永光寺 ③ 五老峯 瑩山禅師墓所 峨山道

回廊の最上段から伝燈院とは反対の扉から出ると緩やかな登り坂があります。これが五老峯に向かう道です。
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登り始めるとすぐに右手に手水舎のようなものがあります。
この水舎に流れ出す水は、これから向かう五老峯の下を通って湧き出す名水です。そのため「白山水」「五老峯の御霊水」と呼ばれています。

案内板には元享3年(1325年)に五老峯を築いた際に湧水が出たとなっていますが、瑩山が元応元年(1319)に書き残した「洞谷山尽未来置文」に五老峯のことを書き、元享元年(1323年)に五老峯を築いています。瑩山禅師の逝去と共に瑩山の墓が作られ、瑩山の書を五老峯に納めて以降に湧き出した湧水だと思われます。尊師達の元を経由して流れ出る清水は大事にされ、現代に至るまでこの霊水は伝燈院と大本山・總持寺の尊前に礼されています。

ちなみに、開祖・道元の永平寺の廟所を見学した人は観たと思いますが、廟所の入口手前の脇にも「白山水」があります。曹洞宗が北陸に来てからは禅という修行を主とした教えと相まって、白山信仰や白山修験者との結びつきが出来ていました。
特に、總持寺の貫主を瑩山から継いだ峨山は、元々は白山修験者から瑩山に弟子入りした人物で、その傾向は更に顕著になったといえます。
白山は山自体が信仰の対象でしたが、そこから流れ出る水は霊水は修験者だけでなく北陸民衆には愛されていたもので、以前書いた浄土真宗の北陸の先駆者・綽如(しゃくにょ)も白山信仰を無視できず協調を図って信仰を広めています。
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白山水を右手に見て、急な坂を登りきると、眼の前に広場が広がります。そして、正面に球体を乗せたような塚が現れます。これが瑩山禅師の墓所になります。 「開山塚」
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瑩山禅師の開山塚は、五老峯の入り口を守護するように建てられています。開山塚の右脇を登ると「五老峯」になります。
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五老峯(ごろうほう)は三角錐型の岡を利用して築かれています。
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標高145メートルの位置、永光寺の一番奥にあり、周囲が約20メートル強あります。頭頂部に石塔が置かれており、五人の老師の遺品が埋納した目印になっています。
最初に高祖.・天童如浄(てんどうにょじょう)の語録、開祖・永平道元の遺骨を納めたようです。その後、瑩山の師に当たる永平寺二世・孤雲懐奘(こうんえじょう)の(一行三礼)血書経典、大乗寺一世・徹通義介(てっつうぎかい)の嗣書と達磨宗ゆかりの舎利を加え、瑩山死後に瑩山筆写の五部大乗経を埋納して、五老の墓塔としたものです。
先に紹介した瑩山の「洞谷山尽未来置文」には「出家、諸門弟等、一味同心にして当山をもって一大事と為し、ひとえに五老峯を崇拝せよ。」と教示してます。

五老峯の心象モデルは中国の廬山(ろざん)にある五老峰だと思いますが、曹洞宗特に總持寺系ではこの五老峯が、大事な聖地・霊地になります。
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埋納されている五師の名前と履歴と遺品を、改めて列挙すると。。

天童如浄(てんどうにょじょう)・・・道元が中国(宋)に渡った際に師事したのが如浄。当時の中国で主流(臨済禅)ではなく、権勢から離れひたすら禅に打ち込み内面の自在な境地を得るという曹洞禅を伝えていました。道元はこの師に3年間仕え、印可を受けています。  <如浄禅師語録>

永平道元(えいへいどうげん)・・・ご存知の通り、日本曹洞宗の開祖。聖興寺・永平寺開祖
<遺骨(霊骨)>

孤雲懐奘(こうんえじょう)   ・・・永平寺二世。瑩山は懐奘によって出家得度を受けています。終生に渡って、道元の侍者という立場を取り続け、道元死後は承陽殿(道元の廟所)の脇に居室を置いて過ごしたほどです。現在でも永平寺の承陽殿の扉が開けられており、夜の見回りも子の刻を避けるのは、懐奘が道元に会いに行くのを妨げないためというのは有名な話  <一行三礼の血書経典(自分の血で書いた経典)>

徹通義介(てっつうぎかい) ・・・永平寺三世、大乗寺開祖。瑩山は出家前は義介の沙弥(しゃみ、見習い)をしていました。瑩山の実質的な師匠。道元・懐奘に師事しており、道元死後に中国(元・南宋)に渡り、新しい禅宗の祈祷や清規(しんぎ、禅宗集団の戒律や規則)を持ち帰り永平寺の戒律・規則の整備に努めました。  <嗣書 達磨宗の舎利>

瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)・・・永光寺・總持寺開祖、大乗寺二世。 現在の曹洞宗の基礎を作った人物として太祖と呼ばれています。  <瑩山筆写の五部大乗経(智顗(ちぎ、天台大師)が選抜した大乗仏教の重要経典)>

瑩山の晩年は多忙を極めていました。總持寺の開山と寺制の整備に精力を注ぎ、峨山に總持寺貫主を譲り永光寺に移ってからは自分の死期を感じていたのかもしれません。永光寺の伽藍建設と共に、曹洞宗への後事の書や各寺の人事、役割など事細かに書き残しています。さらに多くの教書も書き残しています。
永光寺の住職輪番制にしても、瑩山の決定になっています。瑩山は臨終の際も筆を握ったままだったと云われています。

