峨山禅師生誕地 棚田の風景

前回の日記は3部作になってしまいましたが、その中に峨山禅師のことを書きました。峨山禅師は永光寺(ようこうじ)の南の山岳地帯の宝達山の南麓の羽咋郡瓜生田(現在の河北郡津幡町瓜生)で生まれています。
ちなみに能登は山が意外に多いのですが、高山と呼ばれるような山はなく、この宝達山が能登で一番高い山になります(637.1メートル)。ただ丘陵面積が広く、県内の宝達志水町・かほく市・津幡町さらに富山の氷見市・高岡市に跨っています。名前の由来は江戸期に金脈が出たからと聞いたことがありますが、詳細は不明。

昨年のお盆に足を延ばして、この瓜生まで来て峨山禅師の生誕碑も観てきていたので、この機会に改めてアップすることにしました。実はその時は棚田の風景を観に来ていたんで、峨山禅師はついでだったもんで、あまり写真は撮っていなかったんです。「ついで」なんて書いたら峨山禅師に怒られそうですけど。。
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津幡町でも山間の里と云われる河合谷地区。その河合谷でも一番奥にあるのが瓜生です。昨年(H24)の春に豪雨で崖崩れが起こり、唯一の生活道路が埋まって部落が孤立したのは記憶に新しい出来事でした。宝達山側にも道はあるんですが、とても普通車が通れるものではないそうです。災害の際もこの裏道を通って緊急を知らせたそうですが、相当苦労したそうです。
八の谷・池が原の吉倉地区からこの瓜生の辺りは良質米が採れることで知られていて、美しい棚田の風景が見られます。

江戸期までは氷見からの街道があり、中継に宿場になっていたそうですが、今は街道はなく民家も数軒の部落です。江戸期も宿場と云っても数軒の民家・農家だったようです。また先に書いた金脈もこの瓜生側で発見されたのですが、加賀藩が乗り出して採掘を進めたそうですが、大きな鉱脈は発見できず数年で枯渇したと云われています。(日産18匁目(約60グラム)と少量だと云われています。)

江戸期でその程度ですから、峨山が生まれた頃(健治2年(1276年))の鎌倉末期は寒村地帯だったようです。
その寒村でも峨山の家は極貧だったようで、家屋は無く洞窟暮らしだったと云われています。その洞窟は今も生誕碑の側にあるものだそうです。後で知ったので写真がなくて申し訳ない
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当時の貧しい農家では跡継ぎ以外は、単なる働き手か坊主になるのが常道でしたが、峨山もその例に倣って羽咋郡内の教宗寺院(宗派、寺名は不明)に11歳で出されています。そこから持ち前の行動力で16歳で比叡山に登って出家、天台教学を学んでいます。この10代と20代は修行として比叡山・白山で山岳修行を行って修験者になっていたと云われています。
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21歳の時、京都を訪れていた瑩山禅師と出会い、禅についての話を聞いたのがきっかけで、2年後に大乗寺を訪ね弟子入り、瑩山やその師匠の義介に参問(仏法の奥義を尋ねること、師弟関係を結んだことを示す。)
2年間、大乗寺で修業・参学した後、20年間の全国行脚の旅に出ています。(その間に朝鮮・元まで云ったとも言われています。)
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能登に戻ったのは45歳(元亨元年(1321年))の働き盛り、理由も總持寺が出来たためと思われます。
その後、3年間で瑩山から法衣(武道で云う免許皆伝、袈裟を贈って法を伝えたという証明)を受け、總持寺の貫主を託されます。翌年、瑩山が亡くなり、兄弟子の大乗寺・永光寺住職、明峰素哲と共に曹洞宗の発展に努めます。観応元年(1350年)、10年程前に隠居していた明峰素哲の葬儀では導師を努めていますから、この時点で教団のトップに立っていたようです。
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その後は前のブログに書いたように、門下25哲など多くの優秀な人材を育て。總持寺の教勢を全国的なものにして行きました。曹洞宗内での峨山門下は峨山派と呼ばれますが、現在の曹洞宗寺院は伽藍配置から9割が峨山派の流れを汲むものと云われています。
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大正14年(1,925年)に生誕地の瓜生の地に生誕碑が建てられ、「峨山園」が作られました。

