芭蕉の渡し

石川の大河であり急流として知られる手取川。石川県の名の元にもなったと云われる川です。
河口を中心に加賀の扇状地を構成し、遠く海流によっては自動車が入れたり、走れる内灘海岸千里浜海岸の砂を作るなど、石川の自然環境に大きな影響を与える大河です。過去には何度も氾濫を起こしており、それが扇状地を構成したわけです。

現在は上流の砂防ダムや氾濫防御の土手の役割を成す河岸道路によって、昭和9年の大氾濫以来大きな氾濫は起こっていません。しかし、砂防ダムにより石や砂の流出が減少したため、千里浜海岸の渚ドライブウェイの幅が年々減少するという問題が深刻になっています。

江戸時代、奥の細道の道中、芭蕉一行は金沢を早朝に発ち、野々市、松任を経由して小松へと向かっています。当然ながらこの手取川芭蕉一行も渡っています。奥の細道には木呂場(ころば)から粟生宿(あお)に至って手取川を渡ったとなっており、曽良日記に小松到着の時刻(午後4時頃)の記載があり、粟生から手取川を渡ったのは日差しのきつい昼ごろと推定されています。
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ちなみに芭蕉一行芭蕉・曽良の二人に、多太神社で紹介した北枝、同じく小松まで同道した竹意の四人でした。竹意については詳しいことが解っていません。ただ、小松で投宿した近江屋は竹意の紹介だと云いますから小松の人だったようです。
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旧北国街道は現在の県道157号線になり、現在は手取川大橋手取川を渡って手取フィッシュランドに至るようになっています。その距離約500mですが、当時というより明治以前はこの手取川の渡しは一里(約4キロ)あったとされています。明治以前は橋がなく舟で渡るしかなかったようです。
それを示すように、川北町の地名には田子島、舟場島、出合島、与九郎島など、高台や丘上の中洲を示すような島の名がつく地名が多くあります(島集落)。前述の木呂場も、本来は川を流してきた木材の引揚げ場のことを言います。
奥の細道の木呂場からの粟生宿は徒歩で5分ほどの場所に地名があり、公園内に「芭蕉の渡し」として小川と句碑が作られています。しかし手取川大橋を渡った対岸の能美にも粟生があります。実際には公園の方が木呂場の渡しになり、対岸の粟生に宿場があったと思われます。
公園横の神社と同じ少彦名神社があり、社歴もほとんど同じ伝承です。また、周りには大きな寺院・遺跡跡などがあり古くから発展していたことが覗われますから、能美の方が粟生宿と思われます。
まあ、木呂場から舟に乗って手取川を渡ったのは間違いないので、船着き場もこの辺りだったと思われます。
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芭蕉はこの手取川にさしかかった際に、記念碑によれば一句を残したそうです。

             あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風 芭蕉

しかしながら、奥の細道では加賀で詠んだ句としては一二を争う有名な句なんですが、詠んだ場所だと主張する金沢・川北・小松とあっちこっちにありまして、実際の所ははっきりしていません。句碑や記念碑がこの句だけで、金沢に兼六園・山崎山、犀川大橋の畔、野町成学寺の三か所、この川北の芭蕉の渡し、小松天満宮などがあります。どれもここだと主張していますが、この川北の芭蕉の渡しも確かに場所柄としても話としても頷けます。まあ、確かに良い俳句ですから良しとしましょう。
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この芭蕉の渡しがある公園は、明治初期には木呂場の茶屋が置かれていたそうです。
明治11年(1878年)、北陸巡幸の際に明治天皇が手取川を渡る前に木呂場の茶屋の茶亭で休憩しています。
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実際、明治初期には木呂場の茶屋があったそうです。
明治11年(1878年)10月、北陸巡幸の際に、明治天皇手取川を渡る前に立ち寄り、木呂場の茶屋で休憩しています。当時、木呂場の茶屋は当地の川北弥右衛門が営んでいたそうです。明治天皇木呂場に到着したのも芭蕉と同じく、午後1:00過ぎ。。天皇は当然ながら茶屋ではなく、川北家の茶亭で過ごしたようです。川北家はこの公園の側に今もあります。
芭蕉一行は残暑の陽射しの厳しい季節でしたが、明治天皇の時は朝からは雨だったようです。当然、水嵩も多かったと思われます。
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以前、親不知(おやしらず)明治天皇の北陸巡幸を書いていますが、天皇の側近たちは行路上での事故を極端に恐れていたのが見受けられます。
本来ならば手取川の渡河は小舟に乗って渡るのですが(実際、木呂場は舟の渡し場にもなっていました。)、多くの小舟を集めて、対岸まで数珠繋ぎに並べ、その上を板腰に天皇を乗せて渡ったそうです。そこまでしなきゃいけなかったんでしょうかねえ^^;
舟に座って渡るのと、舟の橋を板腰で人に担がれて渡るのでは、僕は前者の方が良いですねえ。天皇もタイヘンです。
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この地には、明治天皇の北陸巡幸の休憩所となったことで記念塔が建てられています。
平成10年(1998年)に農村事業として芝生公園が整備されて、「明治天皇御休所公園」として町民の憩いの場となっています。
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前述しましたが、公園の駐車場正面に粟生少彦名神社(あおすくなひこなじんじゃ)があります。同じ名の神社が対岸にもありますが、手取川の氾濫や火災によって分祀されて、本社が元の地に戻った際に、残されたのではないかと思われます。
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旅行日 2013.04.16



