瓶割坂② 神明宮

前回の大蓮寺のお隣にあるのが「神明宮」になります。
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神明宮金沢五社(宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮)に数えられる江戸期に重要視された由緒ある神社です。金沢五社は以前にも書いたことがあり、この神明宮も文字だけですが、簡単な説明を書いていました。 椿原天満宮(椿原山砦跡)

その時の文章を抜粋すると
金沢五社 ・・・ 前田家の加賀藩時代には、金沢の町と城の鎮護と防衛拠点として、正式な神官だけが常駐している神社が五つ存在しました。金沢城を囲むように存在したこれらの神社は、宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮
それぞれが浅野川や犀川、卯辰山や小立野台地と云った重要拠点に配置されているのですが、地図で見ると五芒星の形に配されているようにも見えます。現在も金沢五社巡りとして、神社愛好家に人気のコースになっています。 

加賀・金沢神明宮・・・金沢城の南に位置し、犀川に掛かり加賀・松任・鶴来からの主要入り口となる犀川大橋のたもとで、城から観ると犀川の対岸となる場所にあります。
別名は祓宮(はらいのみや)。この名は江戸期、正月などに金沢城内で使われた注連縄などを寺社奉行立ち合いで、境内で祓い燃やすのが慣例となっていたためです。この行事が金沢の左義長の起源と云われています。
また、春(5/15~17)・秋(10/15~17)に行われる「あぶりもち神事」は食べるお守りとして、金沢の風物詩の一つになっています。
上戸彩・高良健吾主演の「武士の献立」の前作となる「武士の家計簿」で、堺雅人・仲間由紀恵が演じた猪山家はこの神社の氏子でした。お宮参りなど家の祭礼の記録が神社に残っているそうです。映画でも境内での屋台風景などが描かれていました。
金沢三文豪の一人・室生犀星が子供・学生時代を過ごした雨宝院が側にあり、子供時代の遊び場になっていたそうです。また同じく詩人として人気のある中原中也も5歳から2年間をこの神社の近くで過ごしており、境内で観た軽業興行の思い出を「山羊の歌」の3番目に入っている「サーカス」という作品の題材としています。
記述の通り、正式名は「加賀・金沢神明宮」ですが、地元では神明宮、愛称を込めて神明さんと呼ばれています。
江戸期には祓宮(はらいのみや)と呼ばれ、金沢城の正月飾りを境内で祓い燃やす行事が毎年行われており、金沢の左義長の元祖と云われています。また江戸時代・元和七年(1621年)に発生した三日三晩踊り続ける伊勢踊りの際には金沢城から最後の終点がこの神明宮でした。昔から中心街とも云える片町が近く、庶民が集まる広場にもなっていたようです。つまり、加賀藩、一般庶民両方から信奉され親しまれた神社です。
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神明宮のあぶり餅神事は金沢の風物詩として知られますが、この時には境内に露天が出てけっこう賑わっています。食べるお守りは珍しいものです。一度は体験して観て下さい。もちろん、食べれないお守り(家守)や人型のおみくじもあります。本来はこちらが本命なんですが、食べるあぶり餅が際立って知られています。
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映画「武士の家計簿」で猪山夫妻を演じた堺雅人・仲間由紀恵が夜店と人並みの中を歩くシーンがありましたが、芸子踊りや餅蒔き(豆まき?)は同じ金沢五社の宇多須神社の祭礼ですが、夜店や祭礼の道は神明宮を表しています。猪山家は明治以降は東京に移っていますが、江戸時代は神明宮の近くに屋敷があり神社の氏子に名を連ねており、お宮参りなど常々訪れていたそうです。

明治以降も庶民の人気を集めた神社で、集会や行事がこの境内で行われていたそうです。また、境内は子供たちの遊び場でもありました。すぐ近くにある雨宝院で幼少期・少年期を過ごした室生犀星はいつもここで遊んでいたそうです。女性陣に絶大な人気を誇る詩人・中原中也は軍医だった父親の転任で、5歳から7歳の年少期を金沢で過ごしていますが、その際にこの境内で観た軽業興業の印象を詩にしています。

幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして 今夜此処でのひと盛り 今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ

頭倒(さかさ)に手を垂れて 汚れた木綿の屋根のもと  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が 安値(やすい)リボンと息を吐き

観客様はみな鰯 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら) 夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

                         「中原中也 山羊の歌 サーカス」


ところが現在は春秋のこのあぶりもち行事の時以外は、五社巡りの方以外訪れる人も少なく静かな佇まいで、境内に入ると、とても繁華街が近いとは思えない静かさです。
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その境内の真ん中に、現在も石川県を代表するものがあります。それが、神明の大ケヤキ
この大ケヤキは樹高33m、幹周7.83m、枝幅25m、推定樹齢千年。この巨木は「神明の大ケヤキ」と呼ばれ、多くの伝承が古く語り継がれているそうです。下に立つと巨木の息吹を感じ圧倒されます。
現代の金沢市街地の中でも、しいのき迎賓館(旧県庁前)の2本の椎の木と並んで異色の存在です。迎賓館の椎の木は、元々は現在の中央公園にあった加賀騒動の主役・大槻伝蔵の屋敷にあった物を移植したものですが、神明の大ケヤキは誕生以来この地にあったと云われており金沢市民には馴染みの深いものです。
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根元、胴体部に空洞がありますが樹勢は強く、訪れた際には境内を覆い尽くすように枝葉が広がっていました。
ケヤキとしては、幹周は七尾の飯川神社の大ケヤキと同じですが、樹高・枝幅は県内最大級を誇っています。
昭和18年(1943年)文部省「史跡名勝天然記念物」指定(今は無し)。また金沢市内を回るとよく見かける大木の保存樹指定ですが、昭和55年(1980年)新設された際の第一号がこの神明の大ケヤキになります。
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神明宮は名前の通り、伊勢神(天照大神)を主祭神にしています。
全国七神明(東京・芝神明、山形・湯殿山神明、大阪城神明、長野 ・安曇神明、京都・東岩倉神明、京都・朝日神明、金沢神明)の一つとされています。
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古くから存在していたようですが、加賀藩草創期の藩主・前田利長によって春秋の厄除け神事の奨励が行われ、寺社奉行立ち合いの金沢城の正月飾りの祓い焼却の左義長が行われるようになり発展を遂げたと云われています。全国でも珍しい食べるお守り(あぶり餅)・軒先に飾る家守りは地元に深く根ざしています。
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また、明治初期に全国初の福祉事業を起こし、日本最古の社会福祉施設とされる陽風園の前身となる「小野救養所」「財団法人小野慈善院」を造った小野太三郎は16歳の時に眼病を患い、神明宮に百日祈願を行い完治したと云われています。このことから神明宮はお百度参りの御利益も高い神社となっています。

大蓮寺と同じく、観光で訪れると通り過ぎる人が多いのですが、足を踏み入れて観てほしい神社です。

次回は、この神明宮を遊び場にしていた室生犀星が育った雨宝院の予定です。UPに間が開いてすみません。。

旅行日 2015.04.29




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