本龍寺 銭屋五兵衛の墓所

金沢西警察署を更に西に向かうと、江戸期に北前船の港湾として栄えた宮の越(金石)の町になります。

金石の交差点近くに古びた3階建ての建物がありますが、以前までは「銭五遺品館」として銭屋五兵衛の記念館がありました。現在は大野湊神社の近くの「大野湊緑地公園」内に「銭屋五兵衛記念館」「銭五の館」として移転整備されています。その建物から更に西に100メートルほど進んだ所に長い塀垣の寺院があるのですが、そこに銭屋五兵衛が眠っています。
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寺院の名前は「本龍寺」。真宗大谷派(東本願寺)の寺院で、境内には同じ真宗大谷派の妙清寺があり、金石随一の敷地を誇っています。
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本龍寺は正式名は「潮聲山 本龍寺」。
以前にUPしましたが、真宗の北陸布教の土台を作り、越中井波に瑞泉寺を開山した綽如の曾孫・蓮欽(瑞泉寺四世)が隠居寺として越中梅原村(現在の南砺市梅原 梅原護摩堂遺跡)に、文明元年(1469年)一宇を建てたのが始まりと云われており、慶長7年(1602年)にこの地に移転してきたそうです。
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瑞泉寺の所縁を継承している為、本殿は秀逸な仏教彫刻がそこかしこに施されており、本殿伽藍も金石随一の大きさを誇っています。鐘楼もなかなか見ごたえがあります。通常は非公開ですが、庭園も江戸期を代表する物だそうです。瑞泉寺関連の寺院は真宗の中でも重要施設で、蓮如の遺骨を納めた蓮如塚があることも特徴です。
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本龍寺には芭蕉の句碑があります。 小鯛さす 柳すずしや 海士が軒
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松尾芭蕉は奥の細道の途上、金沢に9日間滞在しているのですが、大きな目的の一つに俳人・小杉一笑と会うというものがありました。芭蕉は一笑を若いながら将来の逸材と期待していたようです。
ところが一笑は前年の年末に若くして急死(36歳)しており、知らずに尋ねた芭蕉は、俳人仲間の竹雀から訃報を聞き、驚嘆と悲嘆を味合うことになります。

滅多に感情過多の句を詠まない芭蕉が、動揺した様子の日記と句を残しています。
一笑の菩提寺である野町の願念寺(忍者寺・妙立寺の脇を入った奥にあります。)で、一笑の兄が催した一笑の追悼会で詠んだ俳句です。                  塚も動け わが泣く声も 秋の風
ちなみに願念寺に、この句碑があります。

この追悼会の翌日、つまり芭蕉が旅立つ前日になりますが、芭蕉は宮の越に招かれ俳句の練習会に参加しています。その際に読まれたのが前述の俳句です。

本殿の正面というよりは社務所の正面に銭屋五兵衛の墓があります。
成長した松の木に覆われたように立っています。本殿の横の墓地とは離れた場所に独立して建てられています。左側面には建主名の「清水喜太郎」の文字があります。
清水は銭屋の本姓で、子孫は清水姓を名乗っています。
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喜太郎は五兵衛の長男で、五兵衛が投獄された際には銭屋の当主となっていた人物です。喜太郎も五兵衛と共に投獄されていました。娘の千賀女の嘆願奔走などもあり、喜太郎は投獄5年で出牢を許されましたが、時すでに遅く、老齢の五兵衛は牢死した後でした。
その後、代牢願の奔走が祟ったのか、その3年後には千賀女が脊椎カリエスで26歳で死去、喜太郎も加賀から所払いとなり越中の安居寺に向かう途中、駕籠の中で自殺しています。ちなみに南砺市宗守に喜太郎の慰霊碑があります。
この墓には牢死した五兵衛。自殺した長男・喜太郎。無理が祟り病死した喜太郎の娘・千賀女。この三人が眠っています。
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銭屋の家族・身内は非常に仲が良かったようです。特に千賀女は「加賀の千代女」の再来と云われた程で、祖父・父共に自慢の娘として愛されたようです。それが、無理を押してまで祖父と父への出牢・代牢願へと繋がったと思われます。楽しい日々が暗転して、最後まで苦しみぬいた三人ですが、今は仲良く同じ墓に眠っていると思うと、少しホッとする思いです。

銭屋全盛時に活躍し辣腕を振るった番頭・弥吉。河北潟事件で主犯とされた三男の要蔵と共に磔刑に処されたのですが。。。この寺に墓があるはずなのですが解りませんでした。墓地には江戸期年間の年号の墓が多く存在していますから。。。
ちなみに、要蔵の墓も元はここにあったのですが、金石有志によって要蔵と恋仲だったと云われる鉄女が建てた海月寺に移されています。