そんな瑩山が後事を託したのが、門下四哲と呼ばれた明峰素哲、無涯智洪、峨山紹碩、壺菴至簡と前記四人に
孤峰覚明、珍山源照を加えた四門人六兄弟です。(この六人は曹洞宗を齧った人はどこかで聞いたことがある人物たちです。補欠扱いの珍山は流罪の隠岐の島から戻って船上山に籠った後醍醐天皇に教書を講義した人物として太平記に名が出てきます。)
更に、黙譜祖忍尼、金灯慧球尼の二人の尼住職も同列に並べています。そして永光寺・円通院・宝応寺・光孝寺・放生寺・浄住寺・大乗寺・總持寺の8ヵ寺について、永代にわたり護持すべきと厳命して、八人を住職に充てています。

この弟子八人が中心となって、その後の曹洞宗の大きな発展に繋がって行きました。
この八人の中で特筆されるほどの活躍をなしたのが、明峰素哲(めいほうそてつ)と峨山紹碩(がざんじょうせき)の二人。この二人の行動事績は、静と動と云えるほど対照的なものでしたが、師の瑩山を尊敬し、期待に応えた点は同じでした。

明峰素哲は義介・瑩山が住職を努めた大乗寺を託されていまいた。瑩山亡き後は永光寺を輪番制の最初の住職として継承しました。偉大な前任者を継いだわけですが、両寺の寺制を確立し、その傍ら後代に繋がる曹洞宗の教義をまとめていきました。現在の曹洞宗總持寺派の精神・教義は明峰の功績と云われています。晩年は氷見市の光禅寺を開山しています。

ちなみに、この光禅寺はかつては七堂伽藍を誇り、加賀前田家の祈祷所となったほどでしたが、昭和13年(1938年)の氷見の大火で全焼してしまいました。また漫画家の藤子不二雄Aの安孫子素雄氏の生家としても知られています。安孫子氏の父親が光禅寺の第49代住職でした。再建された光禅寺の境内にはハットリ君や喪黒氏(笑うセールスマン)他の彫像や絵があります。

峨山紹碩は、先にも述べたように瑩山から總持寺貫主を託された俊英でした。
行動力と指導力に優れており、教化の広域化と後進の人材発掘と教育に才を示して、峨山門下二十五哲と呼ばれる弟子が全国に散らばり、曹洞宗の全国布教に繋げています。
瑩山の永光寺の住職輪番制にならって、總持寺にも五院(塔頭寺院)を造り、貫主輪番制を取らせました。

峨山は總持寺の貫主と永光寺の住職を兼ねた際には、両寺の勤行(朝課)を行うために13里(約52キロ)あった険しい道のりを20年間、死ぬまで往復したと云われています。現在の總持寺・祖院にも、「大悲心陀羅尼」を一音ずつ長く引いて読む「大真読」と呼ぶ諷経法があるのですが、これは永光寺からやってくる峨山を待つために始められた云われています。

峨山が未明に永光寺の朝課を済ませ、總持寺に向かった険しい山道は峨山道と呼ばれています。ひたすら能登半島を縦断するように北上するルートです。途中には峨山が発見したという「古和秀水」と呼ばれる名水も存在します。

超人的で無理と云われますが、峨山は瑩山に弟子入りする前は白山修験者であり、比叡山でも修行をしていたことも知られています。一説には白山修験者は一日の走破距離は120キロ以上と云われていますから、絶対無理とは言えないと思います。

石川県内の特に河北郡以北の人にとっては、曹洞宗の歴代貫主の中で一番人気が高く、著名なのがこの峨山禅師なのです。峨山は永光寺の南の山岳を越した、はくい瓜生の里(現在の津幡町瓜生)の出身。
曹洞宗の歴代を見ても永平寺・開祖道元は京都、2代懐奘と瑩山は越前、義介は出生地が不詳ですが、旧姓は富樫なので野々市もしくは小松の加賀?といった具合で、峨山は初の地元出身貫主というわけです。
僕も故郷は津幡町のため、この峨山禅師の事績や峨山道に関しては昔から身近に聞いていました。歴史系を聞くと調べたくなる僕は、おかげで曹洞宗門徒でもないのに、なぜか曹洞宗には詳しくなってしまいました。

峨山が歩いた(走った?)峨山道の入り口(出発点)は、当然ながら永光寺になります。
それが瑩山の墓所「開山塚」になります。つまり峨山は毎朝未明に師に御挨拶してから出発していたことになります。たぶん、師の墓所に手を合わせてから出かけたのでしょう。
開山塚を左に行った所に、「是より峨山道入口」の石柱と案内碑があります。
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毎年春に峨山道巡行の行事が行われており、今年8月に峨山道の観光整備が県から発表されています。
ただ、観光用に迂回路を整備するというのが引っ掛かりますが。。。。

旅行日 2013.08.01






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この記事へのコメント

  • がにちゃん

    観光用に・・・私も引っかかる方ですね  あまりにも整備され過ぎると歴史が壊れていくようにも思われます  
    2013年09月05日 11:41
  • つとつと

    がにちゃんさん
    峨山道はほとんどが山道を行くんですよ^^
    それを全く違うルートにするのは歴史的に本末転倒だと思います。
    自然を破壊するのだけは勘弁してほしいですね^^
    2013年09月06日 00:06

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