工業大学の間の道を西に進んだ踏切の手前、能登信金の隣の墓地が大乗寺の創建の跡地です。

加賀での地歩を固めて行った義介が応援として呼び寄せた人物が瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)でした。
瑩山は8歳で永平寺に入門し、18歳で全国行脚に出ており延暦寺で天台教学を学んだ俊英でした。三代相論では義介に従って大乗寺に移りますが、その後も全国を回り、四国最古の禅寺・城満寺の創建をするなどしています。改めて義介に呼び戻され、大乗寺住職を継いでいます。

瑩山はその後、能登へと進みます。豊財院という能登で初めての禅の修行場を開き、この永光寺を開基・創建します。これが能登初の禅道場としての永光寺です。
更に門前に能登總持寺を創建しここを教生の拠点として定めます。つまりここで永平寺と並ぶ大本山が誕生したわけです。現在は總持寺祖院と呼ばれていますが、これは明治の大火が要因で本山を横浜鶴見に移したためです。

懐奘・義介から教示を受け、全国を回って自己研鑽を積んだ瑩山は、独特の柔軟性を持っていたようです。
道元は儀礼・祭礼を全面否定はしませんでしたが寺院内に留めていましたし、女人も禁制の立場をとっていました。瑩山は儀礼・祭礼は外部へも出すようにし、女性住職の登用など男女平等の出家体制をとりました。これが教勢を広める要因になったようです。この永光寺の土地・資材は地元豪族の娘(祖忍尼)という女性による力が大でした。

また後進を育てることにも熱心で明峰素哲(めいほうそてつ)、峨山紹碩(がざんじょうせき)など数十人の有能な弟子が巣立っています。この弟子たちがその後の曹洞宗を発展させていきます。
現在の曹洞宗寺院には開祖・道元(永平寺)と瑩山(總持寺)を太祖として並べているのを見かけます。永平寺の法堂にもあります。ことほど瑩山は曹洞宗では重い存在です。その瑩山の墓所はこの永光寺にあります。

永光寺の参道は国道から、ずっと永光寺川に沿ったように続いています。
本参道は耕雲橋からですが、石畳が深い林間の中を通って行きます。夏でも涼しさを感じられます。
また紅葉も美しいそうで、秋に訪れるのが一番良さそうです。
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途中にある中道門 ここから永光寺の境内になります。
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境内に入ると長い石畳の道 滑りやすいので要注意
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弁天堂 多くの鯉が泳いでいます。 観音堂には小さな石観音像。
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そして見上げると長い石段の先に大きな山門が、、、もうちょっとです
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地元の住民や檀家の人達が毎日のように、参道や寺院の整備や清掃に従事しており、清冽さが保たれています。今回は入口の山門までの紹介ですが、次回は寺院と五老峯を紹介させて頂きます。

旅行日 2012.08.10







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この記事へのコメント

  • soma@上越

    曹洞宗というと、こちら寺町や仲町にもお寺が多いですね。
    今年のゴールデンウィークの旅行に
    永平寺に行ってきました。
    僕はお寺、お経が好き(祖父母たちの四国八十八箇所巡りの影響)で、
    偶然お経の時間だったので、般若心経をよんできました。
    本山は永平寺ともう一つ神奈川県?にあるとうろ覚えですが記憶しています。
    今度調べてみます。
    2013年08月28日 07:11
  • soma@上越

    あ、すみません。
    書いてありましたね。
    本山は永平寺と横浜にあるお寺なんですね。
    読み落としてしまいました。
    すみませんでした。
    2013年08月28日 07:15
  • つとつと

    somaさん
    永平寺に行かれたんですか。。大きかったでしょう。。観て回るだけで疲れそうな昇り降りと広さだったでしょ。
    明治までは輪島の門前町に本山があったんですが、火事で焼けたために横浜の鶴見に同じ名前で移ったんですよ。門前には今でも總持寺祖院として寺院があります。
    数年前の能登沖地震で被害にあっていたんですが、今年完全修復が完了するそうです。機会があったら観に行ってみてください^^
    全国には約75000の寺院があるんですが、浄土真宗2万、曹洞宗1万5千とこの2宗派が半分を占めるそうです。ただ、曹洞宗の本堂や法堂の内陣は豪華なものが多いので観るだけでも興味をそそりますよ^^
    2013年08月28日 13:30
  • がにちゃん

    障子は晴れましたか
    綺麗に管理されているお寺ですね 流石が永平寺関連のお寺  境内も広そうで近くに有ったら 毎日でも散歩に行ってみたいような  10月の旅行で行ってみたいような気がしますが、七尾方面・・・時間がないかなぁ
    プラン 練り直してみようかなぁ
    2013年08月29日 09:36
  • go

    つとつとさん、こんばんは
    永平寺や総持寺、大乗寺までがつながっているんですね、宗教の長い歴史の中には幾つかの革新があって今日の様な仏教の形態になっているんですね。
    私の様な無信心な物にはなかなか理解が出来ませんが、古の人達の現世と来世の思想感の違いが幾つかの宗派を形成していったのでしょうね。
    つとつとさんの郷土史の奥深さには感心します。
    2013年08月29日 22:36
  • つとつと

    がにちゃんさん
    いやいや、まだほったらかしです。やる気になった時にやろうかと^^;
    ほんとに久しぶりに行ってみたんですが、建物が綺麗になって見違えてしまいました。寄り道するなら、千里浜ICから能登バイパスで東に向かうと3.40分でつけます。曹洞宗では今日との聖興寺、福井の永平寺・鶴見總持寺・能登の總持寺祖院そしてこの永光寺・豊財院は一生の内に見たいという人が多いそうですよ。
    豊財院も近くにあるんで、お奨めですよ^^
    2013年08月30日 11:38
  • つとつと

    goさん
    北陸四県には真宗・曹洞宗・日蓮宗が現在の基盤を作った土地や謂れが多いので、寺院も立派なものが多いんです。特に曹洞宗の伽藍は重厚なものが多く、内陣も豪華なものが多いんですよ。見るだけでも面白いものが多いんです。
    僕も無信心なのですが、それぞれの考え方を観たり聞いたりすると、ついつい他派と見てしまうんですねえ^^;
    次次回の峨山禅師が歩いた峨山道が県が観光化するそうです。ただ短縮路を作るとかわけのわからないことも言ってるみたいです。一度は歩いてみたいとは思うんですが、体力の問題が。。
    2013年08月30日 11:53

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