倶利伽羅山 八重桜

倶利伽羅峠は昔は北国街道の難所ではありましたが、街道のおかげもあり、倶利伽羅不動尊や長楽寺の寺社・宿場もあり栄えた場所でした。
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しかし、明治初頭の竹橋宿の大火、更には廃仏毀釈による長楽寺の廃棄、国道8号線・北陸本線の敷設により、倶利伽羅越えの北国街道の役目は無くなり衰退して行きました。
それでも津幡・小矢部の住民や一部の人にとっての生活道路として倶利伽羅峠や天田峠越えの道は難路ながら残っていました。昭和末期まで倶利伽羅越えの峠には茶店が現存営業していました。

昭和9年、射水郡大島町(現在の射水市)に高木勝己さんという運送業の人物がいました。彼が助手と共に仕事帰り、天田峠越えの途中で30メートルの崖下に転落しました。車は大破しましたが二人は無傷という幸運な事故でした。それから20数年後、彼が眠っていた際に夢枕に倶利伽羅不動明王が出てきてこう言ったそうです。
「倶利伽羅山が荒れ果てて寂しいものだ。」
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ここで高木氏はあの事故での無事は倶利伽羅不動のご加護だったんだと一念発起。倶利伽羅を吉野山のように桜の名所にして人が来るようにしよう。昭和34年から19年間、奥さんと一緒に私費で毎年500本近くの桜の苗木を津幡町坂戸口から小矢部市蓮沼までの倶利伽羅峠の街道沿いに自力で植えて行きました。徐々に桜並木は花をつけ約4000本の名所として知られるようになりました。
高木氏は平成2年に85歳で逝去されましたが、その業績は津幡町・小矢部市が引き継ぎ現在は約6500本の八重桜が咲き誇る桜の名所になっています。

倶利伽羅古戦場の源氏が峰や地獄谷を見られる展望台が県境になるのですが、そこから津幡側に進んだ倶利伽羅公園の第二駐車場に「昭和のはなさか爺さん 高木勝己翁」の銅像があります。

八重桜は赤みが強く花弁も多重なので花にボリュームがあります。車に乗りながらでも美しさが観られますし、山々の名所旧跡を散策しながら観桜を楽しむにも、良いシチュエーションです。
また倶利伽羅不動尊では4月28.29日に毎年、参拝者に赤餅が振る舞われています。できれば、午前中に訪れると確実に頂けます。
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旅行日 2012.04.30

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