6月23日が峨山禅師の誕生日になります。毎年、この日の前後日曜日には曹洞宗内の僧侶50名程と地元住民が集まり、瓜生の生誕碑の前で峨山禅師の生誕祭法要が行われています。
考えてみれば、偉人の生誕何十、何百年祭はよく聞きますが、宗教関係では生誕祭の法要は寺院内などに限られているのがほとんどです。生誕地そのものの地で、村内の屋外で行われているのは、峨山禅師くらいじゃないでしょうか

石川県内では輪島の白米の千枚田が全国的に知られていますが、瓜生や吉倉地区の棚田は県内でも以外に知られていないのですが
個人的にはこちらの方が好きです
名所旧跡は廻りには少ないけれど、その風景はなかなかのものです。
機会があったら是非、訪れて観て下さい

瓜生の棚田風景
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八の谷(吉倉地区)の棚田風景 2012.3.21撮影
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旅行日 2012.08.15







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著者佃和雄(著)出版社曹洞宗大本山總持寺発行年月2013年03月ISBN9784833019200ペ


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この記事へのコメント

  • soma@上越

    階段も棚田もすごいですね(^o^)
    棚田は上越の清里にもありますが、
    今の時期は、展望台から眺めている人が結構います。
    そういえば、何年か前に千枚田に行きました。
    感動しました。
    こんなに田んぼがこんな崖にあるんだと。
    早く石川に行きたいです!
    つとつとさん、いつもコメントありがとうございますm(_ _)m
    2013年09月06日 07:20
  • go

    つとつとさんおはようございます、
    峨山禅師の生まれた瓜生や八の谷地区の棚田の風景は綺麗ですね、棚田の形が皆違っています、江戸時代以前から貧しい寒村だった住民が糧を求めて大変な苦労をして人力で山を切り開いて田んぼ一枚ずつ広げていった事がうかがえます。
    最貧の寒村では口減らしの為にお寺に坊主として出されることは当時の農村にはどこで有った話でしょうが峨山禅師は努力して郷里の能登に帰って教団のトップにまで登りつめた事はやはり常人ではないように思います。
    2013年09月06日 08:22
  • つとつと

    somaさん
    棚田のある地区は山間地にあるんですが、耕地が少なく山を切り開いてこういう田地を構成したようです。田んぼには水が必要でその灌漑や様子で先人は苦労したみたいです。

    そうそう、毎年千枚田では秋からライトアップがあります。
    今年は10/19に30000個のキャンドルライトで浮かび上がります。それから、11/9~3/16までイルミネーション20000個のライトアップがあります。太陽光発電利用なので毎晩観られますよ。

    goさん
    僕の子供時代もこのあたりの田園風景は綺麗で遠足で何度か行きました。
    当時も大きな棚田に眼を見張った記憶があります。
    ところが、この辺りは地盤が弱く、木材の伐採もあって、崖崩れが多発して一時機荒廃したことがあります。それが今は綺麗に植林も進み、棚田も拡張しています。
    山間ということもあって、棚田本来の姿が見られて僕は個人的に気に入っている場所です。津幡町も中心部は住宅が広がり緑が以前より減ってしまいましたが、この辺りに来ると子供の頃の風景が思い出されてホッとするんです。
    河合谷地区では大正期に小学校建替えのために、村を挙げて禁酒をして費用捻出をした土地柄です。また、昭和期までは雪で閉ざされた場所でもあり、我慢強さと努力に関しては昔から定評があります。それも地元のヒーロー・峨山禅師の教えが生きているようです。
    2013年09月07日 13:35

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