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この記事へのコメント

  • イータン

    こんばんは~

    「芭蕉の句」は全国あちこちに芭蕉の句として石碑が残されていますが、ここ石川県 奥の細道の木呂場から5分の所にも碑が残され名所になっているのですね。

    明治天皇の休息所もあり当時の天皇もいろんな所へ出向かれたのですね。
    2015年02月16日 20:35
  • go

    おはようございます、芭蕉翁の足跡を興味深く読ませて頂きました、富山県から石川県は金沢以外は長く滞在した様子はないようですが、各地の足跡が残されていて興味深いです、行く先々で詠んだ句に思いをはせて訪ね歩くのもいいものですね。
    2015年02月17日 08:06
  • がにちゃん

    天皇さん 変に気を使われて・・・(笑)
    川幅1里は結構な距離ですね  この川の砂が千里が浜のドライブコースの砂になっているのですね ここにも芭蕉の足跡が・・・あの時代に精力的な人だったんだとつくづく思いますね
    2015年02月17日 14:38
  • つとつと

    イータンさん
    う~ん、今回の芭蕉の渡しはあまり名所となっていないような~~
    あまり知られていない場所なんですよ^^;
    芭蕉は、こちらでは金沢、小松、に長く逗留しています。しかもあっちこっちで引き止められて、長逗留になってしまっています。おかげで句碑も多く点在しています。そういえばこのサイトには芭蕉の足跡を追った人が多いみたいで、僕も知らない発見が在ったりします。
    明治天皇や昭和天皇も全国御幸を行っているのですが、明治天皇の場合はほとんどが歩行がメイン、おかげで御休所や宿泊所が建物ごと多く残っています。当時は天皇は神様ですから、後世にも伝えたかったようです。
    2015年02月17日 21:09
  • つとつと

    goさん
    芭蕉は金沢に8泊9日、小松に2泊3日舞い戻って1泊2日、山中に8泊9日、大聖寺に1泊と加賀では立ち寄った土地は多くありませんが、長く逗留していますねえ。同行の曽良が体調を崩したこともあるんでしょうが、小松や金沢では人気があって引き留められ日延べしたようです。
    しかしこういうちょっとした場所に足跡が在ったりしますから興味深いです。筆まめな曽良がいて僕たちが思いをはせられるんでしょうね。
    そうですね、奥の細道や曽良日記の行程を、辿ってみたいなあと思いますねえ。。
    でも深川から大垣・伊勢の行程、約半年、約2000キロの旅はなかなか難しそうですねえ、でも憧れの一つでもありますねえ
    2015年02月17日 21:38
  • つとつと

    がにちゃんさん
    明治の天皇さんは当時は神様のような者ですから、周りから相当配慮を受けたみたいで、ほとんど自分の足で歩けなかったんじゃないでしょうか。
    手取川は昭和まで、何度も洪水を起こして流れが変わっていますが、石川の自然の基本になっています。しかも当時は防衛上からも橋が無くて、旅路には渡し船がこの地点だけだったそうです。
    確かに奥の細道だけでなく、何度か旅をしていますが、その歩行距離が尋常じゃないんですね。。忍者説や隠密説が出るのも頷けますね。
    2015年02月17日 21:48
  • えりす

    (;^ω^)天皇さまも本当にたいへんですわね。
    わたくしも「前者」の方がいいです!!

    <(_ _)>つとつと様の素晴らしく、内容の厚い記事に対して、薄っぺらいコメントしか出来ない自分が情けなくて、いつもコメントを我慢しております。
    2015年02月19日 09:52
  • つとつと

    今もですが、天皇は必ず周りに付き人がいて、四六時中公的な存在。
    窮屈この上ないでしょうね。安全なようで怖い思いもたくさん経験してるみたいです^^;
    何を言ってるんですか、、、地元の、、他県の人には全く知られていない所も多いんで、つまらない場所も多いのが玉に傷。。仕事の合間に立ち寄った場所が多いんで、中にはあとで郷土史を読んだものも多いんですよ^^;次の所なんかそうですもん^^;
    どんなコメントもうれしいんで、遠慮なんてしないでください^^
    コメントは遠慮なしにどうぞ^^
    2015年02月19日 18:46

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  • 粟生少彦名神社(あおすくなひこなじんじゃ)
  • Excerpt: 前回の「芭蕉の渡し」の対岸に当たる粟生宿にあるもう一つの「粟生少彦名神社(あおすくなひこなじんじゃ)」 ここには芭蕉の渡しの半年ほど前に立ち寄っています。お客さんとの待ち合わせの時間調整に立ち寄った..
  • Weblog: つとつとのブログ
  • Tracked: 2015-02-19 01:02

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