弥吉違いで申し訳ありませんが(こう書くと故人には失礼ですが、、、)、銭屋五兵衛の墓の隣にもう一つの墓があります。これは安宅弥吉の墓です。
50代以降の方ならご存知の人もいると思いますが(僕などはガス・石油・ガソリンの会社を思い浮かべてしまいます。)、戦前戦後に10大商社の一画として、全盛時2兆円以上の売上を誇った総合商社・安宅産業の創始者です。他にも甲南女子学園の創始者としても知られています。
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弥吉はここ大野の出身で、銭屋五兵衛を尊敬していたことで知られています。信義と堅実を旨として経営に邁進したことでも知られています。
「カエルは飛び跳ねる前には、しばらくジッとして足に力を溜めて、一気に跳ねるものだ。だから経営も同じで苦しい時は我慢自重して、機会をとらえて一気に進出するものだ。」 社訓は「堅実」
地元(石川県)の後進育成の奨学金制度、大野湊神社の拝殿寄贈など石川への援助をしています。また同じ石川県人の鈴木大拙に傾倒しており、大拙のスポンサーとして活動を助けていました。
戦後しばらくして亡くなっていますが、堅実を旨とした弥吉の思いとは別に、安宅産業はその後、同族経営の弊害と無理な海外投資に走りオイルショックの反動で破綻、昭和52年(1977年)に伊藤忠商事に吸収合併されています。

墓の中の弥吉は怒っていると思うし、反省もしていると思います。息子を甘やかして育てたのと、後継者を育てていなかったせいですね。

安宅弥吉の墓はこの他に、尊敬していた鈴木大拙と同じ鎌倉の東慶寺、西宮に分骨されて存在します。

本龍寺の正門入口は少し狭いですが車の乗り入れは出来ます。境内敷地に車を入れられるのでご安心を

旅行日 2013.08.05




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この記事へのコメント

  • soma@上越

    真宗大谷派というと…
    僕がかよっていた保育園が、仏教系で真宗大谷派高田別院の敷地内にありました。
    毎日別院にお参りしに行ったり、いただきますの前にお経みたいなのを読んだりしていました。
    昔、一度火事にあったりしていますが、今は建物も新しくなってとってもいい保育園でした。
    2013年09月22日 09:35
  • つとつと

    somaさん
    仕事で保育園に行くことが多いんですが、仏教系の所は入ったことがないんです。
    でもそういうのがあると行儀作法には良いかの。キリスト系は見たことあるんですが、やはり教会行ったり食事前にお祈りしたのを観ました。

    真宗と云えば、上越は親鸞が流罪になった地として、真宗の聖地の一つになっていますね。だいぶ前に居多浜や五智を観て回りましたが、焼失後整備されてから行ってないんです。機会があったら行ってみたいですねえ。
    2013年09月22日 11:47
  • go

    豪商の銭谷五平の一族の悲惨な結末はむなしいです、それも商家と武家の目に見えない一線があったのでしょうね、金石(宮の腰)は歴史の残る人物の糸が絡む古くからの場所ですね。
    つとつとさんの記事を読むと歴史が身近に感じてきます。
    2013年09月22日 21:08
  • がにちゃん

    素晴らしい彫刻があるのですね 金沢 結構何回も行っているのですが、知らないところが本当にたくさんあります  じっくりと回ってみなければ 
    2013年09月28日 10:18
  • つとつと

    goさん
    昔、宮の越と呼ばれた時代は、金石や大野は石川郡だったんです。
    つまり、僕たちの住む松任などと同じ郡。ついつい銭屋サイドになってなってしまいます。大野・金石には古い街並みや醤油工場などそぞろ歩きにはうってつけの場所で気にいっています。

    がにちゃんさん
    越中井波の(富山)の瑞泉寺の近辺は彫刻の町で、全国の仏教彫刻の多くを刻んでいるんです。その本元にある瑞泉寺関連の寺院は同じような彫刻が施されていて興味深いです。是非、瑞泉寺は一度観て下さい^^
    北陸独特の彫刻と太子伝承を伝える源泉みたいな寺院です。
    2013年09月29日 11:25
  • ごむわた

    絵師が寺院本堂の天井画として描いた龍の図画や、梵鐘、鐘堂にうがった龍を写真に撮影。自身のブログにそれをアップしているかた(東京在)と知り合う機会(2016/春。於/金沢)があり、オモロイ!と、日がな一日、のぼり龍を追ってかなざわを東奔西走、案内する機会あり。
    いちばん感動した龍のひとつが、宮越・本龍寺の、欄間(らんま)に彫ったそれでした。龍は、太い柱をまたいで隣りの欄間へ。ひとつながりに彫りぬかれているのですよ。
    もうひとつのびっくりは、ひがしやま玄光院?御堂の天井画。幕府お抱えの絵師集団 狩野派の作!と住職のよめさんが説明してくださったそれは、そりゃあもう…。拝観は要予約
    2016年10月17日 15:49
  • つとつと

    ごむわたさん
    東山の天井画といえば、玄門寺じゃないでしょうか。まだ未訪なんですが数年前に修復されたと聞いています。そんなにすごいんですか@@機会があったら、ぜひ行って観たいですね。
    この本龍寺には、この時は本堂が締まっていて見られませんでしたが、本堂の欄間には龍の彫刻が施されています。なかなか力強い彫刻です。観られたんですねえ。富山の瑞泉寺の流れを持つので井波彫刻がそこかしこに施されています。富山・石川の東本願寺系は彫刻は必見です。
    2016年10月20日 09:28
  • しみん

    面白かったです。ありがとうございます。
    2019年07月19日 11:41
  • つとつと

    しみんさん
    ご訪問ありがとうございました。つたないブログですが、また機会がありましたら、よろしくお願いします。思い込みで書いちゃうときもあるんで、もしコラというのがあったらご指摘ください^^
    2019年07月19日 20:37

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