加賀海岸② 泉浜

橋立には大聖寺藩を支え、明治の初期まで海運を担った北前船の船主や水主達の住まいがあり、現在も見事な館が観られます。また、橋立港は蟹の水揚げ地として県内でも特別視されています。橋立港の近辺には蟹が食べられる、食堂や旅館が立ち並んでいます。

橋立港の少し西方にジゲ浜と呼ばれる地があります。橋立の北前船はジゲ浜の沖合に船を停泊させて、荷の揚げ降ろしを行ったり、自宅で過ごしたそうです。
現在のジゲ浜は浸食によって崩落が発生して立入禁止になっていますが、禁止ロープの場所からでも海が見渡せます。
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ジゲ浜には西出朝風(にしでちょうふう)の歌碑が建てられています。あまり聞かない名前だと思いますが、口語文の自由詩運動の先駆者の一人です。現代の解りやすい用語や五七調からはみ出した和歌・短歌・俳句・自由詩の先駆者と云えます。
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廣重の 藍よりすこし 濃い色の 故郷の海に 逢うたけれども     西出朝風  昭和6年 春

横の銘碑 ・・・ 西出朝風(一八八五~一九四三)
当地、北前船の大船主家系に生まれた。
文学を志して東京へ出たのち、現代語による短歌を提唱し、口語短歌雑誌、歌集を発行するなど世のそしりにも屈することなく口語短歌の復及に努めた。また、新聞に口語歌壇を設け、多くの門人を育てた。その先見の明と勇気は北前船魂に通ずるものであり、北前船の社会的貢献と共に長くたたえたい。
                             平成十八年十一月   橋立町民と有志がこれを建てた


橋立の北前船主で有力船主には久保家・西出家・酒谷家・増田家が所有隻数6~8隻を所有して活躍していました。明治に北前船が衰えてくると西出家11代・西出孫左衛門は函館に本拠を移し、北洋漁業に転身して北海道経済界の重鎮になっています。ちなみに、日本三大夜景のトップに挙げられる函館山は西出孫左衛門の持ち山で、明治中期までは西出山と呼ばれていたそうです。
西出朝風は本名・一(つかさ)で、そんな北前船船主の西出一族として大聖寺に生まれています。慶応義塾を中退後、口語歌を発表し、大正3年(1914年)「新短歌と新俳句」を発表、大正13年に「純正詩社雑誌」を発行するなど口語発展運動に努めています。金沢に戻ってからは、北国新聞に歌壇を造り、後継者の育成と口語文の発展に努めています。純正詩社の発足には放浪の詩人・竹久夢二も参加しています。
朝風の義兄がスポンサーをしていた竹久夢二との交流が深く、夢二が渋谷でお葉と所帯を持った際の家屋を紹介したのが同年輩の西出朝風でした。ちなみに、その夢二の家は朝風の隣家で交流が深く、なにかと諍いが多かった夢二・お葉双方の相談に乗っていたそうです。朝風の作風は夢二の影響を受け感傷的な物が多く残されています。

ちなみに、口語とか文語と云っても、???になります。いろんな考え方があるようですが、簡単に言えば口語は現代(その当時の)の「話し言葉」、文語は平安期以来の古語・文体を含めた「書き言葉」。よく古文を勉強したり、読む人が勘違いするんですが、古文の時代には古文のような喋り方ではなかったということです。例えれば、平安・鎌倉・室町・江戸時代にしても文章と話す言葉(話し方)は全く違うということです。要は会話と文を使い分けていたわけです。つまり、もし僕たちが江戸時代にタイムスリップしても、現代語の新語や造語を除けば、そこそこ会話は通じるだろうと云われています。
またドラマなどを観ていると会話と回想では喋りや語りが変わる時があります。これも一種の口語体と文語体の違いともいえます。

現代の日本では明治から大正にかけて読書きの出来る階層が増え、主に文筆家による言文一致運動で、政府を含む一般に言文一致の風潮が進んで、明治34年(1904年)に教科書が、大正10年(1921年)には新聞、昭和21年(1946年)に公用文が口語体になっています。つまり朝風や夢二は言文一致の風潮の真っ只中だったわけです。反面、口語・文語の区別が解り難くなって日本語の乱れなどと嘆く人が出てしまうわけです。

