須夷蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)

能登島の南西部の高台にある古墳です。
この古墳は古墳終末期の7世紀中頃に作られた物です。葬られていた人は不明です。
縦17.1m・横18.7mの方墳です。玄室を二つ持っており、通路や奥で横長になる玄室には、近くの海岸で採れる安山岩が床・壁・天井に張り巡らされています。特に左の雌穴と呼ばれる玄室には棺を乗せたであろう棺台が作られていました。天井がドーム型など、このような造りの古墳は国内では類例がなく、朝鮮の高句麗に多く見られるものだそうです。雌穴から出土した鉄斧も朝鮮半島に多い物です。
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7世紀中頃と云えば、乙巳の変(大化の改新)を代表するように、聖徳太子・蘇我物部などの飛鳥から天智・天武の時代など日本が大きく激動した時代です。中国では618年に隋が滅び唐が興り、同じく朝鮮も百済660年・高句麗668年と滅亡するなど東アジアの激動期にあたります。そんな時に能登島にこのような古墳が築かれたのは興味深い事です。

現在の七尾港には古代においては鹿嶋津といわれる海軍基地が置かれていましたが、その対岸にあたる能登島。その高台から鹿嶋津を見渡すような場所。更に当時、能登は羽咋にある「汀の正倉院」と云われる寺家遺跡・福浦湊は高句麗後の渤海との交流が顕著ですが、能登の古墳群は西側に集中しており東に当たる能登島に朝鮮式の古墳が存在するのも謎が多く残っています。
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この古墳は昭和まで玄室が露わになるなど荒廃していましたが、平成になって復元・整備が薦められました。現在は国指定史跡として遺跡公園としてなかなか綺麗な散策路になっています。古墳からは七尾南湾を隔てて、七尾港や石動山の山並みが観られます。
古墳に向かう遊歩道の入口の駐車場にある蝦夷穴歴史センターには古墳からの出土品(須恵器・剣の展示が観られます。展示物は多くありませんが古墳に興味のある人は見学することをお奨めします。
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旅行日 2011.8.6

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