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このジゲ浜の沖合に停泊した北前船の大型船には、伝馬船(櫂漕ぎの舟)で陸上との連絡や荷の運送、時には曳航にも使われていました。今でいうカッターボートやタグボートの役目を果たしていたようです。北前船に装備されたり浜に置かれたりしていたようです。
江戸期から明治初期にかけて、橋立では伝馬船や漁師舟が置かれたのが、今回ご紹介する泉浜です。
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加佐の岬の画像にも崖下に砂浜が観られましたが泉浜も同じ形態です。岬と岬に挟まれたような場所のために水深も浅目で波が静かで舟が安定するという利点がありました。
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崖から降りる道沿いから砂浜入口近辺の岸壁には、灯り窓の穴が穿たれていて当時をしのばせます。
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橋立港が完成して、その役目が終わってからも手漕ぎ舟の漁船が置かれたりしていましたが、入江なので波が静かで、透明度が高いために隠れた海水浴場として、知る人ぞ知るの存在でした。
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しかし、昭和40年代になると港の防波堤などが整備され、潮の流れが変わってしまったようで砂浜はどんどん小さくなってしまい、海水浴場はいつしか機能が出来なくなってしまいました。
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夏に来れば、海も青くて海面に透明感があって、磯場の美しい姿も見られるんですが、さすがに晩秋でソコソコ冷たい強風も吹く季節。浪も狭い砂浜に打ち寄せてきます。長靴ならともかくスニーカーでは砂にがぶってしまうし、岸壁のコーナーにも波が。。干潮に来れば砂浜をもっと奥まで行けたんですが、で岸壁のブラインドを越えて行ってみましたが打ち寄せる波で、自分の足跡もすぐに打ち消されてしまいます。
左手の遠くの岬に見える岩の小島が先に紹介した加佐の岬になります。今度は夏に来ようっと

旅行日 2015.10.28

泉浜


      ジゲ浜

この記事へのコメント

  • がにちゃん

    加佐の岬にもすごく興味がありましたがここの浜も綺麗な海で良いですね
    今度の旅で行こうかと言ったら 寒すぎると却下されました
    ココはやっぱり夏でしょうね  5月頃ならいいのかなぁ
    2015年12月24日 11:55
  • minoc

    こんにちは。
    伝馬船や漁師舟が置かれたという泉浜のあたり。
    なともいいがたい、・・・たとえば、リアス式海岸といえばいいのでしょうか。
    浜に落ち込む崖の色が、コバルトに輝いていて魅せられます。
    2015年12月24日 14:43
  • go

    こんにちは、橋立には北前船の里に行って来ましたが、酒谷家の遺品が展示されていました、西出朝風は有力な北前船の船主の西出家に生まれながら文学の道に進んだ様ですが、家の家業は継げば大きな財産もあって苦労しないで暮らせたでしょうが、自分の好きな道で一生を終ったことも、その人が選んだ人生でしょう。
    橋立といえば天然の良港で、北前船がその役目を終わってから漁業で有名ですね、かなり以前になりますが務めていた会社の部課長会で橋立の民宿で忘年会をしたことがありますが、カニや活きのいい魚の造りが沢山で美味しかった記憶があります。
    2015年12月24日 17:45
  • つとつと

    がにちゃんさん
    加賀海岸は塩屋浜の暖性樹林の島から北上するんですが、数キロごとに全く違った海岸線になります。
    確かに、冬は寒すぎますねえ^^; できればGW辺りから後の方が良いと思いますよ。次回、蓮如さんの吉崎御坊から加賀を巡るのも面白いですよ^^北潟湖に菖蒲を観ることもできるし^^
    2015年12月25日 10:34
  • つとつと

    minocさん
    リアス式海岸みたいに岬や湾が入り組んでおらず、入江と磯場という方が合うかもしれません。
    浪と強風で砂岩質などの軟らかい土質が風化や浸食で削られて、固い岩盤や粘土質が残って、いろんな岩盤が剥きだしになっています。青っぽい所や赤っぽい所など変わった色目が多くなってます。離れると黒っぽいんですが、近づくといろんな色があって興味深いです。
    2015年12月25日 10:43
  • つとつと

    goさん
    石川には多くの漁港がありますが、橋立港はやはり加能蟹に本場ですからね。
    金沢港や能登の蟹も美味しいですが、ここのは身肉も詰まって特別に感じますねえ^^
    食堂もすぐ前の港直送ですから新鮮その物、それに金沢より食堂に関してはお安いし^^上質な上島珈琲が飲めるレストハウス、デザートならフルーツランドがあるし^O^石川県内でも屈指の食の世界かもしれませんね
    2015年12月25日 10:53

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